魔族を狩る聖女
剣呑な空気を漂わせていた聖女エリーは、不意にそれを緩めた。
「ねぇ、アルクラド。君は聞いているかい?」
「何をだ?」
また先程までと同じく、気安い友人にする様にアルクラドに話しかけるエリー。アルクラドも同様に答える。
「ドール王国をはじめ各国が魔王討伐に向けて動いていることをだよ。優秀な冒険者も集めてるみたいだし、君にも声はかかっていないかい?」
魔王討伐。
ここに来るまでアルクラド達は耳にすらしていなかったが、迫りくるであろう脅威に対して人族は動き出していたのだ。
魔王が自身の右腕ともいえる魔族を将として、魔物の大軍をドール王国へと送ってきた。それは遠からず魔王率いる軍勢が、人族領に攻め入ってくることを示している。強力な魔族軍の攻勢を1国ごとで防ぎ、追い返すのは至難。であれば人族も纏まり、魔族を迎え撃つ。
この様な考えの下、戦力を集め、また南へと進んでいるのだと言う。
「その様な事、我らは識らぬな」
「そっか。まぁ、まだ全ての国が団結しているわけじゃないからね。実際に被害のあったドールやラテリアは別だけど」
彼女の話では、ドールとラテリアは魔王へ攻め入る意思を強く持っている様だった。オークキングの出現や魔物軍の襲来を経験しており、魔王の脅威をよく理解しているからだろう。
対してその他の国では、消極的のところが多い様であった。人族が纏まらなければと理解しつつも、矢面には立ちたくない。自国が利益を最大限に得る立ち位置はどこか、それを探っているのだ、とエリーは言う。
「全く、人族の危機だっていうのに、困ったものだよね」
エリーはやれやれといった様子で首を振る。
彼女の話で、人族が魔王討伐へ向けて動いていること、まだ全ての国の思惑が一致していないことは分かった。しかし分からないことがある。
何故、エリーがこの話を持ち出してきたのか、ということである。
「話を戻すけどね」
どうやら、先程までの話に繋がる様である。
「魔族が魔王の名の下に攻めてきた。これはつまり魔族全体が人族の敵ってことさ。敵なら生かしておく理由はないでしょ?」
敵は殺す。アルクラドの言いそうなことである。
「君はさっき、刃を向けるなら殺すって言ったけど、正しく魔族は、私達に刃を向けているんだ」
だから魔族は殺す。エリーの話は、最終的にそこへ行き着く様だった。
「其方の言う通り、我は敵を生かしては置かぬ」
「でしょう? だからさ……」
「だが、この者らは我の敵では無い」
エリーも頑なだが、その点に関してはアルクラドも同じである。
「人族共通の敵だ、って言ってるんだよ?」
エリーの目が、僅かに細められる。
「うむ。だが、我の敵では無い」
アルクラドは表情を変えずに言う。
「魔王を殺した後は、残った魔族を滅ぼす。遅かれ早かれそいつらは死ぬ。私が今日は退いたとしても、いつの日か必ず殺す」
だから退くんだ、とエリーは繰り返す。
「断る。我が去った後の事を止める術は無いが、我がこの地に居る間は、この者らを殺させる訳にはいかぬ」
アルクラドも、決して退かぬと繰り返す。
「いつか殺される、と怯えながら暮らしていくのは辛いんじゃないかい?」
「死とは元よりその様なものであろう」
「君は本当に頑固だね、アルクラド!」
穏やかだったエリーが、再び苛立った様子で言った。顔をしかめながら、頭を押さえている。
「あの、エリーさん……」
あくまでも魔族は殺す。その姿勢を崩さないエリーに対して、シャリーはある疑問を抱いた。
「何だい? えっと、君は……?」
「アルクラド様のお供の、シャリーと言います」
アルクラドとエリーが出会った時、エリーは周囲に独特の存在感を放っていた。その為、シャリーは彼女のことをよく覚えていたが、その逆は違っていた。なので慌ててシャリーは名乗る。
「シャリーだね。それで、何かな?」
エリーは俯きながら何度か頷いた後、シャリーに目を向けた。
