商会の破滅
奴隷にされた猫人族の解放の為、スレーブ商会に乗り込んだアルクラド。そんな彼の後ろから出てきたのは、頭からスッポリとローブを被った、表情の見えない小柄な人物だった。
「その者が何だというのだね?」
貴族の護衛にも選ばれる戦士を易々と切り伏せるアルクラドの強さを目の当たりにし、その力に怯えながらもスレーブはそれを表に出さずに尋ねる。
事実、スレーブは目の前の人物が誰なのか分からなかった。顔を隠したい後ろ暗い知り合いは数多くいるため、声を聞くなり顔を見るなりしなければ誰なのか見当も付かない。
「この者は、其方の奴隷売買を仲介した、裏組織の者だ」
アルクラドのその言葉を合図に、セラはローブを捲り顔をさらす。そのどこにでもいそうな中庸で、そして男か女か分かりづらい顔を見て、スレーブは息を止める。
「会頭、先日はありがとうございました」
アルクラドに見せる粗野な態度ではなく、相手を敬う素振りを見せるセラ。
「おっ、お前はっ・・・! 何故ここに!?」
驚愕するスレーブの目の前に立つのは、まさしく盗賊との取引の仲介人であり、商売の上得意である組織の者だった。
「本日は、こちらのアルクラド殿に、スレーブ商会が奴隷を購入したことを証明する為に参りました」
ライカンの命令に疑問を持っていたセラだが、この時は感情を廃し、ただ淡々と与えられた命令をこなしていた。それはアルクラドの強さを目の当たりにした為か、己の矜持の為か。少なくとも、もうそこに私情は挟まれていなかった。
「バカなっ! お前は自分が口にしたことの意味を分かっているのか!? 秘密を握るのはそちらだけではないことを理解していないのか!?」
余りの驚きにしらばっくれることも忘れ、ただ喚き散らすスレーブ。しかしそれも無理のないことだった。
スレーブ商会と組織は数多くの取引を行ってきた。それが公になれば商会はひとたまりもないが、同時にそれは組織を法で裁くための材料でもあるのだ。
「それは頭が考えること。自分はただ命令通り、会頭の奴隷売買を証明するだけです」
全ての責任は取るとの言葉をライカンから貰っている。そうでなくても命令があった以上、全ての責任は組織の長であるライカンにある。
セラはそれだけ言うと、アルクラドの後ろに下がり、再びローブで顔を隠してしまった。
「スレーブよ、これで其方が奴隷を買った事が証明された。今一度言おう。猫人族の奴隷を解放しろ」
スレーブは喘ぐ様に口を開閉しながら、何も言わず視線を彷徨わせている。
「我は猫人族以外に興味はない。今後、其方が猫人族に手を出さぬのならば、後の事は知らぬ。誰を奴隷に堕とそうとも法を犯そうとも、好きにするが良い」
どこかで聞いた様な、奴隷解放を訴える人物とは思えない言葉である。
猫人族さえ解放すれば何もしないというアルクラドの言葉に、しかしスレーブは頷くわけにはいかなかった。
解放した奴隷から事の真相が漏れるかも知れない。そもそもアルクラド達が黙っている保証がない。もし猫人族とアルクラドが合わさり奴隷売買について触れ回れば、スレーブ商会にとって致命的な痛手だ。噂で済んでいる今とはわけが違う。
故に、奴隷売買を認め、猫人族を解放することは出来なかった。スレーブはアルクラドに抵抗する道を選んだのだった。
「ふ、ふざけるなっ! そんなこと認めるわけにはいかん! おいっ、お前達っ!」
自らの保身の為、壁の裏に潜む子飼いの戦士達を呼び寄せる。隠し扉となっていた壁が開き、ガラの悪そうな男達が武器を携えて部屋の中に入ってきた。その数は5人。
部屋はそれほど大きいとは言えず、その中で戦うのに丁度良い人数であり、その1人1人が上級冒険者に匹敵する腕利きである。相手がどれほど強くとも、この5人には敵うまい。それがスレーブの考えだった。
「目障りなお前達にはここで死んでもらう。組織とはまた後でじっくりと話し合うとしよう」
戦士達が部屋に乗り込んできたことで平静を得たのか、スレーブは余裕のある笑みを見せる。
「あくまでも抵抗するか。素直に応じれば何もせぬと言うのに・・・」
