吸血鬼の怒り
町の魔物を粗方倒し、アルクラドの助力を得ようとアミィの店を訪れたシャリーが見たのは、半壊した店と傷つき倒れる人達だった。
シャリーは一瞬、頭の中が真っ白になった。
「何てことを……!」
しかし、すぐに激しい怒りが沸き上がってきた。父母との思い出が詰まった場所であり、シャリーの成長と共に発展してきた思い入れのある町。そこに住む人達を傷つけられ、シャリーの怒りは爆発寸前だった。
「おや、来たのかい。付いてくる気にはなったかい?」
一向に返事をしないアルクラドを頬を引きつらせながらひと睨みした後、女は店を出てシャリーに話し掛ける。
「貴女に付いてはいきません! 町の人を傷つけた貴女を、私は絶対に許しません!」
怒りに燃えるシャリー。怒気と共に魔力が溢れ、彼女の髪をユラユラと揺らせている。
「ここでアンタの力を見ておくのも悪くないね。力があるならアタシの右腕にしてやるよ」
女は溢れるシャリーの魔力を見て、ニヤリと笑う。そして自身も魔力を巡らせ臨戦態勢を取る。
「私は貴女には絶対に負けな、ひっ……!」
今にも攻撃を仕掛けようとしていたシャリーが、突如言葉を詰まらせる。
目を剥き、カタカタと歯を鳴らせ、喘ぐ様に呼吸を繰り返している。
この世のものとは思えぬ、怖ろしい何かの気配に気が付いたのだ。
眼前に迫った凄惨な死でさえ生温いと思える、怖ろしい何か。
決して抗い得ぬ、何かが、確かに蠢いていた。
「シャリーよ、この者達の治療を頼む。我では癒やせぬ故な」
その正体から声を掛けられた。壊れた店の壁から外へ出てくるアルクラドである。
彼が視線で示すのは、傷つき血を流しながら倒れる者達。シャリーはそれを見て、ハッと我に返る。
怒りに我を忘れている場合ではない。恐怖に身を竦ませている場合ではない。そんなことをしている間に、彼らの命が失われてしまう。
シャリーは返事をする間も惜しいとばかりに、彼らの傍に駆け寄り膝をつく。
「母なる大地の精霊よ、恵みの雨の精霊よ、我は汝らに希う……傷つき伏せるは汝が子、涙の落つるは其の御胸……痛みに嘆く其の子らの、憂いを払い癒やし給えっ!」
朗々と紡がれるシャリーの詠唱。淡く輝きながら精霊に癒やしを乞う姿は、神秘的なまでに美しかった。
しかし惜しむらくはその見物人が、アルクラドと3人の魔族であること。そしてその見物人すら、誰1人としてシャリーを見てはいなかった。
シャリーの周囲で輝いていた光は傷ついた者達を包み込み、その傷を癒していく。
流れる血は止まり、傷は癒え、苦し気に歪められていた表情は、柔らかく穏やかなものになっていた。
町の人間が命を落とすことにならず、シャリーはホッと安堵のため息をついた。
そうしてひとまず町人が危機から脱したことで、シャリーはアルクラドを見る余裕ができた。
その背中からは言い様のない怒りが伝わってきた。落ち着いた今でも、身体が震えている。たとえあの怒りが自分に向いていないのだとしても、ただただ恐ろしかった。
そして怖くなった。町は大丈夫なのだろうか、と。
アルクラドが見境なく暴れれば、町など簡単に消滅するだろう。住む人がいなくなるといった比喩ではなく、文字通り消滅。辺り一帯が更地になり、もしかしたら山もなくなってしまうかも知れない。
「あの~、旦那……町に被害は出さないでくださいね……?」
せっかく魔物を撃退できたのに、町がなくなってしまっては意味がない。シャリーは恐怖に耐えながら、アルクラドにそう言った。
「……善処しよう」
アルクラドが答えるまでにかなりの間があった。
