組織の頭
コルトンの町の貧困地区にある古びた教会から、裏社会に棲まう組織の拠点へ足を踏み入れたアルクラド。前を歩く組織の一員であるバーテルの後に続き、彼らの頭である男の下へと向かっていた。
彼らが歩く建物は、貧困地区のどこかにあるのだろうが、立地に似つかわしくない豪奢な内装だった。特別華美なわけではないが、建物の造りは良くその建材も質の高いものだと見受けられた。
建物は地下室を含めて3階であり、2階の一番奥まった部屋へ案内された。
「入れ」
バーテルが部屋の扉を叩くと同時に声が返ってきた。
バーテルが扉を開き、彼、アルクラド、ミャールとニャールの順で部屋に入る。
部屋は執務室の様であり扉を開けてすぐに大きな机が眼に入る。机の上には、裏取引の書類なのか、紙や羊皮紙などが積まれている。
その机の奥に、1人の男が座っていた。
鋭い目つきをした強面の男で、普通よりも毛深いのか腕の体毛が濃く、顔も髭の占める割合が多い。顔もどこか狼めいたものがあり、人間離れした雰囲気が漂っていた。獣人の特徴である耳や尻尾はないか、その血を引いているのではと思わせる風貌であった。
「よく来たな。俺がここの頭のライカンだ」
ライカンと名乗った男は両手を広げ歓迎の意を示すも、その態度とは裏腹に声と表情は硬いものだった。その視線はジッとアルクラドに向けられている。
「バーテル。俺が良いと言うまでこの部屋に誰も近づけるな。お前も出て行け」
「し、しかしっ・・・!」
人払いをし部屋を出て行けと言うライカンに戸惑うバーテル。彼の言葉は、どこの誰とも知らぬ男と自分達の長を2人だけにしろ、ということだ。到底承服出来るものではなかった。
バーテルではアルクラドに手も足も出ない。しかし組織内で戦いを領分とする彼は、ライカンを護る義務がある。例え長が逃げる時間を稼ぐ為だけの肉壁の役割だとしても。
「大丈夫だ。俺の強さはお前も知ってるだろ。とにかく絶対に誰も近づけるんじゃない、命令だ」
自分を心配するバーテルをよそに、ライカンは有無を言わさぬ口調で彼に命令する。しかしその声は、どこか焦燥感を漂わせるものだった。
「・・・分かりました」
不承不承といった様子でバーテルは返事を返す。ライカンの言う通り、彼の強さは組織の皆が知るところであり、バーテルよりも強いのだから。
「ミャール、ニャール。其方らも外で待っていろ」
バーテルが退出しようとした時、アルクラドはずっと傍に置いていた2人の少女達に部屋から出るように伝えた。
「「えっ・・・?」」
2人は突然の言葉に、驚きの声をあげた。
どこに行くにもアルクラドは2人を必ず連れて行った。それは2人を守るには、近くに置いておくのが一番確実であったからだ。それは2人もある程度理解していた。また集落から離され頼るべき者のいない彼女達の、現在の庇護者がアルクラドなのである。そこから離れる心細さも、子供である彼女達にはあった。
「何かあれば我を呼べ。すぐに往こう。・・・バーテルと言ったな。この娘らに危害の及ばぬ様にしろ」
2人の少女に部屋を出るように促しながら、バーテルへと視線を向ける。先程まで敵として戦っていた者に仲間の身柄を預けるなど正気とは思えなかったが、アルクラドは大丈夫だと考えている様だった。
「俺からも頼む。その2人を客としてもてなしてくれ。丁重に、な」
そんなライカンの言葉にまた驚くバーテル。まさか裏組織の長である彼から、子供をもてなすように言われるとは思ってもいなかったのだ。
「分かりました・・・」
どこかいつもと様子の違うライカンの態度を不思議に思いながらも、彼はミャールとニャールを連れ立って部屋を後にした。ミャール達も不安そうにしていたが、アルクラドの有無を言わせぬ態度に仕方なく部屋を出ていった。
3人が出ていった後、しばらくの間2人は無言だった。
そして部屋を出た3人の足音が完全に聞こえなくなったところで、2人は口を開いた。
「まさかこの様な所で、貴方様の様な御方とお会いすることが出来るとは思いもしませんでした」
「うむ。それは我も同感である」
口調をガラリと変え、ライカンはアルクラドの前に跪くのであった。
膝をつき、まるで臣下の様にかしずくライカン。そんな彼にいつも通りの態度で接するアルクラド。
組織の者が見れば仰天必至の光景だった。
コルトンの町の政にも影響を与え得る組織の長たる者が、ただの冒険者に膝をつき礼をしているのだ。驚くなという方が無理な話である。
「我は其方を識らぬが、其方は我を識っておるのか?」
「いえ。不肖の身故、御身を存じ上げません。ですが隠しきれぬその御力、さぞ名高き御方とお見受け致します」
どうやら知り合いではない様だが、それが余計にこの光景の奇妙さを際立たせていた。知らぬ者に対して、こうもへりくだるものなのかと。
