丘の上の町
緑に溢れる小高い丘。その頂上には古びた砦が2つ。
その丘を取り囲む様に町が広がっている。
アルクラドの新たな目的地である、コルトンの町である。
アルクラドが初めて訪れた町であるフィサンを含む、大陸の北側を治めるドール王国の中でも大きな町の1つで、ドール王国北部では一番の町だ。
ソミュールの町から街道を馬車で進み、およそ10日ほどの距離にある町で、北部内の町や外の町への中継地点となる交通の要所とも言える町である。
アルクラドはフィサンの町から街道に沿って歩き続け、10日目で町が見える距離までやってきた。
休息も睡眠も必要としない吸血鬼の身体を十二分に生かし、昼夜を問わず歩き通した結果である。
途中、美味そうな獲物がいれば、狩り取り、火を熾し、焼いて食べることはあったものの、それ以外では一切立ち止まることなく歩き続けた。
途中、立ち寄れそうな町はあったものの、フィサンの町で得た仲間のライカとロザリーから離れると言った手前、出来るだけ距離を開けようと立ち寄ることはしなかった。
結果、人の足では考えられない速度で、コルトンの町へやってきたのである。
町に入り、まず圧倒されたのは、その人の多さであった。
町が広いにも関わらず、往来の人の数がフィサンやソミュールの比ではなかった。交通の要所として、各方面から人がやって来る為の人の多さであった。
町に着きまずアルクラドが向かったのは冒険者ギルドである。
理由は単純、アルクラドの所持金は無に等しかったからだ。
中級冒険者として、級に収まらない実力を持つアルクラドは、その稼ぎも通常よりも多い。しかしそれ以上に食費がかかる。基本的に稼いだ分は宿の代金を除けば、全て食事に消える。
更にライカ達と分かれる際、パーティーの資金として管理されていた金を全て2人に渡していた。中には金貨など高額な貨幣も含まれていたが、蓄財に興味の無いアルクラドは惜しむことなく金を手放した。
故に安宿に1泊できるかどうかという金しか持ち合わせていないアルクラドであった。
ギルドに着き扉を開ければ、聞こえてくるのは大きな喧噪。町の人の数に比例して依頼も多くなるのか、この町を拠点とする冒険者も多い様だ。
ギルド内も広く、依頼を探す者、酒場でたむろする者の数も多い。
アルクラドは人の合間を縫い依頼板の傍へ向かい依頼の物色を始める。
依頼の数は多いものの、その内容は他の町と大きく変わるものではなかった。掲示されている依頼は採取、討伐、護衛依頼などであるが、町の特性上、片道の護衛依頼の割合が多い様だった。
アルクラドは採取か討伐依頼を受けるつもりでいた。
長く留まるつもりはないが、しばらくはこの町を拠点にする為、護衛依頼は少し具合が悪い。更に言えば他人との関わりも多い。殊更人との関わりを断つつもりはないが、面倒ではあるため積極的に関わろうとは思っていなかった。
その中で見つけたのが、オーク討伐の依頼であった。
依頼:オークの討伐
詳細:コルトンの森でのオークの討伐
報酬:1体につき銀貨1枚。上位個体は別途報酬有り
コルトンの森は町から歩いて数刻の森であり、そこでのオーク討伐依頼だ。
報酬も申し分なく、丁度良い依頼だったため、これを受けることに決めた。
「あっ!」
アルクラドが依頼票を引き剥がしたすぐ後、同じ依頼を受けようとしていた誰かの手が空を切った。
声がした方へ目を向けると、4人の男達がアルクラドの手を睨む様に見つめていた。
「それは俺らが目を付けてた依頼だ!」
それを聞いたアルクラドは首を傾げる。
言葉の意味は理解できるが、その意図が分からない。
「それが何だというのだ?」
それ故に頭に浮かんだ疑問をそのまま口に出す。
「それは俺らの依頼だって言ってんだ! さっそとそれを寄越せ!」
