勇者の聖剣
山間の窪地に、一際強い聖気の嵐が吹き荒れる。エリーの手にする金色の剣から、途轍もない量の聖気が溢れ出ている。
「あはははっ! 何これっ、聖気が溢れてくる!?」
その中で聖女が笑う。
「これが勇者の聖剣……! 凄いっ、これならどんな魔族だって殺せるよ!」
エリーは眼前に掲げた剣を見つめ、恍惚に似た笑みを浮かべている。
「さっきの言葉の意味が分かっただろう? これだけの聖気……いくら君でもどうしようもないだろう?」
口の端を吊り上げる彼女は、自身の絶対的有利を確信していた。
「確かに、凄まじい聖気であるな」
元々膨大であったエリーの聖気が何倍にも膨れ上がったのである。それはアルクラドをして、そう言わしめるほどであった。
「だろう? けど、今更怖気づいても遅いよ? 生き延びたかったら、精々足掻くんだね!」
随分と機嫌の良さそうなエリーであるが、先程の言葉通り、戦わずしてアルクラドを見逃すつもりはない様であった。
「うむ、掛かってくるが良い」
もちろんアルクラドにも戦いを避けるという選択肢はなく、構えを取り、龍鱗の剣の魔力を込めていく。
吹き荒れる嵐を押し返す様に、アルクラドの魔力が辺りに満ちていく。それに呼応し、漆黒の剣が龍の威を放つ。
「まだ全力じゃなかったんだ……それにその力は龍の……」
更に大きくなった魔力と龍の威を感じ、エリーは僅かに驚く。しかしそれも一瞬のこと。
「いいね……聖剣を使って戦うんだ。それくらいの相手じゃないと、すぐ終わっちゃうからね」
アルクラドを強大な力を振るうに相応しい相手として認め、エリーは笑みを深めた。
「行くぞっ!!」
そう言葉を発して、エリーは聖気を撒き散らしながら、アルクラドへと駆けるのであった。
漆黒と金色の閃きが交差する。
煌めく聖剣を振るい、エリーが四方八方からアルクラドを攻める。その攻撃は今までにも増して苛烈で、加えて先程までとは比にならない魔力が、膨れあがった聖気によって散らされていく。
しかし未だ聖剣の力を使いこなせていないのか、聖気の増大には幅があり、散らされる魔力の量にも幅があった。
エリーの苛烈な攻撃を捌いていくアルクラドであるが、時折予想外の魔力を散らされる為か、剣を大きく弾かれ、また身体ごと弾き飛ばされている。
大地を踏み締め剣を振るうエリー。深く身体を沈め弾き出された様に剣を振り上げれば、アルクラドの防御ごと身体を宙へと浮き上がらせた。
宙に浮いたアルクラドへ詰め寄り、エリーは剣を振り下ろした。アルクラドは慌てること無く防御するも、空中では踏ん張りがきかず、地面に向けて吹き飛ばされた。
音も無く着地したアルクラドは、空を見上げ、降りてくるエリーに視線を向ける。
エリーの着地と同時に剣を振るうアルクラド。エリーはアルクラドの攻撃を防ぎながら後ろへ飛び、距離を開ける。
「やっぱりすぐには使いこなせないか……でも、まだまだこれからだよ!」
独り言の様に呟いた後、エリーは再び駆け出す。膨れ上がった聖気で身体を強化して、矢の如き疾走を見せる。
捻った身体を唸らせ、烈風を巻き起こす勢いで剣を薙ぐ。
一瞬力を溜めた後、身体の中心に並ぶ急所へ、ほぼ同時ともいえる突きを繰り出す。
大地から剣をかち上げ、踏み込みの力を余すこと無く伝えた剣を振り下ろす。
上下左右を問わない攻撃は、全てが必殺の一撃。
それらを紙一重で躱し、受け流すアルクラド。
しかしエリーの聖気の増大は不安定で、攻撃は彼女の意図せぬところで激しい緩急が付き、結果としてアルクラドを惑わせていた。
突如速まる剣筋、強まる剣の衝撃。かと思えば目測よりも遅くに切っ先が届き、迫り合いの最中に後ずさる。それに加えて散らされる魔力の量も変わり、アルクラドはやりにくそうに僅かに顔をしかめる。
「はぁあっ!!」
裂帛の気合と共にエリーが剣を振るう。
互いの距離は10歩は離れており、剣は届かない。エリーが目測を誤ったのか、と思うアルクラドは、次の瞬間に慌てて跳び上がる。
膨大な聖気を纏った剣が振り抜かれ、アルクラドの立っていた大地が切り裂かれる。
