猫人族の少女達
アルクラドは、焚き火の前で眠る2人の少女を睥睨する。
ピンッと立った三角の耳と細くしなやかな尻尾。
猫の特徴を有する猫人族の少女であることは間違いなかった。
しかしアルクラドにとって彼女らの正体などどうでもよかった。
重要なのは、彼女らが焼き魚を奪った犯人か否か。
しかしそれは火を見るよりも明らかだった。
口回りの食べかす、手に握られた食べかけの串。
アルクラドは表情を変えずに、聖銀の剣に手をかけた。
宝とは。
宝とは、持ち主によってその価値は千差万別である。ある者にとってはガラクタ同然でも、ある者にとっては千金に値する宝であったりする。
どこにでもある日用品でも、思い出という何ものにも代え難いものが詰まっているのならば、金でその価値を計ることは出来ない。
盗人とは。
盗人とは、そんな宝を、無遠慮に、無神経に、徹底的に奪い去っていく悪である。それに込められたものが何であるかを知ろうともせず、己の欲望を満たすためだけに奪い去っていく極悪人。
そんな害悪は今すぐ殺そう、とアルクラドは剣を振りかざす。
何の躊躇もなく2人の少女へ振り下ろされた白刃は、寸でのところでピタリと止まる。
アルクラドの視線は彼女たちの足下に。
そこには無骨で一切洒落っ気のない、鈍色の装飾具が付けられていた。
アルクラドは知っていた。
太い鎖でつながれたそれは足枷であるということを。
アルクラドは理解した。
彼女たちは奴隷なのだと。
アルクラドは眠る少女達を見下ろしたまま、しばし思考の海に身を委ねる。
彼女たちは合法の奴隷なのか、それとも非合法の奴隷なのか。
いずれの場合にせよ、彼女たちを助ける意味はあるのか。助けた際の利益は、不利益はどうか。
果ては助けることが彼女達の為になるのか。
それらをよく考えようとして、しかしすぐさま思考の海から身を引き上げた。
単純に考えるのが面倒くさくなってしまった。
彼女達がどうなろうと、アルクラドにはどうでもよかった。
楽しみにしていた食事を奪われたのは非常に不愉快ではあるが、見るからに痩せ細った奴隷。まともに食事も与えられていなかったのであれば、強く責め立てようとは思わなかった。
飢えによる渇きの辛さは、彼自身が良く分かっているのだから。
アルクラドは剣を仕舞い岩に腰掛ける。
何よりもまず今は焼き上がったキノコを食べることが先であった。
表面は色よく焦げ、キノコの汁が滴っている。丁度良い焼き加減、食べ頃であった。
ジュワジュワと音を立て湯気の出るキノコをひと口で頰ばる。大ぶりなキノコのため口の中がいっぱいになるが、その分、かみ応えのある弾力と溢れる汁を存分に楽しむことが出来る。
キノコの味は、ある意味では想像通りで、ある意味では想像以上の美味しさであった。
焼いた時の香りから想像した通り、肉に似た強い旨味を持つ味わいであった。しかしその旨味は肉よりも遙かに強く、ギュッと凝縮された味わいであった。その汁は肉汁と紛うばかりで、今まで食べたどの肉よりも美味いと思える程であった。
アルクラドはこれだけ美味しいキノコを見つけられた喜びと、何故これほどのものが町で見聞きすることがなかったのかという疑問を感じながら、キノコの味をしっかりと堪能した。
あっという間に50個近いキノコを食べ終えた頃には、魚を盗られた怒りは既に消えてしまっていた。
その時であった、奴隷の少女達が目を覚ましたのは。
獣人の少女達が目を覚ました時、目に映るのは赤々と燃える焚き火と、自分達をじっと見つめる真っ赤な瞳だった。
「「ひっ…!」」
2人は揃って悲鳴を上げ身を寄せ合う。
髪は白黒金の3色に分かれており、金色の瞳は恐怖と緊張のためか猫の目の様に細くなっている。歳の頃は10前後であろうか、本来であれば瑞々しい子供の柔肌も荒れて瑞々しいハリを失っている。
顔立ちは姉妹なのか良く似ており、目は勝ち気そうにやや吊り気味で、口元からは小さな牙が覗いている。
背丈は頭1つ分ほど差があり、歳の差は3つ前後であろうと思われた。
2人は互いを抱きしめ、せめてもの抵抗としてアルクラドを睨みつける。
