英雄の不安
アルクラドが龍の生肝を食べるという珍事があったものの、討伐隊の面々は思い思いに龍の肉を食べ、その腹を大いに満たした。その頃には太陽は山の向こうへ隠れ、山の稜線に僅かの茜色を残し、空は夜色へと染まっていた。
ほとんどの者が食事を止めていたが、アルクラドは未だに肉を食べ続けていた。いつまで食べるのだと周囲から呆れの視線を向けられるアルクラドは、それを気にすることなく肉を食べ続けていたが、その彼がふと肉に注がれていた視線を上げた。そして手に持った肉を口の中に放り込むと、徐に立ち上がり、討伐隊から離れた所にいる龍達の元へと歩き出した。
一体どうしたのだ、と討伐隊の面々はアルクラドに視線を向けた。もしかして古代龍までをも食べようと言うのか、などと考えた者もいた。
黒龍の前までやってきたアルクラドは、しかし剣を抜くことはなく、その場に立ちただ視線を向けるだけだった。
―私達はもう行きます。
そんなアルクラドの頭の中に、声が響いた。耳に届いた音ではないが、それは確かに黒龍のものだった。
―うむ。
頭の中に響く声に驚くこともなく、アルクラドは声に出さずその声に答えた。
―此の者達の愚行は、魔王とやらとの取引だった様です。アルクラド様を殺せば、一族を滅ぼしはしない、と脅されていたのです。
―そうであるか。
―全く……誇りある龍族が魔族の脅しに屈する等、情けない限りで御座います。
かつて魔族に地を嘗めさせられ命乞いをしたのは誰だったのか、などとアルクラドは言及したりはしない。代わりに白龍が、悔しそうな唸り声で以てそれに答えた。
―兎も角、此の者達は此の場を去り、以後アルクラド様に危害を加える事は御座いません。故に此の者達の愚行を御赦し頂ければ幸甚と存じます。
―うむ。その者らは剥いた牙を収めた故、赦そう。再び牙を剥く様であれば、その限りでは無いが。
―恐悦至極に存じます。私とは生きる場を異にする者達では御座いますが、同じ龍族として感謝致します。
そう言って深く頭を下げると、黒龍は徐に翼を広げ、他の龍達もそれに続いた。
―では行きます。若し何か御用が御座いましたら、何時でも御呼び下さい。
―うむ。
黒龍が最後にもう1度深く頭を下げた後、龍達は空へと飛び上がった。不思議と突風が吹き荒れることはなく、黒龍は北へ、白龍達は西へと飛び去っていった。
それを見届けることなく、アルクラドはすぐに背を向け、焚き火の傍に戻っていった。
「今のは何だったんだ?」
再び肉を食べ始めるアルクラドに、ライカが尋ねる。傍から見れば、アルクラドはただ黒龍と焚き火の間を行き来しただけであり、何をしていたかが分からなかったからだ。
「別れの挨拶である」
そう答えるアルクラドであるが、龍とアルクラド以外には、彼らが言葉を交わしていたことは分からず、ライカは余計に首を傾げた。が、言葉を用いず視線だけでやり取りをしていたのだろう、と勝手に納得した。
「しっかしアルクラドはよく食うよな。まだ食う気か?」
「無論だ。まだ食しておらぬ部位がある故な」
龍とのやり取りは脇に置き、未だ食欲の衰えぬアルクラドにライカが苦笑する。
アルクラドは最初に腿の肉と肝を食べた後、次いで腕と尾の肉を食べていた。しかし首、背、腹の肉はまだ食べておらず、今日のうちに全ての部位を食べるつもりでいた。その為、討伐隊の面々が見張りや就寝の準備を進める中、アルクラドは肉を食べ続けるのであった。
アルクラドが龍の全ての部位を食べ終えた頃、辺りはすっかりと暗くなり夜の帳が下りていた。
「アルクラド殿、少しよろしいですか?」
見張りにつく何名かを除きほとんどの者が寝静まったその夜、焚き火の前に座るアルクラドの元へエピスがやってきた。
「うむ」
答えるアルクラドに対し、こちらへ、とエピスは目配せをし、野営地から離れる様にして歩いていった。そんなエピスをしばし見つめた後、アルクラドは徐に立ち上がりその背中を追った。
「こんな夜更けに申し訳ありません」
「構わぬ」
エピスが立ち止まったのは、討伐隊の野営地から随分と離れた場所だった。焚き火の明かりも届かない場所であるが、満天の星空が2人を照らし出していた。