「よく避けたねっ!」
エリーは笑みを深め、振り抜いた剣を返し、宙に浮くアルクラドへ切り上げた。アルクラドも剣に魔力を纏わせ、彼女の攻撃を迎え撃つ様に剣を振り下ろした。
互いの丁度真ん中、宙で何かが弾けた。
外套をはためかせながら大地に降り立ったアルクラドは、そのまま再び剣を振り下ろす。
駆け出しながらエリーが掲げた剣の上を、何かが滑っていく。そして目に見えない刃が、大地を深く切り裂いた。
「君も同じことが出来るんだね、凄いやっ!」
アルクラドに迫る金色の閃きを、漆黒の刃が遮る。
剣を迫り合う2人。しかし互いの刃は触れ合っておらず、紅き魔力と金色の聖気がせめぎ合っている。
「はははっ! 直に触れていても消しきれない魔力っ! 君は一体何者なんだい!?」
楽しそうに笑うエリー。アルクラドの剣を弾き、再び苛烈な攻撃を繰り出す。金色の閃きが幾筋も生まれ、紅と黒に阻まれ、宙で弾けていく。
轟音といってもいい音が、2人を中心に山間の窪地に響く。耳をつんざくその音は、豪雨が屋根を叩く様に、不断に鳴り響いている。
その中でエリーは攻めの手を緩めることはなく、攻撃は更に苛烈さを増していく。そして聖気の増幅の揺れも小さくなり、大きく膨れ上がった聖気を維持したままエリーは攻め続ける。
どれほど2人の激しい攻防が続いたか、エリーが一際大きく距離を取った。
エリーは、胸の前で切っ先を天に向け、剣を構える。辺りに吹き荒れていた聖気が、不意に消える。
次の瞬間、今までで最も強い聖気が辺りを満たし、古の聖剣が眩い光を放つ。
アルクラドが腕を突き出し、魔力を解放する。
エリーが剣を胸に引きつけ、身体を捻る。
アルクラドの紅く昏い魔力が、シャリー達の居る後方まで、周囲を満たす。
エリーが突き出した剣先から、聖気が光の刃となってアルクラドへ迫る。
アルクラドの手のひらに、血溜まりの如く紅き魔力の盾が生み出される。
深紅の盾に、金色の刃が激突する。
深紅と金色がせめぎ合い、火花の如く魔力と聖気を散らせている。
歯を剥き笑うエリーの攻撃を、じっと防ぐアルクラド。
先に動いたのはアルクラドだった。
漆黒の剣に更に魔力を込め、真っ赤な刃を作り上げると、それをエリーに向けて振るった。長く伸びた魔力の刃は、大地を削りながらエリーへと迫り、光り輝く聖剣を跳ね上げた。
切っ先から伸びた聖気の輝きは上方へ逸れ、昏く紅い薄絹の覆いを切り裂き、晴らせた。
アルクラドは駆け出し、再びエリーへ剣を振るう。
弾かれた剣を振り下ろし、アルクラドの攻撃を迎えるエリー。
再び両者の剣が迫り合い、深紅と金色の火花を散らせている。
「あれを防ぐんだ……! 本当に君は凄いねっ!」
「我もあれ程の攻撃が来るとは思わなかった」
互いの予想以上の攻防に、エリーは愉快そうに、アルクラドは僅かな感心をもって、そう言った。
「けど、そろそろこの剣の力を掴んできたよ。持つ者の聖気を増幅するこの力……正に聖人聖女の為の武器だ」
剣を跳ね上げ、互いに距離を取る2人。一時、魔力と聖気の嵐が止む。
「もう失敗はしない。次こそはこの聖剣が、その膨大な魔力と共に君の身体を切り裂くよ」
息つく暇もなかった激しい攻防。呼吸を整える様に深く息を吸い吐き出したエリーは再び剣を構える。彼女の聖気がゆっくりと、しかし確実に大きく大きくなっていく。
聖剣の力を掴んでてきた、と言う言葉の通り、大きくなる聖気に揺れはなかった。
「うむ。そろそろ稽古も終いにするとしよう」
アルクラドも剣を構え直し、その魔力を解放していく。
「行くよ」
「うむ」
再び吹き荒れる魔力と聖気の嵐。戦いの決着が、間近に迫っていたのだった。
轟音を響かせ交わり合う、深紅と金色の閃き。アルクラドの紅き魔力と、エリーの金色の聖気が、両者の間でせめぎ合っている。
聖気の刃を生み出し、剣の間合いの内外からの攻撃を織り交ぜ、アルクラドを攻めるエリー。アルクラドはそれらに上手く応じ、僅かな身体の動きで躱し、また受け流していく。
エリーの攻撃が一旦止むと、今度はアルクラドが攻勢に打って出る。
