魔族の襲来
ギルドの前で3人の男女と相対するシャリー。
彼女の前に立つ美しい女性の口から、とんでもない言葉が発せられた。
魔王の配下となれ。
「それは、一体……」
シャリーには魔王の配下に誘われる理由もなければ、配下となるつもりもない。何かの冗談だと笑い飛ばすのが当然だろう。
しかし目の前に立つ女性はかなりの強者であり、人間ではなかった。それを感じ取ったからこそ、彼女の言葉を戯言と決めつけることができなかったのである。
「そのままの意味さ。アンタは人魔大戦の英雄の血を引いてるんだろう? その力は魔王様の助けになる。だからこうして誘いにきてやったんだ、光栄だろ?」
シャリーにとっては迷惑な話だが、彼女は自分の誘いを断られるとは思っていないのか、自分の言葉に一切の疑いを持っていなかった。
「私はこの町を離れるつもりはありません。その魔王様という方には申し訳ありませんが、お誘いはお断りします」
魔王という人物が、自分の力をどの様に評価したかは分からない。ただどう評価されたとしても、シャリーはセーラノから離れるつもりはなかった。
「何だって……? 魔王様はこれから世界を支配される。その偉業の力になれるのだ。何故断る!?」
女はシャリーの言葉が信じられなかったのか、心底驚いた表情を見せる。
「私は両親から戦争の愚かさを教えられました。世界を支配する為の戦いになど、力を貸すことはできません」
魔王がシャリーの力を欲した理由は、想像以上にくだらないものだった。
互いが分を超え欲を出し領土拡大を図ったことが、何百年も続く悲惨な戦争、人魔大戦を引き起こしたのだ。それを再び引き起こそうなど、シャリーには到底許せないことだった。あれがなければ、父と母は違った人生を歩んだかも知れなかったからだ。
「……ふんっ。英雄の力と一緒に、あの腑抜けた性格まで引き継いだ様だね」
「何ですって……?」
落ち着きを取り戻した女の挑発めいた言葉に、シャリーが敏感に反応する。その声には、シャリーらしからぬ怒気が含まれていた。
「戦いを放棄しエルフの女を娶るなど、腑抜け以外のなにものでもないだろう! アタシ達の一族は今でも裏切り者の謗りを受けている。それも全てアンタの父親のせいだ!」
激昂する女。
父の行為が、今も1つの種族に影響を及ぼしていることに驚いたが、シャリーも引くわけにはいかなかった。父の行為は尊く素晴らしいものなのだから。
「それは父のせいではありません! 愛する2人が1つになることに種族の差など関係ありません。それを悪だと言うのは、この世界の人々の心の問題でしかありません」
「アンタに何が分かる! たった1人の過ちで、同胞からも蔑まれるアタシ達の気持ちが!」
「貴女こそ! 誰からも認められず、人目を避けて生きなければならなかった人の気持ちが分かるのですか!?」
お互いに感情が高ぶり、言葉が苛烈になっていく。2人の女性の言い争いに周囲の注目が集まるが、怒気と共に漏れ出た2人の魔力が周囲を圧倒し、誰も近づこうとはしなかった。
「ちょ、ちょっとそこの姉ちゃん。あんたみたいな美人さんがそんなに声を荒げるもんじゃねぇよ。それに薄汚れも何を突っかかってんだ? さっさと山に引っ込んでろよ」
そこに1人の男が割って入った。この町で長く冒険者を続けている男だ。
女に近付きその美貌を目の当たりにしたことで鼻の下を伸ばし、シャリーに対しては蔑みの目を向けている。
突然の乱入に訝しげな表情を見せる女。対してシャリーは威勢をなくし萎縮してしまった。
「へぇ……アンタ、この女のことを知ってるのかい?」
女は割り込んできた男とシャリーの態度を興味深そうに見つめながら、そう尋ねた。男は美人に見つめられ舞い上がり、頬を赤くしながら得意げに話を始める。
「そりゃ、セーラノに長く住んでる奴ならみんな知ってるさ。薄汚れのシャリー。俺がガキの頃からセーラノ山に棲みついてる、エルフの国を追い出された半端者さ」
男は、女が眉をしかめていることに気付かず、話を続ける。
「まぁ、俺らに危害を加えたりはしねぇけど、一緒にいると町の連中からいい顔されねぇぜ? 何を言い合ってたか知らねぇが、一緒に酒でも飲んで忘……」
「アンタは、どうしてこの女がエルフの国を追い出されたか、知ってるかい?」
