失われし聖剣
「失われた聖剣、とは……?」
アルクラドは構えを解き、恐らくは自身の持つ聖銀の剣を指しているであろう、聞き慣れない言葉について尋ねる。
「……ブラムの国史にこんな話が遺っていてね」
僅かに考える素振りを見せた後、エリーはそう言って話を切り出した。
「まだブラム公国が興る前、今から1000年以上前の遥か昔のことだ。世界で最高の聖気使いと謳われた人がいたんだ。誰も超えることが出来ないと言われているその大聖者は、とある偉業を成し遂げたんだ。かつて魔王でさえ逆らえなかったという強大な魔族を打ち滅ぼすという、勇者の所業と言ってもいい偉業さ」
シャリーとエリーが話す中でチラリと出てきた、古の勇者という言葉。アルクラドと関わりがあったかも知れない人物の話に、シャリーはアルクラドへと視線を向ける。しかしその背中からは、彼がどの様な表情をしているのかは分からなかった。
「勇者は、彼なのか彼女なのか分かっていないけれど、神器とも言えるほどに優れた聖銀の剣を持っていたんだ。太陽の様に光輝くだとか、見た目は質素な剣だとか、色々と言い伝えはあるけど、決して壊れぬ剣であったらしい」
アルクラドを含め、全員の視線が、彼の持つ聖銀の剣へと向けられる。
アルクラドもシャリーも、その剣が太陽の如く光り輝く姿は見たことがない。しかし飾り気のない単純な造りや、アルクラドがどれだけ乱暴に扱っても傷1つ付かない様は、エリーの語る古の剣を彷彿とさせた。
「聖気を宿した剣は全てが聖剣と言えなくもないけど、ブラム公国において聖剣と言えば、勇者の剣のことを指すんだ」
ブラム公国は、勇者の行いを称えた人達がその礎を築いたらしく、それ故に聖気を重んじる国になったのだと言う。そんな国だからこそ、勇者自身やその所持品に対して、特別な思いがあるのだと言う。
「けれどね、そんな伝説が残っているにも関わらず、大魔族を滅ぼした後の勇者の足取りは分かっていないんだ。勇者がどこでいつ亡くなったのか、聖剣はどこへ行ってしまったのか、もね」
ブラム公国の手元になくその行方も分かっていない聖剣。つまり失われた聖剣ということだった。
「私も君の持っているそれが聖剣だなんて、本気で考えてるわけじゃない。そもそも聖剣を持った状態で、まともに魔法が使えるはずがない。聖剣は全ての魔を払うと言われているほどだからね」
エリーの言う通り、それほどの聖剣を手に持ち魔法を使うなど、尋常のことではない。アルクラドでなければ、身体に魔力を巡らせる間もなく、全ての魔力を払われてしまうかも知れない。アルクラドの持つ剣が聖剣でないと考える方が自然であった。
しかしシャリーは、アルクラドの持つそれこそが、失われし聖剣であると、確信に近い思いを抱いていた。
アルクラドは北の遺跡で、聖銀の剣で胸を貫かれて封印されていた。剣だけでアルクラドを封じていたのかは分からないが、封印の大きな役割を担っていたのは間違いない。ありふれた聖銀の剣がその大役を果たせるはずもなく、伝説の聖剣でもなければ不可能だ。つまりアルクラドを封じていたことこそが、聖銀の剣が聖剣である証なのである。
もし失われし聖剣が見つかったとなれば、エリー、ひいてはブラム公国は喜ぶだろう。しかしそれを伝えることは出来ない。
アルクラドの聖銀の剣がそうであると説明するには、アルクラドの封印のくだりも説明しなければならない。そうなればエリーとの戦いが、いよいよ避けられないものになってしまう。たとえここでアルクラドが生かしておいたとしても、いずれ彼女はアルクラドを殺しにやってきてしまう。
せっかくアルクラドが彼女を殺さないと言っているのに、それを台無しにしてしまっては意味がない。
もちろんシャリーもそれを望んではおらず、自身の考えを口にすることはなかった。
