理の魔法
アルクラドとフロスターネ。吸血鬼であるその2人を除き、広間に居る全ての者が目を見開いていた。
先程までの凄まじい攻撃の直撃を受けても、傷1つ付かなかったアルクラド。正確には全ての傷が立ちどころに治っていたのだが、それはシャリー達はおろかアリント達にも分からないほどの、再生の速さであった。
そんなアルクラドの右手が、床に転がっているのである。
血を操り武器とする吸血鬼であるが、切り落とされた手首の断面からは止めどなく血が流れ、手が元通りになる気配は少しもない。
アルクラドの手を切り落としたフロスターネは油断無く敵の様子を窺い、その側近達は瞳に希望の光を宿している。対してシャリー達は、動揺と不安をその顔に浮かべていた。
そんな中アルクラドはいつもの様に無感動な顔をして、切り落とされた自らの手を、道端の石かの様に拾い上げた。そしてその手も、流れ落ちる血も気に止めぬ様子で、アルクラドは魔王へと視線を向けた。
「見事だ。魔を統べると言うだけの事はある」
その口から飛び出したのは、相手への称賛の言葉であった。訝しげな表情を浮かべるフロスターネだが、アルクラドは構わず続ける。
「其方の腹心であった魔人の戦士も、死の間際に魔の頂へと手を掛けたが、我の身体をここまで傷つける事は出来なかった」
ドールを攻めてきた魔王の右腕も、最後の最後で、アルクラドが即座に再生できない攻撃を放った。確かにそれは魔王と同種の攻撃であったが、その中にも明確な力の差があったのだ。
「……何のつもりだ?」
フロスターネは警戒を強めてアルクラドに言う。
傷を再生することが出来ず、流れる血も止めることが出来ない攻撃を受けたにもかかわらず、アルクラドは動揺も焦りも一切見せない。それどころか、魔王やそのかつての部下へ称賛の言葉を送っている。
腹心の部下が最後に一矢報いたことを知れたのは喜ばしいと思う魔王だったが、今更ながら、眼前に立つ敵に底知れなさを感じ始めていた。
「見事だ、と言ったのだ。如何な吸血鬼とて、我にここまでの傷を与えられる者は僅か故な」
なおもアルクラドは称賛の言葉を続ける。既に少なくない量の血が流れ、地面に血溜まりを作っている。人族であれば既に動けなくなってもおかしくない量だが、アルクラドがそれを構う様子はない。
「ふん……いくら言葉を弄したところで、貴様の運命は変わらぬ。理の魔法を使えぬ貴様が、私に敗れる運命はな」
一向に攻撃の意思を見せないアルクラドに対し不気味さを感じるフロスターネだが、敵は攻撃をしないのではなく出来ないのだ、と判断した。たとえ吸血鬼の始祖であっても、1000年を超える眠りはその力を著しく衰えさせ、理の魔法は使えないのだろう、と。
「理の魔法を我が使えぬ? そんな筈は無かろう」
だがアルクラドは事も無げに言う。魔王と同じ力を、自分も使えるのだ、と。
「シャリー、エピスよ、良く見ておれ。其方らが至れるかは識らぬが、これが魔の頂、真の魔法である」
フロスターネがアリントにした様に、アルクラドも人族における希代の魔法使いに向けて言う。
「魔法とは、己が意思を魔力に乗せて放つ物。世の理を曲げ、自らの意思を押し通すが真の魔法」
そう言ってアルクラドは、手の無い右腕を眼前に掲げる。血が溢れるのも構わず魔力を込め、一言詠う。
「……其は貫く者なれば」
途轍もない魔力と短い詠唱から生み出されたのは、人の背丈ほどの紅い球体。強い魔力を感じるもののその肌はとても滑らかで、どう頑張っても貫く者には見えない。そんな球体を、アルクラドは高座へ続く階へ向けて、放った。
人が走る程度の速さで真っすぐに飛ぶ球体は、音も無く階を通り抜け、高座を支える土台を通り抜け、広間の壁を、そして城の壁を通り抜けた。球体が通り過ぎた後には、それと全く同じ大きさの穴が開いていた。そして紅い球体は、何ものにも遮られることなく、前進を続けていた。
