エピローグ
今回は3話連続で、この話が3つ目です。
1つ目、2つ目をお読みで無い方は、前話へお戻り下さい。
ドール王国にて人魔の友好が宣言されてから、いくらか季節が巡った頃。未だ国家間で正式な条約が結ばれたわけではないが、人族と魔族の交流は随分と盛んになっていた。
その象徴と言えるのが、かつて人魔大戦において激戦地となったイリグック大平原、そこに築かれた町であった。人族領と魔族領の境界でもある大平原に築かれた町には、多種多様な種族が集まってきた。
人魔友好が宣言されてからまだ日は浅く、互いの習慣や常識もよく分からぬまま様々な種族が集まれば、当然諍いは起きた。しかし住み慣れた土地を離れそんな場所にやってくる者達は、元々先入観の薄い者達であり、他種族の習慣や常識も、そしてそこで起こる諍いさえも、柔軟に受け入れた。
ただの物好きか、それとも元々いた場所に居心地の悪さを抱えていた者なのか、ともかく決して治安がいいとは言えない町ながらどんどん人が集まり、町は次第に大きくなっていった。
いつしかその町は、その成り立ちと空気から自由都市「フリーハイト」と呼ばれる様になり、人族と魔族の交流の拠点となっていった。
もちろん交流が増えたのはフリーハイトだけではない。
フリーハイトを通じて、多くの魔族が人族領に足を踏み入れていた。人族領における大国だけでなく、友好を結んだ小さな国にも魔族達は訪れていた。
当初は互いに二の足を踏んでいたが、魔族達は長く魔界に籠っていたとは思えないほどの旺盛な好奇心を見せ、人族領へと赴いた。もちろん全ての人族が彼らを受け入れたわけではないが、人族の中にも好奇心旺盛な者はおり、見慣れぬ旅人を友の様に持て成した。
更には人族領へ赴いた魔族の中に暴れて大騒ぎを起こす者は、人族の予想に反してほとんどいなかった。魔族がそう振る舞うのは、恐ろしい魔王の厳命であったが、人族のほとんどはそれを知らなかった。故に魔族がただ暴れるだけの存在でないのだと、認識を改めた。
また魔族達も人族に対する認識を改め始めていた。それは強敵と戦う為に生まれた組織や戦術、そして魔族をも凌ぐ傑出した力を持つ個人を見たからである。
個々が強い力を持つ魔族は、集団戦が苦手だと言ってもいい。集団で戦うことはあっても個人が思う様に力を振るうだけで、そこに連携などはない。しかし人族における集団戦は、戦う敵が強大であればあるほど、連携が肝となってくる。ある国の騎士団の戦いを見る機会のあった魔族は、その戦い方に甚く関心を持ったのだった。
加えて魔族をも凌ぐ魔力や戦闘能力を持つ個人を見て、人族が決して弱いだけの種族でないことを理解した。それだけの力を持つ者が素晴らしい連携を見せる集団を引き連れてやってくれば、苦戦を強いられるどころか負けすら有り得る。そう考えた魔族の中には、人族にある種の敬意を抱く者もいた。力を重んじる魔族にとって、力があれば種族の差など大した意味を持たないからである。
そうして互いに対する考え方や見方が変わっていき、人族と魔族は徐々に歩み寄っていった。
未だ不安はある。いつか大きな問題が起きると考える者は多い。しかし同時に明るい未来に希望を持つ者もまた多かった。そんな不安と期待の中で、人族と魔族は新しい歴史の中を一歩ずつ着実に歩んでいくのであった。
人魔友好宣言から数年が経ち、改めて魔族国ヘルドシュタットと人族国の間で国交を結ぶ条約が締結された頃。
季節は夏。
草木が鬱蒼と生い茂る森林の中を1人の男が歩いている。強い太陽の光は生い茂る分厚い枝葉に遮られているとは言え、森の中は汗が際限なく噴き出るほどに蒸し暑い。そんな中を、男は何とも涼しい顔で歩いている。
彼が歩くのは魔界の西端にある、果ての森と呼ばれる場所であった。
男の恰好は、つば広の帽子、襟高の外套、長い袖と長い裾をした上下の衣服に手袋と靴。そのどれもが光を吸い込む漆黒であり、季節柄見ているだけでも暑苦しい恰好であった。
真冬でなければ有り得ないほどの重装備でありながら、男の白磁とも思える真っ白な顔には汗1つ浮かんでいない。彼は一切暑さを感じていないのか、形の良い眉も朱を引いた様な紅い唇も、歪められることはなかった。時折吹く生ぬるい風に銀糸の如き髪を揺らしながら、血を溶かした双眸を周囲へと巡らせている。
アルクラドである。
