ギルドからの呼び出し
王国騎士団長のヴァイスから紹介された宿での食事を堪能したアルクラドとシャリー。
もう外を出歩くには遅い時間だった為、2人は明日に備えて休むことにした。
「アルクラド様、湯浴みはされますか?」
眠りに就く前に湯浴みをしようと思ったシャリーは、そうアルクラドに尋ねる。アルクラドが先に湯浴みをするならその後に浴槽を使おうと思ったからだ。
「我は湯浴みはせぬ」
半ば予想通りではあったが、やはりアルクラドは湯浴みをしなかった。
「それじゃあ私が使わせてもらいますね」
「うむ」
アルクラドに断りを入れ、魔法で浴槽に湯を張っていく。炎の魔法はそれほど得意ではないシャリーだが、湯を沸かす程度なら十分にこなせる。
旅の途中は言わずもがな、セーラノにいた頃も人と会う機会の少なさから、布で体を拭くのが当たり前で、湯につかることは殆どなかった。しかしこれからはアルクラドの供として人と会う機会も増えるであろうと思われたので、町にいる間はしっかりと湯浴みをしようと考えていたのである。
主に貴族が泊まるこの宿では頼めば湯を張ってくれるが、シャリーであれば自分でやった方が早く、宿で使われている石鹸だけを使わせてもらっていた。植物から作られたこの石鹸は、汚れがよく落ち、また良い香りがする為、女性から人気であった。
シャリーは大きな浴槽にタップリとお湯を張り、骨が抜けたが如く身体を弛緩させ、ゆったりと湯舟につかっていた。石鹸の良い香りも相まって、シャリーは極楽にいる心地だった。一方アルクラドは、1人静かに酒の入った盃を傾けていた。
ゆっくりと時間をかけて湯につかったシャリーは、頬を上気させて湯浴み場から出てきた。
「気持ちよかったです……」
ほぅ、と息を吐きアルクラドの向かいに座るシャリー。髪はまだ乾いておらず、濡れ髪特有の艶めかしい輝きを放っていた。上気した白い肌と色違いの大きな瞳と相まって、人の目を惹く姿であった。向かいに座るのがアルクラドでなければ、目を見開きマジマジと見つめていただろう。
「アルクラド様、これからどうされますか? もう休まれますか?」
もう宵鐘が全て鳴り終わり完全に夜となった時刻であり、夜の深酒をする者以外は眠りに就く時間だった。シャリーも旅の疲れや気疲れなどの疲労から、心地よい眠気を感じていた。しかし勝手に、アルクラドより先に眠るわけにはいかない、とアルクラドがどうするのかを尋ねたのだ。
「我に眠りは不要だ。其方は好きに休むが良い」
旅の途中、何度も繰り返したやり取り。夜の見張りは眠らないアルクラドの仕事であった。
いつも彼に見張りを任せることに申し訳なさを感じていたシャリーだが、早く寝て早く起きることが出発を早くする一番の方法であり、夕食後は速やかに眠りに就いていた。
「分かりました、もうそろそろ寝ますね。あ、お酒1杯いただいていいですか?」
アルクラドが飲んでいるのは、食後用にと勧められた甘味の強い葡萄酒だった。シャリーも食後に1杯飲んだが、強い甘味の後に爽やかな酸味と果実の風味を感じ、とても美味しかった。
冷えている方が美味しいとのことだった為、アルクラドが作った氷水でキンキンに冷やしている。湯上りの火照った身体には、さぞ美味かろうと思われた。
「構わぬ」
「ありがとうございます」
アルクラドから許可を得たシャリーは、盃1杯分の葡萄酒を注ぎ、そっとその香りを嗅ぐ。
蜂蜜を思わせる様な濃密な甘い香り。果実の皮の渋みを思わせる様な香りや茶に似た香ばしい香りも僅かに隠れており、とても複雑な香りが漂ってくる。
ひと口含めば、強い甘味と爽やかな酸味が、冷たくトロリとした感触と共に口の中に広がっていく。喉を落ちる冷たさが火照った身体に心地よく、鼻から抜ける果実の風味を含んだ複雑な香りは、得も言われぬ幸福感に満ちていた。
「美味しいですねぇ……」
「うむ」
はぁ~、と頬を緩ませながら呟くシャリーに、アルクラドは無表情に頷く。
あっという間に1杯を飲み干し、シャリーは立ち上がる。
「では私はもう寝ますね」
「うむ」
心地よい疲労感に若干の酔いが加わり、眠気はいよいよ強くなってきた。すぐさまベッドに向かい身体を預ければ、霧散する様に意識が薄れていく。
シャリーがベッドに入ったのを確認したアルクラドが灯りの火を消せば、シャリーの意識はすぐさま夢の中へと旅立っていったのであった。