しかしそんな恐怖に怯える少女達の気持ちなど露知らず、アルクラドは何気ない様子で尋ねる。
「目が覚めたか。
我はアルクラド。問おう、其方らは何者だ?」
「「えっ…?」」
突然の問いに少女達は戸惑いを隠せない。
寝起きながら眠りが浅かったため今の状況はおおよそ理解している。恐らく目の前の人物が魚を焼いていたその人なのだと。そして自分達は今、彼の魚を盗ったことについて問いただされているのだと。
「もう一度問う。我が食そうとしていた魚を盗み食い散らかした、其方らは何者だ?」
自分の中では怒りを忘れていたと思っていたアルクラドだが、どうやら完全に消え去ってはいなかった様だ。
「「ごめんなさい!!」」
少女達はすぐさま謝り頭を下げた。
人の物を盗るのはいけないこととは分かっていた。しかし限界に達しようとしていた飢餓状態で、香ばしい芳香を放つ魚を見てしまっては、我慢することなど出来なかった。
本当は1つだけにするつもりであったが、余りの美味しさに我を忘れ、満腹で眠くなるまで食べてしまったのだ。
「我は謝罪を要求したのではない。其方らが何者であるかを問うておるのだ」
アルクラドの言葉に、少女達は震え上がった。目の前の人物がものすごく怒っていると勘違いして。
確かに当初は、何の躊躇いもなく剣を振り下ろす程度には怒っていたが、既に怒りは収まっている。少なくとも殺すつもりはもうなかった。
しかし年端もいかぬ少女が、無表情から放たれる無感情な声を聞いて、その心中を察するのは到底無理である。
結果、問いと謝罪の繰り返しが続くこととなった。
それが終わるまでに、焚き火の木が1本、燃え尽きる程度の時間を要することとなったのである。
互いの一方通行なやりとりがしばらく続いた後、話が進まないためアルクラドはひとまず謝罪を受け入れることにした。そうすれば獣人の少女達も少しはまともに話を出来るだろうと。
少女達もアルクラドが謝罪を受け入れたことによって、手酷く鞭で打たれたり、すぐさま斬り殺されることはないと、ひとまず安心し、ようやくその顔を上げたのだった。
「改めて問おう。そなたらは何者なのだ?」
「私はミャール、こっちは妹のニャールです。猫人族の中のミケーネの一族です」
ようやく初めの質問に対しての答えが返ってきた。そのことにアルクラドはひとまず安堵する。妹は姉の陰に隠れてチラチラとアルクラドを窺っていた。
「そうか、では次の問いだ。何故、其方らはこの森にいるのだ?」
彼女達がこの森にいる理由など大方察しは付いている。しかし確証は得られていない。念のため彼女達に事実確認をすべきとアルクラドは考えた。
しかし事が事だけに、少女達は話しづらそうにしていた。自分が奴隷であると告げるのには相当の勇気がいるのだろう。
そんな少女達の葛藤に気付くはずのないアルクラドは、静かに彼女達が口を開くのを待っていた。
「私達は、奴隷、です。売られる途中で逃げてきました…」
「ふむ、それはつまり攫われてきた、ということか?」
「はい…集落の外に出てた時に…」
「なるほど」
これで彼女達が非合法奴隷であることが確定した。
何から何まで全てにおいて助けるつもりも義理もないと考えているアルクラドであるが、このまま見捨てるのもどうかと思っていた。それ故に彼女達が自由になる手助けくらいはしようと考えた。
「其方らの事情は理解した。魚を盗って食われた事は非常に不愉快ではあるが、奴隷に堕とされ飢えていたのであれば致し方あるまい」
そう前置きして、アルクラドは足枷を外してやろう、と少女らに告げた。
しかしすぐに返ってきたのは抑制の言葉だった。
「ダメです! 無理矢理外すとバクハツするって…」
「なに…?」
今にも剣を抜こうとしていた手を止め、姉のミャールに問う。
「それは本当なのか?」
単なる爆発程度、アルクラドにとっては何の問題もない。仮に足枷を付けられたとして、足を切って足枷を外してまた足をくっつけるという、無茶にも程がある方法を取れる生き物がアルクラドである。爆発で手足が吹き飛んでも、また生えてくるのだから何の問題もない。
しかしこの猫人族の少女達は違う。
