最強の味
イリグック大平原。人族と魔族の領域の間に横たわるその広大な平原を行く、魔王討伐隊。
龍の襲来に遭うという窮地を脱した彼らは、生き残ることが出来たという安堵とは別の、ある種の高揚感に包まれていた。
まだ日の高い内であるが野営地が築かれ、その至る所で焚き火が熾されていた。そしてその火で各々が肉を焼き、その焼き上がりをまだかまだかと待っていた。今まで経験したことのない芳しい香りに包まれながら。
何の肉を焼いているのかと言えば、討伐隊の前に立ちはだかった龍の内、赤い鱗を持ったものの肉である。
古代龍同士の戦いに決着が着いた後、討伐隊に襲い掛かってきた龍の首をアルクラドが落としたのである。その様子を見ていたのはアルクラドの実力を知る僅かな者達だけであったが、命が助かったことと龍が討たれた事実に、討伐隊の面々は喜びと興奮に湧いていた。
そんな彼らをしり目に、アルクラドは龍の亡骸へと歩いていく。
「アルクラド殿、何を……?」
そんなアルクラドに、ヴァイスが躊躇いがちに問う。
「食すのだ」
「えっ……?」
ヴァイスは耳を疑った。ついでに近くにいたバックシルバやエピスも驚いた。
アルクラドが、美食に強い関心を持っていることは知っている。失礼ではあるが、それを餌に交渉を行ったこともある。そんなアルクラドが龍の肉を食べてみたいと思うのは、自然なことだった。
しかし今この場で、それは拙いのではないか、と彼らは思った。何故なら、未だ2体の古代龍と8体の龍が近くにいるからだ。
黒龍は、白龍から自分達を守ってくれたいわば味方に近い存在であろうし、自己防衛の為に襲ってきたものを殺すことは許容してくれるかも知れない。しかし同族が目の前で喰われることに対しては、決して良い感情を抱きはしないだろう。これが発端となり、黒龍までもが自分達に襲い掛かってくるかも知れない。
そんなことを考える彼らは、新たな危機が迫ってくるのを感じていたが、アルクラドは止まらない。そして亡骸の前で立ち止まり、徐に剣を構えた。
が、すぐに剣を振るうことはなかった。龍の肉の、どの部位が美味しいのかを考えていたのだ。しかしそれも僅かの間のことだった。
「……先ずは捌くとしよう」
そう言って剣を振るい、龍の解体を始めた。
息を飲むエピス達であるが、彼らの予想に反して、古代龍達が怒り出す様子はなかった。僅かに視線を向けた後は、切り分けられていく龍に見向きもしなかった。
その間も、アルクラドは魔法を駆使しながら皮を割き、腸を取り出し、首、背、腹、腕、足、尾と、肉を切り出していった。
呆気に取られる討伐隊の面々。しかしアルクラドはその視線を気にすることなく、龍の解体作業を続けていった。そして解体が終了すると、満足そうに頷き、火を熾して肉を焼き始めた。
「食すとしよう」
そう言うアルクラドに、エピス達は呆れ気味に溜め息を吐いた。この状況で悠長に食事をしている時間はないが、こうなったアルクラドの腰を上げるのも至難であった。また龍を食せば、討伐隊の活力となり、また士気も上がるだろうと思われた。
こうしてまだ休息に入る時間ではなかったが、皆で龍を食べる為に、野営地を築くのであった。
焚き火の傍に置かれた巨大な肉の塊。
人よりも大きなその肉塊を適当な大きさに切り、アルクラドは肉を火にかざした。まず食べるのは、どの動物でも筋肉がよく発達し美味とされる、腿の肉である。
龍の巨体を支えている脚の筋肉はどれほど強靭なのかと思われたが、命を失った龍の肉は思った以上に簡単に切り分けることが出来た。柔らかい肉の食感を想像しながら、アルクラドはじっと肉が焼けるのを待っている。
アルクラドの傍では、シャリー、ライカ、ロザリーが、同じ様に肉を焼いている。肉を切り取る際は恐る恐るといった様子の彼らだったが、肉を焼き始める頃には未知の美味に対する期待感で胸を膨らませていた。
真っ赤な肉が、肉汁を滴らせながら、徐々に茶色へと色を変えていく。火に落ちた脂が煙を上げ、甘く芳しい香りを辺りに広げていく。
龍の肉。それは牛とも豚とも鳥とも魚とも違う、何とも言えぬ香りを持っていた。肉であるのに、酸味のある爽やかな果物、木の実、蜜蝋や牛酪の様な香りがするのである。肉らしい血に似た香りもするが、鉄に似た臭気は感じず、生臭い印象は一切なかった。
