辛酸の味
菓子のお代わりを食べたアルクラドは、手で口を覆い、その動きを止めていた。その手の隙間から僅かに漏れ出た、呻きに似た声に饗応の間にいる者達からの視線が集まる。
「何だ……これは……」
「ど、どうしたんですかっ、アルクラド様っ?」
困惑がありありと分かる声音で呟くアルクラドに、シャリーが不安げに尋ねる。
「口の中が、熱い……いや、辛いのか……?」
対するアルクラドの答えは、おかしなものだった。アルクラドの食べた菓子は、冷たく甘いものだった。熱くて辛いはずがない。
「王よ。この卵菓子、先程と全く味が違う。灼ける様に熱く、辛く、とてもでないが食せたものではない」
どういうことだ、とシャルル王に向ける視線は鋭い。アルクラドの紅い瞳が、燃えているかの様だった。
「そ、そんなはずはない。この菓子は材料を1度に混ぜ、小さな器に分けて蒸し上げる。後で味を加えぬ限り、全て同じ味になるはずだ」
射すくめる様なアルクラドの目に一瞬、たじろぐシャルル王。しかし声を震わせることなく、アルクラドの問いに答える。
「後で味を……」
国王の言葉を聞き、アルクラドがユラリと立ち上がる。身体を折り、菓子の匂いを嗅ぐ様にテーブルに顔を近づける。銀糸の髪が垂れ、テーブルの上で波打つ。
身体を起こしたアルクラドは、顔を僅かに上向け、部屋の中の匂いを辿る様に鼻をヒクつかせている。そしてゆっくりと後ろを振り返り、壁際に控える給仕へと視線を向けた。
アルクラドは視線を向けた先へとゆっくりと歩いていく。ここにいる誰もが、それを目で追うことしかできなかった。底冷えする夜の様に身体が震え、動くことができなかった。
給仕の下へ向かうアルクラドの顔は、いつにもまして無表情。しかし感情の全く読めない様子がより恐ろしく、燃える様な紅い瞳に見つめられた給仕は、息をするのも辛いほどだった。
震える給仕のそばへ着いたアルクラドは、その作り物めいた美しい顔を近づける。そして彼の胸元へ手を入れ、服の中から1つの小袋を取り出した。
「あの不味さの正体はこれか。其方、何故この様な物を菓子に加えたのだ?」
アルクラドは小袋に鼻を近づけ、確信した声で言う。どうやら菓子に後から付けられた味の正体を、その匂いを辿って探っていたのだ。
これは何だ、と問うアルクラドに対し、給仕は何も言えない。恐怖で身がすくんでしまっているのだ。
「何故答えぬ。これは何だ、何故これを菓子に加えたのだ、と我は問うている。答えよ」
なおも迫るアルクラドに給仕は震えるばかり。抑え込んでもなお沸き上がる怒りが、この場を支配していた。
「あの、アルクラド様……それは一体……?」
その中で最初に声を出すことができたのは、シャリーだった。
「分からぬ故、問うている。が、酷く辛く、良く味わえばえぐみもある。匂いは余りないが、こんな物を加えれば菓子の味が台無しだ」
上品な甘い味を期待していたところに、焼ける様に熱い辛さとえぐみを感じれば、誰でも困惑する。それが誰かの仕業なら怒るのも無理はない。
「焼ける様な辛さにえぐみ……匂いはない……」
シャリーはアルクラドの言葉を繰り返す。かつてどこかで聞いたことがあったのだ。
「給仕の者よ、答えよ。何故この様な物を加えたのだ」
「わ、私はっ、その様なことはしておりませんっ……ただ菓子をお持ちしただけで……」
「嘘を吐くな。其方が加えたのでなければ、何故これを懐に持っていたのだ」
気力を振り絞り声を上げた給仕だが、アルクラドは追及を止めない。
「嘘ではありません! それは、私の物ではありません!」
「真か?」
「神に誓って」
「そうか」
途端に、給仕に向けられたアルクラドの沸き立つ怒りが収まり、追及も止む。まだ燻ぶる怒りを感じるが、周囲を圧倒するほどではなくなった。
「アルクラド殿……おかしなものを食べた様だが、体は何ともないのかね……?」
「酷い味以外に問題はない」
恐る恐るといった様子で尋ねる宰相に、アルクラドが答える。無表情ながら、アルクラドからやり切れない苛立ちが感じられた。
「アルクラド様っ、それっ……!」
そんな2人のやり取りを聞き、シャリーは思い出した。先ほどから頭の中で反芻していた言葉を、どこで聞いたのかを。
それは遠い昔に、父から聞いたものだった。
