進行開始
更新ギリギリで申し訳ありません。
また感想書いてくださった皆様、ありがとうございます。
返信できていませんが、全て見させていただいています。
ご期待に添える様に頑張ります。
スーデンの町で、人族領最後の夜を過ごした討伐隊の面々は、魔界との間に広がるイリグック大平原の中を進んでいた。
天気は晴れ。薄い雲が空を流れ、風は無く、春らしい陽気に包まれていた。見渡す限りの平野には緑の絨毯が敷かれ、種々の花が咲き乱れる季節にはさぞ美しい景色が広がるであろうことが想像できた。
行楽にでも来たかの様な穏やかな空気が流れる中、しかし彼らの表情は硬い。この大平原を渡り切った後に、魔族とそれを統べる魔王が待ち受けていることを思えば、それも当然だった。
しかしそんな討伐隊の中で、アルクラドだけは不安も緊張も一切感じていなかった。日に日に強くなる陽の光に忌々しげな目を向けているところを見ると、行楽気分に浸っているわけではないが、これから起こることに何の脅威も感じていないのは確かだった。
「魔界ってどんなところなんだろな?」
そんなアルクラドの傍で、ライカが尋ねる。見通しの良い平原ではあるが、いつ敵が襲って来るか分からない状況に、強い緊張を感じていた。それを紛らわす為に、傍にいるアルクラドに話しかけたのだ。
「かの大戦の後、凡そ平和的に暮らしておった様だ」
問われたアルクラドは、かつて人族の町で出会った人狼の話を思い出した。50年ほど前に魔王が人族侵攻を宣言するまでは、争いに目を向けることなく静かに暮らしていたという話を。
「アルクラドさんも、魔界に行くのは初めてなんですか?」
「魔界を訪った記憶は無い。人族領に比べ、資源が乏しく魔物や魔獣が強力である、と言う事は識っておるが」
「そうか……それじゃあ魔族だけじゃなくて、魔物とかにも気を付けないとダメなんだな」
アルクラドの言葉に、ライカとロザリーは不安の色を強める。アルクラドの知る魔界は今から1000年以上前のものであり、今の魔界を正確に表してはいない。しかし魔族の他にも強力な敵がいる可能性があるだけで、2人が恐れを感じるには充分だった。
「シャリーさんも初めてなんですよね?」
「そうですね。魔界にも私達と同じ様に、町があってそこで人々が暮らしている、って聞いてますけど、実際に行ったことはありませんね」
ロザリーに問われ、シャリーは父の話を思い出す。シャリーの父の知る魔界は、アルクラドのものよりも新しくはあっても、人魔大戦の頃のものである。しかし大戦終結後、人族領で暮らした彼の目には、人魔両族の生活に大きな差はなかったと言う。
「みんながみんな、敵じゃなかったらいいけどな……」
「うん……戦わないで済んだら、それがいいよね」
魔族に両親を殺された過去を持つ2人だが、アルクラドとの出会いがきっかけか、魔族を憎む様なことはなかった。また魔人を父に持つシャリーの話を聞き、魔族も人族と同じ様に暮らしていることを改めて知った。
「魔王とやらを快く思っておらぬ者もおる様だ。全ての魔族が襲って来る事は、恐らくはあるまい」
アルクラドの聞いた話では、魔王の考えに賛同できず、魔界を去った魔族もいるくらいなのだ。魔界に残ってはいても、争いに加わりたくないと考えている魔族がいても、おかしくはない。魔界の魔族が全て人族領に攻め込んで来るとも、アルクラドは思っていなかった。
「敵の出方を憂いていても意味は無い故、今は進むしかあるまい」
魔族と戦う恐怖や不安だけでなく、彼らに対する複雑な感情を覚えたライカ達にアルクラドは言う。自分達の領域が侵される前に、相手に攻め入る。互いが互いにその手段を取ったのだから、いずれは戦いになる、と。
それに対し、言葉なく頷くライカとロザリー。一様に物々しい雰囲気の一団の中を、いくつかの感情の入り混じった複雑な表情を浮かべて歩くのだった。