そんなシャリーであったが、しばらくして、ふと目が覚めた。部屋は暗闇に包まれているが、僅かばかりの月光が部屋の中をぼんやりと照らしていた。
シャリーがベッドに目を向ければ、そこにアルクラドの姿はなかった。どこに、と視線を巡らせると、窓辺から声がかかった。
「どうした。眠れぬのか?」
足を組み、窓辺に腰掛けるアルクラドと目が合った。窓から月明かりが差し込み、窓の周囲を明るく照らしている。
月の柔らかい光に照らされるアルクラドの輪郭はどこか儚げで、銀糸の髪と白磁の肌はそれ自体が光っているかの様に、白く輝いている。その中で血を溶かし込んだ様な瞳だけが、鮮烈な紅の色彩を放っていた。
神話の情景として描かれているかの様な神秘的で神々しい光景だった。この光の源で、月の女神が熱っぽい視線を向けていても不思議ではないと思えるほどに。
「目が覚めてしまって。アルクラド様は、ベッドに横にならないんですか?」
シャリーがアルクラドの前で眠るのは、旅の野宿の時であり、アルクラドは見張りとして起きているのは常だった。なのでアルクラドが休息の為に横になる姿は見たことがなかった。
「うむ。我に眠りは不要である故な」
「もしかして今まで使ったこと、ないんですか?」
「座りはした。が、伏した事は無い」
まさか今まで1度もベッドに寝転がったことがないとは、シャリーは思いもしなかった。しかし休息が不要というのはアルクラドにしか分からない感覚である。ベッドに横たわらないことをシャリーが不思議に思うのと同じく、ベッドに横たわりたい気持ちもアルクラドには分からないのだ。
「ここのベッドは良い物ですから、横になるだけでも試してみたらどうですか?」
「うむ。気が向けばそうしよう」
シャリーが勧めるも、今は横になるつもりはない様だった。
「そうですか。それじゃあ私はまた寝ますね。お休みなさい」
「うむ」
ふふっ、と微笑みながらシャリーは再びベッドにもぐりこんだ。自分の息遣いだけが響く部屋の中で、シャリーは再び夢の世界へと旅立っていったのであった。
翌朝、宿で朝食を済ませた後、アルクラド達は王都を巡るべく部屋を後にした。
宿を出る前に宿の主人から、騎士団長から代金をもらっているので好きなだけ泊まってもらって良い、と話しかけられた。アルクラドは素直にそれを好意と受け取ったが、シャリーはヴァイスに対する警戒心を更に高めた。
そうして2人が宿の敷地から出たところで、声をかけられた。
「アルクラド殿でしょうか」
2人組の男達だった。
2人とも小ぎれいな服に身を包み、1人は身体の線が細く優しげな顔をしており、もう1人は身体が逞しく厳めしい顔をした男で腰には剣を帯びている。文官とそれを守る武官の様な景色だった。
「そうだ」
薄く笑みを浮かべる文官の男にアルクラドは応える。
「私達はギルドの者です。今からギルドまでご足労願えませんか?」
「報酬の件か?」
ギルドからの連絡といえば魔獣の報酬の件くらいしか、アルクラド達には心当たりはなかった。
「いいえ。そちらについてはもうしばらくお待ちください。本日は、ギルド長が貴方にお会いしたいと言っているのです」
しかし呼び出しの理由は全く別で、報酬よりももっと大きな理由だった。もっともそれは一般的な話であり、アルクラドに関しては別だった。
ギルド長。
各町のギルドにおける長であり、経験豊富な元冒険者がその任を任されることが多い。荒くれ者達をまとめ上げ人々の生活を守るギルド長の仕事は、誇らしくあると共に一定の立場のあるものだ。そんなギルド長達の頂点が、ギルドの総本山である王国ギルドの長、その人である。
ギルド長ともなれば町の政に関わることも珍しくなく、ある程度の裁量と権力を持つこともある。それも王国ギルドの長となれば行使できる力も段違いで、一般の冒険者からすれば雲の上の存在である。
そんな王国ギルド長からのお呼びである。上昇志向のある者なら間違いなく呼び出しに応じるところだ。しかしアルクラドにその様な考えは存在しない。人族の世界を旅する上で必要な資金が得られればそれでいいのだ。
しかるにギルド長からの呼び出しなどどうでもよく、今から王都で何を食べるかを考える方が重要なのである。シャリーもそんなアルクラドの考えが分かっているので、横から口出しをすることなくアルクラドの返事を待っている。
