信頼と恐怖
血の臭気が漂う街道で、セイル達商隊とその護衛である冒険者が立ち尽くしていた。ひとかたまりになった馬車の周りには、30人を超える盗賊の死体が転がっている。
誰も何も言わず、ただアルクラドの背中を見つめていた。
アルクラドは襲ってきた盗賊の殆どを1人で倒してしまったのだ。それも戦いとは呼べないほど圧倒的な力で、一方的に。中級冒険者の域を大きく飛び出した大きな力。
皆、その大きな力に恐怖を感じ、アルクラドとの距離を掴めないでいた。特にウノー達など、今まで自分達のとっていたアルクラドへの態度を思い、顔を青くしていた。あんなのに目を付けられれば命がいくつあっても足りない、仕返しにこないだろうか、などと考えながら。
しかしその中で、ライカとロザリーはいつも通りだった。
「やっぱ凄ぇな、アルクラドは! どうやったら遠くの敵に攻撃があたるんだよ?」
「うぅ~……あんな強力な魔法を、無詠唱で、しかも一瞬に……」
アルクラドの強さに単純に驚くライカ。彼我の実力差を改めて実感し落胆するロザリー。その2人のいつも通りの振る舞いは、周りの人間にはとても異常に思えた。
まるで雑草を抜くかの様に、何の感情の起伏も見せずに相手を殺す精神性。目にも留まらぬ速さで敵を切り伏せる戦闘力、人を殺すだけの魔法を無詠唱で行う魔法力。明らかに普通ではない存在で、余程のことがない限り近づきになりたくない、と思う人間が殆どだろう。いつ自分にその牙が向くかも分からないのだから。
同じパーティーであっても少なからず忌避感が生まれそうなものであるが、彼ら2人にその様子はない。それがとても異常に映るのだ。
しかし2人は良くも悪くも田舎者であり、他人に対して好意的で寛容であった。そして短い期間ではあるがアルクラドと共に行動し、その人となりを理解している。理不尽に力を振るう人間ではない、ということを。
更に彼らはパーティーとして幾度となくアルクラドの異常な力を目にしている。
狩りに出向けばどんな獲物も一撃で首を落とし完璧な状態で持ち帰ってくる。水を探せば迷うことなく水辺に辿り着く。オークソルジャーの攻撃を真正面から軽々と受け止める膂力があり、様々な魔法を大規模で、更に無詠唱で使いこなす。例を挙げれば切りがないほどアルクラドの行動は非常識と驚きに満ちている。2人は驚き慣れてしまっているのだ。
そのため、人の死体を見るのは気分の良いものではないが、殺さなければ自分達が殺されていたかも知れないし、それを為したアルクラドがどれだけ人間離れしていても2人には関係ないのである。
アルクラドはアルクラドなのだから。
「死体の始末はどうするのだ?」
皆の様子が先ほどまでと違うことに気付かないまま、アルクラドはグレイに尋ねる。襲ってくる盗賊は殺して問題ないと聞いたが、その後はどうするか分からなかったのだ。
「使える物は剥ぎ取って、死体は焼却だ」
震える声を悟られないよう、グレイは努めて冷静な声でそう告げる。ライカ達2人がいつも通りであり、その様子から現時点ではアルクラドに危険はない、と自分を納得させる。そうでなければまともに言葉を話せなかったかも知れないからだ。
続けてアルクラドに死体を燃やす訳を話す。死体を放置すると腐敗し病気を蔓延させる可能性がある。また血の匂いに誘われ獣や魔物が寄ってきたり、死体がアンデッドになるという最悪の場合も考えられる。
「そうか。それが終われば教えてくれ。我が葬ろう」
アルクラドの言葉に、各々が次第に動きを取り戻していく。死体に近づきその持ち物を漁っていく。その間にセイルは丸太を退かすよう、御者の男達に指示をしていた。
盗賊達は、金目の物は住処に隠していたのか、何も持っていなかった。武器や防具もまともに手入れされておらず、ただの荷物、ゴミになるだけであった。
もう取るべき物もないため1ヶ所に集めて燃やそう、とグレイが言うと、アルクラドはそれを止め、皆に死体から離れるように言う。
「炎よ、彼の者その罪までも焼き尽くし、命の廻りへと還せ……送り火」
死体の1つ1つが紅い炎に包まれる。
その1つ1つがとてつもない熱量を持ち、近寄れば肌が焼ける様にチリチリと熱を持つほどだ。
渦巻く炎は瞬く間に亡骸を焼き尽くしていく。衣服が焼け、肌が焼け、肉が焼け、臓腑が、骨が、その髄までが悉く燃え尽きていく。1刻のその1分にも満たない時間で、その全てが灰燼に帰した。一陣の風が灰をさらえば、残るは僅かな焼け跡のみ。地平の彼方へと消えていった。