エピスは何やら硬い表情をしており、星明りしかないこの場で常人はそれを見ることが出来ないが、アルクラドには彼女の表情がよく見えていた。
「先程は龍から我々を守っていただいて、ありがとうございました」
「構わぬ。我に牙を剥いた龍を殺したに過ぎぬ故な」
少し表情を和らげて言うエピスの言葉に、何でもないことの様に答えるアルクラド。だが、エピスは首を振る。
「それだけはありません。アルクラド殿がアリテーズで使役したというのが、あの漆黒の古代龍だったのですね」
確かにアルクラドは自分に向かってきた敵を倒しただけであるが、アルクラドがいなければ討伐隊に大きな被害が出ていた。そして仮に襲ってきた赤い龍を討伐隊だけで倒せたとしても、古代龍に勝つことは不可能だった。アルクラドが黒龍を喚ばなければ、討伐隊の命は既になかったのだ。
「あの龍達は何故、我々の前に現れたのでしょうか」
「魔王とやらの差し金の様だ」
礼は不要だとばかりに答えを返さないアルクラドに、エピスは別の話題を向ける。だがアルクラドに尋ねる形を取ってはいても、エピスの中で予想は立っていた。ああも都合よく龍を引き連れた古代龍が現れるなど、何者かの作為を感じずにはいられなかったのだ。その問いに対する答えはエピスの考えを裏付けるものであり、驚きはせずとも落胆は大きかった。もはや絶望と言っていいほどに。
古代龍が魔王の手先としてやってくる。それは魔王と古代龍が仲間関係にある、または主従関係にあるということだ。どちらにしても厄介極まりないことである。
「アルクラド殿、率直に伺います。我々は魔王を討つことが出来るでしょうか」
エピスは再び表情を引き締め、アルクラドを呼び出した本来の目的を果たすべく、そう問うた。
「不可能だ」
人族の未来がかかった戦いの結末を、アルクラドは言い淀むことなくそう断じた。
「やはり、無理でしょうか……」
「うむ。其方らでは魔王とやらに勝てぬ」
「しかし、アルクラド殿は魔王を知らぬのでは?」
討伐隊の敗北を事実かの様に言うアルクラドに、エピスは僅かな疑問を覚えた。
魔王が一筋縄ではいかない相手であることは、予想できていたことだ。ここに来てそれを大きく上回る存在である可能性が出てきたが、それも予想の域を出ないのも事実である。魔王と会ったことがないと言っていたアルクラドが、何を根拠に断言しているのかとエピスは思ったのである。
「我は魔王とやらを識らぬ。だが其奴は、オークキング、強き魔人の戦士アルバリ、そして白き古代龍を従えておった。この者らを力で従えるには、それ相応の力が要る。古代龍すら殺せぬ其方らが、勝てる道理はあるまい」
そう言ってアルクラドは、白龍が魔王に脅されていたことをエピスに語った。それを聞き、エピスは苦い顔をする。古代龍が戦う前から屈するほどの力を持った存在など、この世界の全てが束になっても勝つことなど出来ないではないか、と。
だが1人だけ、勝てる可能性を持つ者がいる。龍を羽虫を払うかの様に殺し、古代龍を使役し、それでも未だ力の底を見せない者が目の前にいる。
自分達の未来を守る為に、他人の力を頼りにする。全く以て情けない話ではあるが、アルクラドに頼る他無い。そうエピスは思っていた。しかし彼女にはある不安があった。
アルクラドは、一体何者なのか、という不安だ。
「アルクラド殿……今からする私の問いに、嘘偽りなく答えて頂けませんか?」
より一層表情を硬くするエピス。唇の震えと、急速に口の中が乾いていくのを彼女は感じた。
「我は嘘は好まぬ。我に答えられる問いであれば、嘘無く答えよう」
「ありがとうございます。アルクラド殿、貴方は……」
いつもの様に答えるアルクラドに対し、エピスの様子は常ならぬものだった。いつもの穏やかな笑みは失せ、手足は震え、まだ寒い初春の夜空の下で汗を浮かべている。問いを切り出したというのに、何かを躊躇う様に、そして何かを恐れる様に、次の言葉を継げないでいた。
「アルクラド殿……貴方は……」
唇を震わせ、擦れる様な声でエピスは言う。視線を彷徨わせ、声なく口を開閉しながら、しかし意を決した様に音を絞り出した。
「アルクラド殿……貴方は、本当は人族ではなく……魔族なのではありませんか」
