閑話 ~アルクラドとお酒~
初めての護衛依頼を終え、セイルの奢りでの食事となった夜のこと、アルクラド達はセイルの馴染みであるという店で食事を取っていた。
流石は商人の行きつけの店であり、町でも指折りの高級店であった。華美すぎない豪華な内装で調度品の品もよく、ギルド併設の酒場にはない落ち着いた雰囲気があった。
「何だ、これは?」
そんな中、アルクラドは自分の前に置かれた木製の杯の中を興味深そうに見つめていた。
目に見えるのは杯の中に浮かぶ、やや黄色みがかった白い層。泡の様なものなのか、パチパチ、シュワシュワと弾ける音が小さいながら聞こえてくる。
甘く華やかな香りと香草の様な爽やかな香りが、杯の中から漂ってくる。
美味そうな飲み物だ、とアルクラドは感じた。
「おっ、アルクラドは麦酒は初めてか? 美味いぞ、ほら飲んでみろ!」
アルクラドの向かいに座るマーシルが、自分の杯を傾け、中の液体を喉へ流し込む。ゴクゴクと何度か喉を鳴らした後、勢いよく息を吐き出し、杯をテーブルに置く。その唇には白い髭が出来ていた。
アルクラドがセイルに食事に誘われる場面にいたマーシルは、その場に参加することを決め、こうして一緒にいる。他のメンバーは未だアルクラドへの苦手意識が取れないのか、今回は同席していない。
ちなみにセイルの奢りはアルクラド達に対してなので、マーシルは自腹である。
「ふむ」
アルクラドも彼の真似をし、勢いよく麦酒を煽る。
「……っ!」
突如喉を襲った初めての感覚に、慌てて杯を口から離す。さすがに酒を吐き出しはしなかったが、驚いたように喉を手で押さえている。
「何だこれは……? 喉で、弾ける……?」
麦酒の泡が喉で弾ける感覚に戸惑うも、徐々にその美味しさが分かってきた。
甘く華やかで爽やかな香りが鼻から抜け、麦の甘味と香ばしさ、心地よい苦味が口の中を満たしていく。そして喉を通る時の刺激が更に爽快感を与えている。
酒単体でも充分に美味いが、食事と合わせるとなお美味かった。
特に脂ののった肉料理や、濃い味付けの芋料理との相性は抜群だった。
脂っこい肉料理を食べた後に麦酒を飲めば、細かな泡が脂を洗い流し、口の中をスッキリとさせてくれる。また仄かな苦味は、ともすればクドくなる脂の味を和らげ、見事に調和させてくれる。
芋料理や固焼きのパンを食べた後は、口の中の水分がなくなり非常に喉が渇く。そこに麦酒を流し込めば、渇きが満たされ更に泡の刺激で爽快感が増し、麦酒が更に進む。
その料理から麦酒、麦酒から料理の循環で、いくらでも食べて飲めると、アルクラドは感じた。
「これは、非常に美味だ」
「だろ? 酒は他にも種類がある。今日はセイルの旦那の奢りなんだ、好きなだけ頼んじまえ!」
上等な店らしく、酒の取り揃えも豊富であった。
ブドウから造った葡萄酒に、1度造った酒を火にかけ酒精を高めた焼酒、酒に薬草を漬け込んだ薬草酒などがあった。
また焼酒と薬草酒にはかなりの種類があり、焼酒は元の酒の原料で味わいが違い、芋、麦、ブドウから出来た酒の焼酒があった。薬草酒も、元になる酒と漬ける薬草の種類で味が変わり、この店には置ききれない程の種類があった。
「ふむ、ではこの葡萄酒とやらをもらおうか」
麦酒の次にアルクラドが注文したのは葡萄酒。半透明の硝子の杯で提供されたそれは、濃い赤紫色の酒だった。
透明でありながら、杯の中央は光を通さないかの様な暗い色調。立ち上るのは華やかで芳しい果実の香りであるのに、思わず人に流るる命の源を想像してしまったアルクラド。
沸き立つ心を静めながら紅玉の雫を口に含む。
何倍にも凝縮された果実の風味、続いて口内が引き締まる渋味、そして後に引く微かな酸味。果てはそれらが渾然一体となり、複雑で素晴らしい余韻がひたすらに続いていく。
「美味い……」
アルクラドはため息と共に呟いた。