その魔法の様子を見て、護衛の冒険者達は一様に驚いていた。
死体を瞬く間に灰に変えてしまうほどの炎の魔法など、そう簡単に使えるものではない。中級冒険者であっても、全魔力をつぎ込んでやっと使えるかどうかという代物である。
そんな魔法の炎を30以上も軽々と生み出すその魔力量。更に寸分の狂いなく対象だけを焼き尽くすその制御力。そのどちらを取っても並の魔法使いと比べものにならないほどの力であった。
特に魔法使いであるソシエとロザリーの驚きは他の護衛以上であったが、ロザリーはそれ以上に、アルクラドの詠唱魔法に感動を覚えていた。
詠唱は魔法の補助に過ぎず、如何に魔力を多く込め、如何に強い意志を持つか。それが大切だとアルクラドに教えられた。
その意味を、今初めての、本当に理解した。
アルクラドの無詠唱魔法は、詠唱魔法と変わらないどころかそれよりも凄いとさえ思えるほど、威力も精度も高い。彼に詠唱など不要だろう、とロザリーはいつも思っていた。
しかし詠唱によって発動したアルクラドの魔法は、大規模な魔法ながら一切無駄のない緻密に制御された魔法だった。
周囲に殆ど影響を与えない曇りなき紅い炎が、ただひたすらに死体だけを焼いていく。人の身が大地へと還る姿へ昇華される様は、死体を焼くという痛ましい光景でありながら、神秘的な美しさをたたえていた。
それほどまでにアルクラドの魔法は素晴らしく、ロザリーは衝撃を受け、その心を震わせていた。私もいつかあんな風に、と若い冒険者らしく、目の前の高すぎる壁にも心を折られる様子は見られなかった。
「終わったぞ」
盗賊達の亡骸が全て灰となって消えゆくのを見届け、アルクラドは皆へと向き直った。盗賊を撃退し、その死体を始末し、ここですることは終わっただろう、と。あとはフィサンの町へ戻るだけだろう、と。
しかし丸太の撤去を命ぜられていた御者の男達でさえ、アルクラドの魔法に魅入ってしまっていた。その為、丸太に道を阻まれ、馬車は未だに動けない状態だった。
セイルはため息交じりに再び撤去を命じるが、俺がやった方が早いと、マーシルが1人で丸太を抱え上げた。
彼も完璧ではないが魔力強化を使うことが出来、元々の筋肉と相まってかなりの力を出すことが出来る。それを見て、アルクラドもその通りだ、と丸太の撤去に参加した。アルクラドも吸血鬼として、元々かなりの膂力を持っているため、丸太など軽々と持ち上げることが出来る。
マーシルと違い線の細いアルクラドが丸太を持ち上げる姿は、魔力強化という技術があると分かっていても、異様な光景だった。
盗賊の襲撃後、フィサンまでの道のりは往路と同じく順調だった。獣にも魔物にも一切遭遇しなかった。しかし商隊内の雰囲気は全くと言っていいほど様変わりしていた。
行きしなの様な辺りを警戒しながらもどこか穏やかだった雰囲気は一切なく、緊張感に満ちた空気が漂っている。皆は周囲の警戒もそこそこに、意識をアルクラドへと向けている。それは彼が何をしでかすか分からない、という恐れの表れであった。
アルクラドがその気になれば、護衛の冒険者達が束になってかかっても、相手にすらならない。今のところ何かをするつもりはなさそうだが、何が逆鱗となって思いも寄らない行動に出るか分からない。皆、腫れ物を扱うような感覚であった。
特にウノー達の落差は激しかった。
間抜けだと罵り、食事を寄越せと脅しをかけ、仕事仲間を顧みない自分勝手な行動を取る。そんな彼らが、相手を見下した発言をしなくなり、物を頼むときはそれなりの態度を取り、商隊内の役割分担の話し合いにもきちんと参加する様になった。
それはひとえにアルクラドへの恐怖故であり、必要に迫られない限り、話をするどころか目さえも合わせようとしなかったが、結果として護衛としてきっちりと機能するようになっていた。
そんな他の護衛仲間の様子を、ライカとロザリーは納得と不思議が半分ずつあるような気持ちで眺めていた。
アルクラドの力が自分達と余りにもかけ離れているため、恐怖心を抱く気持ちは理解できる。事実、ライカ達も彼の実力の一端を知った時には恐怖もした。しかし同時に、彼が冒険者たろうとしていることにも気が付いたのだ。
あれだけの力を持っていれば、その力だけで何でも思い通りに出来るだろう。力で押さえつけ、恐怖で心を縛る。それをするだけの力をアルクラドは持っている。
しかし彼はその道を選ばなかった。
