家族の再会と魔界
コルトンの町一の大商人、スレーブ・マスタが猫人族の奴隷を購入した証拠を突きつけたアルクラド。物騒な話し合いでその居場所を聞き出した彼は、迷うことなく奴隷が閉じ込められている地下倉庫に到着した。
「鍵が掛かっておるのか?」
倉庫の扉としては小さい、人の出入りがやっとの扉。取っ手に手をかけ押し引きするが扉は開かない。
ベキャッ。
金属がへしゃげ、木が弾け飛ぶ音が聞こえてきた。
「いや、気のせいであったか?」
アルクラドが押し引きしている内に扉が開いた。いや壊れた。元々壊れかけていたのか、アルクラドの力が強すぎたのか。老朽具合を見るに、明らかに後者だった。
アルクラドは蝶番ごと外れてしまった扉を傍らに投げ捨て倉庫の中へ入っていく。
中は申し訳程度に日の光が差しこむ薄暗い空間で、風の通りが悪く空気が淀んでいた。そこに奴隷にされた者達の汗や糞尿の臭いが混じり、鼻を覆いたくなる異臭に満ちていた。アルクラドは無表情で中を見て回っているが、後ろに続くセラは顔をしかめ、手で鼻を覆っている。
倉庫の中はそれなりの広さがあり、100人を超える人が軽く収容できるほどだった。詰め込めば200人や300人は入るだろう。
その中から目的の猫人族を、アルクラドはいとも簡単に見つけ出した。暗闇も真昼のごとく見通す目があれば、薄暗さなど問題にはならない。
「其方らがミャールとニャールの家族か?」
いきなり扉を破壊して中に入ってきた人物に怯えていた奴隷達だが、家族の名前を聞き驚きの表情を見せる。
「ミャールとニャールは私達の子供です! あの子達は、無事なのですか!?」
1組の男女が、慌てた様子で檻の傍までやってきた。2人は夫婦なのか、山猫を思わせる精悍な顔つきの男性と、家猫を思わせる愛嬌のある顔つきの女性だった。よくよく見てみればミャール達と似通ったところがあり、2人の両親なのだろうと思われた。
「2人は無事だ。安全なところで待機している。もう一度聞くが、其方らがミャールとニャールの家族の猫人族で間違いないな?」
檻の中にいるおよそ50人ほどの猫人族が一斉に頷く。小さな集落の為、皆が2人の少女のことを知っているのだろう。
「我は2人から依頼を受け、其方らを解放する為にやって来た。2人の下へ往くぞ」
頑丈な鉄の檻を、紙を破るかの様に破壊するアルクラド。その光景に驚きつつも猫人族達は、次々と檻の外へ出ていく。
「おいっ、俺達も出してくれよ!」
猫人族が全て檻から出た後、倉庫の中の他の檻からそんな声が聞こえてきた。声がした方を見れば、奴隷の入った檻が、もう2つ、3つあった。
「其方らは、ミャールとニャールの家族なのか?」
真面目な顔でそう尋ねるアルクラド。しかし誰がどう見ても、声を上げた奴隷達はミャール達の家族ではなかった。ミャール達の特徴である猫耳や尻尾はなく、獣人としての特徴もない人間だったからだ。
「いや、その子達のことは知らないが、俺達も無理やり奴隷にされたんだ」
獣人の奴隷を助けに来た人物だ。助けを断られることはないだろう。檻の中に残っている全ての人間がそう思った。
「であれば出来ぬ」
空気が止まった。
猫人族だけでなく、セラまでもが目を丸くしてアルクラドを見つめている。奴隷達もまさか断られるとは夢にも思っていなかった。
「我は猫人族の連れ出しの了承は得たが、その他は得ておらぬ。故に其方らを連れ出す事は出来ぬ」
驚きで口が利けぬ奴隷達をよそに、アルクラドは踵を返して倉庫から出ようとする。その余りにも人でなしの行動に、セラはため息を吐きながらアルクラドを制止する。
「他の連中も連れてってやんな」
今度はセラに視線が集中する。
「良いのか? 猫人族に加え他の奴隷までも連れ出せば、今後の其方らの仕事にも影響を及ぼすのではないか?」
アルクラドの言葉に、セラは頭が混乱してきた。
猫人族以外の奴隷はどうでもいいと言い、実際に他の奴隷を置き去りにしようとする。更にスレーブを殺しておきながら、今後の商売の心配をする。矛盾どころの話ではない。またアルクラドがそれを本気で言っているのが余計に性質が悪い。表情の変わらない顔からは判断は出来ないが、とても不思議そうにこちらを心配する雰囲気が漂ってくるのだ。
人間離れした戦闘能力と、余人には到底理解し得ぬ行動原理。何が彼の逆鱗に触れるか、怖くてたまったものではない。
お頭が敵対を恐れたのは、アルクラドのこういう性質を見抜いたからだろうか。
そんなことを考えて、セラはライカンへの尊敬の念を更に深くした。
「良いも何も、スレーブ商会はそれどころじゃねぇ。奴隷なんかに構ってる暇はねぇよ。アタシらの商売にも大して影響は出ねぇしな」
組織への影響なら、スレーブ商会に敵対した時点で既に出ている。が、その会頭が死んだ以上、それ以上の影響が出ることはない。捕まっていた奴隷を逃がすことなど些事も些事だ。
