戦いの後
アルクラドに自らの血を捧げた魔人の女、アイレン。
アルクラドは彼女の亡骸をそっと地面に横たえ、開いたままの瞼を下ろしてやる。その死に顔は寝顔の様でさえあり、とても安らかな表情で永久の眠りについていた。
アルクラドは立ち上がり、口元の血を拭いとる。
「旦那……終わったんですね」
「うむ」
その背中にシャリーが声をかける。アルクラドからはもう怒りは感じられなかった。
「旦那、ありがとうございます。町を守ってくれて」
「我はこの町の為に戦ったのではない。故に礼は不要だ」
そう言うアルクラドに、シャリーは首を振る。
アルクラドにそのつもりはなかったとしても、町に被害を出すことなく強力な魔族を倒せたのは、アルクラドのおかげだ。他にも町に溢れていた魔物の半数以上はアルクラドが倒している。もしアルクラドがいなければ、この町にとって悲惨な戦いが待っていたはずだ。
だからシャリーはアルクラドに礼を言わずにはいられないのだ。
「それでも旦那のおかげで町は無事だったんです。気持ちだけですがお礼を言わせてください」
そう言ってシャリーは深く頭を下げる。
「では、礼を受け取ろう」
押し問答をするつもりのないアルクラドは、素直に礼を受け入れた。
「ところで、旦那はどうしてあそこまで怒っていたんですか?」
シャリーは単純な疑問を口にする。ある程度想像はついているが、あれほどまでにアルクラドを怒らせるのだから、よっぽどのことがあったのかも知れない。そんな風にシャリーは考えていた。
「我の食事を邪魔したのだ。加えて彼奴の魔法が、我が頼んだ、熊の生の肉を焼いたのだ」
シャリーは、手で目を覆い天を仰いだ。恐らくどこかで裏組織を仕切る人狼の男も、同じ仕草をしたであろう。
アルクラドの食事を邪魔するとは、アイレンに対して何をやっているんだ、と思う一方で、予想通りの理由に呆れた気持ちになる。
食事を邪魔され料理を台無しにされれば、怒りたくなる気持ちは十分に理解できる。しかしアルクラドの怒りは、その程度を遥かに超えたものだった。世の全てを恨んでも足りない様な、怒りを超えた怒りを感じた。
「でも、料理ならまた頼めばいいじゃないですか」
「うむ。だがアミィもその父も傷つき倒れていた。更には、熊の生の肉はいつでも食せる訳では無い。新鮮な肉が無ければならない。それ故、我は山に熊を狩りに行ったのだ」
その言葉を聞いて、そういえばと、アルクラドのここ最近の行動を思い返す。
毎日毎日飽きもせずギルドに足を運んでいたのは、その為だったのだ。ギルドから出てきても依頼に行く様子のないアルクラドを不思議に思っていたシャリーだが、ようやく合点がいった。
食に並々ならぬ執着を見せるアルクラドが、待ちに待った料理を台無しにされたのだ。間違いなく行き過ぎであるが、あの怒りも納得できた。
「お肉はもう残ってないんですか?」
セーラノ熊はかなり大きな部類の熊だ。1頭狩れば相当な量の肉が取れるはずで、残っていても不思議ではないとシャリーは思う。
「分からぬ」
「じゃあアミィさん達が目を覚ましたら、聞いてみましょう。あれだけ大きい熊なんですから、お肉だっていっぱい取れます。きっと残ってますよ」
分かりづらくはあるが落ち込むアルクラドを、シャリーは精一杯、励ます。
「うむ」
アルクラドは頷き、店の中で眠る者達に目を向ける。
「皆さん大怪我でしたが、アミィさんとお父さんは余り傷は深くありませんでした。お客さん達がかばったおかげですね。すぐに起きて動けると思いますよ」
アミィ達親子の怪我は他の客達に比べて浅かった。常連達がアミィを守ろうと自らを盾にした結果だった。シャリーの見立てではアミィ達は2~3日もすれば店を再開できるくらいには回復しそうであった。
「うむ。それまではこの町に滞在するとしよう」
アルクラドの心残りは、熊の生肉を食べられなかったことだけである。それがもう食べられないのであれば、すぐに町を出ても構わない。しかしまだ食べられる可能性が残されているおり、それを確かめるまでは町から出ることはできなかった。
「食べられるといいですね」
アルクラドのこれからの行動を聞き頷く一方で、シャリーは盛大にため息をつく。
「では、我は往く」
アルクラドはシャリーに見向きもせず歩き出す。アミィの店ですることがない以上、ここに留まる必要がないからだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ、旦那っ!」
それを慌てて引き留めるシャリー。
「何だ?」
アルクラドは立ち止まって、シャリーを振り返り尋ねる。
「何だ、じゃありません。私がため息ついてるの、聞こえなかったんですか?」