囁く様にして呟かれた、エピスの言葉。風に流されてしまう様な小さな声は、しかしそれは確とアルクラドの耳に届いた。その言葉にアルクラドは、眉1つ動かさずにエピスを見つめるのであった。
風の音がいやに大きく、しかしそれ以上に自身の鼓動の音がうるさく感じられた。
冷や汗をかきながら震えるエピス。喉は貼りつき、立っているのがやっとなほどに足は震え、世界が傾いている様な錯覚さえ感じていた。
エピスが初めてアルクラドと会った時。既にその時から、アルクラドが異常な存在であると彼女は理解していた。だがその力の余りの恐ろしさの為に、そして無闇に力を振るう者ではないという考えの下、その正体を尋ねることはしなかった。
しかし人族と魔族がぶつかるこの局面において、アルクラドの正体を知ることが重要だと、エピスには思えた。魔族の王を討つ為に、魔族が力を振るうなど、普通では考えられないことなのだから。
アルクラドなら、たとえ同族であっても殺すかも知れない、ともエピスは思った。しかし逆に魔王の前に辿り着く直前まで自分達を騙しているのかも知れない、とも思えた。アルクラドが策を弄する意味などないと分かっていても。
今ここでアルクラドの正体を知っても、意味はない。もしアルクラドが敵だった場合、エピス達に為す術はないのだから。しかしここで聞いておかなければ、とエピスは考えていた。元より敵は強大であるが、胸に憂いを抱えたままでは、今でさえ僅かな希望が更に遠ざかってしまう。
「……」
己の死を覚悟しつつ発せられたエピスの問いに、アルクラドは答えない。ただ血の如く深紅に輝く双眸が、じっとエピスを見つめているだけだった。そこからアルクラドの考えを読むことが出来ず、エピスは痛いほどの沈黙の中、言葉が発せられるのをただただ待っていた。
アルクラドは答えない。エピスに視線を向けたまま、しかし口を開くことはなかった。
どれだけ時間が経ってからか、エピスは理解した。
アルクラドにとって、答えられない問いをしたのだ、と。そして嘘を吐かないと言ったアルクラドが、沈黙を選んだということが全てを物語っていた。
「……アルクラド殿、もう1つだけ」
「うむ」
アルクラドはすぐに、いつもの調子で頷いた。その様子を見て、エピスは幾分緊張を和らげた。先程の質問が、アルクラドの逆鱗に触れなくて良かった、と。
「アルクラド殿は、誰の味方なのですか?」
先程のものと近しい意味を持った問い。だがエピスにとっては、先程よりも大きな意味を持つ問いであった。アルクラドが人族か魔族かなど関係ない。その大きな力を、誰の為に何の為に振るうのか。アルクラドをこの戦いの要と考えていたエピスにとって、また人族全体にとっても、大きな意味を持つ問いであった。
「我は、誰の味方でも無い。我に剣を向ける者は敵であり、敵は殺す。それだけである」
アルクラドはしばし考える素振りを見せた後そう答え、更に言葉を続けた。
「だがかつての様な大戦が起これば、多くの者が命を落とす。それは我にとって都合が悪い故、魔王とやらが戦を起こすと言うのであれば止めるつもりである」
エピスにとって、そして人族全体にとって、僥倖ともいえる言葉であった。
「本当、ですか……?」
遠くに見えていた小さな光が、大きく輝き出し、エピスは大きく目を見開いた。いつしか震えは消え、冷え切っていた身体に熱が巡っていく様であった。
「我は嘘は好まぬ」
感情の読み取れぬ目でそう言うアルクラドに、エピスは静かに、しかし深く息を吐いた。他力本願甚だしいが、人族の未来に希望の光が灯ったのだ。
「アルクラド殿。我々も精一杯頑張ります。ですが我々の力が及ばぬ時は、どうかよろしくお願いします」
人族の未来は、この黒衣の麗人に託されたのだと、改めて感じたエピスは、そう言ってアルクラドに深く頭を下げるのであった。
お読みいただきありがとうございます。
アルクラド達が肉を食べている間、ドラゴン達は離れたところでじっとしてました。
敗者に対しては、弱肉強食って感じでドライなのです。
そしてエピスが禁断の質問をしましたが、何もありませんでした。
エピスなら自分の正体に気付いても不思議ではないと、アルクラドは思っていたのかも知れませんね。
次からは大平原を渡り切り、いよいよ魔界に突入です。
次回もよろしくお願いします。





