毒盛りの下手人
堂々とした歩みで饗応の間に入ってくる1人の男。安っぽい亜麻色の外套を纏った姿は、どこにでもいる旅人の様な出で立ちであった。艶やかな輝きを放つ漆黒の髪は後ろに撫でつけられ、狭い額の下の眉は凛々しく象られている。切れ目の中の瞳は暗闇を思わせる黒で、強い意志が宿っていた。
みすぼらしい出で立ちとは異なり、精悍で整った顔立ちは平民の出とは思えない品と風格を湛えていた。
「やれやれ、やっと出番か……それで、俺はどいつをぶっ殺せばいいんだ?」
賤しからぬ容貌に反し、口調は粗野。しかし強者としての自信に満ち溢れていた。
「そんなことよりもアヴェッソ! 貴様の寄越したあの毒、偽物ではないか!」
もったいつける様子で入室させたアヴェッソを、宰相はいきなり怒鳴りつける。毒が本物であれば、墓穴を掘る事もなく、順調に策を進められたのだから。しかし宰相は、毒が本物で、それを食べた人物が異常だということを知らない。
「偽物っ? そんなわけあるか! あの小袋だけで1000人は殺せるんだぜ!?」
「では何故、食べた者が生きているのだ!?」
毒は本物だと言うアヴェッソに、宰相はアルクラドを指さしながら叫ぶ。毒を食べたにもかかわらず、元気な様子で菓子を食べているアルクラドを。
「はぁ? あれ食って生きてる奴がいるわけねぇだろ、どんなバケモンだよ……」
怒鳴る宰相に対して、アヴェッソは呆れた様にため息を吐く。
そんな2人のやり取りを、饗応の間にいる者達は呆気に取られた様に見つめ、シャリーだけは驚きをもって見つめていた。
「その人……魔族ですっ!」
シャリーの言葉に1拍遅れて、饗応の間がざわめきに包まれる。魔族という言葉を聞くことさえ珍しくなった今の時世、本物が現れるなど誰も思ってもいない。アヴェッソの見た目は人間と変わらない。本当に魔族なのか、部屋にいる者達は半信半疑だった。
「へぇ……俺の正体を見抜くか……さすがはエルフ。それに中々の力を持ってるみたいだが……エルフだけじゃねぇな」
自分の正体を言い当てたシャリーに目を向けたアヴェッソは、呆れ顔を興味深そうな笑みに変える。そしてシャリーがアヴェッソの正体を見抜いたように、彼もまた彼女の力を見抜いた。皆のざわめきが一層大きくなる。
「まさか、お前がエルベトキシを食ったわけじゃねぇよな?」
「いや、それは私じゃないです……」
笑いながら問うアヴェッソに、シャリーは横目でアルクラドを見ながら答える。その視線を追ったアヴェッソは、周囲のやり取りなど関係ない様子で菓子を食べる黒ずくめの麗人を見て、驚愕に目を見開いた。
「おいおい……こんなバケモンがいるなんて、何の冗談だ……?」
アルクラドを見て、初めてその力に気付いたアヴェッソ。彼は自信が揺らいだ様に、1歩後ずさる。
「アヴェッソ。まずはその黒ずくめの男を殺して、お前の力を示すのだ」
そんなアヴェッソの驚きに気付かぬまま、宰相は当初の予定通り事を進めようと、彼に命じる。が、アヴェッソは答えない。
「おい、どうした! 早くやらんか!」
返事のないアヴェッソに対し、宰相はせっつく様に怒鳴りつける。
「悪ぃ、ありゃ無理だ。俺は帰る。国盗りはあんたで勝手にやってくれ」
しかしアヴェッソは、降参したと言わんばかりに、両手を上げて首を振るのだった。
アヴェッソの突然の降参宣言に、宰相は唖然とする。加えてさらっと自分の目的をバラされてしまった。
「無理とは何だ!? 自分に勝てる者はいないと言ったのは、貴様ではないかっ!」
「あれは例外だ。そこの優男やエルフの女なら、たとえ10人いようと俺には勝てねぇ。だがそいつは、どう足掻いても俺じゃ勝てねぇ」
憤慨する宰相に、アヴェッソは諭すように言う。ヴァイスやシャリーなら問題ないが、アルクラドは無理だ、と。しかしそれで収まる様な宰相ではない。王宮内で毒を盛るという大それたことをしたが、アルクラドさえ殺してしまえば後はどうとにでもなる、と彼は考えているのだ。
「そこの者よ。今、国盗りと言ったな?」
アルクラドを殺せと繰り返す宰相の言葉を遮り、シャルル王がアヴェッソに問う。
「ああ。詳しくは聞いてねぇが、幹部を自分の息をかかった者で固めて、国を掌握しようとしてたらしいぜ」
人間は面倒なことをするな、とアヴェッソは宰相の策をあっさりと話す。
「そうか……毒を盛ったのもお主か?」
国王は宰相に一瞥をくれただけでそれ以上追及せず、アヴェッソへの質問を続ける。
「あぁ、そうだぜ。まさか食っても大丈夫な奴がいるなんて思いもしなかったが、毒を入れたのは1皿だけだから安心しな」