「ため息……? 呼吸をしたのであろう?」
シャリーはアルクラドに聞こえるように、わざと大きなため息をついたが、その意図は全く伝わっていなかった。
「ため息をついたんです! あの、話を聞いてもらっていいですか?」
ため息を聞きつけたアルクラドに訳を尋ねてほしかったシャリーだが、アルクラドにその辺りの機微は理解できないだろうと諦めた。
「構わぬ」
「ありがとうございます。えっと、私、この町にいられなくなってしまいました」
シャリーは自分がため息をついた理由を話し出す。
「あの魔人の人が私の両親のことを知っていて、私が魔族の血を引いてることが町の人達に知られてしまったんです」
「そうか」
シャリーの言葉に、アルクラドは無感情に頷く。
「町の人達は私が山や町にいることを快く思わないでしょう。けど、ここから離れたくないんです。どうしたらいいんでしょうか?」
町人に不快な思いをさせるのはシャリーの本意ではない。しかし両親との思い出の地であるセーラノから離れるのも嫌だった。
「其方の事だ。其方の好きにすれば良い」
「そうですね……」
アルクラドから返ってきたのは至極真っ当な答え。しかし期待はしていないが、シャリーはもっと別の言葉が欲しかった。それを望んでも無駄なことは分かっていたが。
「話はそれだけか?」
「それだけですけど、もっと相談に乗ってくれてもいいんじゃないですか? 何か助言をくれるとか」
期待はしていないが、もしかしたら、と会話の継続を試みるシャリー。
「何が其方の助けになるのか、我には解らぬ。其方の事は其方が決めるしかあるまい」
しかしアルクラドからは先程と同じ言葉が返ってきただけだった。
「そうですね……よく考えてみます」
再びため息をつき、肩を落とすシャリー。
「話は終わりだな? では、我は往く」
アルクラドは頷き、歩き出す。やはりため息には何の興味も示さなかった。その背中を恨めしそうに見つめながら、シャリーはもう一度、大きなため息をついたのだった。
「それじゃあ、我らの英雄に……乾杯!!」
「「「かんぱ~い!!」」」
壁に穴の開いた店の中から、大勢の騒ぐ声が聞こえてくる。
アミィの店である。
魔族の襲撃から2日後、シャリーの魔法により回復したアミィ達2人は、いつも通り店を再開した。それをビリーから聞いたアルクラドは、熊の生肉が食べられないかどうかを確認する為、店にやってきたのである。
すると店の中には大勢の客がおり、各テーブルの上には料理が所せましと置かれていた。しかし誰も料理に手を付けておらず、アルクラドの到着を待っていた。
町を救った英雄を称える祝賀会が開かれていたのだ。
そうしてアルクラドを店の中央に招き、全員で乾杯し、宴が始まったのである。
「聞いたぜ、アルクラド! お前、魔族を倒したんだってな!」
好きなだけ食べていいと言われた料理を黙々と食べるアルクラドにビリーが話しかける。
「うむ」
アルクラドはそうとだけ答えて料理に戻る。
「スゲェなぁ……強い奴だとは思ってたが、そこまでだったとはな」
しかしビリーはそんなアルクラドの態度を気にすることなく、しみじみと呟く。
ちなみにアルクラドがどうしても食べたかった熊の生肉は、少しだけ肉が残っていた。ただ仕入れから時間が経っている為、食べられるか微妙なところだと言われてしまった。しかし食あたりの心配など全くないアルクラドは、アミィ達に生肉を出してほしいと強く伝えた。その結果、アミィの父は、不安に思いながら熊の生肉を出すことにしたのである。
「なぁ、どうやって魔族を倒したんだ? あのスゲェ炎の魔法か? それとも剣か?」
冒険者達は町の魔物を倒す為に奔走していたので、アルクラドと魔族の戦いを見てはいなかった。
今では話を聞くことも珍しい魔族。人族を遥かに凌駕する強さを持っているとされる魔族と、それを倒したアルクラドの戦いは、冒険者達の興味の的だった。ビリーがその筆頭で、アルクラドに色々と質問している。
「魔法で血を操り、身体を内から破壊し殺したのだ」
事も無げに答えたアルクラドの言葉に、一部の者は首を傾げ、残りの者は恐れ慄いた。
自らの体内を巡る血を操られ、身体の内側から攻撃される。どうやっても防ぐことのできない攻撃は、悪夢としか言い様がなかった。
「そ、そうか……そんな魔法があるんだな……」
ビリーも戦慄した者の1人であり、若干引き気味である。
「お待たせしましたっ、熊の生肉ですよ」
そこへアミィが料理を持って現れた。先程よりも静かになった店の様子に首を傾げながら、アルクラドの前に皿を置く。
「アルクラドさん、本当に大丈夫ですか……?」
アルクラドは肉が傷んでいようが関係ないと言うが、出す側からすればそうも言っていられない。自分の店の料理で客が当たってしまっては大問題だからだ。