ここで初めて男達の意図を理解する。
すなわち依頼の横取りをしようとしていることを。
「それは出来ぬ。依頼票を手にしたのは我が先だ。其方らに渡す理由がない」
それだけ言ってアルクラドは受付へと歩き出す。が、それをそのまま見過ごす男達ではなかった。
後から分かった話であるが、彼らはここ最近ぐっと力を付けてきた冒険者達であり、少々気が大きくなっている。平たく言えば調子に乗っているのである。
「いいから寄越せよ! それとも痛い目見なきゃ分かんねぇか?」
「冒険者同士での争いは禁じられておるのだろう? 力尽くで奪おうと言うのか?」
激昂する男達を言葉で諫めようとするアルクラドだが、彼らが態度を改める様子はなかった。
「兄ちゃん、そいつらはバカだが実力はあるぜ」
「手加減ってのを知らねぇから、怪我じゃ済まねぇかもよ」
男達が騒ぐものだから周りは野次馬で囲まれてしまっている。アルクラド達を囃し立てる者まで出る始末だ。
「誰だ、今俺らをバカにしたのは!? ぶっ殺すぞ!!」
バカにされた男達は怒りの矛先を野次馬へと向ける。しかしアルクラドへの怒りは収まらない様で、リーダーらしき男は依然としアルクラドを睨みつけている。
この騒ぎは一向に収まる様子はない。アルクラドは小さく溜息を漏らす。それが癇に障ったのか更に声を荒げる。
「てめぇ、今鼻で笑いやがったな!」
その言葉で彼らの怒りが更に過熱する。
4人の冒険者達は一斉にアルクラドに飛びかかろうと、身体にぐっと力を入れた。
アルクラドは溜息と共に、指を鳴らす。
パチンッ。
皆の意識が一瞬、その音に奪われる。
次に意識がアルクラドに向いた時、無数の氷の矢が冒険者達へと向けられていた。ズラリと並んだそれは傍目にも硬く鋭いということが見て取れた。人の身体を易々と突き刺す程度には。
身体に触れるか触れないかという至近距離に矢が迫り、少しでも動けば矢が突き刺さる状況で、冒険者達は冷や汗を流すしかなかった。
音に気を取られたほんの一瞬の間に、それも詠唱もなく現れた氷の矢。居合わせた冒険者がアルクラドの実力を知るには充分な出来事だった。
アルクラドは自身が吸血鬼であること以外は特に隠すつもりはない。今回の魔法も一般的な冒険者からすればとんでもないことであるが、アルクラドにとっては児戯にも等しい。隠し立てする必要があるとさえ思っていない。
「その矢を潜り抜けて来たならばこの依頼はお前達に譲ろう。出来ぬのならば早々に諦めて失せるが良い」
目の前に浮かぶのは矢の絨毯であり、そのまま立ち向かえば串刺しは免れない。武器で打ち払おうにも飛び掛かろうとしたその瞬間に矢を突き付けられたため、武器に手を伸ばすことも出来ない。
「クソがっ!!」
結局男達は、悪態を吐きながら退くしか選択肢はなかった。
「次からは相手の力量を良く見定める事だな」
足早にギルドから立ち去る4人の背中にそう告げて、アルクラドは受付へと向かって行った。
それを見たギルド内の人達からは歓声が沸き上がった。
自身に向けられた歓声など気にも留めず、アルクラドは依頼の受け付けを済ませた。
時刻は昼過ぎ、昼鐘の2つ目が既に鳴り終わった後。森まで歩く時間を考えると、夜は森の中で過ごすことになるだろうが特に問題はない。アルクラドは準備も碌にせず町の外へと向かう。宿に泊まる金がないのも大きな理由の1つだった。
コルトンの森へは片道およそ2~3刻。森での活動時間を含めれば町の閉門には確実に間に合わない。また森はいつもオークで溢れかえっているわけではないので、どれだけのオークが狩れるかも分からない。
今回の依頼は調査依頼の側面も持った単発依頼で、その為アルクラドに突っ掛かってきた4人は、依頼を自分達のものにしようと躍起になっていたのである。
