セーラノの名物
セーラノの町に到着した翌日。
熊の狩猟依頼をこなし、ひとまず町での滞在には充分な資金を得たアルクラドは、美味しい食事を提供する店を見つける為に町中を歩いていた。
山のすぐ傍にある町らしく、肉やキノコなど、山の幸を売る屋台や店が多いように見受けられた。その中でアルクラドが特に目を引かれたのが、食堂を表す看板が熊の形になっている店だった。
昨日、セーラノ山で熊を狩ったこともあり、アルクラドはその店で食事を取ることにした。
「いらっしゃいませっ」
店に入ると溌剌とした気持ちのいい声とともに、ガヤガヤとした喧騒が聞こえてきた。
店の中はよく繁盛していた。
しばらく仕事をするつもりのないアルクラドは、料理屋が開くであろう昼鐘時の初めに店を訪れたのだが、多くの人が仕事をしているであろう時間帯にもかかわらず、店の中は多くの人で賑わっていた。
客の比率は男性が高く、その多くは鍛えられた肉体を持つ大柄な男達であった。
その中で1人の女性が、料理を配膳して回っている。
肩までかかる茶色の髪を1つに括った彼女は、整った顔立ちながら少しふくよかな、全体的に丸みのある女性だった。
「どうぞ、好きな所に座ってくださいっ」
彼女はアルクラドを見つけると、笑顔でそう言い店の奥へと引っ込んでいった。店の男性客のほとんどが料理を食べる手を止め、彼女を目で追っていた。そして彼女が店の奥に消えると、再び料理に手を付け始めた。
その様子を横目で見つつ、アルクラドは壁際に空席を見つけ、そこに座る。
席に着き、何を食べようかとアルクラドは考える。
周りの客達のテーブルを見れば、同じ料理を食べている者が多かった。野菜と一緒に煮込んであるだろう肉は、よほど柔らかく煮込んであるのか、皆スプーンで割きながら肉を食べていた。
「お待たせしました。注文は何にしますか?」
先程配膳をしていた女性が奥から注文を取りにやってきた。
「この店で一番美味い料理は何だ? 客達の多くが同じ物を食している様だが」
大勢の人が食べているのなら、それだけ美味しいのだろう。そう思い、アルクラドは周りが食べている肉の煮込みらしき料理が気になっていた。
「そうですね。セーラノ熊の煮込みがうちで一番人気の料理です」
「では、それを貰おう。他に美味い物はあるか?」
その煮込み料理は大きな器で提供されており、身体を酷使する頑強な男達の腹を充分に満たすものだったが、アルクラドの腹を満たすほどではない。他に美味しいものがあるなら、それを注文することに躊躇はない。
「そうですね。今日はとても新鮮で状態のいいセーラノ熊が手に入ったので、生で食べるのが美味しいですよ」
「ではそれも貰おう」
アルクラドがそう言うと、店の中が一瞬の静寂に包まれ、次いでどよめきが生まれる。密かに女性とアルクラドの会話に聞き耳をたてていた男達が、口々に騒ぎ立てている。
生肉を頼んだぞ、と。
「ごめんなさいね。生肉が怖くて食べられないくせに、興味はあるみたいなんです」
男達の囁きを聞いた女性は、周りに聞こえる様な大きな声でアルクラドに謝罪する。アルクラドはそもそも謝罪される意味が分かっていなかったが、店の中にいた男達は彼女の言葉に大きく反応する。
「そりゃないぜ、アミィちゃん! 生肉なんて食えねぇよ!」
「そうだぜ! 腹でも壊して仕事ができなくなったらどうしてくれんだ!」
男達は臆病者呼ばわりされたことに憤っている風だが、そこに怒気は含まれてはいない様だ。
「何よ。父さんの目利きを疑うっていうの? 私も食べたって言ったのに怖がっちゃってさ、あんた達それでも山男や冒険者なの?」
気迫はなくとも強面の男達の大声に、アミィと呼ばれた女性は怯む様子もない。この手のやりとりは、日常茶飯事なのだろう。
「ごめんなさいね。すぐに料理、持ってきますね」
初めての客の前でいつものやりとりをしたことに恥ずかしさを覚えたのか、アミィは頬を赤く染め店の奥に引っ込んで行った。
