疎まれ者の少女
アルクラドの獲物を横取りしようとする男達の嘘を証明する少女は、多数の視線に晒されて縮こまっていた。
平時であれば人の目を惹きつけるだろう新緑と黒紫の瞳は、恐怖に怯え震えている。
男達は冒険者なのか武器を帯び、確かにその眼力は鋭い。そんな男達に睨まれれば、小柄な少女が怯えてしまうのも無理はない。
「嬢ちゃん、何だって?」
男達は更に目つきを鋭くさせ、低く唸る様な声で少女に尋ねる。
「あなた達は嘘を吐いてる、と言ったんです。その熊を運んできたのはその真っ黒な人です。私は見ていました。他の人だって見てたはずです!」
少女は声を震わせながらも、アルクラドと男達のどちらが嘘を吐いているかをはっきりと主張する。
「こいつがこの熊を運んでるのを見たって奴はいるのか?」
そう言って、男の1人が睨みつける様に辺りを見回す。その手は腰の剣に添えられている。
周りの者達が一斉に目を逸らした。
冒険者の起こす諍いは端から見ている分には楽しいが、その当事者になってしまってはどうなるか分かったものではない。彼らは巨大な獣や魔物を狩れるほどの力を持った者達なのだから。
目を逸らした者の中には冒険者らしき者もいた為、アルクラドに絡んでいる冒険者はそれなりの実力者なのかも知れなかった。
「ふん、誰もいねぇじゃねぇか」
視線を少女に戻し、男の1人が言う。
少女は歯痒そうに歯を食いしばっていたが、それを見て何か思ったのか周囲から1つの声が上がった。
「お、俺は見たぞ。その人がそれを運んでるところを」
不正を許すまいと屈強な冒険者に向かった少女の勇気に当てられたからか、それを見捨ててしまいそうだった自分の弱さに恥じ入ってか。1人が声を上げると、それに釣られてどんどん3人の冒険者を糾弾する声が広がっていく。
「これだけの者達が、其方らが嘘を吐いていると言っているが、それでも尚、我を嘘吐き呼ばわりするつもりか?」
今まで黙っていたアルクラドも、この状況であれば男達も諦めるだろうと声を発した。
「嘘を認め去るならば良し。でなければその命、散る事になるぞ」
アルクラドは剣を抜き、男達に剣先を突き付ける。その冷たい輝きとアルクラドの鋭い眼光を見て、男達はようやく思い至った。目の前の男が1人でセーラノ熊を狩ったことに。
「くそっ! 荷物を放り出してるお前が悪いんだ!」
「邪魔だ、どけっ!」
流石に不利な状況だと悟ったのか、男達は悪態を吐きながら、その場を離れていった。
男達が去ったことで安堵したのかホッと息をつく少女の視線は、アルクラドへと向けられていた。周りにいた見物人達も騒ぎが収まった為、自分達の用事へと戻っていった。
がその時、セーラノ熊の窃盗騒ぎとは別の声が聞こえてきた。
「何だ、勇気のある嬢ちゃんがいると思ったら、薄汚れのシャリーじゃねぇか!」
その罵声はボロボロのローブを被った少女へと向けられたものだった。
「何だよ、気合い入れて損したじゃねぇかっ」
シャリーと呼ばれた少女に向けて、次々に罵声が飛んでくる。彼女は表情を一転させ、ただ俯き言葉の嵐が過ぎ去るのを待っている。
見物人の中には今の状況が分かっていない者もいたが、納得の表情を浮かべている者もいた。つまりこの光景はそれほど珍しいものでもないのだろう。
「この町に入って来るんじゃねぇ!」
誰かが地面に落ちていた石を彼女に向けて投げつけた。
俯いていた少女にはそれが見えず、防ぐことも躱すことも出来ず、石が頭に直撃した。
その衝撃と痛みに少女は顔をしかめる。歯を食いしばり涙を流すまいと痛みに耐えている。
俯くローブから彼女の髪が垂れている。金髪と一条の漆黒の髪。着飾れば新緑と黒紫の瞳と相まって、その美しさで人々を魅了するだろう。しかし薄汚れの名の通り、髪もくすんでおりみすぼらしい様子だった。
少女はただ俯き、心と身体を傷つける脅威にじっと耐えるのだった。
シャリーと呼ばれた少女を襲った罵詈雑言の嵐は、それほど長い時間は続かなかった。
一通り彼女を罵ったことでスッキリしたのか、周囲にいた者達はそのまま少女の下から離れていった。
先程まで状況を把握していなかった者達も、シャリーの置かれている状況を理解したのか、足早にその場を去っていった。
そうしてギルド前に残っているのはアルクラドとシャリーだけになっていた。
「薄汚れのシャリーよ、其方のお陰で面倒を避ける事が出来た。礼を言う」
