山麓の町
皆様、お久しぶりです。
私生活のバタバタも少し落ち着いてきたので、更新再開いたします。
少し間隔開くかもしれませんが、隔日更新できるように頑張っていきます。
街道沿いに大きな山が見える。
山頂に行くのに1日はかかるであろう高い山で、一面が木々で覆われている。
木々の多くは青々とした緑をしているが、ところどころ赤や黄に色付いている。近頃強くなった秋の気配が、生い茂る葉に影響を及ぼし始めたのだろう。
空の高い秋空の下、街道を往く1つの黒い影があった。
幅の広いつば付帽子に、足首まで隠す襟の高い外套。肌を覆う上下の衣服に、手袋と靴。その全てが艶のある黒で、爽やかな空の下で異様な雰囲気を放っている。
その黒ずくめの装いから僅かに覗く髪は銀糸の様に輝き、彫像の如く整った美しい顔は透き通る様に白い。その彩を欠いた中で紅い瞳と朱を引いた様な唇だけが、色彩を放っていた。
陽の下を歩く吸血鬼、アルクラドである。
コルトンの町を出発してから、小さな宿場町を通り、王都まで10日ほどの所まで来ていた。コルトンと王都の間には高い山があり、それを迂回する形でここまでやって来たのだ。
もちろん山を登り一直線で王都を目指しても良かったが、急ぐ旅でもなければ敢えて街道を逸れる必要もなく、道に沿って歩いてきたのだ。
現在、コルトンの町を出て4日ほど経った頃だが、山の麓に立てられた町が見えてきた。
今まで通ってきた宿場町とは規模が違い、この辺りの中心的な町なのだろう。
そろそろ路銀も尽きかけ金策の必要も出てきていた為、アルクラドはこの町に暫く滞在することに決めたのだった。
山麓の町セーラノは、山の斜面に沿って建物が並び立つ町だった。
街道側の比較的平らな所にはごく一般的な民家が並び、土地が高くなるにつれて建物も豪華になっていっていた。
また山が近くにある為、木材が町の収入の1つになっているのか、枝打ちされた丸太や製材された木が町の片隅に積み上げられている。
アルクラドはまずギルドへと向かった。
セーラノの冒険者ギルドは比較的低地部分にあり、すぐに見つけることができた。
ギルドの中に入ると、やはりどこのギルドでも一緒なのか、中にいた冒険者から一斉に視線がアルクラドに向けられた。
その多くが戦いを生業とする者達であり、それはもう習性といっても差し支えなかった。更に言えば、一分の隙もない黒ずくめの恰好をした者など、視線の恰好の的になるのは当然であった。
そんないつものことには気も留めず、アルクラドは依頼板の前に行き、依頼票を吟味する。
この辺りは比較的、魔物の脅威が少ないのか、討伐系の依頼はあまり貼り出されていなかった。あるのはゴブリン退治など低級な魔物が相手のものばかりだった。
だが山が近いという特性上、植物採取や獲物を狩ってくる様な依頼は多く貼り出されていた。
依頼:セーラノ熊の狩猟
内容:セーラノ山に棲むセーラノ熊を狩猟
報酬:1頭につき大銀貨5枚。獲物の傷が少なければ追加報酬あり
アルクラドの目に付いたのは、熊を狩る狩猟の依頼だった。
アルクラドはその依頼を受けるべく、用紙を剥ぎ取り受付へと持っていく。
歩合制かつ単純な狩猟依頼である為、アルクラドが金を稼ぐにはもってこいのものだった。どんな獲物でも容易く狩ることができ、運搬についても人族を遙かに凌駕する力で楽に運べる。
アルクラドは早速依頼を受領し、セーラノ山へと向かうことにした。
セーラノ山へ向かう方法は2通りある。
1つは町を覆う囲いの外に出てから入る方法で、山全体が囲いで覆われていることはなく、好きな方角から入ることができる。
もう1つは町の山側の門から入る方法で、山は曲がりなりにも危険な場所である為、冒険者や許可された者しかこの門は通ることができない。
山に生える植物の採取などであれば麓付近でも行えるが、狩猟となれば山の中腹以降でなければ行うことは難しい。もちろんアルクラドは町の中から門を通って山に入ることにした。
「旦那さんっ、旦那さんっ! 旅のお供にセーラノの山の幸はいかがですか?」
アルクラドがギルドから出てきた時、そう声をかけられた。
目をやれば、ボロボロのローブを頭から目深に被った人物が、大きなカゴを傍らに置きギルドの扉のすぐ傍に立っていた。
声から察するに若い少女で、みすぼらしい服装やそこから覗く細い手足を見るに、貧しい生活をしている様であった。
「小腹が空いていたら、よく熟れた果実はいかがですか? 野営の時に美味しい干し肉はいかがですか?」