怒りの余りシャリーの言葉に気付くのが遅れたのか、手加減できるか分からないことを自覚しているのか。どちらにしても大問題である。
シャリーはため息をついた。
山で聞いたのと同じ言葉だが、あの時以上に信用できない言葉であった。
正直に言えば、今すぐにでもこの場から逃げ出したいシャリーだが、まだここで眠る人たちがいる。戦いの余波で傷つかないとも限らない。彼らを守れるのは自分しかいない、とシャリーは震える身体に鞭打ってこの場に残っていた。
どうか町に被害が出ませんように、と祈りながら、魔族の女と対峙するアルクラドの背中を見つめていた。
そんなアルクラドとシャリーの様子を、女は訝しげに見ていた。
いきなり怯えだしたシャリーも気になるが、アルクラドから何とも言えぬ近寄りがたい気配がし、妙な居心地の悪さを感じていた。
その気配を感じたのか、2体の大鬼も女の傍にやってくる。
そんな3人にアルクラドは視線を向ける。
僅かに顔を上げ、帽子のツバに隠れていた紅い瞳が、3人を捉えた。
「っ……!」
女は息を飲んだ。大鬼達も、怯えた様に身体を強張らせる。
爛々と輝く紅い瞳の奥では、激しい怒りの炎が渦巻いていた。
アルクラドはゆっくりと腕を上げ、女を指さす。
「貴様は、ここで死ぬ」
予言めいた言葉。
アルクラドは手を喉元に当て。
「我を怒らせた故……」
苦しみに喘ぐ様に、喉を掻き握りしめる。
黒い衣服に皺がより、指が食い込むほど強く。
「我は、魔族の血は好まぬ……」
そう言ってアルクラドが視線を向けるのは、2体の大鬼。
だが、とアルクラドは続ける。
「が、魔人である貴様の血であれば、まだ飲めるであろう」
再び手を伸ばし、女を指さす。
アルクラドが唇を吊り上げ、歯を剥く。
「故に。この渇きは、貴様の血で潤すとしよう」
アルクラドの犬歯が肥大化し、血を啜る為の牙となる。
吸血鬼の始祖たるアルクラドの、吸血鬼としての姿がここに現れたのだった。
牙を剥くアルクラドは、その牙を自らの手に突き立てた。
黒い手袋の上を1条の血が流れる。しかしその血は地面を濡らすことはなく、指先で留まる。
「血戦技……血爪」
血がアルクラドの右手を覆っていく。それは、刃の様に指先の尖った紅い篭手を模った。
「大鬼共よ、貴様らに用は無い。疾くと失せよ」
アルクラドの怒りの対象は、攻撃を行った魔人の女のみ。まだアルクラドに何もしていない大鬼には用も興味もなかった。
しかし大鬼も失せろと言われて、失せるわけにはいかなかった。
戦いから逃げ出すなど大鬼の戦士にとって恥以外の何ものでもない。加えて大鬼達は、アルクラドの強さを感じ取ることができなかった。先ほどの怯えは何かの間違いだったのだ、と自分に言い聞かせている。
「いい気に、なるなよ!」
1体の大鬼がアルクラドに向かって駆け出す。それに続いてもう1体も動き出す。
お互いに武器は持たず素手。しかし大鬼は、途轍もない怪力を秘めたその身体自体が武器なのである。大木をへし折り、大岩を砕く怪力で振るわれる拳が当たれば、ひとたまりもない。
その拳を、渾身の力を込めて、アルクラドに振り下ろす。
岩を砕き、大地を穿つ一撃。
その一撃を、アルクラドは片手で軽々と受け止めていた。
「何っ……!」
信じられないものを見た様に驚く大鬼。大鬼に比べれば華奢な身体をしたアルクラドに、受け止められるとは思ってもいなかったのだ。
確かに吸血鬼の身体は脆弱で、何もしなければ容易く叩き潰されていたことだろう。しかし大振りの攻撃の威力を受け流すことなどアルクラドにとっては造作もない。ただ何本か骨は折れてしまったが、すぐに治り結果的には折れていないのだから関係ない。