討伐隊の行く道は、順調そのものだった。
いつ敵が襲ってくるか分からぬ状況とは裏腹に、敵の襲撃も無く、非常に穏やかなものだった。その穏やかさに彼らの周囲への警戒は薄まり、多くの者達が仲間との雑談に興じていた。だが1旬もの間、敵の襲撃も無ければ、そうなってしまうのも無理のない話であった。
討伐隊は、魔界に着くまでに魔族が襲って来るものだと思っていた。イリグック大平原は両種族が互いの領域を巡って争った激戦の地であり、そこを簡単に渡り切ることは出来ないと考えていたのだ。しかし既に、大平原の半分を過ぎた辺りに討伐隊は居た。
魔界では強敵が自分達を待ち構えている。だが魔界との間に広がる大平原は、何事も無く渡り切ることが出来る。討伐隊の中にそんな思いが広がっていった。
しかし種の存亡をかけて戦うのは、人族だけではない。個々の力はともかく、数や領土の大きさで劣る魔族にとって、圧倒的な数の力で押し切られるのは避けたかった。討伐隊が、魔族の強さや自国の守りのことを考えて、少数精鋭で構成されていることを、魔王側が知っているかは分からない。だが数の力で来ようとも、個々の力で来ようとも、どうとにでも出来る守りを魔王側は敷いていたのである。
討伐隊の一部の者がそれに気づいたのは、夜が明け再び行進を始めた時のことであった。
いち早く気付いたのはアルクラドであり、次いでエピスを含めた優れた魔法使い達である。彼らは感じ取っていた、人の目では見えぬほど先に強大な魔力があるのを。エピスは、その懐かしささえ感じる魔力に、人知れず冷や汗を流し唇を引き結んでいた。
それからしばらくして、ヴァイスやバックシルバなど歴戦の戦士達が、尋常でない気配を感じ始めていた。まだ目には見えないが、今まで出会ったことのない圧倒的強者の存在を感じ取っていたのだ。
討伐隊の中に緊張が戻ってきた。まだ遠くにいる強者の存在を感じ取れていない者もいるが、自分達を率いる者達の様子を見て、皆が再び周囲へと警戒を向け始めたのだ。
そうして何刻か歩き、太陽が天の頂に差し掛かろうとした時、それは突如やってきた。
彼らの旅を支える物資を詰めた馬車。それを牽く馬達がその足を止めたのだ。前へ進むことも後ろへ退くこともせず、ただその場で立ち尽くしていた。
それを不思議に思う討伐隊の面々。しかしそんな彼らも、言い知れぬ感覚を覚えていた。気づけば、手足が震えていた。暖かな春の陽気の中、寒さで身震いをする様に、身体が自らの意思に反して動いていた。
遠くの空に浮かぶ、9つの影。それが急激に大きくなっていく。
あれは何だ。そう思うと同時に、身体が吹き飛ばされる様な突風が吹き荒れた。風と共に土埃が舞い上がる。
吹き飛ばされない様に身体を屈め、目を守る為に腕や手で顔を覆った。
風が止み、身体を起こして目を開ければ、見通しの良かった大平原が何かで遮られていた。
艶やかな鱗で覆われた、しなやかな身体。ズラリと並んだ鋭い牙。地に影を落とす大きな翼。巨大な身体を支えるのは太く強靭な脚。長い尾がユラユラと揺れ、時折大地を叩いている。
「龍……」
突如現れた絶望の名が、誰とも知れぬ呟きとして漏れた。その呟きは討伐隊内を伝播し、また恐怖に駆られ、誰かが叫んだ。
「……っ龍だぁ~!!」
1体で国が滅ぶと言われるほどの力を持つ、絶望の象徴とも言える龍が9体、討伐隊の前に立ちはだかったのだ。しかもその中の1体は、他の8体と比べ著しく大きな身体を持っていた。
動揺と混乱が走ったのは束の間。討伐隊の面々は、目の前に立ちはだかる絶望に呆然と立ち尽くした。1体の龍だけでも倒せるか分からないというのに、それが9体もいる。
どう足掻いても勝つことは出来ない。ただ訪れる死を待つしかない。
そんな思いに支配され全てを諦めかけた討伐隊だが、皆がほぼ同時にある事を思い出した。