小さな身体で腰を低くしながら、アルクラドを窺うように見上げている。その瞳は新緑と黒紫の輝きを湛えていた。
「不要だ」
今のアルクラドには金がなく、何かものを買っている余裕はない。セーラノの山の幸などは気になるが、それを確かめるのも依頼を終え金を得てからである。
「……っ!」
不要だと踵を返そうとするアルクラドに、そこを何とか、と追いすがろうとした少女は、しかしアルクラドの深紅の瞳と視線がぶつかった瞬間、息を飲んで硬直した。
そんな少女の様子に気づきもしないままアルクラドは山へと向かっていく。
少女は身体を震わせ、冷や汗を滝の様に流しながら、その背中を見つめていた。
町の門を通り山に入ったアルクラドは、目、鼻、耳の感覚を研ぎ澄ませ、依頼の対象となる獲物を探知していた。
森の中には様々な生き物の臭いに満ちていた。アルクラドはセーラノ熊の臭いを知らなかったが、山の麓側と山頂側では臭いの種類が違っていた。今までアルクラドは森の浅い所で大型の獣を見たことがなかった。なので山頂側にいるのだろうと思い、山を登っていく。
また山に響く音も山頂側からは重いものが多い。対して麓側では小さく軽いものが多い。大きな獣はやはり山頂側にいるのだろう。
その2つを根拠にアルクラドは山を登っていく。
山の中からも秋の気配は感じることができ、枝先に実を成らせた木々や木の根元に生えるキノコを見ることができた。
アルクラドは目に付き次第それらを手に取り、口に運んでいく。
果物らしきものは皮も剥かずそのままで、木の実やキノコは手のひらに熾した火で焼いてから食べていく。
そのどれもが美味しいと言えるものではなかった。正直に言えば非常に不味く、アルクラド以外の者なら間違いなく吐き出すほどだった。中には渋味や酸味とは違う、舌を刺す様な刺激と焼ける様な熱さを感じるキノコもあった。
そんなことをしながら山を登っていると、段々と斜面が急になってきた。
体力に乏しい者であれば登るだけで息切れをしそうなほどで、非常に動きにくい場所になっていた。
その中で薄く地面が窪んでいる箇所をアルクラドは発見した。
人の手のひらよりも1回りも2回りも大きな足跡であり、恐らくこれがセーラノ熊のものだろうとアルクラドは考える。その考えを裏付ける様に、周囲の木々には人の顔の高さにいくつもの爪痕が残されていた。
同時に大きな獣の息遣いを感じ取った。
土色の混じった茶色の毛皮を持つ、不自然に前足の長い熊だった。前後の足共に太く強靭で、前足には黒々とした太く鋭い爪が備わっていた。目線の高さが人とほぼ変わらない大型の熊だった。
熊は牙を剥き、低い唸り声を上げてアルクラドを威嚇していた。
長い前足を持つ大型の熊。ギルドで聞いたセーラノ熊の特徴と一致する。
獲物の登場にアルクラドは静かに聖銀の剣を構える。
円を描く様にジリジリと距離を詰めるセーラノ熊に対し、アルクラドは無造作に熊に向かって歩いていく。
すぐに互いの距離は縮まり、アルクラドはセーラノ熊の長い前足の間合いに入った。
「ガアァァ!」
腹の底から響く様な唸り声を上げ、セーラノ熊が大きく長い腕を振り回した。その丸太かと思える様な腕に短剣の様な爪が当たれば、人間などひとたまりもないだろう。
しかしアルクラドは既に間合いの更に内側に踏み込み、熊の眉間に剣を突き刺していた。
熊は目を見開いたまま絶命し、山の中に鈍い音を響かせながら地面に倒れ伏した。
アルクラドは息絶えた熊の前に屈み、その死体に手を当てて魔力を放出する。途端に黒い布が現れ熊の死体を包み込んだ。
アルクラドはすぐに立ち上がり、鼻を利かせながら周囲を探り始めた。
セーラノ熊の臭いは覚えた為、すぐに別の個体の臭いを嗅ぎとった。お互いの縄張りの為かすぐ傍というわけではなかったが、少し歩けば見つかる距離であった。
アルクラドは布で包んだ熊を担ぎ、もう1頭の熊の下へと歩き出した。
人の3~4倍はあろうかというセーラノ熊だが、アルクラドにしてみれば大した重さではない。重さよりも嵩張ることの方が煩わしかった。
歩き始めてしばらくすると熊の臭いが強くなってきた。それもアルクラドが歩くよりも早い間隔で臭いが強くなっていく。どうやら縄張りに侵入されたと勘違いし、向こうからやってきたのだった。
斜面に立った大きな木の陰から茶色い巨体が姿を現した。
アルクラドは担いでいた熊を放り出し、足を滑らせる。