「どうしてそんなに魔族を殺すことに拘るんですか? この人達は確かに魔族ですけど、魔王に従っているわけでも、人族を脅かしてるわけでもないのに」
何故これほどまでに魔族を殺そうとするのか。
確かに魔族は人族の敵になったのかも知れない。しかし敵側に属する者を全て殺すというのは、流石にやり過ぎた。国同士の争いで、敵の兵士を皆殺しにすることはあっても、その国の民を全て殺すことはあり得ない。余程のことが無い限りは。
「それを聞いてどうするんだい?」
問われたエリーは、怒るでもなく驚くでもなく、単に疑問を浮かべる様に首を傾げた。
「どうする、というわけではないですけど、純粋な疑問です。もしかしたらアルクラド様を納得されられるかも、とも」
シャリーの問いは、不意に浮かんだ疑問の発露であった。アルクラド云々のくだりは、ただの思いつきで、そうなるとは少しも思っていないが。
「ん~、それもそうか……」
しかしエリーの中には、アルクラドを説得できるかも知れない、という考えが生まれた。
「それじゃあ、少しだけ昔話をしようか」
そう言ってエリーは、世間話をするかの様に、ある話を語り始めたのであった。
「私の生まれたブラム公国は、聖気を重んじる国でね」
エリーはそう言って、話を始めた。
「とは言っても、魔力を軽視したり、聖気を持たない者を冷遇したりはしてないよ。ただ聖気を持つ者の待遇が良いってだけでね」
エルフが精霊の力を重んじるのに似てるんじゃないかな、とエリーはシャリーを見ながら付け加えた。エリーの例えは、確かにシャリーにとっては分かりやすいものだった。エルフの集まる国で暮らしたことはないが、精霊の力は特別だという思いは彼女にもあるのだ。
「私の両親は、聖気を持たないただの人だった。けれど私は、生まれた時から聖なる者の加護を受けていてね。今とは比べ物にならないほど小さな聖気しか持っていなかったけど、それでも2人はとても喜んでくれたよ」
幼少期のエリーは、一般的な聖気使いにさえ及ばない小さな聖気しか持っていなかったと言う。それでも彼女の両親は、それを喜び、また誇りに思ったと言う。
「まだ私が小さかった頃、両親が魔族に殺された。都から他の町へ行く途中に襲われて、私だけが生き残った。小さかったから余りよく覚えていないんだけどね、2人の寂しそうな笑顔以外は」
淡々としゃべるエリー。何を思い過去を語るのかその表情から読み取ることは出来ないが、両親の最後を語る時だけは静かに目を閉じていた。
「その時、私は誓ったんだ。魔族を滅ぼす、と」
エリーの目に、再び強い意思が煌めく。それが、彼女が魔族を殺す理由だった。
「どういうわけかその時から、私の聖気はどんどん大きくなっていった。ただの聖気使いを超え、そして成人を迎える前に、聖女と呼ばれる様になった」
どういうわけで彼女の聖気が増大したのか、それはエリー自身にも分からなかった。ただ理由などはどうでも良かった。これで魔族を滅ぼせるのだから、と彼女は思ったのだと言う。
「それからも私の聖気は増え、聖人や聖女と呼ばれる人達の中でも抜きんでた聖気を持つ様になり、今じゃ公国一の聖気使いさ」
聖気使いを重んじる国においてもエリーは並び立つ者のいない聖女であり、かつて強大な魔族を打ち滅ぼした勇者の再来とも噂されているらしい。
「まだご両親を襲った魔族が見つかっていないんですか?」
古の勇者のくだりでアルクラドに視線を向けつつ、シャリーはエリーに尋ねる。まだ親の仇である魔族が見つかっていないから、今もこうして魔族を殺して回っているのだろうか。そうシャリーは思ったのである。
「まさか。両親を襲った魔族なら、もうとっくに殺してるよ」
だが既にその魔族は亡かった。エリーがまだ聖女と呼ばれる前、自身の力が魔族を殺すに足ると確信した時、彼女は復讐を遂げたのだと言う。
「それなのに、まだ魔族を殺し続けるんですか?」
