オークの棲む森
昇級試験2日目。
3人は朝日が昇ると同時に行動を開始した。テントを畳み焚き火を消して、目的地へ向かって歩き出した。
ライカ達2人は眠たげな様子で歩いている。地面での睡眠は思った以上に疲れが取れず、また見張りのために睡眠時間もいつもよりも少ない。その為、足取りも少し重い。
対してアルクラドは昨日と全く変わった様子はない。本来睡眠は必要ないが見張りの前後、睡眠を摂っている振りをして微動だにしなかった為、充分過ぎる休息を取ることが出来た。一番大変な真ん中の順番で見張りをしたが、彼は元気そのものだ。その事実に、同じ男であるライカは密かに情けなさを感じていた。
朝と昼、昨晩の残りを食べながら目的地へと向かう。
この日も道中は平和そのもので獣にも魔物にも襲われることはなかった。余りの平和ぶりに、ライカ達は拍子抜けだった。
そして昼を少し過ぎた頃、目的地である、オークが棲みついたとされる森に到着した。
オーク。
豚の頭を持ち、2本の脚で歩く魔物である。人族の間で豚と揶揄される魔物だが、その力を侮ることはできない。
身体は人間の大人よりも一回りも二回りも大きく、強靱だ。巨体を支える筋肉は人を軽々と投げ飛ばし、それを覆う分厚い脂肪が彼らの身を守っている。
戦いの素人では勝ち目がなく、駆け出しの冒険者であっても1人で戦えば、待っているのは無残な死であろう。
そんなオークの棲む森を歩いている駆け出しの冒険者である、ライカ達3人。
ライカを先頭に、魔法使いであるロザリーを、アルクラドと2人で挟む形で森の中を歩いている。
この森に来るまでの道中、平原では獣や魔物の気配を感じることはなかったが、森の中は生き物の気配で満ちていた。
ライカ達は周囲を警戒しながら歩を進めているが、少し気を張りすぎているようだった。これがゴブリン退治で森を訪れているのならもう少し緊張せずに済んだかも知れないが、ここにはオークが棲むのである。オークの何気ない腕の一振りも、当たり所が悪ければ人に致命傷を与えるほどには脅威である。それだけ、人間とオークの間には、身体の大きさと力の強さに開きがある。
対してアルクラドはやはり自然体で、何の気負いもなく森の中を歩いている。彼にとってオークなど敵になりもしないからだ。そんな彼はライカ達がなぜ身体を強張らせているのかが、分からなかった。
「ライカ。其方は何を緊張をしているのだ? 先ほどまでと比べて身体の動きが固いが……」
「緊張、って……オークが出るんだぜ? 緊張するよ」
ライカ自身、オークとの戦闘経験はない。駆け出しの冒険者でもパーティーで連携を取って戦えば勝てるという情報を知っているに過ぎない。命の危険がある初めての戦いに緊張するのは当然だろう。
ロザリーも同様で、試験であり中級冒険者が見守る状況でなければ、オーク討伐など率先して受けようと思う依頼ではなかった。
「なるほど。だがオークなど我の敵ではない。いざとなれば我が何とかする故、肩の力を抜くといい」
「何とかって、オークは下級冒険者が簡単に勝てる相手じゃねぇよ」
「確かに我は冒険者としては駆け出しだが、戦いにおいてはそうではない。先ほども言ったように、我は永い時を生きている。今更オークなど相手にもならぬ」
「アルクラドさんは、オークと戦ったことがあるんですか?」
「……戦った記憶はない」
「なんだよそれ!」
どこか喜劇の掛け合いのようなやりとりになってしまったが、そのおかげかライカとロザリーの緊張も幾分和らいだようだ。
「よし! ビビってても仕方ねぇ。行くしかねぇな」
「ギルドも絶対に無理な依頼を試験にしないでしょう。いざとなれば中級冒険者が助けてくれるみたいだし」
ギルドは当然、冒険者の死を望んではいない。
世界に名を轟かせ英雄と呼ばれる冒険者も駆け出しの時代はあった。実力に見合わない依頼で冒険者が命を落とすことは、将来輝くかもしれない原石を潰してしまっているのと同義で、ギルドとしては避けたい事態なのである。