男達はそんな彼女とアルクラドを交互に見た後、自分達の食事に視線を戻したのだった。
「お待たせしました!」
しばらくしてアルクラドの下に料理が運ばれてきた。熊肉の煮込みと、熊の生肉である。
熊肉の煮込みは全体的に色の濃い料理だった。肉も野菜もそれぞれが濃い茶色に染まっている。立ち上る香りから獣臭さは感じられず、脂の甘さやほのかに果実の爽やかさが漂っていた。
一方生肉の方は、薄く切られており、肉と脂身が綺麗に層として分かれている。赤黒い肉の周りに真っ白な脂身が薄くついている。また表面には何かの液体がふりかけられており、ほのかに香ばしい香りが漂っていた。
そのあまり美味しそうとは言えない見た目に口元を歪めながら、それでも男達は興味を引かれている様だった。多くの視線がアルクラドの手元に注がれている。
男達が見守る中、アルクラドはまず煮込みに手を付ける。温かい料理は温かいうちに、だ。
ひと口には大きい肉塊をスプーンを使って割く。ほとんど力を入れていないのに、スッと吸い込まれるようにスプーンが肉に沈み込んでいく。肉はホロホロと崩れ、溶け出した脂身で全体が照り輝いている。
口に含めばスプーン越しに伝わってきた柔らかさそのままに、口の中でほどけていく。コクのある脂が溶け出し、僅かに残った肉の線維を噛みしめれば、野性味溢れる旨味が湧き出てくる。その2つが合わさり、口の中がとてつもない満足感でいっぱいになっていく。
野菜もまた美味であった。
芋は形を保っているのが不思議なほど柔らかく、具材から出た旨味を全て吸い込んでいる。とてもシャキシャキしている薄く切られた野菜は独特の土っぽい香りがあるがそれが料理の味と香りに深みをもたらしていた。キノコは薄いかさが重なり合った形をしており、ジャクジャクとした不思議な食感であった。その旨味は熊肉に匹敵するほどで、互いが旨さを引き立て合っていた。
量、味ともにかなりの満足感を得られる料理であった。
次に生の熊肉に手を付ける。
肉にかけられているのは花の小さな実から取れた油であり、焙煎して搾油する為、独特の香ばしい香りを放っていた。油と一緒に塩もふりかけられており、小さな粒が表面に見てとれた。
その内の1枚を口に入れる。
加熱した肉にはない、グニグニとした弾力があった。
初めに塩の味と香ばしくも華やかな油の香りを感じた。まだ肉の味はよく分からない。
しかし噛むにつれて肉が潰れ、その味が滲み出てきた。血に似た鉄の様な風味があり、それは決して臭いものではなく、滋味深く力強い味わいであった。徐々に口の中の温度で肉の脂が溶け出し、コクのある甘味も感じられる様になってきた。
肉、脂、塩、油の味と香りが渾然一体となり、いつまでも余韻が続く極上の味わいを作り上げていた。
「どうですか……?」
表情を変えずに食べ続けるアルクラドに、アミィは、美味しくなかったのだろうか、と少し不安に思い尋ねた。
「非常に美味だ。煮込みもだが、生の肉も美味い。生に近い魚を食した事があるが、これはそれ以上だ」
生熊肉の味が余程気に入ったのか、アルクラドは煮込みそっちのけで生肉を完食してしまった。
「この生の肉はいつでも食せるのか?」
生肉を毎日食べたいと思ったアルクラドは、アミィに尋ねる。
「毎日はないんです。新鮮で状態の良い肉が入った時にしか出せないんです」
よく注意をしなければ生肉を食べるのは、危険を伴う。その為、この店の主人であるアミィの父親が目利きをし、絶対に大丈夫だと判断した肉がなければ、生肉は提供されない。
「状態の良い肉とはどの様な物なのだ?」
「新鮮なのはもちろんですが、熊が死ぬまでに余り暴れてないものが良いんです。暴れる時間が長いと肉の味が悪くなるんです。今回仕入れた肉は、頭をひと突きで仕留められた熊だったので、生で食べるのに最高のものでした」
良い状態の熊について尋ねると、どこかで聞いた獲物の状態だった。
「それも冒険者の人が、たった1人で5頭も狩ってきたらしいんです」
昨日のアルクラドであった。