「そうさ。どういうわけか魔族を殺せば、私の聖気は強くなった。魔族殺しは、聖なる者から加護の代わりに与えられた私の使命なんだろうね。それに魔族を殺せば、私みたいに両親を奪われる人も減るだろう?」
エリーはさも当然の様に言った。
魔族や奇異なる者達の子孫に情を抱くのは、間違っているのか。魔族の血を引く自分だからそう思うだけで、人族は皆、エリーと同じ様に考えているのか。
そんな思いが浮かんでくるほど、エリーの目は曇り無く、澄んでいた。そんな瞳で、魔族は全て殺すと、繰り返していた。
「アルクラド、最後の警告だ」
鋭い視線がアルクラドを射貫く。
「私は魔族を、そして魔族を慕う者や庇う者を生かしておくつもりはない。魔族と食事を共にした君達は、本来ならば殺しているところだ」
未だ抜き身の剣を持ち、聖気を漲らせているエリー。しかしそこに先程の様な荒々しさはなく、まだ戦いの意思は感じられなかった。
「けれど、君はライカとロザリーの友達だ。友人の友を殺すのは、私も忍びない」
この言葉を聞き、ドールでのアルクラドとエリーのやり取りが思い出される。ライカとロザリーという共通の友人を持つ者同士よろしくやろう、と握手を交わしていたのだ。
「だからそこを退くんだ、アルクラド。そうすれば、あの2人に免じて、魔族と食事を共にし、そいつらを庇ったことにも目を瞑ろう。君もシャリーも、殺しはしない。これは君の為であり、彼らの為でもあるんだ。君の死を知って2人が悲しむのは、君も嫌だろう?」
最後の警告だと、アルクラドに退く様に言うエリーの声は、脅迫や命令では無く、懇願の色を含んでいる様だった。
「そうか……」
そんなエリーに、アルクラドは肯定でも否定でも無い、何かに思い至った様な呟きを漏らした。
「其方は、ライカとロザリーの友であったな」
アルクラドの言葉に、エリーの表情が僅かに緩む。アルクラドが納得してくれた、と思ったのだ。
「たとえ我に歯向かった者であろうとも、あの者達の友であったならば、確かに殺すのは忍びない」
独りで納得する様に言うアルクラドの言葉に、エリーは僅かに眉をひそめる。これからまるで2人が戦うかの様に、そしてそれにアルクラドが勝利するかの様に聞こえたからだ。
「其方が退かねば、我らは剣を交えることになろう。本来であれば我に剣を向ける者は殺すが、あの2人に免じ命は奪わぬこととしよう」
「君は何を言っているのか、本当に分かっているのかい……?」
エリーの視線に、再び険が籠もる。
「無論だ」
アルクラドへ鷹揚に頷く。
「最後の警告はした。これ以上、時間を無駄にするのは止めだ」
深いため息の後、山間の窪地に、聖気が吹き荒れた。
神聖ながらも荒々しい聖気が、この場を支配していく。奇異なる者達の子孫達の苦しみが、更に増した。シャリーも気取られぬ様に、必死に苦痛を隠した。
「今から行うは戦いでは無く、其方の稽古だ。それ故、殺しはせぬ」
アルクラドも聖銀の剣を構え、魔力を漲らせる。膨大な魔力が辺りに満ち、山里の住人達やシャリーは震えるが、その身に感じる苦痛は和らいでいた。
「稽古だって? 魔力の使い手である君が、聖気の使い手である私に稽古をつける気かい?」
エリーは笑いながら、しかし苛立たしげに言う。
「我は魔力の扱いも聖気の扱いも教えることは出来ぬが、強者との戦いは其方の糧となろう。其方の力、全て出し切るが良い」
自身の強さに何の疑いも持っていない。そんなアルクラドの言葉に、エリーは更に苛立ちと明確な殺意を募らせていく。
「君は当代一の聖女がどれほどのものか分かっていないみたいだね。今までの言葉を、聖なる者の御許で悔いるといい」
エリーは殺気混じりの聖気を撒き散らし、構えた剣を、アルクラドへと向けるのであった。
お読みいただきありがとうございます。
物々しい雰囲気を2話も引っ張ってしまいましたが、
次から本格的に戦いに入っていきます。
次回もよろしくお願いします。