焼けば、それらの芳香と香ばしさが相まって、思わずため息が出るほどだった。そして更には、吐いた息が鼻を抜ける時にでさえ肉の芳香が襲ってくるのであった。
アルクラドを含め、肉を焼く者は皆、少しでも早く肉にかぶりつきたい衝動に駆られていた。
「そろそろ頃合いであるか」
誰よりも先に焼き始めたアルクラドの肉が、一番初めに焼きあがった。ゴクリ、と唾を飲み込む周りの視線を気にすることなく、アルクラドは程よく焼き色のついた肉にかじりついた。
肉らしい弾力と歯応えがある。
と思ったのは一瞬のこと。茶色く色を変えた表面に僅かの硬さがあり、それを越えると歯など必要ないかの様に、肉の中に歯が沈み込んでいく。だが全く抵抗がないわけではない。僅かに繊維を断ち切る感触があり、しかし脂が溶ける様に口内で肉が消えていくのである。
噛む必要もない肉を噛んでいると、まず感じるのは焼く前に香っていたあの素晴らしい芳香だった。熱を加えることにより香りの強さが何倍にもなり、また肉の中に閉じ込められていた香りが歯を入れることで一気に噴き出し、感じる香りの強さは更に何倍にも膨れ上がっていた。
しかしそれに反して、口に入れた瞬間に強烈な味を感じることはなかった。鳥の肉に近い淡泊な味わいで、香りの強さのせいで非常に優しい、悪く言えば味気ないと感じるほどだった。
龍の肉はこの程度のものか。
香りや食感は素晴らしいものの、味は普通。不味くはないが、特筆すべき点のないありふれた味。そう思ったアルクラドだったが、それが誤りだったとすぐに気づいた。
噛むほどに、口の中で静かな旨味が広がってきたのである。
強烈な印象があるわけではない。仄かに甘く、深みがあり、舌を撫でる様な静かな旨味。その旨味は舌の上にいつまでも残り、その存在を主張し続けていた。
それに釣られる様に再び肉を口にすれば、やはり印象は優しげだが、肉を嚥下した後から旨味が舌の上で広がっていく。そして未だ残り続ける1口目の旨味と、2口目の旨味が重なりあった。3口目、4口目と肉を口に運ぶ度に旨味が重なり、その存在感がどんどん大きくなっていった。
最初の落胆はどこへ行ったのか、気づけば夢中で龍の肉に食らいついていた。
その頃になると、皆の焼く肉も食べ頃になっており、誰もが肉汁滴る肉にかぶりついた。
最初はやはりアルクラドの様に、香りの芳醇さに対する味わいの乏しさに、皆が首を傾げていた。しかし咀嚼を終え肉を嚥下する頃には、舌の上で広がる静かながら確かな旨味に、驚いていた。そして食べ進めるうちにその旨味の虜となり、何かに追われるかの様に肉を頬張り出した。
「美味であるな」
1度目の肉を食べ終えたアルクラドは、そう言いながら肉塊から新たな肉を切り出した。最初の肉も両手に余る大きさであったが、その大きさの肉をいくつも切り出し、順に焚き火の傍に並べていった。食べ終わった後、再び肉を焼く待ち時間を少しでも減らす為である。
「何だ、これ……」
「凄い……後からどんどん美味しくなる……」
肉を黙々と焼き黙々と食べるアルクラドの傍で、ライカとロザリーも初めて食べる龍肉の味に驚いている。驚きながらも口を止めない2人の隣で、シャリーも驚きつつアルクラドと同じ様に黙々と肉を口に運んでいる。
最後には皆が無言で肉を頬張るという、少し異様な光景が広がっていた。
そんな中で、アルクラドがあることに思い至った。確かに龍の肉は美味だが、塩をかけて焼いただけの肉は味の変化に乏しい。このままでも悪くはなく文句もないが、何か違った食べ方が出来ないか、と。そしてあることを思いだした。かつてセーラノで食べた料理のことを、そして近くイリグック大平原の片隅で食べた物のことを。
アルクラドはスッと立ち上がり、焚き火から離れ龍の亡骸の傍へと向かった。そして切り分けられた肉ではなく、少し離れたところにまとめられた龍の内臓へと目を向けた。
龍の内臓が他の生き物とどこまで同じかは分からないが、恐らくは肝にあたる部分を適当な大きさに切り、それを焚き火の傍へと持ち帰った。
「もしかして肝か? 俺も食べようかな……ロザリーも食うか?」
「うん、お願い」