「この剣は、時の聖者の物であったか」
「そうと決まったわけじゃないけどね」
アルクラドは聖銀の剣を眼前にかかげ、しげしげと見つめている。エリーもそれが聖剣だと本気で信じてはいないと言いつつも、その口振りは確信を得ている様であった。
「其方は、これが聖剣であるか判別が可能であるか?」
アルクラドが、視線を聖銀の剣からエリーへと移す。
「どうだろう? 私も聖剣を見たことは無いからね。でも触れれば何か分かるかもね」
エリーは顎に手を当て、思案顔で言う。アルクラドの剣からは特別な力を感じていない彼女であるが、手で触れれば何かが分かるかも知れないと思っていた。しかし聖女の剣とまともに打ち合える剣を、アルクラドが手放すはずがない、とも考えていた。
それ故に、彼女はアルクラドの次の行動に大きく目を見開いた。
「そうか……」
僅かに考えを巡らせる素振りを見せた後、アルクラドは聖銀の剣をエリーへと向けて緩く放るのであった。
エリーの足元に横たわる聖銀の剣。飾り気のない細身の剣には傷1つ無く、曇りの無い冷たい光を放っている。
「どういうつもりだい……?」
エリーが声を低くして尋ねる。
「触れれば判るのであろう? それが時の聖者の物か確かめるが良い」
自身を睨みつけるエリーの様子を気にも留めず、アルクラドは剣を手に取って見ろと言う。互いが構えを解いているとは言え、未だ戦いの最中に武器を手放すなど常軌を逸しているとしか言い様が無い。
「これが聖剣かどうかを確かめて、どうしようっていうんだい……?」
エリーは鋭い視線を、逸らすことなくアルクラドへと向けている。
「どうもせぬ。元は聖者の物であろうとも、今は我の物である故な」
どうもアルクラドは、元の持ち主が分かれば剣を返す、などということは考えていない様だった。しかしそうすると増々アルクラドの意図が分からない。彼にとって聖銀の剣の最も優れている点は壊れないということであり、その来歴や他の性質に関しては興味がないのだから。
またアルクラドが聖銀の剣をどう扱っているかを知らないエリーであるが、彼女の視点からでもアルクラドが剣の正体を知る意味はなかった。たとえ聖銀の剣が聖なる剣としてどれほど優れていようと、聖気を扱えぬ者がその力を十全に発揮することは出来ない。自身の剣が聖剣であるかどうかを知ったところで、何の役にも立たないのである。
訝しげな様子で睨み続けるエリーに、ただ、とアルクラドは言葉を続ける。
「生来備えた力、稽古で得た力、そして優れた武具に依る力。それら全てが合わさり、人の力となるのであろう?」
誰もが頷く当たり前のことを言い出したアルクラドに、その言葉を聞いた全員が怪訝な様子を見せた。
「それがどうしたっていうんだい……?」
今の戦いとは関係の無い様に思えるその言葉に、エリーは眉をひそめる。
「其方は生来聖気の力を得、魔族を屠る事でその力を伸ばした」
エリーの昔語りをなぞるアルクラド。皆が黙ってその言葉を聞いている。
「優れた聖銀を用い、其方らが造り得る最上の剣を造り上げた」
アルクラドは言いながら、聖女の剣を指さす。
「それら全て、其方の力」
アルクラドの言葉に、エリーはそれが何だと言いたげに首を傾げる。
「即ち、更に強き武具を得れば、其方は更なる力を得る」
アルクラドが、つまり何を言いたいのかが、薄々エリーにも分かってきた。
「それが聖剣とやらであれば、其方は更なる力を得る事が出来る。全力を出さねば稽古にならぬ故、其方がその剣を使うが良い」
真面目な顔で言うアルクラドの言葉に、エリーは目を見開く。驚いてのことではない。目元がピクピクと小刻みに動いている。
エリーはアルクラドから目を逸らし、頭を掻きながら言う。
「あ~……君は、戦いよりも人を苛立たせることの方が得意なんじゃないかい……?」