往生際悪く抵抗を続けるスレーブに、アルクラドは溜息交じりで呟く。一方セラは無表情を貫くよう精一杯努めながら、逃げ出す機会を窺っていた。予想通りスレーブが武力行使に出たからだ。
商会と組織のぶつかり合いなら負けないが、少なくともこの場でセラが勝てる相手はスレーブを除いていなかった。壁から現れた戦士達は、いずれも苦戦すらすることなくセラを切り伏せる実力がある者達だ。
「戦士達よ。そこで座視するならば何もせぬ。だが我に刃を向けたならば殺す」
自分を取り囲む戦士達に向けてそう言うアルクラド。最初で最後の通告だ。だがもちろん、それで戦士達が止まるはずはない。
「悪いがこれも仕事だ。そっちこそじっとしてりゃ、痛い目見ねぇで済むぜ」
「抵抗すりゃ、痛い目見た後、奴隷送りだ!」
「何もしなくても奴隷送りだけどな!」
アルクラドの言葉をあざ笑うように、口々に軽口をたたき合う男達。その内の1人が剣を抜き、アルクラドに近寄っていく。
「ほら、大人しくしてな」
武器を構える素振りを見せないアルクラドの肩を掴む。
「その手を離せ」
男に目をやり静かに言う。
「へっ、離すわけねぇだろっ」
「そうか」
短いやりとり。男は手を離すことはなかった。代わりに腕が離れた。
「えっ・・・?」
男は不思議な光景を目にした。
掴んだ手を離していないのに、掴んだ相手が離れていく。手には相手が抵抗する力は何一つ感じられない。それはおかしい。何故ならちゃんと手は相手を掴んだままだからだ。その証拠に、相手を掴む腕が自分の眼に映っているのだから。
「ぎゃあぁぁあぁっ!」
そこまで至って、男の意識は激痛と自身の絶叫で埋め尽くされた。
自分の腕の、肩から先がなくなっていた。その先は今もアルクラドの肩を掴んでいる。
おびただしい量の血が床を塗らし、ビチャビチャと耳障りの悪い音を立てている。鉄さびに似た臭気が部屋に立ちこめる。
誰もが驚きの余り声も出せなかった。気付けば男の腕が肩から外れていたのだ。
男の苦悶の声が響き血の血負いが立ちこめる中で、表情一つ変えずに佇むアルクラドに、その場の全員が背筋が凍る思いだった。
「血よ、踊れ・・・」
肩に掴まる腕を無造作に払いのけたアルクラドは小さく呟く。その呟きと共にアルクラドの身体から魔力が溢れ出す。アルクラドからすれば少量の、常人からすれば膨大な魔力が部屋に満ちていく。
それは腕を切られうずくまる男の血を操る為のもの。アルクラドのかざした手の前に、部屋中に飛び散った血が集まっていく。もちろん男の身体の中からも。
「なっ、これ、すわっ、れ、あ、ぁ、ぁ・・・」
身体の中から何かが抜け出ていく。胸が苦しく身体中の感覚が失われていく。その恐怖に声を上げようにもその力さえなくなっていった。
男の肩の傷口から大量の血が抜け出ていく。それに従い、男の肌から色がどんどん抜けていく。声もどんどん弱々しくなり、土くれ色の物言わぬ人となってしまった。
「其方らは我に刃向かうのか?」
手で包み込むには少し大きな球体がアルクラドの前に浮かんでいる。男の血で出来たそれは赤黒く、そこから何本もの手が這い出してきていた。
人骨を模した角張った手が、周りの男達へ伸びていく。首を絞めようとするかの様に、左右の手が迫ってくる。
男達はカタカタと震え出す自分の身体を抑えることが出来なかった。
迫り来る手は、仕事仲間だった男の血で作られている。その手から声が聞こえる気がするのだ。血を抜かれながら死んでいった男の、弱々しくなっていく苦悶の声が。
ヌルリとした感触の生暖かい手がその頬に触れた時、戦士達は武器を取り落とし、その場に座り込んだ。その眼からは完全に戦意が失われていた。
それを見て満足げに頷きながら、アルクラドはスレーブへと向き直る。
「最後の問いだ。奴隷を解放するか、否か」
蠢く8本の紅い手が、スレーブへと迫っていた。
8本の不気味な紅い手は、徐々にスレーブとの距離を詰めていく。逃げ道を塞ぐ様に近づくそれに、スレーブは恐怖心を募らせていく。
「おいっお前達っ、何をしている! さっさとそいつを殺さんか!」