どうやら菓子に毒を盛ったのはアヴェッソのようであった。危険な猛毒が盛られていたのは1つだけと聞いて、饗応の間の者達は安堵の息を漏らす。しかし1人、毒を盛ったという言葉を聞き流すことができない者がいた。
「毒を盛ったのは其方か」
突然、今まで菓子に夢中だったアルクラドが立ち上がった。燻ぶっていた怒りが再燃し、銀糸の髪がユラユラと揺れている。
「待て待て、待ってくれ! 俺はあんたに毒を盛るつもりはなかったんだ!」
アヴェッソは大げさな身振りで敵対の意思がないことを示しながら、アルクラドの歩みに合わせて後ろへ下がる。アルクラドは何も答えず、ただ歩みを進めている。
「確かに毒を盛ったのは俺だが、あんたの料理を狙ったわけじゃない。俺が毒を入れた料理を、あの給仕が運んだ。それを指示したのはあの宰相だ。俺達は言われた通りにやっただけなんだ」
懇願する様に言うアヴェッソ。相手の感情に訴える手法はアルクラドには通じないが、その言葉には一理あるとアルクラドは思っていた。アヴェッソの言葉が本当であれば、その指示を出した宰相が悪いのだろう、と。
「だが貴様が毒を盛ったのも事実。我の食事を邪魔した罪は重い。貴様もその罪を贖え」
アルクラドの中で宰相が罪を償わせる対象になったが、それはアヴェッソも同じだった。たとえ彼が指示を受けただけだったとしても、アルクラドの怒りが完全に収まるわけではなかった。
「待ってくれ待ってくれ! あんたの怒りはもっともだが、俺は死ぬわけにはいかない。だから別の方法で罪を償わせてくれ」
「別の方法……?」
死という贖罪を迫るアルクラドに対して、アヴェッソは必死に様子で言葉を尽くす。何とかして生き残ろうとする彼の言葉が、アルクラドの関心を引いた。
「そうだ。例えば……俺はあんたの食事を邪魔したから、その代わりを用意するってのはどうだ? 魔界でも貴重な食材を取ってきたっていい」
アルクラドの歩みが止まったのを見逃さず、アヴェッソは捲し立てる様に言葉を続ける。アルクラドの怒りが食事に関係していることを見抜いた彼は、それを収めるのは同じ食事だと考えたのだ。
「魔界の貴重な食材か……」
「ああ、そうだ! まず人族領じゃお目にかかれねぇぜ。魔界にしかねぇから、用意するのに時間はかかるがな」
アルクラドが魔界の食材という言葉に食いついた。それを見て、アヴェッソは心の中で拳を握る。
「それは美味なる物か?」
「俺は食ったことはねぇが、とにかく美味ぇらしい。手を尽くして必ず手に入れてくるぜ」
とにかく美味いというアヴェッソの言葉に、アルクラドは考える。食事の邪魔をしたアヴェッソであるが、明確な敵というわけではない。敵であれば殺すが、そうでないなら死以外の別の方法で罪を贖わせてもいいのではないか、と。
「いいだろう。魔界の食材を以て罪の贖いとし、其方を見逃そう」
「へっ、そうこなくっちゃ」
結果、アルクラドはアヴェッソを殺さないことに決めたのだった。アルクラドは振り返り、菓子を食べる為に自らの席へと戻っていく。アルクラドの中で、菓子に毒を盛られたことは片付いたのだ。
「おい、魔族を見逃すとはどういうことだ。すぐに殺せ!」
しかしそのやり取りを見て、財務卿が大声でアルクラドに命令をする。それに続き、他の大臣達も同じ様な言葉を口々に叫ぶ。宰相の策に関わっていた彼らであるが、魔族がいるなどとは聞いていなかった。また魔族を殺すことで、自分達の責任を少しでも軽くしようと考えていたのである。
「彼奴は罪を贖う。故に殺さぬ」
しかしアルクラドの中でアヴェッソを殺さないことはもう決まっている。加えて貴重で美味なる食材を持ってきてくれるのだから、尚更殺すわけにはいかない。そんなアルクラドに憤慨する大臣達であるが、アルクラドは小鳥の囀りを聞くかの様に、彼らから視線を逸らす。
「アルクラド様っ……!」
その時、シャリーが緊迫した様子で叫び声を上げた。アヴェッソの魔力の高まりを感じたのだ。しかし彼の魔法は発動の間際だった。
「遅ぇよ! 紅蓮の腕よ、全てを等しく灰燼と為せ……灼熱の抱擁!」
突き出した両の腕から飛び出た炎が、背を向けたアルクラドに左右から襲い掛かる。丸太の様な炎はアルクラドに直撃し、灼熱の炎は床を焼き焦がし、勢い余って壁をぶち抜いた。
「強すぎる奴は、油断するどころか警戒すらしねぇからな。俺としちゃ、隙だらけで逆に殺りやすいぜ?」