「我を識らぬのも無理はない。我が封印より目覚めてから、未だ1つの季節さえ過ぎてはおらぬ。その間、100や200ではきかぬ数の季節が巡った事であろう」
「お心遣い、痛み入ります」
封印などというまず日常では使わない言葉にも、ライカンは違和感を抱くことなく話を続ける。
「誠に恐れながら、御身の名をお聞かせ願えますでしょうか」
ライカンは決して視線を上げることなく、膝をつき俯いたままアルクラドに話し掛けていた。
「我が名はアルクラド。闇夜を支配し陽の下を往く、吸血鬼の始祖である」
「なんと・・・!」
アルクラドの名を聞いたライカンは、別の意味で驚き、元々下げていた頭を更に下げる。額が床に付きそうな勢いだ。
「アルクラド様。真の吸血鬼たる陽の下を往く者、その始祖たる御方にお目通り叶うとは・・・先程までの御無礼、平にご容赦を」
「謝罪は不要だ。我は魔族ではなく人族として振る舞っておる故な」
ライカンは更に頭を低くする。
アルクラドが魔族であるということに、驚きも恐れもない。あるのはアルクラドに対する畏怖の念だけであった。それは、彼もまた魔族であるからであった。
「其方は、人狼であるな」
「はっ。ご明察の通りでございます」
平伏するライカンをジッと見ていたアルクラドが、彼の種族を言い当てる。
人狼。人と狼の姿を行き来する魔族である。獣人の狼人族と混同されることもある魔族であるが、その性質は全く異なる。
獣人である狼人族は耳や尻尾など狼の特徴が常に目に見える形で現れている。対して人狼は普段は人の姿をしている。耳や尻尾はなく、牙や爪もない。せいぜいが少し毛深かったり、狼っぽい顔をしている程度である。彼らがその姿を現すのは、自らの意思で変身した時である。
また獣人は高い身体能力の代わりに魔力は乏しく優れた魔法の使い手とは言えない。しかし人狼は人族を遥かに凌駕する魔力を持ち、魔法とは異なる方法で魔力を扱い戦いに利用する。この点でも、狼人族と人狼は異なる。
「しかしアルクラド様は何故、人族として振舞っておいでなのですか?」
魔族の中でも比類なき力を持つであろうアルクラドが何故人族の中で暮らしているのか、ライカンは恐る恐る尋ねる。
「永きに亘る封印の為か、我は己の事も憶えておらぬ。それ故、世界を識ろうと思い、世を巡っておるのだ。人族を振る舞うのはその方が都合が良いと思ったに過ぎぬ」
「なるほど。しかしアルクラド様の御力であれば、歯向かう者が誰であれどうとでもなりましょう」
「其方の言う通り我の脅威となる者が居るとは思えぬが、羽虫に集られるのも煩わしい故な」
お互いに魔族と会うのは久しぶりなのか話が弾んでいく。しかしその実、余りに格上の魔族に出会い半ば舞い上がったライカンに、アルクラドが合わせているだけであった。皆が優れた戦士である人狼は強きを尊ぶ気質を持ち、アルクラドの果てしない強さを感じたが故だった。
「話が逸れたな。バーテルとやらには伝えたが、其方らが盗賊より買った猫人族の奴隷を解放しろ」
思い出したかの様に、アルクラドが話題を元に戻す。
「これは失礼を致しました。魔族と会うのは久方ぶりだったもので・・・」
ライカンもハッとなり、慌てて頭をより深く下げる。
2人共、人間より遥かに永い時を生きる魔族であり、時間の感覚が人とは違う。アルクラドに至っては他のどんな魔族も及ばぬ程の時を生きている為、時間の感覚は更におかしい。
「それで奴隷についてなのですが、正確には我々は奴隷を買ってはおりません」
「どう言う事だ?」
頭を下げたまま恐る恐るといった様子で言うライカンに、素直に疑問を口にするアルクラド。アルクラドのその態度に怒りを買ったのかと感じたライカンは、震えながら答える。
「我々の今回の仕事は奴隷売買の仲介です。盗賊から奴隷を買ったのではなく、売買の橋渡しをしたのです。その為、我らに奴隷を解放する権限はないのです」
「なるほど」
アルクラドは頷き考える。ライカンの組織が奴隷を買ったのでなければ、誰が買ったのかが問題だ。
「では誰が奴隷を買ったのだ? セラとやらは信用に関わる故、売り先は言えぬ等と言っておったが、やはり言えぬか?」
話さなければ無理にでも口を割らせるつもりだが、素直に言ってくれるに越したことはない。
「もちろんアルクラド様に隠し立てをすることなど1つもございません。奴隷を買ったのは、この町の大商会の主、スレーブ・マスタでございます」
しかしライカンはあっさりと奴隷の行先を教えてくれた。
「あの男か・・」
「ご存じなのですか?」
「うむ。ここに来る前に会ってきた。奴隷は買っていない、と言っておったがな」
「なるほど。しかしそれは間違いなく嘘です。その仲介は大きな仕事でしたので、間違いなく我らが仲介しました」