女は言葉を被せる様に男に尋ねる。
「えっ……? そいつは知らねぇけど……」
男は首を傾げつつ、戸惑いがちに答える。
幼い頃からバカにしてきた相手だが、山で暮らしていることしか知らなかった。シャリーの来歴やその親について、噂程度にも聞いたことがなかったのだ。
「そうかい。それじゃあ良いことを教えてあげるよ」
「まっ、待ってください!」
嫌らしく唇を歪める女。シャリーは慌てて制止するが、女は止めない。
「こいつの母親は、魔族の嫁になったことでエルフの国を追放されたんだ」
周囲を囲む者達の耳に、女の声が漏れなく届いていく。想像もしていなかった内容に、周りは静まりかえっている。
「この女は魔族の血を引いてるんだよ」
シャリーがひた隠しにしてきた事実が、ついに町の人間に知られてしまったのである。
シャリー達を中心にした人だかりに、ざわめきが広がっていく。それぞれが魔族という言葉を口にし、お互いに首を傾げあっている。
魔族など見たこともない人間がほとんどであったが、その意味するところを理解すると、視線が一斉にシャリーに向く。
「魔族だって!?」
「俺達を騙してたのか!」
「ふざけやがって!」
「俺達の町から出て行け!」
今まで以上の罵詈雑言がシャリーに襲いかかる。
人魔大戦が終結し300年。魔族が人族の領土に現れることは極めて稀で、多くの者は魔族を見たことがない。魔族領から離れている北の国ではなおさらだ。
暴言の嵐に晒されるシャリーは、瞳が揺れ身体が震え、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
自分の存在が否定され、今度こそ町や山にいられなくなってしまう。それを考えると怖くて仕方がなかったのだ。
「みんな、アンタにはいなくなって欲しいみたいだねぇ……アンタがいくら町にいたいと思っても、居場所なんてないんじゃないかい?」
そんなシャリーに女は追い打ちをかける様に言う。
これだけ町の人間から罵詈雑言を受ければ、町を出たくもなるだろう。加えて人族に憎しみを持ち、魔王軍の力になるだろう。そんな打算もあった。
「私はっ……騙す、つもりなんて……」
必死に弁明するシャリーだが、周囲の圧力に押されその声は今にも消え入りそうだ。違います、違うんです、とうわごとの様に繰り返し呟いている。
「ところで姉ちゃん……なんであんたは、薄汚れが魔族だって知ってるんだ?」
男の単純な疑問。生まれた時からセーラノに住む自分が知らないことを、どうしてこの町に初めて来たであろう女性が知っているのか。
「あぁ、それはね……」
女は何でもない様に言い、両隣の大男へ目配せをする。
「アタシ達も、魔族だからだよ!」
女の言葉と共に2人の大男がローブを脱ぎ捨てる。
ローブの下から現れたのは、筋骨隆々の大男。しかし人間と異なるのは、下あごから2本の牙が伸び、額には短い角が生えている。
大鬼。圧倒的な怪力を誇る魔族だった。
突然訪れた静けさ。
しかし誰かのひと言で、周囲は大混乱に陥った。
「お、大鬼だっ!!」
「みんな、逃げろ~!!」
我先にとシャリー達から離れていく町人達。そんな彼らを見下す女。
「情けない連中だね。戦いもせずに逃げるなんて……」
そう言って女がシャリーを見れば、町人が逃げた方へ視線を向けていた。絶望の中に僅かに安堵の混じった複雑な表情をしていた。
「アンタを罵るばかりか、いざとなれば我が身可愛さに逃げ出す連中だ。こんなとこ、さっさと出てった方がいいんじゃないのかい?」
女は繰り返しシャリーを煽る。だが、シャリーは頷かない。
「私はこの町にはもういられないのかも知れません。でも世界を支配する為の戦いになんか、絶対に参加しません!」
シャリーの正体は町の人間にバレてしまった。数日も経てば町のほとんどが知ることになるだろう。そうなれば町はシャリーの立ち入りを禁止するかも知れない。更には山からも追い出されるかも知れない。
それでも戦争に荷担するわけにはいかない。父や母、そして自分の様な者達を増やさない為にも。
「そうかい……でもね、アタシもアンタに来てもらわなきゃ困るのさ。アンタ達っ!」
断固拒否するシャリーに対してそう言うと、女は2体の大鬼に指示を出す。
