ドール王国の都
王国の都の近くで羊の魔獣を倒したアルクラドとシャリー。
血を流し地面に倒れ伏す羊を見やるアルクラドは、その中で一番大きな小山ほどの大羊に近づき、その解体を始めた。
時刻は夜明け過ぎ、朝鐘の2つ目が鳴る頃。
朝食の時間である。
「アルクラド様……本当に食べるんですか?」
シャリーは、アルクラドの背中に遠慮がちに尋ねる。
アルクラドの手際はよく、迷いなく大羊を解体している。身体が異常に大きいだけで、その構造は通常の羊と変わらない。魔法で生み出した土の手を、まさしく手の様に扱い、大羊の身体を動かしながら解体していく。
そうして解体された肉を見れば、普段食べる肉と変わりのない見た目をしていて、食べられそうな気にもなってくる。しかし魔獣の肉であると思い出せば、やはり何だか気持ちの悪さをシャリーは感じてしまう。
「無論だ。我はそのつもりで此奴を狩ったのだ。その命を無為にするのは好まぬ」
腸を取り出し皮を剥ぎ、前後の脚や胴体などを大まかに切り分けていく。その中から肉付きの良い後脚を選び、肉を切り出していく。
それと同時にかまどを作り、火を熾し、串に刺した大羊の肉を焼いていく。シャリーの持っていた塩と、途中で摘んだ野草を振りかけ、じっくりと焼いていく。
匂いは良い。羊特有の癖のある香りはしているが、肉の新鮮さと香草の香りが相まって、とても食欲を誘う香りを漂わせている。
色も良い。焼く前は淡い色の赤身と、白に近い薄紅色の脂身が2層に分かれており、火が通るに従い茶色く色を変えていく。脂が表面でジュワジュワと踊り、肉を伝って滴り落ちていく。その脂が火に焦がされ、甘く香ばしい芳香を立ち昇らせる。
シャリーは思わず、ゴクリと喉を鳴らした。
「まだ焼けておらぬ。もう暫く待て」
その音をアルクラドに聞かれ、窘められた。シャリーは頬を染め俯く。彼女に催促をしたつもりはなかったが、早く食べたいのは事実な為、黙って焼き上がりを待つことにした。
「もう良いであろう」
待つことしばし、アルクラドがそう言った。アルクラドは1本の串を手に取り、脂が沸き立つ熱々の肉に迷うことなくかぶりついた。シャリーはその様子を、固唾を飲んで見守っている。
「美味だ」
ゆっくりと咀嚼し嚥下した後、無表情のままアルクラドがそう言った。
「本当ですか?」
シャリーが、期待と驚きの入り混じった声で尋ねる。アルクラドが嘘を吐かないと知っていても、尋ねずにはいられなかった。
「うむ。我は嘘を好まぬ」
アルクラドがそう言っても、シャリーはまだ完全に信じることができなかった。しかし目の前の肉は、香ばしい匂いと見た目で、シャリーの腹を激しく刺激してくる。
「いただきます……」
シャリーは手に取った肉に、恐る恐るかじりついた。
サクリ、とした食感。
肉に歯が当たり硬いと思った瞬間、すんなりと歯が肉に沈み込んでいく。柔らかい繊維の塊が僅かばかりの抵抗を示し、しかし簡単に噛み切れる。咀嚼する度に心地よい歯ごたえを感じることができる。
歯切れの良い食感とは裏腹に、肉汁は豊富で、噛む度に静かにしかし湧き出る様に溢れてくる。脂の甘さに負けぬほど、赤身の味は滋味深くコクがありつつ、しつこさはなく幾らでも食べられそうなほどだった。
「はふっ、はふぅ……っ美味しいです!」
肉汁と脂の熱さに苦戦しつつも、シャリーは大羊の肉を堪能する。今まで食べてこなかったのが悔やまれるほどの美味しさに、シャリーは夢中で食べ続けた。
気が付けば、人の胴体よりも大きな大羊のモモの肉が、丸々1本なくなってしまった。その大半はアルクラドが食べたとはいえ、シャリーも肉の消費に大いに貢献したのであった。
大羊の肉を食べ終えたアルクラドとシャリーは、死体の処理をし王都への道へと戻っていった。
巨大な大羊に加え、通常の羊よりも大きな羊の魔獣が20頭以上いる為、その肉や素材は持ちきれないほど大量だった。
素材を傷つけないよう気を付けて狩りはしたが、特に状態の良い皮と、数食分の肉だけを残して、残りは焼却し灰として大地に還すことにした。