彼はとある情報を聞きつけ、1人この果ての森へとやってきたのである。
ここ数年、彼は1人で世界を巡っていた。魔王騒動の後しばらく活動を共にしていた、シャリー、ライカ、ロザリー達と別れ、主に魔界の各地を巡っていた。
世間では人族と魔族の友好が深まりつつあり、魔界でも人族を見かける機会が多くなっていた。しかしアルクラドは、それらに大した関心を持っていなかった。両種族が友好を深めようが深めまいが、アルクラドにはどうでもいいことであった。人族の国の中でも魔族の国の中でも、アルクラドが自分の思うままに行動することに変わりはないのだから。
そんなアルクラドがこの地に赴く理由となった情報とは、自身の過去にまつわるものであった。
今は記憶を失っているアルクラドであるが、かつては強力無比な力を持つ吸血鬼として畏れられ、魔界の支配者として君臨していた。その当時アルクラドに献上された物が、この森のどこかにあるのだ、と言う。アルクラドはそれを探しに来たのである。
目印は池。
深い森の中、やや起伏に富んだ場所にその池があり、そこに目的のものがあるという話を聞いたアルクラド。水の匂いを頼りにそこを探そうとしたが、森には至る所に川や池があった。そのおかげでアルクラドは、地道に森の中を歩き目的のものを探していた。
しかしそれを苦とは思わない。暑さを物ともせず、疲れることもなく、敵が現れても意に介さないアルクラドにとって、数旬、または数か月森を彷徨うことは何でもないのである。
だが、腹は減る。
たとえ100年何も食べなくても体調を崩さず、死ぬこともないアルクラドであるが、腹が減るには減るのである。それ故に目につく果実や木の実、キノコを口にした。幸いにしてこの地は森の恵みの宝庫だったが、そのどれもが美味とは言い難いものであった。果実は水っぽく、木の実はえぐく、キノコは辛かった。しかしある程度腹は満たされ、未知の味を知ることが出来たと、アルクラドは満更でもない様子であった。
そうして森に入ってから数日が経った頃、アルクラドは目的地であろう池に辿り着いた。
やや険しい坂道を上った先に、窪地がありそこに大きな池があった。その池の奥には崖の様に急な斜面があり、そこには数多くの木が生えていた。その木々は、森の中に多く生える真っすぐな木とは違い、幹が根元から3つに分かれていた。その様子は、アルクラドが聞いた情報の通りであった。
一瞬足を止めていたアルクラドだが、満足げに頷き再び歩を進めた。
その目に映るのは瑠璃色に輝く池、ではなく、その奥の木々に生る果実であった。
その果実は上下から押された様な楕円形をしており、その色はやや黒っぽい紅色であった。中には僅かに黄色みがかり色の薄いものもあったが、その殆どは全体が深い紅色になっている。
1000年に1度だけ実を付けると言われている伝説の果実であり、この夏が丁度その時期であったのだ。
トルソンペシュと呼ばれるこの果実にはある言い伝えがあり、その実を1つ食べると万病を治し、2つ食べると若返り、3つ食べると不老不死になると言われているのである。
アルクラドが不死の吸血鬼であることを知る者の中には、何故そんなものを探すのか、と笑う者がいるだろう。そもそも病に侵されることなく、常に若い姿を保ち、不老不死である吸血鬼が、そんな果実を食べる必要などないだろう、と。
しかしアルクラドを良く知る者からすれば、彼がそれを探しに行くことは季節の巡りの如く自然なものだった。アルクラドにとって万病を治すことも、若返ることも、不老不死になることもどうでも良いのである。自身の過去に関わりのあるものであるが、それも大した問題ではない。
1000年に1度しか食べられないものを食べたい、ただそれだけの理由で、アルクラドは果ての森へやってきたのである。この機を逃しても、また1000年経てばこの果実を食べることが出来る。しかし悠久の時を生きた吸血鬼の始祖とは言え、1000年はちょっとした時間である。流石のアルクラドも、次の機会を待とうとは思わなかった。
そんな伝説の果実を、もうすぐ食べることが出来る。
アルクラドがそう思った瞬間、池から太い水柱が立ち昇った。その水柱が消えると、池の中から奇妙な生物が姿を現していた。
