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骨董魔族の放浪記  作者: 蟒蛇
第13章
166/189

カンクリーの宴

 パチパチと薪の爆ぜる音が、グラグラと湯の沸き立つ音が、山の窪地に出来た里の中に響いている。それと同時に、甘く川辺に漂う空気の様な香りが、辺りに広がっている。

 10体以上のカンクリーを捕獲してきた山里の住人達は、手斧を片手に手際よくその日の獲物をバラしていった。

 カンクリーを仰向けにし、腹にあたる脚の付け根を叩き割り、腹側の殻ごと手脚を纏めて引き千切った。

 身体から離れても蠢く手脚を1つずつに分け、殻から中身を引き出していく。深緑の殻から出てきた身は、その不気味な殻の色とは裏腹に、透き通っており美しささえ感じるほどだった。

 身体から手脚を外し終えると、住人達はカンクリーの甲羅の中から、ドロドロとした赤みがかった黄色い何かを掻き出していく。腹に詰まっていたのだからはらわたか何かなのだろうが、獣のそれとは似ても似つかぬものだった。

 カンクリーのはらわたは1つの甲羅に全て集められ、残りの甲羅は水を張り、鍋の代わりとなった。人の胴体ほどの大きさと深さがある甲羅は、鍋として適しているのか、使い古しらしき黒く焦げた殻を里の中で見ることが出来た。

 甲羅の中で煮立つ湯から、既に食欲をそそる香りが立ち上っている。そして火の傍に、殻の外れた、または殻付きのままの手脚が置かれ、どうやら宴の準備が整った様であった。

「どの様にお食べになられますか? 火を通し食す者も居れば、火を通さぬまま食す者も居りますが」

 シルド達、この山里の住人にとって、カンクリーはごくありふれた馴染みある食べ物である。しかし他所の者からすれば、食べ物かも怪しい代物である。いつも通りのカンクリーをアルクラドに食べさせ不快な思いをさせてはいけないと、シルドは恐る恐る尋ねる。

「其方らのやる全ての食し方でだ」

 そんなシルドの問いに、アルクラドは間を置くことなく答えた。未知の味を求めてやってきたアルクラドが、全ての食べ方を試さないはずがなかった。美味であればもちろん良いが、不味かろうが、それはそれで良いのである。

「承知仕りました。シャリー殿もそれでよろしいか?」

「はい……」

 即答するアルクラドの言葉に、微笑みの様なものを浮かべながら、シルドはシャリーにも尋ねる。アルクラドと違い、彼女の歯切れは悪い。しかし覚悟を決めたのか、諦めた様な様子で頷いていた。

「カンクリーは絞めたそばから、徐々に身の質が落ちていきます。ですが絞めたては、火を通さずそのまま食す事が出来るのです」

 そういうシルドの言葉に合わせて、皿代わりの割った殻に乗せられた、生のカンクリーが2人の前に置かれた。

 カンクリーの身は透き通り、また美しく輝いていた。食べるのが躊躇われる様な美しさではあるが、初めからこの状態で出されていれば、口に入れるのにさしたる抵抗はなかったであろう。しかし、あの不気味な姿を見た後では、中々手が出ないシャリーであった。

 何の躊躇いも無くカンクリーを食べるアルクラドを横目に、シャリーはひと口大にぶつ切りにされた透き通る身を、手で掴んだ。

 僅かにぬめりのある身は、プルプルと震え、弾む様な弾力が指先から伝わってくる。本来なら美しささえ感じるはずなのに、カンクリーの姿に引きずられ、それがブヨブヨとした感触だと感じてしまう。

 砕いた岩塩が振りかけられただけの、単純な食べ物。誤魔化しの無い素材そのものの味わいを感じられる食べ方だが、この時ばかりはもっと手を加えて欲しいと思わずにはいられなかった。

 覚悟を決めて、シャリーはカンクリーを口の中に放り込む。

 プリッとした弾力のある食感。岩塩の辛さが舌に触れ、直後、旨味を伴った甘さが溢れる様に押し寄せてくる。歯の間で弾けた身は、ネットリと口の中に纏わり付き、旨味と甘味の余韻をいつまでも残していた。

「美味しい……」

 スーデンで食べた物とは比べ物にならない美味しさに、シャリーは思わず呟いた。その美味しさは、カンクリーの不気味な姿をして、それでも食べたいと思わしめるほどであった。

「うむ、美味である」

 シャリーの言葉に答えたのか、アルクラドも味の感想を呟く。しかしそれ以降は言葉を発することはなく、ただ手と口だけが休み無く動いていた。

 そんな2人の、特にアルクラドの様子を見て、シルドや里の住人達はホッと胸を撫で下ろした。

「次はこちらを。ほんの少しだけ茹でたカンクリーで御座います」

 次に出てきたのは、透き通った身が僅かに白くなり、幾つもの花弁を持つ花が咲いたかの様に、フワリと広がったカンクリーであった。熱で身の繊維が縮こまり、花の如く広がったのである。