一気に気温が上がり煙の立ち込める饗応の間で、アヴェッソが勝ち誇った様に言う。アルクラド以外の者は、幸いにして魔法の暴威からは逃れたものの、余りの威力に言葉を失っている。
「さて、魔族だってバレたことだし、手っ取り早く力で国を奪わせてもらうぜ」
視線をアルクラドのいた場所からシャルル王の方へと向け、アヴェッソが不敵な笑みを浮かべながら言う。彼にはもう恐れるものはないのだ。自分を殺し得る者は、不意を打って始末した。もう自分を邪魔する者はいない。そう思ってアヴェッソはシャルル王の下へと歩き出す。
「我に歯向かうか……」
その背中に、聞こえるはずのない声が聞こえてきたのだった。
ピタリと歩みを止め、身体を震わせるアヴェッソ。信じられないものを聞いた彼の表情には、驚愕が張り付いている。
「我に歯向かわず贖罪をするのならば、見逃すつもりでいたが……」
煙の中から声がする。無感情で平坦な声。しかし今のアヴェッソにとって、それが何よりも恐ろしかった。
「貴様は我の敵となった。故に殺す」
立ち込める煙の中から、アルクラドがゆっくりと歩み出てきた。
「バカなっ……! あれをくらって生きてるはずが……」
振り返ったアヴェッソは、その目を更に見開いた。魔法は直撃したはずなのに、アルクラドは無傷だった。
髪も肌も服も、全てが魔法を受ける前と変わらない。髪の毛1本焦げることもなく、肌や服が煤で汚れることすらない。アヴェッソの魔法はアルクラドに何の影響も及ぼしていなかった。
「あの程度の魔法で、我をどうにか出来ると思っていたのか?」
アルクラドはそう言うが、アヴェッソの魔法は決して程度の低いものではない。アヴェッソがぶち抜いた壁は石材を使用したものであり、その一部が魔法の熱で溶けていた。石を溶かすなどどれほどの熱が必要なのか、部屋にいる面々には想像もつかない。
「くそっ! ほんとにバケモンじゃねぇか……!」
アヴェッソは悪態を吐きながら、身体を強化しいつでも魔法が打てる様に、魔力を巡らせる。不意をついた渾身の一撃も防がれた今、どうすればアルクラドを殺せるのか、アヴェッソは必死に考えていた。
「アルクラド様っ……やり過ぎちゃダメですよ?」
その時、アヴェッソへと歩み寄るアルクラドに、囁く様な声でシャリーが言う。耳元で言われても聞こえるか分からない小さな声だが、10歩は離れている距離にあってアルクラドだけはしっかりと聞き取っていた。
「何故だ?」
シャリーを振り返り、首を傾げるアルクラド。周囲の目には、アルクラドがいきなり1人で話しだした様に映った。
「あの人はここにいる誰よりも強いです。そんな相手に簡単に勝ったら、アルクラド様も魔族と疑われるかも知れません」
ここにいる者達の中で、アルクラドの強さを正確に理解しているものはシャリーとアヴェッソだけ。しかし強力な魔法を放った魔族を1人で圧倒してしまえば、そんなアルクラドは一体何者なのかと疑われてしまう。もう既に疑われているかも知れないが、その思いが強くなってしまう。そうなることは、アルクラドにとって望ましいことではない。
しかしアヴェッソを殺すと言った以上、手加減するつもりはないアルクラド。やり過ぎるな、と言われても、どうすればいいのか、正直なところ分からなかった。
「それに、これ以上この部屋が壊れたら、お茶会は中止ですよ?」
「それは困る」
シャリーの適当な言葉に、アルクラドは即座に応える。
シャリーとしては、どうにかしてアルクラドに手加減をしてほしかった。アルクラドが負けることはないので、魔族や吸血鬼であるとバレないことが大事なのであった。
アルクラドも自分が魔族であるとバレるのは困るが、今はそれ以上に茶会が中止になることの方が問題であった。宰相達のせいで卵菓子のお代わりを食べられていないのだ。あれをもう1度食べずにこの場を去るのは、どうしてもできないことだった。
結果、アルクラドは、部屋を壊さないように戦おうと決めたのであった。
「魔人アヴェッソよ。抵抗せぬなら、せめて安らかな死を与えよう」
アヴェッソと同等の膨大な魔力を迸らせ、聖銀の剣を抜き放つアルクラド。既に怒りはなく、敵を殺すという意志だけがそこにあった。
「誰が素直に殺されてやるかよ!」
周囲にいくつもの火の玉を生み出し、構えを取るアヴェッソ。自身を奮い立たせる様に、吠える。
こうして吸血鬼と魔人の戦いの火蓋が切られたのである。
お読みいただきありがとうございます。
毒を盛った犯人登場、次回戦闘です。
結果はお分かりかと思うので、過程を楽しんでいただければと思います。
次回もよろしくお願いします。