ちなみに大羊は通常であればかなり強力な魔獣であり、王都や周辺のギルドから討伐依頼が出ているかも知れない、とシャリーが言い、討伐の証明としてその頭部を持っていくことにした。ギルドで依頼が出されており、ある程度の報酬が手に入ることを期待して。
大羊の頭部と素材などを黒布で包み、街道を行くアルクラドとシャリー。
太陽が空の頂点を通り過ぎ、傾きが大きくなり、そろそろ宵鐘の1つ目が鳴ろうとする頃、2人は王都へと到着した。
町の中に入る為、門で検査を受ける人達の列に並ぶ2人。その間、シャリーは防壁の大きさにただ驚いていた。
何に驚くかと言われれば、何よりも防壁の広さ、ひいては町の広さである。首を大きく左右に向けなければ、壁の端を見ることができなかった。それほどの壁で守る町とはいかほどの大きさなのか、シャリーは全く想像ができなかった。
また門に並ぶ人の数にも驚きを隠せないでいた。1日にセーラノを訪れる人を遥かに上回る来訪者の数。更に町へ入る門は、アルクラド達の並ぶところ以外にもあるというのだから、一体どれだけの人が1日に王都を訪れるのか。これまたシャリーには想像することができなかった。
そして門の前で待つ人達の種族の多様性もまた、驚きの1つだった。少し見ただけでも、エルフにドワーフ、猫や犬の獣人の姿を捉えることができた。流石に魔族はいないが、様々な人族の種族が王都を訪れているのだった。
「うわぁ~……すごい人ですね」
「うむ。今までの町よりも随分と人が多い様だな」
しきりに驚くシャリーに対し、アルクラドに驚きはない。ただ以前に訪れた町との比較があるだけだった。
そうしているうちに2人の番になった。
「次。何か身分を証明するものはあるか?」
「これを。この娘は我の連れである」
アルクラドは冒険者証を門番に見せ、シャリーの分の通行料を支払う。仲間であっても個人の証明書がなければ、ただで門を通ることはできない。
シャリーは町を出るまでにある程度は金を稼いでいたが、元を辿ればアルクラドに山の果実を買ってもらうことで得た金だった。なので彼女は持っていたお金を全てアルクラドに渡してある。今回の通行料くらいはあるはずだった。
「待て、そのでかい包みは何だ? それに、ひどい臭いだぞ……」
アルクラドから通行料を受け取ろうとした時、門番が顔をしかめながら尋ねた。その視線はアルクラドが背負う黒布に注がれてる。強い血の臭いを放つ、とても大きな黒い包み。注目されてもおかしくない。
「魔獣の頭と肉だ」
「魔獣の頭と肉? まさか羊の魔獣か……?」
「うむ」
事も無げに答えるアルクラドに対し、門番は驚きと疑いをもって尋ねる。
「全部、倒したのか?」
「全てかどうかは判らぬが、群れ1つを狩った」
「1人でか?」
「この娘と2人でだ」
「本当か……?」
「うむ。我は嘘は好まぬ」
アルクラドに色々と尋ねる門番。どうやら羊の魔獣がいること、そして群れをなしていることを知っている様だ。これならギルドでも魔獣の情報は得ており、討伐依頼が出ている可能性は高いだろう、とシャリーは思った。
門番という地位の高くない兵士にまで情報が共有されているということは、ある程度周知の事実として扱われているということだ。加えて、王都の兵士か冒険者かは分からないが、大羊には人と戦った痕があった。人側は敗走したわけであり、魔獣の強さも王都側に伝わっているだろう。
そこまで情報があればギルドも何かしらの対応をしているだろう、という予測だった。ギルドは町の政治組織とは別の組織であるが、町の為に在る組織には変わりない。町を守る為に、討伐依頼を出すことは自然なことなのだから。
「念の為、確認をさせてくれないか? ないとは思うが、それが人だったら事だ」
「構わぬ」
血の臭いを撒き散らしながら死体を運ぶ間抜けはいないと思いつつ、彼は門番の仕事を全うする。大きな黒い包みは折りたたまれた人が入っていると、見えなくもない。
「アルクラド様、ちょっと待ってください」