アルクラドが赤黒くブヨブヨとした見た目の肉塊を持つ姿を見て、顔をしかめる者達が討伐隊の中にいた。王都などの栄えた町に暮らしており、獣の肝を見る機会も食べる機会もなかった者達である。しかし決して裕福ではない村の出身であるライカとロザリーは、獣の肝に忌避感を持つことはなかった。肉がそもそも贅沢な食べ物であり、その中でも数が限られ精のつく肝は、ある種のご馳走であったからだ。
そんなライカが龍の肝を切り分け戻っている途中、ロザリーの悲鳴に似た驚きの声が聞こえてきた。
「どうしたんだ、ロザリー? ……って、何やってんだアルクラドっ!」
首を傾げながら戻ってきたライカの目に映ったのは、肝を食べるアルクラドの姿と、それに驚くロザリーと呆れ顔のシャリーだった。何があったのかとアルクラドの食べる肝をよく見てみると、その肝は茶色く色を変えてはおらず、焼かれていない赤黒い色のままだった。これにはライカも仰天した。
「肝を食しているのである」
自身の行動に一切の疑問を抱いていないアルクラドは、平然と答える。かつて生の熊肉を食べ非常に美味だと感じ、またカンクリーの腸を食べこれまた美味だと感じたアルクラド。生の肉は美味い、獣ではないが肝も美味い。ならば肝を生で食べても美味いのではないか。
そう考えて龍の肝を焼かずにそのまま食べているのである。ついでとばかりに、肉も焼かずにそのまま食べていた。
その光景は、獣の肝を食べなれているライカ達をしても異様なものだった。獣の肉は肝かどうかにかかわらず焼いて食べる、というのがライカ達の常識であった。アルクラドとの旅の中で、魚を生で食べることに忌避感を持たなくなった2人であるが、獣の肝となれば話は別だった。アルクラドが腹を壊すことがないとは分かっていても、もしかしたら生で食べると美味しいのかも知れないと思っても、どうしてもアルクラドの行動に顔をしかめずにはいられなかった。
アルクラドのことをよく知る彼らでさえそうなのだから、普段肝を食べない者達は口を手で押さえ顔を背けていた。食欲が失せたのか食べかけの肉を脇へやる者までいた。
しかしアルクラドはお構いなしに、時には焼きつつも肉と肝を生で食べていた。
生の肉は、その食感を除けば焼いたものと大きな違いはなかった。香ばしさがなく香りの強さは焼いたものより優しいものの、龍肉が元々持つ香りは感じることが出来た。味もより優しく控えめな印象を受けるが、やはり食べ進めるうちに口の中で旨味がどんどん大きくなっていった。
一番の違いである食感は、生肉らしいグニグニとしたものだった。しかしかつて食べた熊肉の様に強い弾力があるわけではなく、柔らかくすんなりと噛み切ることが出来るほどだった。美味ではあるが、驚く様な感動を覚えたわけではなかった。
しかし龍の肝は、そうではなかった。
まず食感が肉とは思えない不思議なものだった。プルプルと震える柔らかな見た目に反し、太い繊維を噛み切った様なプツンとした食感が伝わってきた。しかし咀嚼をしている間は、シャキシャキという言葉が合いそうなほど、細かい繊維を断つ様な食感が歯を通して伝わってきていた。
香りはやや血の印象が強くクセがありそうではあるが、生臭さは一切ない。そして一番肝心の味は、よりコク深さは増していたが、味を構成する要素は肉と大きく違わなかった。しかし肉とは正反対に、噛んだ瞬間から強い旨味が溢れ出していた。
肉汁や脂があるわけではない。しかし繊維の様な感覚がありつつも柔らかい肝が、噛む度にとろけて舌に纏わりつき、強い旨味を伝え続けていた。
これを焼けばどうなるのか、と思うアルクラドであったが、焼いた肝はお世辞にも美味しいとは言えなかった。あの不思議で心地の良い食感がボソボソとした不快なものになり、味も血の臭気やクセが際立つ様になっていた。
これは生で食べなければならない。
そんなことを考えながら、隣で肝をよく焼いて食べているライカ達をしり目に、未だ終わりの見えない肉の山に目を向けるアルクラドであった。
お読みいただきありがとうございます。
お待たせしました、ついに龍肉の実食です!
想像上の食べ物の味……美味しそうに思ってもらえれば良いのですが。
今回はお肉メインの話で、ドラゴンの事とかは次以降に触れていきます。
次回もよろしくお願いします。