堂々とした態度で、奴隷など買っていないと言っていた男の顔を思い浮かべる。怒りは感じないが、アルクラドは不思議でならなかった。今こうしてスレーブの嘘がバレたのだ。買った者がいれば、売った者がいる。その2者がいる以上、絶対に隠し通すことなど出来はしないのに。
「ライカンよ。其方の情報は助かるが、組織の信用とやらはいいのか?」
絶対に情報を言わせるつもりだったアルクラドだが、こうもあっさりと話してくれるとは思っていなかった。セラがあれほどまでに拒んだのだから、ライカンも同様に拒むものだと思っていたのだ。
「確かに信用に関わる為、普通であれば決して情報を話しはしません。しかしアルクラド様、貴方様は別です。貴方様と敵対すれば、我々は為す術もなく潰されてしまいます。であれば抵抗などせず、情報でも何でも出来得る限り差し出すつもりでございます」
ライカンの物言いは、まるで神に相対した者の様であったが、アルクラドの力を正確に感じ取ったが故であろう。少なくともアルクラドがこれまで出会った者達よりは、アルクラドの力を理解していた。
「そうか。であれば、其方に1つ頼みがしたい」
スレーブが奴隷を買ったことは分かったが、このままスレーブ商会へ行ってもまたはぐらかされる可能性がある。商会で暴れてもいいが、表社会では大々的に騒ぎを起こしたくはなかった。人族として、法を犯さずに生きていくのが、アルクラドの行動指針の1つでもあるからだ。
「何なりとお申し付けください」
ライカンは一瞬も考えるそぶりを見せず、即座に応える。
「スレーブが奴隷を買った事を証明する手立てを用意して欲しい。また買っていない等と言われるのは面倒である故な」
「お安い御用でございます。仲介に立ち会った者を寄越しましょう。その者と行けば、スレーブも言い逃れは出来ますまい」
前回の訪問で言い逃れをされたのは、確たる証拠がなかった為である。アルクラドは言葉だけで充分だと考えていたが、普通はそうではない。その点、実際に取引を行った者が証人となれば、これ以上の証拠はない。
「それは助かる。すぐにその者を寄越せ。ここへ来次第、再びスレーブの下へ向かう」
「承知致しました」
即断即決のアルクラドの言葉に、恭しく頭を下げたライカンは、机にあった呼び鈴を鳴らす。
チリンチリン、と心地の良い高音が鳴ると、少しも待たぬ内に部屋の扉が開かれた。
「お呼びですかっ」
待っていましたと言わんばかりにバーテルが部屋に入ってきた。急いできたのか、扉の開け方は少し乱雑だった。
「セラを呼んでこい。それとスレーブ商会との取引は、進行中のものも含めて全て中止しろ」
「はっ! ・・・えっ、今なんと?」
矢継ぎ早に命じられすぐさま応えるバーテルだが、命令の内容につい聞き返されずにはいられなかった。
セラを呼んでくるのはいい。彼女は優秀な仲介役であり、何かまた大きな取引の仲介があるのかも知れない。しかしスレーブ商会との取引中止は意味が分からなかった。
スレーブ商会はコルトンの町で一番の商会であり、その商会との取引は組織にとっても重要な資金源なのだ。それをそう簡単に止めることはできない。その真意を確かめる為もあった聞き返したが、ライカンは聞く耳を持たなかった。
「命令だ、すぐに実行しろ。理由は聞くな」
「・・・承知しました」
バーテルは不満を隠そうともせずに答え、一礼してから部屋を後にした。その様子に肩をすくめるライカンだが、自分がどれほど無茶な命令をしているのかが分かっているだけにバーテルを責めることは出来なかった。むしろ諫言を厭わない優秀な部下に礼を言わなければと思うほどだった。しかし今はその時ではない。
「セラはすぐに来ます。それまでの間、ここでお休みください」
「我に休息は必要ないが、待たせて貰おう」
アルクラドはそう言いながら、ライカンの示す椅子に腰掛ける。その時、ミャールとニャールが部屋の前にやってきた。呼び鈴の音を聞き慌てて飛び出したバーテルを不思議に思い、その後を追う様にやって来たのだ。
「ミャール、ニャールよ。其方らの家族の居所が分かったぞ」
たった今手に入れた情報を依頼主である2人に伝える。
「あのスレーブと言う男が嘘を吐いていた様だ。拷問した盗賊の言葉通り、彼奴が奴隷を買っていた。教会で会ったセラとやらが戻り次第、再びスレーブ商会へ向かう」
アルクラドの宣言にミャール達の顔に少し力が戻ってきた。やっと家族と会える。その希望が生まれてきたのだ。
それから3人は、セラが戻ってくるのを、ライカンが用意した茶菓子を食べながら待つのであった。
お読みいただきありがとうございます。
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あと数話で3章終了予定です。
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