「そうか。では、其方らも出てくるが良い」
セラの説明に納得したアルクラドは、そう言ってそれぞれの檻を破壊していった。
一度は置き去りにされそうになった奴隷達の心中は複雑であったが、奴隷から解放された喜びの方が勝っていた。口々にアルクラドに礼を言い、倉庫から飛び出していく。
「我らもミャール達の下へ往くとしよう」
他の奴隷達がいなくなり、倉庫の中にアルクラド、セラ、猫人族達だけになった頃、アルクラドはポツリと呟き、歩き始めた。
途中、猫人族達の様子を観察していたが、打撲や小さな切り傷などはあるものの、動きに支障のある者はいなかった。依頼達成の条件は充分に満たしているだろう、とアルクラドは考えていた。
報酬である、猫人族秘蔵の酒。
その未知なる味を心待ちにしながら、ミャール達の待つ組織の拠点へと向かっていった。
「では無事、猫人族達は集落へ戻ったのですね」
「うむ」
「報酬の猫人族秘蔵の酒は如何でしたか?」
「不思議な味であった。ドロドロと濁った酒で、酸味と甘味が混じり合った味であった」
ここは組織の長の部屋。そこでアルクラドとライカンがテーブルを挟み向かい合って座っていた。奴隷解放に向かう前にアルクラドが言った話し合いの場が設けられていたのだ。
奴隷より解放されミャール達と再会した猫人族達は、すぐに自分達の集落へと向かった。
アルクラドも、本来の目的は報酬の酒だが、護衛として同行した。
集落までの道中、猫人族達はお互いの無事を口々に喜び合っていた。アルクラドへの接し方は未だ掴めていなかったが、ミャールとニャールを助け守ってきたことを聞き、大いに感謝していた。
集落に着くと、すぐに宴の準備が行われ、皆が盛大に騒ぎ立てた。
もちろん秘蔵の酒も惜しみなく振る舞われ、アルクラド共々、皆が宴を大いに満喫したのであった。
「それで、私に聞きたいこととは?」
猫人族の奴隷騒ぎの顛末を聞き終えた後、ライカンが尋ねる。
「うむ。何故、其方は人族に紛れて暮らしておるのだ?」
アルクラドの疑問は、ライカンにとって予想されたものであった。が、どう答えるか迷うものでもあった。
「其方ら人狼は死を恐れぬ誇り高き魔族の戦士。記憶にはないがそうである事は識っておる。
我の様に人族の領土で封印されていた訳ではあるまい。魔族の領土で暮らすか、人族領に出るならばその力を以て堂々と己が存在を示せば良いのではないか?」
アルクラドは何故、魔族がわざわざ人間の領土に出てきて暮らしているのかが分からなかった。
この世界には俗に、魔族領や魔界と呼ばれる地域がある。古来より魔族が暮らしてきた土地であり、生きていくならば魔界から出る必要はない。人族の領土と比べれば土地は痩せ、資源は乏しく、強力な魔物が跋扈している。しかし毎年餓死者が続出するほど不作なわけではなく、魔族領内で貨幣を流通させられるほどには地下資源もあり、強力な魔物も同じく強力な魔族であれば大きな問題ではないからだ。
「確かに今までであれば、魔界から出る必要はありませんでした。・・・アルクラド様は魔界の現状についてどこまでご存知ですか?」
「全く識らぬ。我の識る魔界は遥か昔のものだ。人族領へ攻め入る為の軍があった故、魔族と人族は戦をしておったのだろうな」
当然、永きにわたり封印されていたアルクラドが、現在の魔界を知る由もない。更に封印される前のことも覚えていないのだから、魔界のことなどなにも分からないに等しい。
「人族との戦ですか・・・人魔間の大戦はおよそ300年前に終結したと聞いています。アルクラド様の知る軍が人族に対するものだとすれば、300年かそれよりも前にアルクラド様は封印されたのでしょう」
思わぬところでアルクラドの封印年数が判明した。アルクラドに残る魔界の知識がどれほど正確かは分からないが、ライカンの話と照らし合わせれば最低でも300年は封印されていたことになる。さすがの始祖もカラカラに干からびてしまうはずである。
「我ら今の若い魔族は、戦争が終わった平和な時代に生まれました。上の世代の者の中には人族への恨みを持つ者や癒えぬ傷を負った者もいますが、再び戦争を始めようとする者はいません。戦争の傷跡を癒しながら、魔界で平和に生きていく。それが我々の日常でした」
アルクラドは知らぬことであったが、かつて種族間で戦をしていた人族と魔族であるが、今は小競り合いすらもほとんど起こらない状況であった。場所にもよるが、魔族が人族領に、人族が魔族領に姿を現しても、即座に殺されるということはない程度には、お互いの意識も変わってきている。
「ですが50年ほど前からでしょうか、人族領へ攻め入ることを提言する者が現れたのです。
魔族の中で誰よりも大きな力を持ったその男は、自らを魔族の王、魔王と名乗り、人族との戦争の準備を始めました。力による統率が行われ、人族に勝つことが至上とされる。これが魔界の現状です。