立ち上る香りは甘く濃厚な果実の芳香。それと共に香木の様な甘さも感じるが下卑たところはなく、ひたすらに優美。
次にやってくる渋味も、かなり強い渋味であるはずだが、濃厚な果実の風味と相まってただ渋いだけではない。渋味が味わいの骨格となり、全体の調和を取っている。
そして最後の酸味が、微かながら味わいの完成に一役買っている。この微かな酸味が後味を引き締めることで、嫌な甘さが後に引くこともなく、素晴らしい余韻となっていた。
「ほう、この良さが分かるか。是非ともこの料理に合わせてみろ」
セイルはこの葡萄酒がお気に入りの様で、それに合う料理をアルクラドに勧める。
それは羊の肉を焼いた料理で、羊肉特有の臭みを香草で和らげたものだ。それでもなおクセのある味であり、好き嫌いの分かれる料理であった。
1口食べれば確かに独特の香りが口の中に広がっていく。初めは香草の爽やかな香りが勝っているが、噛むほどに羊の匂いがどんどん出てくる。
アルクラドにしてみれば嫌な香りではなく、これだけでも充分に美味しい料理だと感じられた。そこへ葡萄酒を1口含む。
驚いたことに葡萄酒の香り、羊肉の香り、その個性はそのままに、互いが更に優美なものへと昇華された。
先ほどまでクセとしか言いようがなかった羊の香りが、とても好ましいものに変化している。これを知れば元の香りは臭みとしか言えないだろう。
葡萄酒の香りも果実然とした香りから、より洗練された幾つもの花束を集めたような香りへと変わっていた。元の香りが華美であったと思えるほどに。
「これは……」
アルクラドは思わず言葉を失ってしまった。
その様子を見て、セイルは満足げに頷いていた。アルクラドが味の分かる者で嬉しいのだろう。
それに気を良くしたセイルは、どんどん注文をしていった。
アルクラドも遠慮することなく、初めての酒をどんどん注文していった。
葡萄酒の次に頼んだのは、焼酒だった。
元になった原料の違いで味が違うということで、芋、麦、ブドウを使った焼酒をそれぞれ注文した。
芋の焼酒は蒸した芋の様な自然で優しい甘さを、麦の焼酒は甘く香ばしい香りを、ブドウの焼酒は甘く華やかな香りを、それぞれに感じることができた。
またどれも酒精を高めただけあって、喉が焼けるような、麦酒とはまた違った刺激があった。
その感覚は、アルクラドにとって好ましいものであったので、彼は何度も焼酒を、特に麦の焼酒を注文した。
薬草酒は、葡萄酒に数種の薬草を漬けたもの、芋の焼酒に10種類以上の薬草を漬けたものがあったが、こちらは余りアルクラドの口には合わなかった。
ちなみにマーシルは、葡萄酒は上品すぎるといって、麦酒ばかりを飲んでいた。
ライカにロザリーは、どれも余り口に合わなかったため、果実水やブドウの焼酒を水とハチミツで割ったものを飲んでいた。
ライカはマーシルに子供舌だとバカにされていたが、どうにも酒を飲むことは出来ず、からかわれ役に甘んじていた。
アルクラド達が店に着いたのは宵鐘の2つが鳴った頃。既に4つ目の鐘がなり陽は完全に沈み、夜の天頂に月が差し掛かる頃まで食事は続いた。
アルクラドは皆が驚く健啖ぶりと酒豪ぶりを発揮し、誰よりも食べて誰よりも飲んだ。加えて食欲が衰えを見せる様子はなく、店の営業時間が終わるまで、何食わぬ顔で食べて飲み続けた。
奢ると言った手前、商人の誇りにかけて前言撤回など出来ないセイルは、顔を青くし乾いた笑みを浮かべていた。
インフルエンザでくたばっておりました。
評価やブックマーク、皆様ありがとうございます。
少し短めの閑話でした。
話の中の焼酒は焼酎ではなく、洋酒の蒸留酒のイメージです。
芋の焼酒:ウォッカ、麦の焼酒:ウィスキー、ブドウの焼酒:ブランデー、の様な感じです。
毒も効かない吸血鬼、酒に酔うこともありません。
羨ましい様な、そうでもないような・・・・・・
少しだけ間開きまして、次から3章に移ります。
次回もよろしくお願いします。