「その様な事を得手と思った事は無いが……」
エリーの目元の引き攣りが更に強くなる。
エリーは、ため息を吐きながら聖銀の剣の前で屈み、冷たい光を放つ剣を手に取る。それを眼前に掲げ、スッと目を閉じた。
先程までアルクラドを注視していた彼女だが、相手から攻撃が仕掛けられることは無いと断じてか、その意識を全て聖銀の剣へと向けていく。
皆が見守る中、聖銀の剣にゆっくりと聖気を込めるエリー。傍目には何も変わっていない様に見えていたが、突然エリーが慌てた様に目を開けた。
「これは……!?」
ここに来てから何度目になるのか、エリーは驚きに目を見開き、手に持つ剣をマジマジと見つめている。その表情には、驚く気持ちと信じられないという気持ちが入り混じっている様だった。
まさか本当に古の勇者の聖剣だったのか。
皆がそう思う中で、エリーが不意に笑みを浮かべた。
「ねぇ、アルクラド。本当にこれを使ってもいいのかい?」
笑みを堪えながらそう言うエリーは、何かがおかしくて仕方がないといった様子であった。
「無論だ。それが聖者の剣であれば、其方は更なる力を出す事が出来るであろう故な」
対してアルクラドは終始変わらぬ様子で、全力で戦ってこそ稽古になる、と言う。
「ふふっ、そうかい……正直に言おう、アルクラド。君は強い、と」
ここに来てエリーが、当初の貴族の令嬢めいた笑みを浮かべた。
「ずっと大口を叩いていたけどね、その実、どうすれば君に勝てるかをずっと考えてたんだ。最後の方はほとんど全力を出していたんだけど、その糸口さえ見つからなくてね」
エリーの告白に仲間達は大いに驚くが、当の本人には絶望の様子は無く愉快そうに笑っている。
「けどこの剣を使えば私は全力が……いや今までの全力以上の力が出せるよ」
元々持っていた自身の剣を鞘に仕舞い、エリーはアルクラドが投げて寄越した聖銀の剣を構える。細身の剣を構えるその姿は、誂た様にしっくりときていた。
「今まで以上の力を発揮出来るのであれば、それを使うと良い」
エリーに倣い、アルクラドは鞘から龍鱗の剣を抜き、構える。彼女の笑みや言葉の意味など全く気にしていない。
「いいのかい? 謝るなら許してあげるよ? 本来なら許さないところだけど、この剣を見つけてくれたことでチャラにしてもいい」
「何故、我が謝るのだ?」
「ふふっ……人のことを言えないけど、過ぎた自信は命を縮めるよ?」
ここに至るまでのアルクラドとの会話を思い出し、エリーが笑う。彼女こそ、アルクラドを前にして自信過剰な発言を繰り返していたのだから。
「……命の心配は不要であるぞ?」
そんなエリーに、アルクラドは不思議そうに言う。これはエリーの為の訓練であり、彼女が死ぬことも無ければ、もちろんアルクラドが死ぬことも無い。何故エリーがアルクラドの命を心配しているのか、過ぎた自信とは何なんか、アルクラドには分かっていない。
「まぁいいか……すぐに分かるさ」
アルクラドを言葉で納得させるのは無理だったのだ、と思い出したエリーは、緩く首を振ってから再びアルクラドへと視線を向けた。その目をスッと細めるエリー。愛らしい笑みが消え、代わりに猛々しい笑みが顔を覗かせていた。
「精々死なない様に頑張るんだね、アルクラド。もし健闘できたら殺さないであげるよ」
自身の絶対的有利を確信したエリーの言葉。再び彼女の聖気が荒々しさを帯びていく。
「この聖剣を相手にそれが出来るならねっ!!」
突如として、金色の光を放つ聖銀の剣。
それと同時に何倍にも膨れ上がったエリーの聖気に、アルクラドは僅かに目を見開くのであった。
お読みいただきありがとうございます。
聖銀の剣の来歴が少し明らかになりました。
次から2人の戦いの第3幕に入ります。
次回もよろしくお願いします。