「我に歯向かうならば、貴様らも殺す」
言うが早いか、アルクラドは大鬼の胸に右手を突き刺す。鋭く尖った紅の篭手は、大鬼の分厚い胸板を容易く貫き、風穴を開けた。
「えっ……?」
大鬼は間抜けな声を出し、アルクラドの右手を見つめている。
紅い篭手の中に、ドクドクと脈打つ赤黒い物体が握られている。まるで生きているかの様に蠢くそれからは、赤い液体が流れ出ている。しかし地面に落ちることなく、大鬼の目の前で球を模っている。
大鬼は自分の胸を見る。
胸に見たことのない穴が開いていた。そこから血が、溢れる様に流れ出ていた。
「グボォアァ……!」
アルクラドが大鬼の心臓を握りつぶすのと、大鬼が口から血を吐き、激しい痛みに呻き声を上げるのは同時だった。
流れる血はやはり地面を濡らすことはなく、ある1点に集まり中空で球を形作っていく。
「種はこれで十分か…血戦技……血華」
薄れゆく大鬼の意識に、アルクラドの声が響く。
血球から荊が伸び出て、大鬼の身体に侵入していく。
胸の傷口を抉り四肢の隅々まで、根を張る様に伸びていく。激しい痛みに再び意識が覚醒する。
真っ赤な釘を打ち込まれているかの様な、熱に似た痛みが身体中を這い回っていた。しかしそれとは反対に身体の熱は段々と下がってくる。荊によって命の雫が吸い取られているのだ。
「あ……い、ゃめ、で……」
大鬼は声にならない声で、何かをうわごとの様に呟いている。しかしアルクラドに届くことはなく、終わりのない苦しみの中で、その命を散らせた。
全身の血を失い土色の物言わぬ死体となった大鬼から目を離し、次に視線を向けるは拳を振り上げ向かってくる大鬼。
「舐めるなっ!!」
渾身の力を込めて、拳を打ち下ろす。
アルクラドが大鬼に向けて手をかざすと、荊が壁の様に広がり盾となる。
大鬼の拳は荊の壁を突き破るも、アルクラドには届かず、荊の棘が腕の至る所を切り裂いていた。
その傷口から荊が身体の中へ侵入してくる。
大鬼は慌てて荊を引きちぎるがもう遅く、腕の中を蛇が這う様に皮膚が盛り上がり、激痛と共に身体の中心へと向かっていく。
「ぐおおぉぉぉ! くそっ、止めろっ!」
大鬼は必死に抵抗するが、体内の荊を消す術はなく、血反吐を吐きながら叫び声を上げる。しかしそれは大鬼にとっての地獄の始まりで、その血を目がけて、荊が大鬼の口に殺到した。
口を閉じることができないほど荊が入り込み、口腔内を際限なく蹂躙する。口蓋を削り取り、舌を挽き潰し、咽頭を切り裂く。
「ぐああぁぁ! 止めろ! いやだっあばぁっ……ゃぇ、ぇぅ、ぇ……!」
大鬼は必死に何かを訴えるが、それは言葉の形を成していなかった。
身体の内側から、突き刺され、削られ、抉られる痛みは想像を絶するもので、気を失いかけても激痛が意識を覚醒させる。頭の中がグチャグチャになり、大鬼は気が狂いそうだった。
そんな大鬼が正気の内に最後に感じたのは、眼前に迫る紅い棘と、ブチュンという耳障りの悪い音だった。全てがグチャグチャに摺り潰され、吸い取られる感覚と共に、大鬼はその命を失った。
ドクドクと脈動し血を吸う荊の、その根元である血球から何かが生まれてくる。それは紅い芽であり、芽が増え茎が伸び、蕾が生まれ花弁が開いていく。
大鬼から血を吸い上げ終えた荊は、血球に戻り、花の成長を促す。
やがて荊は全てなくなり、手のひら大の血球の上に、薔薇に似た小さな1輪の花が咲いていた。
「小さな花だ……これが人族の物であれば景色も違ったであろうが……」