「それは我が狩ったものであろう」
「えっ!? ほんとですか!?」
まさか目の前に仕入れた肉を狩った人がいるとは思わず、驚くアミィ。
「うむ。昨日、セーラノ熊の狩猟の依頼を受けた。5頭の熊を、頭を刺し仕留めたのは我だ」
「凄いっ! うちに来る冒険者で1人で仕留めれる人も少ないのに、1人で5頭も狩るなんて!」
大げさに驚きアルクラドを褒めたてるアミィ。確かに凄いことではあるが、大げさに褒める他の理由も混じっていそうで、店の中の男達はアルクラドに恨みがましい視線を向けている。アミィの頬が若干上気している気がするのも、それに拍車をかけていた。
「皮も全く傷ついてなくて、革加工の人も大喜びだと思いますよ」
「ふむ。毎日あの様にして熊を狩れば、毎日生の肉が食えるか?」
ある程度の金を稼いだアルクラドなので、これ以上金を貯めようとは思っていない。しかし美味しい食事を食べられるとあれば、依頼に精を出さないわけにはいかなかった。
「生肉を出してるのはうちくらいですし、多分食べられると思いますよ」
「そうか。熊を狩り、ギルドなりこの店なりに届けるとしよう」
セーラノの町に滞在中、他にも色々な店で食事を取るつもりのアルクラドだが、その中に熊狩りの日課が追加された。
「非常に美味であった。また来よう」
アルクラドは席を立ち、食事の代金を支払い、店を後にした。その背中に、アミィは少し残念そうな、男達はホッとした様な視線を送っていた。
アミィの料理屋を出たアルクラドは、ギルドへ向かっていた。セーラノ熊の狩猟依頼があるかを確認する為と、シャリーから果物を買う為だ。
ギルトが見えてくると、入り口の前に薄汚れたローブを被った少女がかごを携えて立っていた。そのかごは昨日よりも大きなものだった。
「シャリーよ、随分と果実が取れた様だな」
「いらっしゃい、旦那! いつもより早起きして沢山取りましたよ! 朝採れだからすっごく美味しいですよ!」
アルクラドが声をかけると、金貨が写り込んでいる様な目でアルクラドにかごを見せるシャリー。かごの中は熟れた果物で満たされており、甘い香りが立ち上っていた。
「確かに昨日よりも良く香っておる。取る時が変われば味が変わるとは、食すのが楽しみである」
昨日よりも良い香りを放つ果物にアルクラドの期待は高まっていく。
昨日と同様に、シャリーの言い値で全ての果物を買い、その場で食べていくアルクラド。ギルドから出てくる人間に奇異の目で見られつつも、それを気にすることなく良く熟れた秋の果実に舌鼓を打つアルクラド。
「うむ、美味だ。昨日の物より甘味が強いな」
「でしょう? 朝の薄暗い山で探すのは大変ですけど、頑張ったかいがありました」
シャリーはそう言いながら、金の入った革袋の重さに笑みを浮かべる。
「ところで旦那は、いつまでセーラノにいるんですか?」
一転してシャリーは真剣な顔でアルクラドに尋ねる。
「決めてはおらぬ。ただ美味い食事を出す店を見つけた故、暫くは滞在するつもりだ」
他ではまず食べられない熊の生肉を、もうしばらくの間、食べていたいと考えているアルクラド。少なくとも1日、2日で町を離れるつもりはなかった。
「ほんとですか!? 私、毎日たくさん果物取ってきますから、買いにきてくださいね!」
「うむ。これだけ美味い果実なら毎日来よう」
「ほんとですか!? 絶対来てくださいね!」
「我は嘘は好まぬ」
アルクラドの滞在を知り大げさに喜ぶ。その表情は即物的な笑みで満たされていた。
「また来よう」
果物を全て食べ終えたアルクラドは、シャリーに別れを告げてギルドの中へ入っていった。
「旦那っ、明日も待ってますよ!」
その背中へ笑顔で声を掛け、シャリーは山へと戻っていった。その背中は、明日もたくさん稼ぐために、山の金のなる木から果実を山ほどもぎ取ろうと、意気揚々だった。
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