彼女に倣い魔力の刃を生み出し、遠近を織り交ぜた攻撃でエリーを攻めていく。それに最初はよく対応していたエリーだが、徐々に躱すことが難しくなり、受け流すよりも正面から剣で受け止めることが多くなってきた。
顔を歪め舌打ちをして、受けた剣を弾き返すエリー。その額には玉の汗が浮かび、大きく肩を上下させて荒い呼吸を繰り返している。
おかしい。
息苦しさを感じながらも苛烈な攻撃を繰り出すエリーの頭に、そんな考えが過ぎっていた。
おかしい。
聖剣に込めた聖気を何倍にも増幅させ、身体を強化し、聖気の刃を生み出し、斬りかかる。自身が傍にいるだけで、剣に触れるだけで魔力が散るはずなのに、敵の魔力は一向に消え去らない。
おかしい。
当代随一と言われるエリーの聖気は、聖剣の力で何倍にも膨れ上がっている。山間の里を支配するだけの聖気は、しかし同等以上の魔力によってせき止められ、あまつさえ飲み込まれようとしていた。
エリーの聖気は徐々にその大きさを増し、しかしアルクラドはそれに難なく対処している。先程までのやりにくそうな表情は消え、いつもの無感動な表情を浮かべている。
「っ……! 舐めるなぁ!!」
それがエリーを甚く苛立たせた。
取るに足らない相手に対する様な表情が、自分に向けられているのだ。古の勇者の聖剣を手にした、当代最強の聖女に対して。
怒りに任せて放たれた攻撃は、威力は今までで一番強いものの、アルクラドにしてみれば隙だらけであった。
「がっ……!?」
剣を振り上げたエリーの胴体を、アルクラドの剣が叩いた。
身体を折り曲げ、エリーは空へと弾き飛ばされた。
途轍もない衝撃と激痛に耐え、喉の奥からせり上がってくるものを抑え込み、エリーは薄っすらと目を開けた。
身体が空を切り、地面が急激に遠ざかっていく。ただの人間であれば、全身が砕ける高さ。しかしエリーにとっては問題ない。
上昇が止まり、身体が地面に引き寄せられる直前の、一瞬の停滞。エリーの頭上に黒い影が落ちる。
「っ……!」
慌てて身体を捻ったエリーの目に映ったのは、漆黒の外套を羽の様に広げ、漆黒の剣を振り下ろすアルクラドの姿。
聖剣を振るい迎え撃つが、宙で踏ん張ることは出来ず、地面が急激に近づいて来る。
全身の骨が砕けた様な激痛が走る。身体から全ての空気が失せ、胸が締め付けられ、赤い視界の中で閃光がちらつく。
うずくまり喘ぐエリーの視界に、黒い足が映った。
訳も分からず、剣を振るう。
明滅する聖剣を、艶やかな黒の剣が迎え撃つ。
エリーの攻撃はあっさりと弾かれ、またもや身体ごと吹き飛ばされた。地面を転がり何度も跳ね、ようやく止まる頃には、両者の距離は100歩も開いていた。
「がはっ……! ゴホッゴホッ……!」
何度も咳き込みながらも、エリーは剣を支えにして何とか起き上がる。
ボロボロの身体を支える手や脚は、今にも崩れ落ちそうなほどに震えている。全身は土に塗れ、柔肌には幾つもの擦り傷がつき、口の端からは血を流している。
「もう終いの様であるな」
エリーがもう戦えない状態であることは、誰が見ても明らかであった。アルクラドは魔力を抑え、構えを解いてエリーの元へと歩み寄る。満身創痍の彼女も既に聖気を発してはおらず、もう嵐は過ぎ去った。
「おかしい……おかしい……おかしい……」
虚ろな目でアルクラドを見つめるエリーは、うわ言の様に何かを呟いている。
古の勇者の剣によってもたらされた、強大な力。その力の愉悦から目覚めた彼女が気付いた事実は、とてもではないが信じられるものではなかった。
古の魔族、その頂点に君臨していた大魔族を滅ぼした勇者の剣。その聖剣の力を圧倒する力の持ち主。そんな者がいるはずがない。
だが、それは目の前にいる。
「お前は……お前は一体、何者だっ!?」
何度目かになるエリーの言葉。
それは決して存在し得ぬ者に対する、戦慄の叫びだった。
お読みいただきありがとうございます。
伝説の武器で凄いパワーアップしたエリーとの戦いでしたが、
(もちろんですが)アルクラドの勝利で終わりそうです。
次回もよろしくお願いします。