2体の大鬼から生み出された小さな花を、詰まらなさそうに眺め、ひと撫でする。
「次は貴様だ」
その花を地面に打ち捨て、魔人の女を睨みつける。
悠然とした歩みで近づくアルクラドに、女は腰を抜かしたかの様にへたり込み動くことができなかった。この戦いの中で、アルクラドの力の片鱗を感じ取っていたのだ。自分では決して敵わない圧倒的な力の片鱗を。
「そんな……まさか、吸血鬼だなんて……」
女は恐怖の為に、顔は青ざめ、身体はカタカタと震えている。
アルクラドは無感情な、それでいて怒りがありありと分かる眼で女を睨みつけている。その手には聖銀の剣が握られている。
魔力を打ち払う聖なる力を宿した銀の剣。大量の魔力を有す魔族である魔人を切るのにはうってつけの剣である。
「其の血を、自ら我に捧げよ。されば貴様の罪を赦し、安らかなる死を与えん」
しかしアルクラドは切りかかるのではなく、女に向けてそう言った。アルクラドの最後の警告であり、最後の慈悲であった。
「あっ……ぁあ……」
女は熱に浮かされた様に声を漏らしながら、激しい後悔に苛まれていた。
自分はなんてものに手を出してしまったのか、と。
目の前の化け物は、赦しとして死を与えると言っているのだ。罪が許されなかった時、一体どんな苦痛が待ち構えているのか。女は考えただけで涙が出てきた。
部下として連れてきた2体の大鬼の死に様はまさしく凄惨そのものだった。血を操り、その血で相手を身体の内側から蹂躙するなど聞いたこともなかった。
あんな死に方をするくらいなら、ひと思いに殺してもらった方が遥かに良い。
その考えに至った時、女は安らかな死がまさしく赦しであることに気が付いた。
「この血を貴方に捧げます……」
女は立ち上がり顎を上げ首元を晒しながら、アルクラドにそう告げた。
アルクラドは剣を仕舞い、女に向かってゆっくりと歩きだす。そこに既に怒りはなかった。ただ静寂に包まれる中、2人が向かい合っているだけだった。
「其方、名は?」
女の目の前で立ち止まったアルクラドが、彼女に尋ねる。
「……アイレン、と」
アイレンは静かに名乗りを上げる。
「アイレンよ、其方の罪を赦す。我が血となり、その中で安らかに眠れ」
アルクラドがアイレンに手を伸ばす。右手を肩に置き、左手は眼を覆う様に添えられ、頭を僅かに傾ける。
漆黒の髪に隠れていた真っ白な肌が、アルクラドの眼前に晒される。
大きく口を上げ、その白い柔肌に、鋭い牙を突き立てる。
「っん……!」
アイレンはピクンと身体を震わせる。
首元から熱に似た痛みと、痺れる様な快感が広がっていく。
牙を突き立てられ、その傷痕を舌先で撫ぜられる深く鋭い痛みは、熱となって意識を焼いていく。同時に腹の奥底から、頭を蕩かし全身を芯から痺れさせる快感が波の如く押し寄せてくる。
熱く柔らかな舌が首を這えば快感に身悶え、傷痕を撫ぜれば痛みに身体を強張らせる。渇望と拒絶が繰り返され、意識は遥か遠く、天上へと浮かび上がった。
首元の淫靡な響きに気は昂り、痛みでさえ快楽となり、終わりのない快楽の中で意識を奪われていった。
薄れゆく意識の中でもはや痛みも快感もなく、ただ首元にかかる吐息の熱だけを感じていた。
意識が朦朧とし視界も霞む中、紅い瞳の麗人の姿だけがハッキリと浮かび上がっていた。
お読みいただきありがとうございます。
バトルシーンは本当に久しぶりな気がして、上手く書けているのか心配です。
そして激おこのアルクラドさん、飯食ってる時とは違い、今回は苛烈でしたね。
もうあと何話かで4章終了です。
次回もよろしくお願いします。