魔族領の奥地にしか生えない草がそんな味だった。口の中に煮え湯を流し込まれたと感じるほどの辛さと、口の中が縮こまり締め付けられる様なえぐみを持つ野草。目に突き刺さる様なケバケバしい赤色をした、人の手の形の様な葉をした野草。魔界で知らぬ者のいない毒草、エルベトキシである。
シャリーは、毒だと言いそうになるのを必死に抑え込んだ。毒を食べてピンピンしているアルクラドが、おかしく思われない為に。
しかしエルベトキシは、自生地の空気を吸うだけで気分が悪くなり、長くいれば動けなくなってしまう。更にはちぎった葉の汁に触れただけで肌は爛れ、その汁を針の先ほどでも舐めれば死んでしまう。そんな危険な毒草である。
もし小袋の中のエルベトキシをぶちまければ、この部屋にいる者達はたちどころに死んでしまう。その危険を放置することはシャリーにはできなかった。自分も死んでしまうから。
「それはっ……それを燃やしてくださいっ!」
この上なく辛くえぐく毒の強いエルベトキシ。しかしその毒は熱に弱いという特性がある。火に触れれば、毒はその効力を発揮する間もなく消えてしまうのだ。
「うむ、分かった」
アルクラドは疑問に思うことなく、手の中の小袋を炎で焼く。自らの手も焼き焦がしそうな勢いの炎が、小袋を僅かな煤も残さずに焼き尽くした。
ホッと安堵の息を漏らすシャリー。大変な危機を乗り越えた彼女だが、その心境を理解できる者はここにはいない。他の者達は、圧倒的なアルクラドの怒りに耐えるだけで精一杯だったのだ。
「アルクラド殿。本当に何ともないかね?」
「うむ。もう辛さやえぐみも収まった。だが口直しがしたい。新しい卵菓子を頼む」
「本当に大丈夫かね?」
給仕への追及を止めたアルクラドが席に戻ると、宰相が再びアルクラドの身を案じる言葉をかけてくる。初めはあれほど腹を立てていたのに、不思議なことだと幾人かが思う。
「其方。新しい卵菓子を頼む。今度は辛くない物だ」
宰相に問題ないとの言葉を返したアルクラドは、先ほど問い詰めた給仕に新しい菓子を持ってくるように言う。
変な物を入れたかも知れないと疑った相手に、また菓子を持って来させる。普通であれば別の者に頼みたいところだが、アルクラドはそんな事は思わない。アルクラドへの菓子や茶の給仕は彼がずっと行っていた為、彼に頼むのがいいとアルクラドは思っているだけなのだ。
加えて菓子の味を台無しにされたことも、彼が自分ではないと言った為、犯人は別にいるのだろうと思っていた。ここにいるか分からないその人物を探すよりも、口直しが先だと、アルクラドは早く菓子が食べたかったのだ。だから追及を止め、菓子を持ってくるように頼んだのである。
しかしそこで1人、声を荒げる者がいた。
「おい、貴様っ! なんてことをしてくれたのだ!」
宰相マニストルである。
アルクラドは菓子を台無しにした給仕を既に許している様子であったが、宰相からすれば決して許せることではなかった。自分が取り仕切った饗応で、招待した者が不快な思いをしたのである。それはいうなれば自分の失態であり、宰相はそれを許容することはできなかった。
「私ではありません! 私はその様なことは決して……!」
「ええい、嘘を吐くな! あの袋を持っていた貴様でなければ、一体誰がやったと言うのだ!」
怒る宰相に弁明をする給仕だが、取りつく島もない。
「嘘ではありません! 神に誓って私ではありません!」
「うるさい! 毒を盛るなど不届き千万っ! おいっ、この者をひっ捕らえろっ!」
給仕の言葉を聞かず、彼を牢へ連れていけと命じる宰相。我を忘れたかの様に怒鳴り散らす彼の言葉に、数名の者が声を上げた。
「ん……?」
と首を傾げたのは、シャリー。
「あっ……!」
と声を上げ、息を飲んだのは、宰相の取り巻きの大臣達。
そんな彼らの様子を見て、ことのおかしさに気付いたのは、シャルル王とヴァイス。
そして宰相自身であった。
饗応の間は沈黙に包まれている。
そこにいる者達は疑いの目を宰相に向け、彼は冷や汗をかきながら視線を彷徨わせている。
「マニストルよ、毒とはどういうことだ?」
「いえ、それは……」
沈黙を破ったシャルル王の言葉に、宰相は答えることができない。周囲に目を向けるがその目は冷たく、大臣達も目を合わせようとしない。
「その娘の口振りから、毒ではないかと考えたのです」