セーラノ熊が咆吼を上げる間もなく、冷たい輝きが熊の頭に吸い込まれた。
瞬きの間に熊の命を刈り取ったアルクラドは、再び死体を黒布で包み込んだ。
そうやって、アルクラドはその後、もう3頭のセーラノ熊を狩り、合計5頭のセーラノ熊を狩ったのであった。
アルクラドが町に戻ると、町の中がざわめきに包まれた。
背は高いが線の細い男か女か分からない人物が、巨大な黒い塊を担いで歩いているのだ。本人は軽々とした様子だが、黒い物体は人でいえば10人でも足りない大きさだ。たとえ中身が綿であっても相当な重さになる。
そんな奇異の目で見られていることなど気にも留めず、アルクラドはギルドへ向かって歩いている。
今担いでいる荷をギルドに持っていけば最低でも金貨2枚と大銀貨5枚になる為、町でしばらく過ごすには充分な金額である。
これで気兼ねなくセーラノの食を堪能できると、アルクラドは浮き足だっていた。ただ余人にはその変化を読み取ることはできないが。
すぐにギルドに到着したが、扉の前でアルクラドはある問題に気が付いた。
熊がギルドの扉を通らないのである。
熊の身体はギルドの扉より大きく、1頭でも通らないのである。
ギルドの扉を壊すわけにもいかず、無傷による追加報酬がある為バラすこともできない。
扉と熊を交互に見た後、熊を扉のそばに置き、アルクラドだけでギルドの中に入っていった。
「依頼完了の報告に来た」
受付に依頼票を置く。
「セーラノ熊の狩猟ですね……完了の署名がありませんよ?」
「何……署名……?」
アルクラドは今まで受けてきたギルドが貼り出す採集などの依頼は、ものを提出することで依頼完了となってきた。今回も同様だと思っていたら違った様だ。
「熊を裏に持っていって、そこで完了の署名をもらってください」
「裏へはどうやって持ってゆけば良い? 熊が扉に入らなんだ故、外に置いておるが……」
「大型の獣などは表から入れられないので、裏に専用の受け取り場があります。外を回れば大きな扉がありますからすぐに分かりますよ」
「分かった」
この町で働く冒険者にとって大型の獲物用の裏口は周知の事実なのだが、初めてこの町に来て、大型の獲物を狩る依頼を受けたことのないアルクラドにはそれが分からなかった。
ギルド職員の言葉に従い裏口へ熊を運ぶ為に外に出ると、数人の男達がアルクラドの獲物に群がっていた。
布を解き、セーラノ熊を運び出そうとしている。全員で1頭を運べばいいものを、欲に目がくらんだのか1人1頭ずつ運ぼうとしており、遅々として熊の窃盗は進んでいなかった。
「其方ら、何をしている? それは我の獲物だ」
もちろんアルクラドはそれを咎めるが、ギクリと振り返った彼らはアルクラドを見るなりニヤリと嘲る様な笑みを浮かべた。
「何を言ってやがる、これは俺らの獲物だ」
「そうだ! お前みたいな細っこい奴に、セーラノ熊が狩れるわけねぇ!」
「難癖つけてんじゃねぇよ!」
3人の男達は女の様にも見えるアルクラドを見て、強気な態度に出た。巨大で凶暴な獣であるセーラノ熊を倒した事実には目を向けず、アルクラドの強さをその容姿から判断したのだ。
「何を言う。それは我の物だ、嘘を吐くな」
男達は恫喝紛いの勢いでアルクラドを退けようとするが、その程度の脅しに屈するアルクラドではない。しかしこの男達はなかなかに口が達者な様だった。
「そっちこそ嘘を吐くんじゃねぇよ!」
「嘘ではない。我は嘘は好まぬ」
「俺達だって、生まれてこの方、嘘なんて吐いたことねぇよ!」
「む……」
この言葉が明らかな嘘だった。しかしこの言葉にアルクラドは言葉を詰まらせる。
人が嘘を吐く生き物だとコルトンの町の一件で知った彼だが、熊を狩った本人の前で嘘を吐く意味が分からない。そのせいで混乱してしまった。
正直に言うと暴力で解決しようとも思ったが、まだ刃を向けられたわけでも実害を被ったわけでもない。
大勢の前で人族ともめ事を起こすのは良くないのでは、とアルクラドは動けずにいた。
「嘘つきはあなた達です。そのセーラノ熊を運んできたのは、その真っ黒な旦那さんです! 私はちゃんと見ていました」
すると思わぬところから真実を話す声が聞こえてきた。
声を発していたのは、ボロボロのローブを目深に被った人物で、依頼の出発前にアルクラドに声をかけてきた少女だった。
お読みいただきありがとうございます。
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