町を出たアルクラドは真っ直ぐに、コルトンの森へ歩いて行く。
本日の天気は晴れ。
秋も近付き、若干和らいだ陽の光が、緑鮮やかな草原を照らしている。涼しげな風が草葉を撫で、サヤサヤと心地の良い音を奏でている。
そんな誰もが何かを思わずにはいられない風景の中にあって、アルクラドはただ黙々と歩いていた。高い空の上で輝く太陽を忌々しげに一瞥をくれた以外、周りの景色を見ることはなかった。
そんな中、アルクラドがふと目を空へやる。遠くを見つめるような視線は徐々に真上へと向けられる。
唐突に腕を振るう。
それに遅れること1拍、空から1羽の鳥が落ちてくる。氷の針が、頭を顎から貫いていた。
全体的に茶色で、腹や首回りに白い斑点模様のある鳥だ。両の手のひらよりも少し大きい程度の小ぶりの鳥だが、良く肥えており食いではありそうだった。
早速地面に腰を据え、獲れたばかりの鳥を捌き始める。
首を落として血抜きをし、羽根を毟り内臓を掻き出す。骨に沿って肉を切り分け、火の中に放り込む。
塩などでの味付けはないが、立ち上る香りから判断するならば、焼くだけで充分美味そうであった。
そろそろ肉が焼けた頃合いだろうと、火の中に手を入れ肉を取り出す。表面は程よく色づき、香ばしい香りを放っている。
脂の滴る肉にかぶりつけば、こぼれそうな程の肉汁が溢れ出してくる。しっかりと栄養を溜め込んでいるのか、全身に脂が乗っている様な状態だった。
しかし肉自体の味も脂に負けない程、旨味が強い。少し鉄っぽさはあるものの、それが肉の旨味や脂の甘さの引き立て役となっていた。
あっという間に1羽を食べ終えたアルクラドは、再び森へ向けて歩みを進める。
それから2度の食事休憩を挟み、コルトンの森へ到着したのだった。
森に入ってすぐ、アルクラドはオークの臭いの痕跡を発見した。それは微かなものだったが、およその方向は掴めたため、それに従い歩を進めた。
森の表層部はよく手入れされた景色が広がっていた。
高くそびえる木々は枝が打ち払われ真っ直ぐに伸びている。木材の運搬に使うのか、荷車が通れる道が比較的奥まで続いている。
そんな森の中をしばらく歩き、整えられた道が獣道に変わる頃、豚面の魔物を発見した。
アルクラドは隠れながら忍び寄るでもなく、駆けて強襲するでもなく、悠然と歩きながらオーク達へ近づいていく。
4体のオークはすぐさまアルクラドに気付き、攻撃の態勢を取った。その内の1体、周りよりも少し身体の大きな個体が躊躇う様子を見せるが、残りの3体は迷うことなく敵に襲いかかる。
彼我の実力差を理解できない3体のオークは、白刃の一閃の下に悉く倒れることとなる。全てが首を刎ねられ、恐怖を感じる間もなく大地に倒れ伏した。
対する残りの1体は、アルクラドが決して抗うこと叶わぬ敵であることを理解し攻撃を躊躇していたものの、仲間が殺られたとなれば黙っていられなかった。雄叫びを上げながら怨敵に襲いかかる。
そんな鬼気迫るオークの様子に眉一つ動かすことなく、アルクラドは敵の首を刎ねる。ズシリと、巨体が音を立てて崩れ落ちる。
瞬きをしなくなった生首から、討伐の証拠である牙をもぎ取り、その場を離れる。もちろん死体を焼くことも忘れない。オークの肉は人の食用にはならないが、森に生きる獣達からすれば十分なご馳走だからだ。
その後も何度かオークとの戦闘を繰り返し、20体に迫る数を討伐するのだった。
陽が沈み月が高く昇った頃、アルクラドは晩餐の準備に勤しんでいた。
かつてであれば疲れを知らぬ身体を活かし町に帰れる時間になるまで、コルトンの森のオークを狩り尽くさんばかりに討伐をしていたであろう。しかし食事の楽しさを知ってからは、より美味しいもの、まだ知らぬものを食べることに時間を割くようになっていた。