切れた手足はくっつかないし、吹き飛んだ手足も生えてこない。大量失血で死ぬ前に、その痛みの衝撃だけで命を失いかねない。
「本当かどうかは分かりません。けど、私達を攫った人達はそうだって…」
「そうか。足枷を良く見せろ」
アルクラドは2人の前に膝を付き、足枷に手を触れる。
アルクラドが感じ取ったのは、足枷に込められた魔力だった。その魔力は、魔法にすれば人の足を、それも子供の足を吹き飛ばすには充分であった。
そして次に気付いたのは、足枷に施された、複雑な紋章の様な装飾であった。そこからは強い魔法の力を感じることが出来た。これが恐らく爆発の魔法に関係しているのだろう。
しかしアルクラドは今までこの様な魔法の形式を見たことがなかった。アルクラドが封印されてから出来たものなのか、ただアルクラドの勉強不足なのか、或いはその両方か。
とにかくアルクラドには、この魔法の発動条件も解除方法も一切分からなかった。
「なるほど、分からんな」
途中、何度も頷いているアルクラドの様子に希望を見いだしかけていた少女達は、一転絶望に苛まれる。やはり無理だったのだと。
バキンッ。
絶望の中、足下から何かが割れるような折れるような音が聞こえてきた。
足下を見れば、アルクラドが足枷を手でねじ切っていた。
「「えっ…?」」
バキンッ、バキンッ、バキンッ。
人の指よりも何倍も太い鉄の枷を、小枝を折るかの様に軽々と軽快にねじ切っていく。瞬きをする毎に、自分の足から忌々しい重さが消えていく。
「よし、これで良いだろう」
破壊した足枷を遠くへ放り投げ、アルクラドは少女達に告げる。
少女達は呆けた様に自分達の足を見つめている。
足枷は重く、歩く度に足が痛かった。血が上手く巡らず痺れていた。擦れて肌から血が出ていた。その忌々しい足枷がなくなった。赤く腫れた跡は残っているものの、もう重さに、痛みに泣く必要はなくなったのだ。
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
姉のミャールに続き妹のニャールも礼を告げる。自分達を助けてくれたことで、アルクラドに対する恐怖が少し和らいだ様だ。
しかし疑問は尽きない。
鉄の枷を素手で引きちぎれることもそうだが、何故爆発しなかったのか。アルクラドは足枷の仕組みについて分からないと言っていたのに。
「どうしてバクハツしなかったんですか?」
「なに、簡単なことだ」
ミャールがそう問えば、自信に満ちたアルクラドの返答があった。仕組みが理解できていない割には、余りにも自信満々である。
「あの足枷には人の足を吹き飛ばすに充分な魔力が込められていた。しかし魔力がなければ魔法は発動することはない。文様の意味は分からなかったが、足枷が周囲から魔力を集めている様子もなかった。
故に足枷内の魔力を全て吸い尽くし、魔力を空にした状態で足枷を破壊したという訳だ。恐らく足枷の破壊が魔法発動の鍵だったのであろうが、魔力が無ければそれも意味を為さない。実に簡単な事である」
アルクラドの説明を聞いたのがもう少し大人であったならば、冷や汗が止まらなかったであろう。彼は、恐らく大丈夫だろう、という気持ちで、足枷の破壊を試みたのだ。上手くいったからいいものの、下手をすれば爆発を起こしていた可能性は充分にあったのだ。
しかし少女2人はそこまでは理解しておらず、何やら凄い方法でアルクラドが、足枷から解放してくれたのだと理解した。その結果。
「ありがとうございます!」
「ありがとう! おじさん」
猫人族の少女2人の信頼を獲得するに至ったのである。
感謝が欲しくて助けたわけでもなく、ここまで大げさに感謝されるとも思っていなかったが、感謝をされるのは悪くないと、アルクラドは静かに頷いた。
しかし釈然としないものもあった。
おじさん、という言葉の響き。
何故か心が落ち着かない。
何故だ。
アルクラドの中に新たな謎を残しつつ、森の夜は更けていった。
お読みいただきありがとうございます。
新種族登場、ちょっと名前は安直すぎましたかね?
次回もよろしくお願いします。