シャリーが、包みを背中から下ろしたアルクラドを制止する。
「どうした?」
「ここで開けるのは止めてくださいね。大勢の人が見てますし、生首や生皮なんて見たくない人もいますから」
アルクラドは黒布の縛りをまさしく解こうとしていたところだった。シャリーの制止の言葉を聞いて、慌てたのは門番だった。
普通はこんなところで魔獣のものであっても、生首を晒したりしない。門番も、詰所やどこか陰で確認するつもりだったのだ。衆目の前で魔獣の首、もしかしたら人の死体かも知れないもの、を見せられては、ちょっとした混乱に陥ってしまう。
「こ、こっちに来てくれ……」
門番は慌ててアルクラドを、門番達の詰所へ引っ張っていく。アルクラドが無表情の為、衆目の前で生首を晒すことの問題を彼が理解しているのか、門番には分からなかった。何かの拍子に包みを解かれては堪ったものではない。
「で、でかいな……」
詰所へ行きアルクラドが包みを解くと、大羊の魔獣の首があらわになった。人の胴ほどありそうな魔獣の頭は、死してなお威圧感を放っていた。
「これで人が入ってないことは分かりましたし、もう町に入っても大丈夫ですよね」
包みの中が人の死体でないことが証明され、アルクラド達は身分証の提示や通行料の支払いも済ませている。もう彼らを門の外に引き留めるものは何もない。
「ああ、大丈夫だ。協力感謝する」
門番としてもこれ以上2人を引き留めるつもりはなかった。それに死体とはいえ、魔獣の生首と長い時間いたいとも思わなかった。ただ、と門番は念押しする。
「これを担いで、町を歩き回らないでくれよ。すぐにギルドに持っていってくれ。頼むぞ」
衆目の前で生首を晒されるのも堪ったものではないが、血の臭いを撒き散らしながら町を練り歩かれるのも問題だ。血の臭いのする黒い包みとなれば、下手な想像をする人が出てきてもおかしくない。そして単純に気持ちのいいものでもない。
「分かりました。ギルドへはどう行くのが近いですか?」
「門を出て大通りを真っすぐ進むと、同じ大きさの通りが交差するところがある。そこを左に曲がりしばらく真っすぐ行くと、左手にギルドが見えてくる。でかい建物だからすぐにわかるさ」
門番曰く、主要な施設は大通りを歩けば大抵は見つかるそうだ。シャリーは門番に礼を言い、アルクラドを促し、2人は王都へ足を踏み入れた。
門を出ると、まず目に飛び込んでくるのは真っすぐと伸びた大きな通り、そしてその奥で悠然とそびえる山と城だった。
通りは馬車が数台すれ違えるほどの幅があり、実際に4台の馬車が通りを行き来している。その左右には通りに沿うように建物が並び、露店が開かれているところもある。大勢の人が通りを行き来し、活気で溢れていた。
「すごい人ですね……ここは、お店が集まってる場所なんでしょうか」
「それは判らぬが、美味そうな匂いはしておるな」
王都に入り驚きの表情を見せるシャリーと、特に表情の変わらないアルクラド。そんな2人は、理由は別だが、お互いに視線をあちこちに彷徨わせていた。
「この通りを真っすぐ行って、大きな通りとぶつかったところで左に曲がるんでしたね」
「うむ。先程の男はそう言っておった」
何はともあれ、魔獣の首と皮をどうにかするのが先だった。門番に言われるまでもなく、生首を担いで町を練り歩くつもりは更々なかった。アルクラドは気にしないが、シャリーは自分達が奇異の目で見られることを良しとはしなかった。
自分自身、そういった目で見られるのも嫌だったし、アルクラドがそう見られるのも嫌だった。周りの目はその人の評価であり、本人が気にしないとはいえ妙な評価を付けられたくはなかった。
「早くギルドに行って、王都を見て回りましょうね」
「うむ」
理由は違えど、早く町を回りたいのは2人とも同じだった。2人はすぐにでも町を回る為に、ギルド目指して歩き出した。
そしてギルドが見えてきた頃に、王都の兵士に取り囲まれたのであった。
お読みいただきありがとうございます
王国と兵士達の運命やいかに。
次回もよろしくお願いします。