 今度はシャリーも、躊躇無く白い花に手を伸ばした。

 口に入れると、まず感じるのはフワフワとした食感と、先程よりも強く弾ける身の弾力だった。

 甘味は先程よりも僅かに抑えられ、しかしそれ以上に旨味が強く感じられた。また生の時には無かった、川辺の空気に似た香りが口の中に広がり、より複雑な風味を感じることが出来た。

 これもまたほとんど無口のまま食べ進め、次の料理が運ばれてきた。

 やってきたのは、カンクリーの脚を殻付きのまま焼いた豪快な料理。蓋を開ける様に、殻に上半分を剥ぎ取ると、白くなった身の上でカンクリーの汁がジュワジュワと沸き立っていた。

 そのまま口に入れれば火傷は必至であろうカンクリーの身を、アルクラドはすぐさま、シャリーは不十分ながらも息で冷まして、口にする。

 熱い。外側が少し冷めたと思っても、内側はまだまだ火傷するほどに熱かった。少しでも早く冷まそうと、口の中の空気を小刻みに吐き出す。その度に、フワリフワリと川辺の風が香ってくる。

 熱さが収まり身を噛みしめる。弾む様な弾力は鳴りを潜め、代わりに幾つもの繊維を分断する心地よい噛み応えが伝わってくる。それと同時に、中からジュワッと肉汁が溢れ出してくる。熱を加えるほどに、肉よりも魚に似た旨味がどんどん強くなり、しかし控えめになった甘味が味わいに厚みを持たせている。

 また熱々の肉汁をたっぷりと含んだ身は、温かいスープを飲むかの様に、身体をその内側から温めてくれた。寒空の下で食べれば、それが冷えた身体に安心感と満足感を与えてくれ、熱それ自身が1つの美味しさとなっていた。

「次で最後で御座います。少し抵抗がおありかも知れませんが……」

 焼いたカンクリーをすっかり食べきった2人に、シルドは最後の料理を持ってくる。がその口振りは、やや遠慮がちだ。

 2人の前に運ばれてきたのは、生の、茹でた、焼いたカンクリーで、先程食べたのと同じものだった。しかしそれと一緒に、何やら液体の様なものが添えられている。赤みがかった鮮やかな黄色の液体と、僅かに濁った赤みのある黒い液体。

「カンクリーのはらわたと、カンクリーで造った肉醤にくびしおの様な物で御座います」

 どうやらこれをカンクリーの身につけて食べる様だった。しかし里の住人の中でもこれらを苦手としているものもいる様で、無理に食べる必要はない、とシルドは続けた。しかしアルクラドはやはり躊躇をせず、生のカンクリーをそれぞれにつけて口の中へと入れた。

 それを見ながら、シャリーは焼いたカンクリーを手に取り、しかしはらわた肉醤にくびしおには中々手が伸びなかった。

 カンクリーの身を色々な方法で食べ、今ではあの不気味な姿を見た後でも忌避感なく、カンクリーを食べられる様になっていた。しかし火を通していないはらわたを躊躇なく食べることは出来なかった。

 シャリーとて長く山で暮らしていた為、獣を狩り、その臓物を食べることは何度もあった。むしろ食べれば力が出る為、内臓は必ず食べていた。しかしそれは食べる部分を選んでのことだ。胃など食べ物の通るところは捨て、心臓や肝臓などを火を通して食べるのだ。

 しかしこれは、はらわたのどの部分かも分からず、更には火を通していないのだから、食べるのを躊躇わずにはいられなかった。

 だがここまで来たら、とシャリーは改めて覚悟を決める。

 ドロドロとしたはらわたにカンクリーの身を付け、口に入れる。

 何倍にも濃くなった川辺の香りが鼻を抜ける。やや生臭さを感じなくもないが、それを覆い隠すほどに濃厚なカンクリーの香りと、そして川辺の風で口の中が満たされていく。

 ドロリとしたはらわたは口の中で溶け、濃厚な旨味を広げていく。そして身から溢れ出た肉汁と合わさり、カンクリーの味を何倍にも引き立てていた。

 肉醤にくびしおにも手を伸ばす。

 黒っぽい液体は思いのほかサラサラしており、身につけると黒よりも赤に近い色合いを見せた。香りはカンクリー自身の持つものだけでなく、酒精に似た鼻をつく独特の香りがあった。

 まず感じるのは強い塩の辛味、そして凝縮されたカンクリーの身の味わいだった。身と同じ旨味を持つ肉醤にくびしおがカンクリーの味わいを更に強くし、塩の辛味が身の甘味を引き出していた。しかしはらわたよりも生臭さが強く、また苦味も強かった。一見するとクセの強そうなはらわたよりも、好みが分かれそうな味であった。

 しかしシャリーはどちらも美味しいと感じ、より美味だと感じるはらわたの方を好んで食べていた。対してアルクラドは肉醤にくびしおの方が気に入ったらしく、そちらをつけて食べる頻度が多かった。