今回の依頼にしても、オークと駆け出しのパーティーでは戦力的に大きな差はない。些細な状況の変化1つで力の均衡が一気に崩れ、冒険者が命を落としても全くおかしくはない。
そのためギルドは、1人で楽々とオークを倒せる冒険者と、治癒魔法に優れた冒険者を、試験の監督としてライカ達に気付かれないように同行させている。余程のことがない限り、この試験で命を落とすということはないのである。
ライカ達は気を取り直して森の中を、オークを探して歩き出した。
森の中に入ってからしばらくが経ち、森の中が段々と薄暗くなってきた。
森は木の密度こそそれほどではないが、暑い夏の気温のせいで下生えが生い茂り、非常に歩きづらい環境にあった。その中をオークを探しながら歩いているが、未だに成果は得られていなかった。
アルクラドが吸血鬼としての力を十全に発揮できればすぐにでもオークの首を飛ばすことが出来るが、今回はライカ達人間のやり方に倣い、嗅覚頼りの探索は行っていない。
吸血鬼由来の他人に説明の出来ない力で獲物を見つけてばかりでは、どこかで怪しまれるかも知れない。ホウロ鳥を仕留めたときの様に人の目がない状況なら問題はないが、今回はライカ達だけでなく試験監督の中級冒険者の目もある。相手は気付かれていないつもりだが、アルクラドは彼らの存在をしっかりと捉えていた。その彼らの存在もあり、アルクラドは人族的な手法でオークを探すことにしていた。
まずはオーク以外の生き物の姿、足跡を探す。
本格的にオークを探し始めた頃、ロザリーがそう提案した。
オークが生物である以上、何かしらの食料を得る必要がある。オークは雑食で飢えれば何でも食べるが、基本的には肉を好んで喰らう。しかしオークは俊敏性に難のある魔物であり、小さくすばしっこい動物を狩るのは苦手なのである。また知性に乏しく、罠など作ることは出来ず、せいぜい待ち伏せをして襲うくらいしか出来ない。結果として、オークはある程度大きな獲物を狙って狩りを行うのである。オークの獲物の足跡から、オークの痕跡を探ろうということだ。
自分のことをあまり優秀な魔法使いだと思ってはいないロザリーは、ライカを支えるため色々な知識を得る努力をしていた。自身の前で戦う彼の危険を少しでも減らすことが出来るよう、魔物の特徴はよく勉強していたのである。
それを聞くと、アルクラドはすぐに森の中に獣道を見つけ出した。
僅かに踏みしめられ倒れた草が、道の様に連なっている。目を凝らして見なければ分からないが、アルクラドには一目瞭然だった。それに沿って歩いて行けば、獣のフンが落ちているのが分かり、獣たちが日常的に通っていることが分かった。
「さて、この辺りの森には、カーシという鹿の一種が棲んでいる、とギルドの書物に記されていた。穏やかな気性で足も速くはない。オークにとって恰好の獲物であろう」
アルクラドの言葉にロザリーは頷いた。彼女も時間があればギルドにある本には目を通しており、カーシのことも知っていた。ライカは1人首を傾げているが。
「カーシを追いながらオークの痕跡を探す、ってことですかね?」
「うむ。オークの痕跡が見つからずとも、カーシを捕らえればそれを餌にオークを誘き出せるやも知れん。加えて我らの食料にもなろう」
カーシを追うことは、森の中で夜を明かす可能性もあり、十分に効率的な方法であった。ちなみにカーシの肉は固く獣臭さも強いため、町でも売られることは少ない。ライカとロザリーは1度食べたことがあり、その味を思い出し顔をしかめた。
「あれ、凄ぇ不味いぞ……」
「中々かみ切れなくて、でも噛めば噛むほど臭いが増して……」
アルクラドが首を傾げていると、2人がカーシの味の感想を伝える。それでもあまり実感が湧かず、逆に興味を持ってしまった。
森の中が薄暗くなり野営の準備を始めた後、今回も狩りを買って出たアルクラドは、見事カーシを獲物として持ち帰ってきた。
パチパチと音を立てて燃える焚き火を、ライカとロザリーの2人は神妙な面持ちで見つめていた。
アルクラドが持ち帰ったカーシは見事に首だけが落とされ、身体に傷は1つもなかった。
