王国ギルドの長
扉を叩く音が止むと、入りますよ、と扉の向こうから声が聞こえた。先ほどアルクラド達を案内した文官の声だった。
「どうぞ」
それにシャリーが答える。
まず部屋に入ってきたのは、案内の文官ではなく、鋭い雰囲気を持った青年であった。
茶色の髪を後ろに撫でつけた鋭い目付きの青年で、要所要所に防具を付けた身軽な恰好をしており、腰には2本の剣を携えている。そんな彼が部屋に入るなり、眉をひそめる。
それに続き現れたのは、老境に差し掛かったであろう年嵩の女性だった。
腰まで届く長い髪はそのほとんどが白くなり、手肌にも皺が目立っている。ゆったりとした豪華な衣装から覗く首や手はほそっりとしているが、その佇まいは凛としており、老境に入った衰えは感じられなかった。また若い頃の美しさが窺え、多くの女性が憧れるであろう顔立ちをしていた。
「わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」
落ち着いた声音でそう言う彼女であるが、浮かべられた微笑みに僅かに翳りが差す。
「おい、お前! 無礼だぞ!」
それと同時に青年が声を荒げる。
突然のことにシャリーは驚き、はしなかった。突然怒鳴りつけるのはやりすぎだとしても、彼の反応はごく当たり前だったからだ。
シャリーは視線を、隣に座るアルクラドに向ける。
脚を組み椅子に深く腰掛け、手にはそれぞれお茶と果物を持っている。立場が上の人間を出迎えるのにこの格好は拙い。更には怒鳴られているにもかかわらず、果物を食べ、茶を啜っている。
「おいっ、聞いてるのか!? 食うのを止めろ!」
何が無礼なのか分からないアルクラドは、青年が食べるのを止めろと言ってようやく、茶の入った器をテーブルに置いた。果物は最後の1つを齧った為、残りを全て口の中に放り込んだ。
「おいっ、お前! どういうつもりだ!?」
「何がだ?」
アルクラドの振る舞いに怒りを覚える青年だが、アルクラドは彼がどうして怒っているのかが分からず首を傾げる。その様子が自分を馬鹿にしている様に感じられ、青年は更に怒りを大きくする。
「お前っ……ギルド長にお会いするのに、その態度は何だ!」
青年は頭に血が上り感情のままに怒鳴っているが、言っていることは概ね正しい。王国の貴族とも渡り合えるギルド長を前にして、無遠慮に茶菓子を食べているアルクラドの方が一般的におかしいのだ。
そんな2人のやり取りを見てため息を吐くシャリーとギルド長。
シャリーはアルクラドの普段と変わらない様子に呆れのため息を吐き、ギルド長は期待が外れたことによる残念さからため息を吐いた。
アルクラドが討伐した魔獣の頭を見たギルド長は、その見事としか言い様のない切り口に、思わず感嘆の声を漏らした。これほどの実力を持つ冒険者は上級の中でも僅かで、是非にでも会っておきたいと思ったのだ。そういうわけでアルクラドの滞在場所を調べギルドに招いたわけだが、ギルド長は彼の振る舞いに大きなため息を吐く。
傍らに人無きが若しの振る舞いで、礼儀を弁えず、とてもではないが実力相応の人物だとは思えなかった。ただ暴力に優れただけの荒くれ者と変わらない、と。
そう思えば隣に座る少女の方が断然に素晴らしい、とギルド長は思った。
若い頃に魔法使いとして名を馳せた自分と同等の魔力を有し、それを見事に制御している。よくよく見なければ彼女が膨大な魔力を持っていることが分からない様になっている。恐らくエルフであろう彼女は見た目よりも年嵩かも知れないが、間違いなく優れた魔法使いであるだろう。
加えておおよその礼儀を持ち合わせている様にも見える。仲間が怒鳴られているのを諦めた様に見ているのも、彼の行動が常識外れだと分かっているのだろう。時折こちらに申し訳なさそうな視線を向けるのがその証左だろう。彼を諫めないのは、彼女よりも彼が上位者だからだろうか。
そんな風にギルド長はシャリーを見ていた。そして違和感を覚えた。
ギルド長はアルクラドから強い魔力を感じてはいなかった。そんなアルクラドに、膨大な魔力を持つシャリーが付き従っている。彼女の目にはそう映っている。
自分に分からない程、巧妙に魔力を隠しているのだろうか。
そう思ったギルド長は、青年の怒鳴り声を聞き流しているアルクラドに意識を集中させる。
「っ……」
息が止まった。
アルクラドの内に、外に一切漏れることのない、膨大という言葉でもまだ足りない、底無し沼の様な魔力を見たのだ。
胸が締め付けられ、額から冷たい汗が滲み出る。
見なければ良かった。
見なければ、気づかなければ、知ることもなかった。
ギルド長は未だかつてない恐怖に苛まれていた。
「其方、何をその様に震えておる」
「っひ……」
突如、アルクラドがギルド長を向く。紅い眼と視線がぶつかった彼女から、引き攣った声が漏れ出る。いつの間にか身体が震えだし、それをアルクラドに気付かれたのだ。