黒々とした緑色の体を持った生き物。その表面はぬめっているのか、テラテラと光を照り返している。頭らしき部分は丸くブヨブヨとしており、胴体は無く、頭から直接手足の様な細長いものが生えていた。その数は8本で、その1本1本に大きさの揃った円盤の様なものがきれいに並んでいた。そして何よりその身体がとても大きかった。手足の様なものは人の胴よりも太く、全体の大きさは小型の竜種ほどであった。
アルクラドはこの魔物を知らなかったが、池のほとりの果実を守っているのか、ただ池に棲みついているのか、ともかく敵意を持っていることは理解した。
アルクラドは手に魔力を集め、しかし攻撃をすることなく歩を進めた。たとえ敵意があろうと、攻撃をしてこなければ、アルクラドにも攻撃をするつもりはない。目的は目の前にたわわに実る果実なのだから。
だがそんなアルクラドの考えなど露知らず、8つ足の魔物はアルクラドに襲い掛かってきた。4本の足を振り上げ、アルクラド目がけて振り下ろした。しかしその足は昏い魔力の壁に阻まれ、アルクラドを叩き潰すことはなかった。それと同時にアルクラドの放った魔法が、大きな池ごと魔物を氷漬けにした。
氷の中に閉じ込められた魔物に一瞥をやった後、アルクラドは凍った池の上を歩き、果実の生る木へと近づいた。そしてよく熟していそうな色の濃い果実の下へ行き、手を伸ばした。
不思議なことに、これだけ近くにいても、果実から甘い香りは感じられなかった。アルクラドの驚異的な嗅覚をもってしても、感じられるのは花に似た青く爽やかな香りのみ。もぎ取ろうと触れてみれば、その感触は硬くまだ未熟の様であった。鮮やかとは言い難い色をしたその見た目も相まって、正直美味しそうだとは思えなかった。
しかしアルクラドに、食べないという選択肢はない。たとえ龍を死に至らしめる毒を持っていようとも、食べる。それがアルクラドである。
もぎ取ったトルソンペシュに齧りつくアルクラド。
シャクリ、と小気味よい音がなり、それと同時に、甘い香りが噴き出した。
蜜の様な甘い香り。それに皮の持つ花の香りが合わさり、何とも心地よく爽やかな匂いとなっていた。加えてどこか木の実の様な香りもあり、甘く爽やかなだけではなく香ばしささえあった。
美味なる果実は熟し柔らかくなったものだと思っていたアルクラドであるが、トルソンペシュに限ってはそうではなかった。未熟な果実の様な硬さはあるが、苦味や渋味、酸味は全くなくひたすらに甘い。にもかかわらず、べたつく嫌らしいものではなく、どこまでも透き通った甘さであった。
この果実に、伝説の様な効果があるのかは分からない。しかしそう思えるほどに美味であった。
「……美味だ」
辺りの果実を食べ尽くさん勢いで大量のトルソンペシュを食べたアルクラドは、そう呟いた。その後、8つ足の奇妙な魔物もその腹に収め、満足げに頷いた。正直に言うと大味でそれほど美味だとは感じられなかったが、満足げに頷いた。
そうしてアルクラドは踵を返し、瑠璃の池を後にした。更なる未知の味を求めて。
最後までお読みいただきありがとうございます。
最終章へ向かう辺りから急いで話を進めた感があり、最後の纏めも取り合えず纏めた感が否めないのですが、
骨董魔族の放浪記は、一旦ここで一区切りと致します。
連載を始めて約1年半。これだけの間続けてこられたのは、今までお付き合いいただいた皆様のおかげに他なりません。皆様から頂いた感想に喜び、時にはへこみ、自分の定めた更新期限に苦しめられながらも、この連載は充実感のあるものでした。
しかしここ最近、仕事環境が変わり思うように時間が取れず、頭を捻っても中々文章が思い浮かばない状態でした。
なので、一旦区切りをつけてしばらく充電期間(生意気ですが……笑)を設けようと、少し前から考えていました。
ですが骨董魔族として書きたい話はまだありますし、回収できていない伏線もあります。なので今回は「骨董魔族 第一部 完」的な感じでの完結とし、また続きを書いていきたいと思っています。
それが第二部的な感じになるのか、アフターストーリー的になるのかは未定ですが、次は完結に至るまでのストーリーをもっとしっかり練った上で書いていきたいです。(今回は好き勝手やりすぎた気がします……笑)
また骨董魔族とは違った話も書いていきたいと思っていますので、それが連載された際には是非とも読んでいただければと思います。
長々と書きましたが、最後の御挨拶とさせていただきました。
次回もよろしくお願いします。