肉は不味く利用価値はあまりないが、その皮は丈夫でしなやかなため、外套や防具の素材として重宝される。全く傷のない完全な1枚皮となればある程度は良い値段で売ることが出来るかも知れない。
アルクラドは狩って来たカーシをライカの見よう見真似で捌き始めた。その手際は素人らしからぬもので、出来はライカとも遜色ないものだった。
そうして捌いたカーシの肉を適当な大きさに切り、串に刺して焚き火の傍へと並べていく。ライカ達2人は食べたくなかったが、アルクラドはしっかり2人の分も用意している。保存食として干し肉は用意してあるが、いざという時のことを考えれば、節約し狩った獲物を食べるのが当然だ。しかしそれでもカーシの肉を食べたくはなかった。それほどまでにカーシは不味かった。
火に炙られ色を変えていくカーシの肉。
濃い赤色の肉に脂はほぼなく、それが食欲をそそる焦げ茶色へと変わっていく。肉の焼ける匂いにも獣臭さはなく、十分に美味そうな香りが漂っていた。
それでも2人の表情は暗い。
これほど美味そうな香りだというのに、とアルクラドは首を傾げている。
そうしているうちに肉が焼けた。
「もう食せるであろう。どれ……」
アルクラドが1つの串を手に取る。ライカ達も恐る恐る串を手に取る。
カーシの肉にはこんがりと焼き色が付き、香ばしい香りを放っている。ホウロ鳥の様な甘い脂の香りはないものの、焼けた肉特有の食欲をそそる香りは十分にある。
嬉々とした様子でアルクラドは肉にかぶりつく。
まず始めに感じたのは、固くボソボソした肉の食感。肉汁というものが存在しないのか、噛んでも噛んでも肉汁は出てこず、代わりに口の中の水分が奪われているような気になってくる。その上で弾力があり、口の中にいつまでも残っている。
そして次に感じるのが、異様な獣臭さ。焼くときには一切感じなかった獣臭さが、肉を噛みしめる度にどんどん強くなっていく。まるで皮をひたすら噛み続けている様であった。
最後に感じるのは、味がしないということだった。肉らしい旨みなど一切なく、固く獣臭い物体でしかない、というのがカーシの肉への感想だった。これを食べ続けるのは苦行以外の何ものでもなかった。
「ふむ……確かに、これは不味い」
強靱な顎でカーシの肉を噛み切り咀嚼し嚥下したアルクラドは、表情を変えずにそう呟く。ライカ達が嫌がるのも無理はないと理解した。ライカ達は肉を飲み込むことすら出来ず、地面に吐き捨てていた。
「これほど不味いものを無理に食そうとは思わぬな。オークを誘き寄せる餌としよう」
とは言いながら1本の串を最後まで食べきったアルクラドを、ライカ達は信じられない様子で見つめていた。
「えっ……まだ食べんの……?」
「不味いん、ですよね……?」
「うむ、不味い。しかし我は無為に命を奪うことを好まぬ。せめて焼いたものは我らの糧とすべきであろう」
そう言って2本目の串に手を伸ばした。
焚き火の周りには、1人3本ずつの串が刺されている。肉の1切れすら飲み込めなかった2人に、3本の串を食うなど拷問に等しかった。2人は自分たちには干し肉を食べさせて欲しいと泣きそうになりながら懇願し、何とか拷問を避けることに成功した。
計9本の串は全てアルクラドが食べ、2人は申し訳なさそうに干し肉を囓っていた。
食事が終わり、残ったカーシの肉を野営地から離れた場所へ放置する。
野営地が襲われる危険性はあったが、それは肉の有無に関わらずあり得ることだ。更にオークは食欲優先の生物だ。人を襲うよりもまず餌へ向かうだろうというのが3人、正確にはロザリーの予想だった。
充分離れた場所に肉を置いた後、見張りの順番を決め、3人は眠りに就いていった。
こうしてオークに遭遇することなく、試験2日目は終了した。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
またまたブックマークおよびポイント評価、ありがとうございます!!
次でちょっぴりまともな戦いの場面が入ります(予定です)
次回もよろしくお願いします。