薄汚れが蔑称であることにアルクラドは気付いていない。少女も言われ慣れているのか蔑称に対しては違和感を覚えなかったが、礼を言われたことにはそれを覚えた様だ。
「礼の代わりに其方の売り物を買おう。山の幸を売っていると言っていたな」
手段を選ばなければ、あの程度の男達を黙らせるなど、アルクラドには容易いことだ。しかし暴力沙汰になれば確実に騒ぎは大きくなるし、何よりアルクラドからは攻撃をすることはできない。少女のお陰で問題が早く解決したのも事実なのである。
「私から買ってもらえるんですか……?」
少女は戸惑いを隠せなかった。
自分を薄汚れと呼ぶ人間は、何もかもが薄汚れだと言ってまともに取り合ってくれることはなかった。食料など、食えたものじゃないと見向きもされなかったのだ。
「うむ。山の果実とやらが気になる。山に入り、目に付く物を食したが、どれも渋く酸い物だった。美味い果実などあるのか?」
アルクラドは困惑している少女の様子に気付かない。アルクラドの、その何の含みも持たない態度に、シャリーは嬉しさを感じると共に不気味さも感じ取った。
しかし売り物を買ってくれるということは久々の収入を得ることができる。この機会を逃してはいけない。そう思った。
「それは保証します。私が山を探し回って見つけた極上の果物達です。美味しすぎてホッペタが落ちちゃっても知りませんよ!」
「何と、その様な果実が在るのか? 人族が食せる物なのか?」
シャリーの比喩を言葉通り受け取ったアルクラドは、困惑する。人族に限らず多くの生き物は頬が落ちれば大事だ。しかし驚異的な再生能力を持つ吸血鬼であれば何の問題も無い。
「全て貰う。この熊を金に換えてくる故、暫し待っていろ」
アルクラドは熊を担いで、急いでギルドの裏口へと向かった。頬の落ちる果実を食べる酔狂な人族がどれほどいるか分からないが、なくなってしまってはいけないと思ったからだ。
そんなアルクラドの背中を、シャリーは首を傾げながら見つめていた。変な人だなぁ……と。
アルクラドがギルドで依頼の完了報告を終えて外に出てきた時、シャリーは先程と変わらずローブを目深に被り、扉の外で待っていた。
アルクラドは手にしたばかりの金貨を握り彼女の下へ行く。
今晩の宿に泊まれるかも怪しかったアルクラドの所持金は、金貨6枚まで跳ね上がっていた。
セーラノ熊を傷つけなかったことの追加報酬が予想以上だったのである。
セーラノ熊は、その肉は食用となり、毛皮や爪は武具などの材料として使われる。爪が折れたり毛皮に傷があれば利用価値が下がり、その分、追加報酬も減っていく。
しかしアルクラドの仕留めた熊は、額以外に傷のない完璧な状態だったのだ。
完璧な一枚皮の取れるセーラノ熊など、そうそう出てくるものではない。それが1度に5頭も持ち込まれた為、追加報酬をはずんでくれたのであった。
「頬の落ちる果実はいくらだ? 全て言い値で買おう」
元よりアルクラドに値段交渉をする気もできる技術もないが、礼の一環としてできるだけ多く金を使おうと考えていた。
「旦那さん、ホッペタが落ちるっていうのは例えですからね。それくらい美味しいってことで……えっと全部だと、大銅貨3枚です」
これが普通の相手なら冗談めかして言っているだけと分かるが、アルクラドの場合は本気で言っていそうな感じがしたので、念の為に比喩だということを教えておく。
「喩え……つまり落ちぬのだな。大銅貨3枚だな」
本当に頬が落ちると思っていたアルクラドは、それが喩えだと知り残念がる。誰にも分からない溜息を吐きながら、金貨をシャリーに手渡す。
「えっ……金貨!? あの、お釣りがありません……」
シャリーは困った。良く熟れた果物とはいっても近くの山に生っているものを取ってきているだけなのだ。1つの価格は銅貨数枚程度。金貨での支払いなど想定しておらず、釣りなどあるはずがない。
「何……?」
対するアルクラドも困ってしまった。
先程までほとんど金のない状態だったため、金貨以外だと銅貨数枚しか硬貨を持っていない。多少であれば釣りなど気にしないが、流石に大銅貨と金貨の差を多少で済ますほど金銭感覚は狂っていなかった。
「であれば、其方の売り物を全て買おう。干し肉なども売っていると言っていたな」
「えっと……それを合わせても、銀貨2枚くらいにしかならないんですが……」
果物に比べて干し肉は手間もかかっているし味を良くする為の工夫も凝らしている。なので果物よりは高い値付けをしているが、それでも常識的な値である。