「うむ。問題ない」
アルクラドはそんなアミィの心配などよそに、生肉に手を付ける。
グニグニとした生肉独特の食感があった。しかし初めて食べた時よりも柔らかい、とアルクラドは感じた。更には口に入れた瞬間、肉の旨味が広がってきたのだ。
初めて食べた時は、しばらく噛み続けなければ味は感じられず、表面にかけられた油と塩の味しかしなかった。しかし今回は1度噛んだだけで、その旨味を感じることができた。
「以前よりも美味だ」
不安そうに見つめるアミィに、素直な感想を伝えるアルクラド。
「本当ですか? 変な味とか臭いはしませんか?」
満足そうに言うアルクラドの言葉を聞いても、アミィはまだ心配だった。
「おいおい、本当に大丈夫なのかよ?」
「腹壊しても知らねぇぞ」
店の客達も心配そうな顔でアルクラドを見ていた。
熊の生肉は、新鮮で状態の良いものが入った時に出されるものだと聞いていた彼ら。生肉を食べたことがはないが、2日前の肉を生で食べて大丈夫なのか、彼らは非常に心配だった。
「うむ。問題ない」
同じ肉を他の誰かが食べても大丈夫なのか、アルクラドには判らない。しかし自分は問題ないことは間違いない。1枚1枚、味わいながら生肉を食べていく。
ようやく待ちに待った熊の生肉を食べることができたアルクラドに、もう心残りはなかった。これで心置きなく町を出発できるわけであるが、まだテーブルには料理が残されている。どれも美味しい料理で、それを残して店を出るわけにはいかなかった。
黙々と料理を食べるアルクラド。そんなアルクラドに、客達は酒瓶や酒の入った木杯を持って近づいてくる。口々にアルクラドの偉業を称え、酒を注ぎ飲ませていく。
アルクラドはひと言だけ返事をし、勧められた酒を全て飲み干していく。アルクラドの酒豪っぷりは全員の知るところなので、酒を飲ますことに躊躇する者はいなかった。
「あの、アルクラドさん……」
そこへ料理の配膳を終えたアミィがやってきた。
「何だ?」
アルクラドは料理を食べながら、視線だけをアミィに向ける。
「私達を助けてくれてありがとうございました。改めてお礼を言わせてください」
そう言ってアミィは頭を下げる。
「其方らを助けたのは我ではない。我はただ敵を殺したに過ぎぬ」
そう言ってアミィの言葉を否定するアルクラド。事実、アルクラドは魔族の攻撃からアミィ達を守れたわけでもなく、傷を癒したのはシャリーである。
いいえ、とアミィは首を振る。
「アルクラドさんのおかげで町が守られた、ってシャリーさんが言ってました」
アルクラドが去った後、シャリーは人が来るまで倒れた人の面倒を見ていた。その間に一番傷の浅かったアミィが目を覚まし、自分が気を失ってからのことをシャリーに尋ねたのである。
シャリーは自分の見たことを全てアミィに話した。流石に戦いの詳しい様子は省いたが、アルクラドが魔族を倒したこと。魔族が強くこの町の冒険者達だけでは対処できなかったこと。
それを聞いてアミィは感謝の思いを強くした。物凄い魔法で多くの魔物を倒し父の安全を守り、襲ってきた魔族を倒し自分達親子の命を守ってくれたのだから。
「だから何度でもお礼は言わせてください。私達を守ってくれて、ありがとうございました。代わりにはなりませんが、料理は好きなだけ食べてくださいね」
「礼は不要だが、美味な食事であれば幾らでも貰おう」
アルクラドは食事の手を止めることなく言う。
「いつセーラノを出るんですか?」
休みなく料理を口に運ぶアルクラドに、神妙な面持ちでアミィは尋ねる。
「この食事を食せば発つ」
「そうですか……」
後何度かは会えるかと思っていたが、まさか今日が最後だと知り、アミィは悲し気に目を伏せる。
「アルクラドさんが来なくなるのは残念です」
「我もこの食事を食す事が出来なくなるのは残念である」
全く残念そうではないアルクラドの表情に、アミィはクスリと笑みをこぼす。ここしばらくの付き合いで、アルクラドが相当変わり者だということはよく分かっていた。普通に言ったのでは伝わらないのだろうと、アミィは思った。
「アルクラドさん。最後に1つ、お願いしていいですか?」
1度大きく深呼吸をし、アミィは言う。
「何だ?」
アルクラドはアミィに視線を向ける。
「こっちを向いてください」
アミィは、テーブルを挟んだ向かい側からアルクラドの隣へ移動する。
店の中に、男達のざわめきが起こった。
そのざわめきの中、アミィは頬を染めながらアルクラドの頬にそっと顔を近づけるのだった。
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