その時、アルクラドに小袋を燃やすように言ったシャリーのことを思い出し、宰相は慌てて弁明を口にする。
「うむ。確かに慌てておったが、シャリーよ、何故だ?」
シャリーの慌て様は、皆がアルクラドに圧倒されている中にあって確かに目立っていた。
「父から、アルクラド様が言った様な味の毒草があると聞いていたからです」
シャルル王に問われたシャリーは、エルベトキシのことを説明する。その毒の強烈さに恐れおののく面々だが、シャリーはゆっくりと首を振る。
「けれどアルクラド様が何ともないので、私の思い違いでした」
シャリー自身はアルクラドが食べたものは、ほぼ間違いなく毒だと思っていた。しかし毒を食べて平気なアルクラドは一体何者だ、と言われない為に、毒ではないと誤魔化した。
「なるほど。その様な毒草があるとは知らなんだが、お主の言う通り思い違いなのであろうな」
シャリーの言葉を聞き頷くシャルル王。食べた本人が何ともない以上、毒ではないと考えたのだが、普通であれば誰もがそう思う。
「マニストルよ。確かにこの娘の慌て様は、毒を知っておる故だったのであろう。しかし余はその様な毒草のことなど聞いたこともなかった。皆もそうであろう?」
国王の言葉に、大臣達を含め、皆が頷く。
「食べた本人が何ともない以上、それを毒と決めつけるのは早計。毒と知っておらねばな。そんな魔界の奥地にしか生えぬ毒草を、お主は何故知っておるのだ?」
「それは……」
睨みつける様なシャルル王の視線。宰相は言葉を詰まらせる。
「宰相マニストル! 何故だ、答えよ!」
声を張るシャルル王。宰相は糾弾する側から、される側へと変わっていた。怖れと不安の混じった表情で目を伏せる宰相。身体を震わせ、何かを言おうとするが言葉かなく、口をパクパクと動かしている。しかしふと我に返った様に、視線を上げる。
「その男が危険だからでございます、国王陛下」
先程までと違い、流れる様な口調で宰相は言う。
「王国最強の剣士と名高いヴァイス殿を、世界屈指の魔法使いであるエピス殿を、その両名を上回る力の持ち主。そんな者が暴れれば、誰も止められはしない。ですから、そうなる前に私が止めようと考えたのです」
自信に満ち溢れた様な宰相の顔。完全に開き直っていた。その言葉を聞いて、シャルル王は血の気が引いた。宰相の言葉で、アルクラドが怒りでもすれば、と考えたのだ。
しかし幸いにもアルクラドが怒る様子はなかった。卵菓子が出てくるまでの間のつなぎとしてか、別の菓子を食べていた。
「毒が偽物とは誤算でした。ほんの僅かの量で人を殺す猛毒と聞いていたのですが……」
顔を青くする国王に対し、宰相は言葉を続ける。もう弁明をしようともしない。
「しかし私の行いは別としても、内務卿や近衛の目も節穴ですな」
「何……?」
宰相は、いきなりここにいない内務卿の話を持ち出してくる。
「この給仕は、アルクラド殿に毒を盛る為に私が送り込んだ者です。内務部はまんまとこの者を雇い入れ、また近衛は毒の持ち込みを許した。これは由々しき事態ではありませんか?」
自分の行いを棚に上げ、別の人物の責任を追及しだした。件の給仕は必死に弁明しているが、宰相は聞く耳を持たない。
「客人の毒殺を目論んでいて何を言っている!?」
「いえいえ、これは陛下のお命にも関わること」
国王の怒鳴り声にも、宰相はまるで気にしていない様に言葉を返す。
「他国の者が、陛下を暗殺しようと企めば、今の様に簡単に暗殺者を忍び込ませることができるのです。これが由々しき問題でなく何になりましょう」
自分は間違ったことはしていない。そんな自信溢れる口調で宰相は語る。
「さて私の責任も、内務卿や近衛の責任も後にしましょう。今の問題はこの男です」
そう言って宰相は、菓子に夢中な黒ずくめの麗人を指差す。
「この者よりも強く、必ず陛下をお守りする、優れた戦士をご紹介しましょう。さぁ、入ってこい!」
両腕を広げ大仰な口ぶりで言う宰相。その言葉に続き、饗応の間の扉が開く。
皆の視線が扉に向くと、外套を着た、線の細い艶やかな黒髪をした男が、ゆっくりとした歩みで現れたのである。
お読みいただきありがとうございます。
食べようとしていたものが予想とまったく違う味だったら、びっくりしますよね。
次話、謎の男登場。
次回もよろしくお願いします。