次元が違う。
ギルド長は思った。
あれは一体何者なのか、人間なのか人族なのか魔族なのか。しかしそんなことはどうでもいい。まずあれの機嫌を損ねないことが何よりも優先すべきことだ。国中の人間全てでかかっても相手にすらならない。あの途方もない魔力が解き放たれるだけで、最悪の場合、力のない人々が死んでしまう。
そう考えた時、ギルド長の目の前でまさしく彼の機嫌を損ねそうな人物がいた。
彼女の部下である。
彼女は慌てた。
「貴様っ、いい加減にしろ!」
「ヴ、ヴェルデさんっ……もうその辺りで……」
彼女は部下であるヴェルデに、お前こそいい加減にしろ、と言いたかった。もし何かの拍子にアルクラドの逆鱗に触れれば、国が亡ぶ。早くヴェルデを黙らせなければならなかった。
しかしヴェルデは、敬愛するギルド長がただの中級冒険者に、そなた呼ばわりされたことに更なる怒りを感じていた。絶対にこいつの態度を改めさせなければならない、とも。
「いいえ、こういう奴にはしっかりと分からせてやらないといけません!」
「私は構いません。下がってください」
分かってないのはお前だ、と怒鳴りたかった彼女だが、この場で声を荒げるのは躊躇われた。しかしヴェルデは止まらない。
「駄目です! こういうことはきちんとしなければなりません!」
プツン
ギルド長の頭の中で、何か張りつめたものが切れた。
「黙れっつってんだろうが!! 殺すぞ、ガキがっ!!」
膨大な魔力が部屋中に吹き荒れる。ギルド長の髪や衣服が、バサバサとはためいている。
優しげな表情は形相となり、射殺さんばかりにヴェルデを睨みつけている。
王国ギルド長、エピス=トラミネル。
いつも穏やかな笑みを浮かべ上品に振る舞う彼女が、王国屈指の魔法使いと呼ばれた冒険者時代。他の誰よりも短気で粗暴で暴力的な性格で恐れられていたことを知る者は、今はもうほとんどいないのだった。
「お見苦しいところをお見せしました。改めまして私はエピス=トラミネル。このドール王国のギルド長を務めております。以後お見知りおきを」
居住まいを正した彼女は、そう言って優雅な礼をした。彼女のお茶を飲む仕草は上品で洗練されており、とてもではないが部下を口汚く罵り殴り倒した女性と同一人物とは思えなかった。
エピスの部下であるヴェルデは、彼女の後ろに控えて立っている。先ほどまでの鋭い雰囲気はなく、頬に痣を作り、あれからひと言も発していない。敬愛するギルド長の豹変と彼女に拳で殴り倒されるという経験が、彼を完全に委縮させていた。
「我はアルクラド。知っているであろうが、冒険者である」
「私はシャリーです。アルクラド様の旅の仲間です」
そんなエピスに向けていつも通り変化のない表情で挨拶をするアルクラドに対し、シャリーはエピスの変貌とヴェルデの不憫さに若干引き攣りながら挨拶をする。
「エピスよ。其方は何故、我を呼んだのだ?」
エピスが大暴れしたせいで話が進んでいなかったが、その本来の目的を尋ねる。
「本日は特別な用事はありません。こうして貴方と話をすることが目的です」
特別な用はなく、アルクラドを近づきになることが目的だったと話すエピス。
「貴方が倒した魔獣の頭部を見て、見事な太刀筋だと感じました。私がギルド長になってから初めて見るほどに。これだけの力を持つ冒険者となら、顔を見ておきたいと思ったのです」
「顔を見てどうする」
「緊急事態の時に誰に依頼を出すかを判断する為です。それに顔見知りの方が頼みやすいですし、こう言っては何ですが、ギルド長から直々に依頼が来れば断りづらいでしょう?」
冗談っぽく笑うエピス。顔つなぎの必要性がよく分からなかったアルクラドは、そういうものか、とただ呟いた。
「貴方は私からの依頼であろうと関係ないのかも知れませんが、もしもの時は力を貸していただけますか?」
「我は冒険者だ。無為に断りはすまい」
最後に真剣な表情を見せるエピスだが、アルクラドは抑揚なく淡々と応える。
「それを聞いて安心しました。もしもの時はお願いしますね」
ホッと胸を撫で下ろす様に息を吐くエピス。エピスが考えていた以上にアルクラドが理性的で、無事に話も終えることができたからだ。断られるかもしれないと思っていた提案を受け入れてもらったのは、思わぬ幸運だったとも思っていた。
「うむ。すべての依頼を受けるかは分らぬがな」
「ええ、それで構いませんよ」
アルクラドの言葉に、エピスはニコニコと笑いながら応える。
「ところで今日は昼鐘がなるまでの間なら大丈夫と伺っていますが、これから何かご予定が?」
一番の目的を達成したエピスは、世間話に移行することにした。アルクラドの人となりを知る為である。