アルクラドとフロスターネを除く全員が、再び目を見開いた。アルクラドの生み出した紅の球体が、音も無く全てに穴を開けていく様が理解できなかったのだ。穴が開いているのは理解できる。しかし何故、ああも容易く穴が開くのか、どういう理屈で穴が開くのか、それが理解できないのである。
理の魔法。後に彼らが知るそれこそが、魔法と呼ばれるものの真の姿であった。
膨大な魔力と何よりも固い意思の下で放たれる魔法は、世の理さえも無視して己の意思を具現化する。全てを破滅させる意思は吸血鬼の再生能力さえ破壊し、全てを貫く意思は少しの抵抗も許さず全てを貫く。故にアルクラドの手は元に戻らず、城の階や壁には元々あったかの様に穴が開いたのである。
「理の魔法を使うまでも無いと思っていたが、そうも往かぬ様であるな」
「やはり使えるか、だが機を失したな。貴様は手を失い、いずれ血も全て失う。もはや貴様に勝ち目はあるまい」
その理の魔法をアルクラドが使えないと断じたのは楽観が過ぎたかと嘆息するフロスターネだが、それでも自身の勝利を疑ってはいなかった。切り落とされた手は元に戻らず、また血も止めることが出来ない。いかな吸血鬼とて、全身の血が失われれば、死んでしまうのだから。
「我の手は未だここにある。血も何れ止まる」
そんなフロスターネにアルクラドは、僅かに首を傾げながら言う。確かに切り落とされた右手は、アルクラドの左手の中にある。そして血もいつかは止まる。だがフロスターネの言いたいことはそうではない。
「ふん、負け惜しみを……」
鼻で笑うフロスターネだが、続くアルクラドの行動に言葉を切った。
アルクラドは左手に持つ手の切断面と、未だ血の流れる右手首の切断面とを、ピタリと合わせた。そしてゆっくりと、右手を開いて閉じた。
魔王は息をするのも忘れ、目を見開いた。
「……其は切り裂く者なれば」
血が止まり元通りになった右手にアルクラドは魔力を集める。そして周囲の景色を歪める魔力の中から、1振りの剣を引き出した。赤みを帯びた黒く輝く剣。飾り気のないその細剣は鍔さえなく、長い剣身が僅かに湾曲している。
「往くぞ、魔王よ」
そう言ってアルクラドは、黒の細剣の切っ先をフロスターネへと向けるのであった。
バカなっ……!
バカなっ、バカなっ、バカなっ……!
迫りくる黒の細剣を破滅の剣で捌きながら、フロスターネは何度も心の中で叫んでいた。
そんなバカなっ……!
今目の前で起きているのは、彼の認識の完全に埒外の出来事であった。
破滅を齎す者。理の魔法によって生み出された、剣の形をした破滅。その前ではどれだけ堅牢な守りも破壊され、それによって付けられた傷は決して治らない。全てを壊し、全てを滅ぼすのが、魔王の使った理の魔法なのである。
だと言うのに、目の前で黒の細剣を振るう男は死んでいない。
血を止めることすら出来ぬはずが、血を止めたどころか切り落とされた手をくっつけて再生してしまった。その手は剣を確と握り、存分に振るっている。まるで手を切り落とされた事実などなかったかの様に。
そしてアルクラドの剣と打ち合うフロスターネの剣にも、有り得ないことが起こっていた。
魔王と同じく理の魔法を使いアルクラドが生み出した、切るという意思を固めた剣。それとフロスターネの破滅の剣がぶつかり、風が唸る様な音を響かせる。初めは何もなかったが、何度も打ち合っているうちに徐々に破滅の剣の刃が欠けてきたのだ。対するアルクラドの剣には傷1つなく、赤みを帯びた黒の剣身が光を照り返している。またアルクラドの振るう剣が発する風にまで全てを切り裂く意思が乗っているのか、フロスターネの身体とその周囲には無数の傷が刻まれていた。
2人の戦いは、先程までとはまた違った様子を呈していた。
アルクラドに変わりはない。敵の持つ剣が自分の手を切り落としたものであっても、攻撃の意思を固めれば回避も防御も一切しない。破滅の剣が身体を切り裂き大量の血をぶち撒けようとも、再び手や腕を切り落とされようとも、アルクラドは止まらない。自らを切らせて相手を切り、負った傷は数度の瞬きのうちに治してしまう。吸血鬼としての戦い方を貫いていた。