その殺伐とした空気に嫌気がさし、魔界を出る者も多くいました。我ら人狼もその内の1つです」
魔族が攻め入ろうとしている。人族にとっては衝撃的な情報だ。
「魔族と人族の戦が始まろうとしておるのか。それならば其方ら人狼は魔界におる方が都合が良いのではないか? 其方らは強きを尊び戦いを好む者達であったと思ったが」
アルクラドの言う通り、魔族の中でも指折りの戦士である人狼は好戦的な種族として知られている。そんな彼らが戦争の空気に嫌気がさし逃げてくるとは、首を傾げずにはいられなかった。
「おっしゃる通り、我らにとって戦は歓迎こそすれ厭うものではありません。それが大義の下の戦であれば。如何に敵が強大であろうとも最後の1人まで臆することなく戦い抜くでしょう。
しかし我らは殺戮を好むのではありません。
我らは今、魔界で充分な暮らしをしています。その上で人族に攻め入るなど意味があるとは思えません。その様な戦は願い下げです」
戦好きにも戦好きなりの矜持があるようだった。
「そういったわけで私は人族の中で暮らしていますし、同じ様に魔界から出てきた魔族がいるのです。ところでアルクラド様はこれからどうされるのですか?」
「無論、我は旅を続ける。暫くの間、一所に留まるつもりは無い」
元々この町に寄ったのも見聞を広げる為であり、そのついでに路銀を稼ぐ為だ。
知るべきことは数多くあれど、この町では猫人族に会い、社会を表裏から回す者達に会い、魔族と魔界の現状を知ることができた。
路銀もオーク討伐で得た報酬はミャールから受けた依頼を遂行する為にそのほとんどを使ってしまったが、ライカンからかなりの金額を受け取った。金などあればあるだけ食事と酒に消えるのだが、貰えるものは貰っておこうとありがたく頂戴した。
「どちらへ向かわれるのですか? フィサンから来たと伺いましたが、南へでしょうか」
「うむ。フィサンより北は大きな町等は無いと聞いておる故な」
「そうですか。アルクラド様にこの様なことを申すのは不敬かと存じますが、お気を付けください。南に行けば魔界も近づきます。ここは魔界から最も遠い土地とはいえ、魔王の手の者が接触してくるやも知れません」
魔界は大陸の最南部に広がる土地であり、大陸の北部に位置するコルトンとは対極の位置にある。人の住むほぼ最北の町であるフィサンの近くに何故アルクラドが封じられていたのかは不明だが、この地域は最も魔族と縁遠い場所であった。
「うむ。元より争いは避けるつもりである。争い等、面倒なだけである故な」
アルクラド自身、自ら争いを起こそうなどとは少しも思っていない。そんなアルクラドの言葉を聞きながら、争いを起こさなくとも巻き込まれるのであろうな、とライカンは思った。少なくとも騒ぎを起こさないはずがない、と。
セラからの報告を聞く限り、アルクラドはその力の欠片も見せていないが、それさえ人族からすればとてつもない力である。その力を隠すことも、そもそも隠すほどの力だとは思っていない時点で、目立つに決まっているのだ。そして目立てば良い悪いにかかわらず色々な人間が寄ってくる。そうなれば騒ぎの1つも起きるだろう。
「もう行かれますか? 私としてはいつまでも居ていただいても構いませんが」
しかしわざわざ忠告することはない。言ったところで理解されるとも思っていないからだ。同じ魔族とはいえ、その存在の格が違いすぎる。人が地面を這う虫を気にも留めない様に、神もまた地に棲まう人々を気に留めないのだから。
「もう往くつもりだ。ライカンよ、有意義な時間であった。礼を言おう」
テーブルの上の茶菓子がなくなったところで、アルクラドは立ち上がった。急ぐ理由もないが、ここに留まる理由がたった今なくなったからだ。
「もったいないお言葉です。もし我らの力が必要となれば、いつでもお声かけください。必ずやお力になりましょう」
ライカンも立ち上がり深く礼をする。
「うむ。機会があればまた会おう」
「はっ。その時を楽しみにしております」
深く腰を折ったままのライカンに背を向け、アルクラドは外へ向かって歩き出した。
人族の領土に魔族が出てきているのならば、彼らを探してみるのもいいかも知れない。
そんなことを考えながら、次の町を目指すのであった。
お読みいただきありがとうございます。
この話で3章終了、閑話を挟んで4章に移ります。
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見直しはしているつもりでしたが、たくさん誤字があり、報告いただいて大変ありがたいです。
気付けば週間にもランクインしておりました!
これからも応援よろしくお願いします!
次回もよろしくお願いします。
また4月から転勤になり、4章のスタートがちょっと遅れるかも知れません。
できれば4月と同時にスタートしたいと思っておりますが、遅れましてもお待ちいただければと思います。