とても恐ろしい力を持つ相手であっても、理性があれば話が通じる。アルクラドが何で喜び何で怒り、何を哀しみ何を楽しむのかを知ることができれば、彼と上手く付き合っていくことができる。交渉も可能だ。そうエピスは考えているのだ。
「うむ、食事だ」
「えっ……?」
何の躊躇いもなく堂々と応えるアルクラド。その余りに予想外の言葉に、思わず絶句するエピスとヴェルデ。
今までのやり取りでアルクラドがギルド長など歯牙にもかけぬ存在であることは分かったが、それでもギルド長の呼び出しよりも優先することが食事だとは思わなかったのだ。
「そうですか……何を召し上がられるのですか?」
動揺を精一杯隠し、エピスは話を続ける。
「まだ決めておらぬ。それをこれから探すのだ」
王都に入ってから色々なことが重なり、アルクラド達は王都の中での活動がほとんどできていない。美味しい料理屋の情報なども全く集められていないのだ。
「よろしければ、何かお勧めの料理屋をご紹介しましょうか?」
「うむ、頼む」
エピスの提案に今までよりも速く反応するアルクラド。それを見たエピスは僅かに目を鋭くする。
「では、ここからは少し遠いですが……」
そうしてエピスは、自分が美味しいと思う店を挙げ、その場所をアルクラド達に説明する。今までと違い食い入る様なアルクラドの態度に、エピスは微笑みながら頷いていた。
「今のお店は美味しいと思いますよ。そろそろ昼鐘が近いですが、もう出られますか? 私の用事は終わりましたし」
「うむ。往くぞ、シャリー」
エピスが帰ってもいいと言うと、アルクラドは挨拶もそこそこに立ち上がり、歩き出してしまった。
「はいっ。ありがとうございました、失礼します」
対してシャリーは、慌てつつも礼をしてからアルクラドの後を追いかけていった。
2人がいなくなると、部屋に静寂が訪れる。その静寂の中、ヴェルデは早鐘を打つ心臓の苦しさに耐えつつ、恐る恐る口を開く。
「あの、エピス様……」
「何ですか、ヴェルデさん?」
怯える部下に、エピスは努めて穏やかに応える。怒りに我を忘れ彼を殴りつけたことは悪いと思っていたが、あれは相手が悪いと、エピスは心の中で言い訳をした。
「あの……あいつ、いえ……彼は一体何者ですか?」
ヴェルデは不思議でならなかった。
彼の記憶が正しければ、エピスはただ力が強いだけの暴力者が嫌いだった。それなのに初めて見る形相で殴り倒されたのは、無礼者を注意していたヴェルデ自身。怒りを収めた後、アルクラドに接する様子は敬意さえ感じさせるものであった。
ヴェルデは、アルクラドから強さの片鱗を一切感じなかった。最初は実力を隠しているのかと思っていたが、無礼な振る舞いの全てが隙だらけで、周囲を警戒する様子も一切見られなかった。そんな相手になぜ、とヴェルデは思う。
「私にも分かりません。ですが決して怒らせてはいけない存在です。私など虫を潰すかの様に容易く殺されてしまうでしょうね」
「そんなっ、エピス様が……!?」
この国で、かつては頂点とも言われ、今でも5指に入るであろう魔法使いが、虫けらのごとく殺される。そんな光景を、ヴェルデは想像することができなかった。
「しかし彼からは強さは感じませんでした。隙だらけで周囲を警戒する様子も一切ない。隣の少女の方ができると感じましたが」
「彼は自分の力を完全に隠しています。私でさえ気づかなかったほどに」
そう言いながらエピスは思う。よほど優れた魔力の使い手でないと、アルクラドの力を見抜くことはできないだろう、と。自分でさえ意識を集中させてやっとだったのだから、彼には無理だろうと。
「それと彼が無警戒なのはその必要がないからです。龍は人に脅威を感じないでしょう? 傍を飛ぶ鳥達を気にも留めないでしょう? それと同じことです。彼と私達の間にはそれほどまでに大きな力の差があるのです」
そう言いながら、この例えでも控えめだろうと、エピスは思う。
「そんな、まさか……」
「残念ながら事実です。私達にできるのは、彼と敵対しないこと。何事もないように、と祈ることくらいです。良からぬことを考える者がいなければいいのですが……」
そう言ってエピスは、窓の外に目を向ける。
自分達は今日の話し合いで、僅かばかりの友誼を交わすことができた。少なくとも意味なく敵対することがない程度には、とエピスは考えていた。同時にそれは、自分が彼の力を見抜けたからだ、とも。
しかしアルクラドの実力を見抜けない者は大勢いる。そういった者が、アルクラドにちょっかいをかけないとも言い切れない。
「やれやれ、どうなることやら……」
そうため息交じりに呟いて、エピスは窓の遠くの王宮から、そっと目をそらすのだった。
お読みいただきありがとうございます。
ノリでギルド長がかなりファンキーなお婆さんになってしまいました。
これから登場の機会を増やそうかな……
次回もよろしくお願いします。