この討伐隊を率いるのが誰なのかを。
かつて偉業を成し遂げ、その名を世界に轟かせた伝説的な魔法使いが、この隊を率いているではないか。畏れと敬いをもって龍殺しと呼ばれる、エピス・トラミネルが。
目の前に暗雲の如く立ち込めていた絶望が晴れるのを、討伐隊の面々は感じた。彼女がいれば負けるはずなどない。龍など恐るるに足らず、と。
恐怖すら感じぬほどの絶望から逃れられたと感じた討伐隊の面々は、そんな思いをもって先頭を行くエピスへと視線を向けていた。
討伐隊の皆から熱い思いを寄せられるエピスもまた、飛来した龍の姿を立ち止まり見つめていた。500歩は先に降り立った龍からは、圧倒的な龍の威が感じられた。それを受ける彼女の顔は、今にも倒れそうなほどに真っ白だった。
9体の中で、純白の鱗を持つ一際大きな身体の龍。それから感じる力は、他の龍のとは隔絶したものだった。エピスは頭よりも先に、かの龍が古代龍であると身体で理解した。
勝てるわけがない。
かつてエピスが倒したのは、ただの龍だった。そのただの龍でさえ、1体で国を滅ぼすほどの力を持つが、それでも何とかエピスは龍を倒すことが出来た。
しかし古代龍となれば話は別だ。古代龍とただの龍の間には、大人と赤子ほどの力の差がある。たとえ万全の準備を重ね、死力を尽くした魔法であっても、古代龍に痛手を負わせることは出来ないだろう。
願わくば、9体の龍はたまたまこの地を通っただけで、人族などには目もくれず立ち去って欲しかった。しかしそれは叶わぬ願いであった。龍の瞳は真っすぐに討伐隊を見据え、そこから敵意がありありと伝わってくるのだから。
何故こんな時に、魔王よりも強いであろう敵が現れるのか。
もしかすると、魔王の差し金なのでは。
そうであれば、魔王は龍をも従えるほどの力を持っているということになる。
そんな相手に、勝てるはずがない。
どうすればいいのか。
何よりもまず先に、この窮地を乗り越えなければならないのに、エピスはその先の魔王との戦いに思いを馳せていた。龍を殺しその力を誰よりも知っているエピスだからこそ、古代龍との遭遇によってもたらされる絶望は、誰よりも大きかったのである。
8体の龍を従える純白の古代龍が、今にも襲い掛かろうと咆哮を上げた。
腹の底に響き、空気を震わすその声に、皆は思わず身を竦めた。
晴れた暗雲が再び立ち込め始めた。
遠く離れた場所からの咆哮1つで、討伐隊のほとんどの者達が身体を強張らせ、動けなくなってしまった。息が苦しく、身体の震えが止まらず、龍と対峙した恐怖を改めて実感していた。
こんな存在を相手に勝つことなど出来るのか。たとえ龍殺しを為した者であっても、年老いた今の彼女にそれが出来るのか。
先程までとは逆の思考に支配された討伐隊の面々は、不安げな視線を前方に向けた。
その時、途轍もない魔力と、純白の古代龍に勝るとも劣らない龍の威が、辺りを埋め尽くした。隊の中から突如として放たれたそれに、討伐隊の面々は再び身を竦ませた。
魔力と龍の威はすぐに消え去り、今のは何だったのだ、という思いだけが残った。それは龍達も同じだったのか、敵意はそのままに何かを警戒する様に低く唸り声を上げていた。
北の空から小さな音が聞こえてきた。
何かが弾ける様な、それでいて重く響く様な音。少しずつ近くなってくるその音に気付き、後ろを振り返った討伐隊の面々は、見た。
龍の形をした、漆黒の絶望が飛来するのを。
前方に龍、後方に龍。
終わった。
誰もがそう思い、迫りくる絶望を呆然と見つめるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
討伐隊の進行早々、何もないと思いきや、波乱の予感です。
「前門の虎、後門の狼」ならぬ「前門の龍、後門の龍」です。
討伐隊の運命や如何に……
次回もよろしくお願いします。