対するフロスターネは、回避や防御に意識を割いていた。自らの生み出した破滅の剣に傷を与えるアルクラドの剣。それを身体に受けてしまうと大きな傷を負ってしまう、と直感したのだ。しかし長年染みついた吸血鬼としての戦い方を変えることは難しく、攻撃の意思を固めれば回避や防御のことは頭から消え失せていた。結果、アルクラドの身体を切ったはいいが、自分の身体も切られてしまった。
これがただの剣であれば何の問題もなかった。ただ傷を治し、再び攻撃をすればいいのだから。しかし敵の剣は、全ての理を曲げ、何ものをも切り裂く剣。切ったという事実が魔王の身体に刻まれ、驚異的な吸血鬼の再生能力をも抑え、彼の身体に再生を許さなかった。
アルクラドの傷は治り、フロスターネの傷は治らない。徐々に戦いの優劣がアルクラドへと傾き始めた。
相変わらず攻撃を全く躱さず防がないアルクラドは、幾度も傷を負い手足を切られるが、それをすぐに治す彼の攻勢に衰えは見えない。対するフロスターネはアルクラドの剣を防ぎつつも、少なからず傷を負い、その攻撃は徐々に精彩を欠いていた。
そして決着の時が訪れた。
フロスターネの繰り出した鋭い刺突が、アルクラドの左手を貫く。アルクラドはそれに構わず、それどころか自ら手を剣の根元へと押し込んだ。そして剣を握るフロスターネの手を、覆うようにして握り込んだ。
「っ……!」
捕まった。
そう思った瞬間、身体は既に自由になっていた。しかし目に映る敵の手には、剣を握る腕があった。それはつまり腕を切り落とされたということ。それに思い至ると同時に、焼ける様な痛みと命が流れ落ちるのを感じた。
「ぐぅ……!」
フロスターネは慌てた様に、残った手を傷口に宛がい、灼熱の炎で血の溢れる傷口を焼き焦がした。肉の焦げる不快な臭いが広間を満たす。噴き出る様な血の勢いは収まり、命の雫の喪失は防がれた。
「終わりだ、魔王よ」
焼けた腕を押さえ膝を突くフロスターネに、アルクラドが黒剣の切っ先を向ける。それはいつでも心臓を貫ける様に、胸の前にピタリと据えられていた。
切り落とした腕を投げ捨て、無感動な目で自身を見下ろすアルクラドを、フロスターネは歯を剥き忌々しげに睨んでいた。しかし自身の終わりを悟ったのか、鼻を鳴らし自嘲気味に笑った。
「結局は私も祖父と同じ道を辿るのだな……祖父が貴様を討てなかった時から、こうなることが定まっていたのかも知れんな」
吸血鬼として長く生きたとは言えないが、フロスターネは幼い頃よりただ自らの力を高め続けてきた。そして魔の頂に手を掛けその上に立ち、何が立ちはだかろうとも祖父や父の悲願を達せられると確信していた。
だが目の前に立つ男は想像を遥かに超える、そして聞いていた通りの化け物であった。この男が敵として立ちはだかる以上、為す術は何もないのだと悟ったのだ。
「殺せっ! 自らに歯向かった者を赦さぬ貴様が、我が祖父らを殺した様にっ! そして誰も居らぬ朽ち行く世界で、独り彷徨い果てるが良いっ!」
穏やかな表情から一転、フロスターネは再び歯を剥き、恨みの籠った目でアルクラドに呪いの言葉を吐いた。戦いにおいて一矢さえ報いることが出来ぬのならば、せめて彼の者の行く道に影を。フロスターネの抱く憎悪の念は、自らの死を前にしても衰えることはなく、むしろ膨れ上がっていた。
そんな魔王の怨嗟の声を無感動に聞いていたアルクラドは、何も言葉を発することなく、膝を突く魔王をただ見つめていた。そして全てを切り裂く黒の細剣をゆっくりと頭上に掲げ、今まで自らに歯向かった者にしてきた様に、振り下ろすのだった。
お読みいただきありがとうございます。
手を切り落とされたアルクラドですが、やっぱりというかなんというか、特に問題はありませんでした。
そして確実に最強の部類に入る魔王との戦いでしたが、決着が着きました。
魔王はアルクラドに切られてしまうのか!?
次回もよろしくお願いします。