しかし今はまだ明鐘時。まだ多くの料理屋は閉まっている時間だ。まだ民家からしか料理の匂いが漂っていない為、王都を歩いたところで良い店を探すのも容易ではない。ならば時間潰しとして呼び出しに応じてもいいのではないか。
そこまで考えたところでアルクラドは口を開いた。
「昼鐘が鳴るまでの時間であれば構わぬ。ギルドへ向かおう」
アルクラドの答えを待っていたギルドの男達は、ギルドへ来るというアルクラドの答えにひとまず安堵するが、文官の後ろに控える武官の男がピクリと眉を跳ね上げる。
「ありがとうございます! それでは早速向かいましょう!」
文官の男がことさら大きな身振りと声で出発を促し、歩き始める。文官の男を先頭にして、武官の男はアルクラド達の後ろから付いて来る。
「あの、どうして私達があの宿に泊まってると分かったんですか?」
歩き出してすぐ、シャリーがそんな疑問を口にした。アルクラド達は宿に入ってから朝になるまで、1歩も外に出ていない。あの宿に泊まることも誰にも言っていない為、ヴァイス以外には知りようがない。
「騎士団長殿にお聞きしました。本来、中級冒険者の方の居場所を無理に聞き出してはいけないのですが」
「やっぱりあの人ですか……」
やはり情報の元はヴァイスだった。
冒険者の中でも特に強い力を持つ上級冒険者には、義務ではないがギルドに滞在場所を知らせるという不文律があった。これは緊急事態の際に速やかに上級冒険者に依頼を出す為の処置であるが、中級冒険者には適用されない。
ヴァイスはアルクラドの階級を確認しておらず、魔獣を倒した実力から上級だと誤認していた。その為、ギルドから居場所を聞かれた際に、特に隠すことなく泊まっている宿を教えたのである。
「我々も中級の方に申し訳ないとは思ったのですが、ギルド長が是非にも、と言うものですから」
そうは言いつつも彼らはそれほど申し訳ないとは思っていない。階級に関係なく実力者には指名依頼などが来る為、冒険者自身が居場所を知らせたりギルド側が居場所を調べることも珍しくない。そして何より今回は王国ギルド長のお呼びなのである。一般の冒険者からすれば大変名誉なことだと彼らは考えており、またそれは事実であるからだ。
しかし一般に当てはまらないアルクラド達からすれば、迷惑とまでは行かずとも面倒なことに変わりはなかった。
「こちらでお待ちください。ギルド長を呼んでまいります」
そうしてギルドに着いたアルクラドとシャリーは、ギルドの3階にある部屋に通された。足の低いテーブルと長椅子が置かれただけの簡素な部屋だったが、作りは確かで家具の質も上等だった。
アルクラド達は椅子に腰かけ、案内の2人は部屋を後にする。それと入れ替わる様に別のギルド員が、お茶を持って現れた。彼女もお茶を2人の前に置くとすぐに出て行ったしまった。
「アルクラド様、これ食べますか?」
出されたお茶をさっそく飲むアルクラドに、シャリーは旅の道中に作っていた干した果物を差し出す。セーラノを出る前に採っていた果物を、歩きながら天日にさらし風を当てて乾燥せたものだ。元の大きさの半分以下になっており、いくつもの皺がより、表面が少し白くなっている。
「うむ」
アルクラドに食べないという選択肢はない。シャリーからいくつかの果物を受け取り、齧りつく。
乾燥している為、生のものより硬く、モッチリと粘り気のある食感がある。それを感じた後に強い甘味がやってくる。生のものは水気も多く爽やかな香りがあったが、こちらは舌にまとわりつく様な甘さで、ともすれば少しクドい。しかしお茶と一緒に食べるならば、この強い甘さも丁度良く感じられた。
「美味だ」
「もっと時間を置けば柔らかくなるんですけど、これでも十分美味しいですね」
シャリーが言うには、表面が白くなってから10日ほど経つと、内側がトロトロと柔らかくなり甘さもまろやかになるのだそうだ。乾燥して硬くなった果物が、また柔らかくなるのはとても不思議だったが、アルクラドが気になるのはその味である。
「シャリー。この干した果実はまだあるのか?」
「はい、ありますよ」
「柔くなった時に食したい」
「じゃあ、残りはそうなるまで置いておきましょうか」
「うむ、頼む」
そんな話をしながら待つことしばし、部屋に扉を叩く音が響いた。
国中のギルドの頂点である、王国ギルドのその長がやってきたのである。
お読みいただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。