 これまた2人がカンクリーの特殊な食べ方を気に入ったと見て、シルド達は安堵し、また僅かに驚いた。はらわた肉醤にくびしおは美味いと知ってなお、嫌がる住人がいるほどだ。それを外から来た者が美味しそうに食べているのだから、少し不思議な感じがしたのである。

「我々も、始めさせて貰って構いませんでしょうか?」

「うむ、其方らも大いに食すが良い」

 一通りアルクラドに料理を食べさせた後、里の住人達も宴を始めた。皆一様にアルクラドに深く頭を垂れた後、各々思い思いの食べ方でカンクリーを堪能するのであった。


 夜が更け、山の窪地を焚き火の光が照らす頃、アルクラドはまだカンクリーを食べていた。里の住人達は既に食事を終え、焚き火の傍に座り、アルクラドの様子を見つめていた。

「まさか我らが先祖の様に、御身の未知の知のお手伝いをさせて頂けるとは、思っても見ませんでした」

 ふとした時、シルドが感じ入る様な調子で言った。

「我らが祖を迎え入れて下さった時、御身は未知を求められたと伝え聞いております。受けた御恩に対し余りにも小さな事なれど、我が祖らは自らの知る全てを語った、と。何を語ったかまでは伝わっておりませんが」

 そう言うシルドは、アルクラドが封じられる前、遥か昔へと思いを馳せている様だった。

「其方らの祖先に語らせる代わりに庇護をしていた様であるが、今は出来ぬ事であるぞ。我は世を巡る道中みちなかに居る故な」

「滅相も無い事で御座います。祖の受けた御恩にさえまだ報いられておりませんのに、更なる御恩を賜る訳には参りません」

 奇異なる者達アッズから語られたことも、彼らを庇護していたことも覚えていないアルクラドだが、カンクリーの味とその様々な食べ方を知れたことは礼に値すると考えていた。

 しかしシルドは慌てて首を振る。奇異なる者達アッズの長く辛い歴史の中で、長くはなくとも平穏な時代をもたらしてくれたことは、今なお報いなければならない恩だと考えているのだ。

「そうか。だが我はそれを憶えておらぬ。食事の礼に、我がこの地に居る内に其方らを害する者あれば、払い除ける程度の事はしよう」

 昔のことを覚えていないアルクラドにとって、彼らとの貸し借りなど無いも同然。むしろカンクリーを食べた分の借りがある、という様な認識であった。

 それに対しシルドは、やはり恐縮しきった様子で激しく首を横に振り、必死に謝辞していた。

「シルドよ、カンクリーはもう終いであるか?」

 そんなシルドに構うこと無く、最後の1切れを食べ終えたアルクラドは尋ねる。

「お望みでしたらいくらでも獲って来させますが……」

「無いなら構わぬ。明日の朝に食すとしよう」

 宴の前に獲ってきたカンクリーは、全て皆の、主にアルクラドの腹に収まり、中身の無くなった殻がそこらに転がっているだけであった。食べようと思えばまだまだ食べられるアルクラドだが、ひとまずは満足できた為、今日はもう終わりにし、休むことにした。

 しかし山里の住人達は、普段山肌の横穴か空の下で寝そべって夜を過ごしている為、客人をもてなす用意が少しもなかった。そのことをしきりに謝るシルドだが、野宿は常のことなので、2人は焚き火の前で暖を取りながら、夜を越すのであった。

 そして夜が明け、朝の食事を終えた時のこと。ある人物の驚きの声が山の窪地に響いた。

「あれ~? 何で君達がこんな所にいるんだい?」

 山里の者達が、そしてシャリーが表情を苦しげに歪める。

 柔らかくフワフワとした長い髪は金色に輝き、くるりと大きな瞳には深い青の光を宿している。

 貴族の令嬢然とした美しい少女が、驚きに目を見開いていた。しかしすぐさま驚きを抑え、愛らしくも薄ら寒い笑みを浮かべるのだった。

 冷たい輝きを放つ剣を手に、膨大な聖気を撒き散らしながら。

お読みいただきありがとうございます。

ほとんど1話をご飯の話にしたのは、久々な気がします。

そう言えば久しく食べていないし、次の冬にでも食べにいこうかしら……?

そして次でいよいよ、あの人物が再登場します。

次回もよろしくお願いします。

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[一言] 甲殻類でこの反応なら、タコや深海魚はどうなるのやら。 大王イカやクラーケンを退治して食べるより、小さい水タコに墨をぶっ掛けられるアルクラドが見たいわ。
[一言] 更新お疲れ様でございます。読み終えたら口の中が寂しくなってしまいました。いつもながらご飯の描写が上手いですね!自分も食べたくなりました、カンクリー。
[良い点] 描写が丁寧で、蟹が食べたくなりました。 [一言] 蟹食いてぇ…。
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