脂汗を浮かべ震える声で必死に命令するスレーブ。しかし戦士達は黙って首を振るばかりで動く様子はない。
「ええいっ、何の為に高い金を払っていると思っているのだ! とにかく買ったからには猫共は私の物だ! 誰にも渡すものか!」
自らの役割を果たさない戦士達を罵りながら、声を震わせアルクラドを睨みつける。スレーブは徹底的に抵抗する様だ。
「そうか。では居場所を聞き出し、勝手に連れ帰るとしよう」
アルクラドは触れるところまで近づいていた手を使い、スレーブに掴みかかる。両手両足を掴み宙へ吊り上げる。
「ぐっ! なっ、何をする、離せっ!」
まだ温かさの残る血の感触に鳥肌を立てながら、スレーブは必死にもがき抵抗する。しかし血の拘束は少しも緩むことはない。
「猫人族の奴隷は何処にいる?」
そう尋ねながら、何の躊躇いも前触れもなく、スレーブの腹に聖銀の剣を突き立てた。
「ぐわぁあああぁぁ!」
腹に感じる熱にも似た激痛に悲鳴を上げるスレーブ。冷たい輝きを放つ刃を伝って、紅い雫がこぼれ落ちていく。
「ぐっ・・・!」
痛みの為か必死の抵抗か、スレーブは口を開こうとはしない。
「言わぬか・・・」
「あぐぅ・・・」
アルクラドが無遠慮に剣を抜くと、栓を失った為に大量の血が流れ出してくる。身体から熱が失われていくのをスレーブは感じた。自分の死が近づいているのも。
「死なれては困るな。血よ・・・」
ポツリとしたアルクラドの呟きの後、スレーブは首筋に小さく鋭い痛みを感じた。
身体が熱を取り戻し、朦朧とした意識が醒めてくるのが分かった。
鮮明になっていく視界に映ったのは、腹から溢れ出る血が、管となり自分の首に繋がっている光景だった。
「人は血を失うと死ぬ。であれば、失った血を戻してやれば死なぬのではないか?」
そんなアルクラドの言葉に、スレーブは言い知れぬ恐怖を感じる。
腹に痛みはある。先程と変わらぬ激痛だ。しかし先程まで近くにあった死の気配が感じられない。自分はまだ死ねないといういことが分かってしまった。自分の命は目の前の男に握られているのだと理解した。
もう抵抗する気力は失っていた。耐えがたい激痛の中で生かされ続けることには耐えられそうになかったからだ。
「ど、奴隷は、地下倉庫に隠してある。この建物の、地下から通路が伸びている」
スレーブはついに観念し、奴隷の居場所を話した。それを聞きアルクラドは満足げに頷く。
「よし。そこから猫人族を連れ帰る。邪魔をしたな。それとこの魔法は、治癒の心得がある者が来るまで維持しておれ。我は治癒魔法は使えぬ故な」
部屋を出ようとするアルクラドは、事も無げにそんなことをいう。誰もが見たことも聞いたこともない魔法の制御を、簡単な仕事を引き継ぐかの様な口ぶりで言う。ここにいる誰もが、血を操り身体の中に入れることなど出来ないし、そもそも魔法使いがここにはいなかった。助かったと思った矢先、再びスレーブの下に死が忍び寄ってきた。
「そうだ、忘れておった。前の菓子だが美味であった。また貰っていくぞ」
ついでとばかりにアルクラドは懐から金貨1枚を取り出し、机の上に置く。金を使う場面があるかも知れないからとライカンから持たされた金だった。
「では、我は往く。また会おう」
スレーブが死ぬとは思ってもいない様な挨拶を残し、アルクラドは部屋を後にした。その後をセラが慌てて追っていった。
アルクラドが部屋を出てすぐ、大量の血がまき散らされる音とその臭気が漂ってきたが、気にしない。スレーブの生死などアルクラドにはどうでも良いからだ。
階段を降りると商会の中に客は誰もおらず従業員も見当たらなかった。上階で起こっていた騒ぎの為、客達は逃げ従業員もその対応に追われていたのだ。
そのことを不思議に思いつつも、アルクラドは売場から菓子を10個手に取り、奴隷を解放する為、地下への入り口を探すのであった。
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3章も次回で終了となります。
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