薄汚れと呼ばれ町に長く住む人間からは相手にされない為、流れの冒険者を狙うしかなく、彼らはギルドと繋がりのある店から買うことが多い。信用のないシャリーがそこと勝負するには値段しかない。そのため価格も町にある店よりは安くしている。
2人は沈黙のまま見つめ合っていた。
見かねた誰かが、ギルドで両替すればいい、と提案をしてくれるまで。
「うむ、確かに美味だ」
シャリーから買った果物をその場で食べたアルクラドは、そう言って頷いていた。
アルクラドが山で食べたのもは、どれも硬い食感で、渋味と酸味が強いものだった。中には酷いえぐ味を感じるものもあり、食えたものではなかった。
対してシャリーから買った果物は、手に持った瞬間からその柔らかさが伝わってきた。皮を剥くまでもなく甘く匂い立っており、その美味しさを否が応でも想像させた。
濃い赤色の手のひら大の果物は、柔らかさの中に不思議な歯ごたえがあり、それでいて蕩けるような口当たりだった。固体が口に入れた途端に液体になっていくかの様に果汁が溢れ出してくる。ひたすらに甘いがそこに嫌味もクドさもなく、いくらでも食べられそうだった。
シャリーの言ったとおり、頬が落ちたとしても食べたい美味しさだとアルクラドは感じた。
そのままアルクラドは、シャリーから買った果物をギルドの前で食べ続けた。彼にとっては屋台での買い食いの様な感覚だったが、その食べっぷりを始めてみるシャリーは驚きっぱなしだった。
彼女が果物を入れていたかごは、一抱えもする大きさだ。彼女が小柄であるとはいえ、その量は決して少なくない。しかしアルクラドは腹を空かせた獣か何かの様に、手を休めることなく果物を食べ続けた。
この細い体のどこにそんなにたくさんの果物が入るのか。そんなことを思いながら、シャリーはアルクラドの食べる様子を見つめていた。
あっという間にかごいっぱいの果物を食べ終えたアルクラド。満足そうに頷き、シャリーに言う。
「非常に美味であった。この様な果実であれば幾らでも買おう。其方の言い値でだ」
「本当ですか!?」
アルクラドの言葉にシャリーは驚き、喜んだ。
現金収入を求めて果物や干し肉を売っているが、売れ行きは思わしくない。そんな中、難癖もつけず言い値で買ってくれる客が現れたのだ。シャリーの気分はかなり高揚していた。
「さっすが、旦那っ! セーラノ熊をあれだけ狩ってくる実力者だけはありますね。よっ、太っ腹っ!」
急に元気になり、シャリーはアルクラドを持ち上げ始める。
「……我が金を持っている間はあるだけ買おう。何時でも声を掛けるが良い、森の民と魔人の子よ」
「えっ……」
シャリーの態度の変化とその言葉に首を傾げながらそう言うアルクラドだが、その何気ない言葉に、シャリーは顔を白くする。驚きの余り呼吸が上手くできていない。
「どうした、何をそんなに驚いておるのだ?」
先程まで大騒ぎしていたシャリーが急に黙りこくった為、それを不思議に思うアルクラド。だがシャリーはそれどころではなかった。
「ど、どうして、分かった、んですか……?」
「其方が忌み子である事か? その様な事は視れば分かるであろう」
アルクラドは事もなげに言うが、それはシャリーが今までひた隠しにしてきた事実である。今は亡き両親からも絶対に口にしないようにと言われてきた。
「あの、このことは、誰にも言わないでもらえますか……?」
そもそも人族の中での魔族の扱いは決して良いとは言えない。親に魔族を持つ場合も大差は無い。人魔間の争いが終結し長い時が過ぎたとはいえ、長年の争いは互いの種族間に大きな溝を作った。それがそう簡単に埋まることはなかった。
「分かった。誰にも言わぬ」
「本当ですか!?」
「うむ。我は嘘を好まぬ故、決して言わぬ」
シャリーの顔が再び明るくなる。暗くなったり明るくなったり、表情の浮き沈みの激しい、忙しい少女である。
「我は往く。また会おう」
面倒事を回避した礼をし、購入した果物も全て食べた。アルクラドがギルド前に留まっている理由はもうなく、今宵の宿を探すために立ち去っていった。
シャリーは、改めて不思議な人だと思いながら、その背中を見つめていた。そしてアルクラドが見えなくなった後、思わぬ収入に心を踊らせながら、山にある自身の庵へと戻っていくのだった。
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