今回もオークを討伐する傍ら、食べられそうなものを探していた。
肉は取れなかったが、代わりに沢を見つけ魚を獲っていた。両手に収まる程の大きさで、川底の石の様な色をしており胴に小さな白い斑点模様のある魚だった。その魚を20尾程度捕らえていた。
更に途中、木の根元にキノコが生えているのを発見。真っ赤な傘に、いくつかの白い突起があるキノコだった。その果実の様な色鮮やかさに、美味いに違いないと、アルクラドは根こそぎキノコを取り尽くした。
そして腰掛けるのにちょうどいい岩を見つけたところで、そこを野営地とし焚き火を熾した。
昼に肉を焼いた時は魔法で熾した火に直接放り込むという乱暴な方法をとったが、今回は時間があるため焚き火で串焼きにして食べることにした。
魚は内臓をかき出し、キノコは石づきと汚れを落とし、木の串に刺していく。塩は見つからなかったが、香りのいい野草を見つけたため、魚の腹にそれを詰め火にかざす。
香ばしい香りが辺りに漂う。特にキノコは良い意味で予想を裏切る芳香を放っていた。果実の様な色鮮やかさとは裏腹に、肉に勝るとも劣らぬ旨味を感じさせる香りだった。
しかしその香りが要らぬ客を誘き寄せてしまった。
やれやれ、とアルクラドは立ち上がる。
近くに獣の気配はいくつかあるが、焚き火には近寄って来ないだろうと判断する。また魚とキノコの焼き上がりにもしばらく時間がかかると判断。
招かれざる客を始末し帰ってくる時間は充分にあった。
出迎えに向かってすぐ、巨体が姿を現した。
通常のオークよりも1回りも2回りも大きな身体を持つ、オークの上位種オークソルジャー。通常のオークよりも小柄ながら魔法を操る知恵を持つオークメイジ。
そんなオークの上位種が2体揃ってアルクラドに対峙していた。
多少の知恵は回るのか、アルクラドの強さを肌で感じ、足を止める2体のオーク。しかしこの森で最上位に位置する2体は、敗北を知らなかった。それ故にアルクラドに襲いかかるという選択を取ってしまった。
しかしアルクラドがオーク討伐の目的でこの森に来ている以上、彼の知覚の範囲内に入った時点で、オークの運命は決定されている。どう足掻いても死の運命を逃れる術はなかった。
オークが臨戦態勢に入ったと同時に、風の刃がその首を刎ね飛ばした。ソルジャーは構えていた武器を落とし、メイジが魔法の為に集めていた魔力は周囲へと霧散した。
断末魔の叫びすら上げられぬままオークは討ち取られ、牙を剥ぎ取られていった。
アルクラドはすぐに踵を返し野営地へと向かった。
焼き上がりにはまだ時間がある。しかしモタモタして焼きすぎてしまっても面白くない。じっくりと焼き上がりを見極め、最高の瞬間に食すべきだ。
早く戻らなくてはと思い、少し駆け足になろうとした時、違和感に気付いた。それもとても重大な違和感に。
アルクラドは駆けだした。
アルクラドの鋭い嗅覚は串焼きの香りを今もしっかりと捉えている。しかし途中から、気付かぬうちに、キノコの焼ける匂いだけが強くなっていた。いや、魚の焼ける匂いが殆どしなくなっていたのだ。
アルクラドは走る。
余りにも急いだため地面に穴を開けてしまったが、それも気にせず走る。
野営地に着いた。
野営地に戻り焚き火を目にしたアルクラドは愕然とした。
キノコの串焼きは無事だ。
しかし。
あれほどあった魚は姿を消し、串だけが地面に転がっている。
魚の代わりに焚き火の前にあるのは。
獣。
その特徴を身体に宿した人族、獣人。
その獣人の少女2人だった。
3章の始まりです。
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