冒険者であろうと努力をしている。種族の違いから人間の常識には疎いが、ライカ達を真似て人間達の中で生きていく為の努力をしている。
更に言えば、ここ最近のアルクラドは、とにかく食べ物のことしか考えていなかった。依頼の報酬は基本的に食べ物になって消えていく。中級冒険者の中でもそれなりの報酬を得ているが、それをほぼ全て食事に費やすのだ。それはかなりの金額なので、フィサンの料理屋界隈ではアルクラドはちょっとした人気者だ。
そして一番の決め手は食事をしている時の表情であろう。
基本的に無表情で表情の変化が殆どないと言っていいアルクラドであるが、食事をしている時はその無表情に変化が現れるのだ。唇が僅かに弧を描き、眉尻が下がるように目が細められる。戦いの際には鋭い刃の様な雰囲気を纏う彼も、食事中は喜びを隠せない少年の様な空気を作る。食事が美味しければ、その傾向は更に強くなる。
ただしその変化も僅かなものなので会ったばかりの人間には分からないかも知れないが、ライカ達はそれが分かる程度には付き合いが長い。それ故に彼の優しい表情も知っているのである。
そんな彼が、自分達に害を及ぼすなど、2人には到底考えられないのである。
フィサンの町まで1度の野宿をはさみ、翌日の夕刻に町に到着した。途中盗賊に襲われるという事件があったものの、商隊の行程に大幅な遅れはなく、護衛依頼は充分な成果を上げての成功となった。
「アルクラド。お前のおかげで、盗賊に襲われながら何の被害もなく町へ着くことが出来た。礼を言う、ありがとう」
町へ着く頃にはセイルのアルクラドに対する恐怖心はかなり和らいでいた。
そもそも彼からすれば一般的な冒険者ですら力では簡単に負ける恐怖の対象だ。それを依頼者として対価を払い対等な立場で話をするのだから、相手がどれだけ強いかなど些細な問題なのだ。
「それが我の仕事だ。その対価に報酬を受け取る故、礼など不要だ」
「それでもだ。今回の襲撃は私の予想を遙かに超えていた。お前は報酬以上の働きをしてくれた。礼は受け取ってくれ」
「そうか、であれば素直に受け取ろう」
アルクラドは、それでも、と言うセイルの手を取り握手をする。セイルはいい笑顔で頷いている。
「あ~ぁ……アルクラドあんた、戦いは滅法強いのに、こういうやりとりは全然ダメなんだな」
そこへ呆れた表情のマーシルが苦笑いを浮かべながらやってきた。アルクラドは首を傾げ、セイルは素知らぬ顔だ。
「分かってねぇ、って顔だな。依頼主であるセイルの旦那が、報酬以上の働きをした、って言ったんだせ? それならその分だけ追加報酬をくれって言ってもおかしくはないだろ?」
アルクラドに加え、ライカとロザリーも、納得した様に頷いている。そして3人は同時にセイルに目を向ける。特にライカとロザリーは期待に目を輝かせている。
「が、既にあんたはその礼を受け取ってる。礼を受け取る、って握手しただろ? だから追加の交渉は出来ねぇぜ」
開きかけていた3人の口が止まり、2人の視線がアルクラドへ向けられる。セイルは素知らぬ顔だ。
「……すまぬ」
たっぷりと間を置いた後、アルクラドは謝った。
「これが商人とのやりとりだ。もっと注意しないと仕事に見合った報酬は得られないぞ」
セイル曰く、商人は金に細かい人間であり、金に汚く執着するくらいで対等に話が出来るのだ、と言う。
これだから人間は、とアルクラドはため息をつきたくなる。しかし。
「本来この様な助言はしないが、お前達とはこれからも良い付き合いをしたいと思っているからな。依頼の完了報告の後、一緒に食事でもどうだ? 馴染みの良い店がある」
突然のセイルからの誘い。良い店、という言葉にアルクラドはすぐに反応する。行こう。そう言いかけて。
「そこの金は誰が払う?」
そう言い直した。
それを見て、セイルはニヤリと笑い、頷いた。
「それでいい。もちろん私が出そう」
「行こう」
セイルからの言質を取ったアルクラドはすぐさま答えた。
その後、すぐに完了報告を終え、セイルの行きつけの店で、大いに飲み食いした。
ちなみに、アルクラドの食べる量が尋常ではなく、セイルが引きつった笑みを浮かべていたのは、ナイショである。
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そろその2章も終わりです。
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