「「グゥワアアァァ!!」」
へい、と返事をした後、彼らが大きく雄叫びを上げた。
「な、何をっ!?」
腹の底から響く様な声に驚きながらも、シャリーは怯まずに女を睨みつけている。
「アンタも帰る所がなくなれば、アタシ達に着いてくる気にもなるだろう?」
「何ですって……?」
女の言葉に、シャリーは訝しげに眉をひそめる。
「この町を、滅茶苦茶にしてやろうと思ってね」
容赦の無い女の冷たい声。
それに続く様に、多くの魔物の雄叫びが町の中に響き渡ったのである。
町中に響き渡る魔物の雄叫びと逃げ惑う人々の叫び声。セーラノの町は恐怖と混乱に陥っていた。
「何てことを……今すぐ止めさせてください!」
「アンタがアタシ達に付いてくるなら止めてやるよ。魔王様からは人族を殺せとも殺すなとも命令されていない。ここの連中の生き死にはどうでもいいからね」
必死に訴えるシャリーだが、女はそれに取り合うつもりは一切ない。止めて欲しければ軍門に下れと、執拗に迫ってくる。
「あぁ……全員が死ぬまで黙っててもいいよ。アンタを心底蔑んでた連中だ。全員死んだ方が、アンタも嬉しいだろう?」
それどころか、更に町の人間を虐殺させる為に、魔物に命令を下す。
「止めなさいっ! さもなければっ……!」
愛する町に住む人達が魔物の脅威に晒され、シャリーの怒りが高まっていく。それに呼応するかの様に、普段使うことのない魔力が溢れ出てくる。
「へぇ、大した力だ。けどいいのかい? アタシ達が死んでもアイツらは止まらない。余計に酷く暴れるだけだよ?」
魔物には死ぬまで暴れろと命令してあると言う女。その命令を解除できるのは2体の大鬼だけだと。
「くっ……」
悔しさに顔を歪めるシャリー。
「どうするんだい? 早くしないとみんな死んじまうよっ?」
更に煽る女。
シャリーは激しい葛藤に苛まれていた。人魔間の戦争に荷担するなど言語道断。しかし今この町が危機に晒されているのを黙って見ているわけにもいかない。
「……分かりました。貴女に付いていきます」
長い沈黙の後、シャリーは町の安全を選んだのだった。
「よし。おい、アンタ達」
女は満足げに頷くと、大鬼に指示を出す。オーガは再び吠えると、町中の魔物の叫びが徐々に小さくなっていくのが分かった。
ホッと安堵の溜息をつくシャリー。そんな彼女に、女は唇を歪めながら言う。
「それじゃあ魔王軍、最初の仕事だ。この町にいる人族を、皆殺しにしな」
「なっ……!? そんなこと出来るわけがっ……!」
「やっぱり、口だけだったんだね」
驚愕するシャリーに、溜息をつく女。それに続き大鬼が吠える。
再び町の中が、恐怖と混乱に包まれた。
「もう容赦はしない。この町の人間は皆殺しだよ」
「くっ……」
冷たい目でシャリーを睨む女。何か方法はないかと必死に思考を巡らせるシャリー。
相手が1ヶ所に固まっているなら方法はいくらでもある。しかし今の様に広範囲に散らばっていると、1体1体倒している間に他の誰かが襲われてしまう。
『町にいる全ての冒険者に緊急依頼です! ギルドからの緊急依頼です!
現在多数の魔物を確認! 町が襲われています! 直ちに魔物の討伐にあたってください!』
その時、声を拡散させる魔法を使った、ギルドからの通達が町に響き渡った。町の冒険者達に魔物の討伐を呼びかけたのだ。
これなら、とシャリーは思った。
「空を旅往く精霊よ、我は汝に希う……愚鈍なる汝が友に、風の景色を見せ給えっ!」
シャリーの周囲に風が集まる。エルフが得意とする精霊に助力を願う魔法で、その身に風の速さを宿すことができる。
「この町の冒険者達はみんな強い人達です。魔物に負けるようなことはありません!」
シャリーはそう言って、ギルドの前から風の様な速さで飛びだしていった。町にいられるのはこれが最後かも知れない。ならば精一杯町の為に戦おうと。
「ふんっ……」
そんなシャリーの姿を女は腹立たしげに見ていたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回から徐々にバトルパートに入っていくと思います。
飯ばっか食ってるアルクラド、出番はあるのか!?
次回もよろしくお願いします。