氷果酒の真の味わい
2頭引きの馬車に揺られてアルクラドとシャリーがやってきたのは、麓と畑の間にある、リース村を見下ろす高台に築かれた屋敷であった。
2階建ての大きな屋敷。カンエーダは別邸であり手狭だと言っていたが、充分に大きな屋敷である。少なくとも客人を2人招待するには。
「アルクラド殿、シャリー嬢。ようこそ、我が家へ」
アルクラド達を迎えにきた使者が開けた扉の先で、カンエーダがにこやかに2人を迎え入れた。
吹き抜けの大きな玄関。上階へ続く大きな階段が目に飛び込み、また入り口の上の大きな窓から光が降り注ぎ、屋敷の中を明るく照らしていた。
「食事の用意は出来ているが、すぐに食事にするかね? それとも少し休んでもらっても構わないが」
「直ぐに食事で構わぬ」
昼食を摂るには少し早い時間であり、カンエーダは2人の腹の空き具合を気遣うが、その必要は一切なかった。
「優れた冒険者は、健啖も仕事の内ということか。ではすぐに食事といこう」
カンエーダは口元を小さく緩め、階段の脇にある扉に手を向けて歩き出した。彼の後にアルクラド達も続き、使用人が開けた扉の先は食堂であった。
片側に10脚、計20脚の椅子が向かい合った、大きな長テーブルが食堂の中央に置かれていた。扉から最も離れた3席に、ナイフやフォーク、杯など食事をする為の一式が準備されていた。
「ごく親しい友人しか招かないので小さく感じるかも知れないが、これくらいの方が案外勝手がいいのだよ」
庶民の感覚では充分すぎるほど大きな食堂で、詰めれば50人以上が1度に食事が出来るほどだ。カンエーダの言う大きな食堂は一体どれほどの大きさになるのか、シャリーには想像がつかなかった。
「さてすぐに食事を運ばせるが、氷果酒はその後に飲んでもらおう。それまでの間、食事の代わりではないが、貴殿らの話を聞かせてくれないかね? せっかく武勇名高い冒険者と知り合えたのだから、ぜひ聞かせて欲しい」
「うむ、構わぬ」
使用人に配膳を命じた後、今までの冒険譚を聞かせて欲しいと言うカンエーダにアルクラドは頷く。食事の礼に話をするなど何でもないからだ。しかしアルクラドの語りは端的過ぎて盛り上がりに欠ける。色々と補足が必要だ、とシャリーは密かに思うのだった。
「ところで、カンエーダ様はどうして私達のことを知っていたんですか? 私達はつい最近、この国に来たばかりで、まだ名前は知られてないと思ってたんですけど」
食事が始まる前、シャリーは昨日から気になっていたことをカンエーダに尋ねる。
ドールやラテリアの戦いにおいて一番の戦果を上げたのは、間違いなくアルクラドである。そのアルクラドの名が他国に知れ渡っているのは、まだ頷ける。しかしカンエーダはシャリーが魔族を打ち倒したことまで知っていた。ドール王国の者ならまだしも、プルーシ王国の者がそれを知っているのは不思議だった。
加えて言えばアルクラド達の真似をしたオルテ達も、シャリーの実力については何も言っていなかった。龍より強い冒険者の供である、エルフの女。それがシャリーに対する認識だったのだ。
「王都のギルド長から聞いたのだよ。ギルドが持つ情報が政に関わってくることもあるのでね、彼らとは定期的に情報のやり取りをしている」
「それでアルクラド様だけじゃなくて、私のことまでご存じだったんですね」
「ああ。2人とも、あのドールの英雄が認めた魔法使いだと聞いている。もし我が国で強力な魔物が出た際は、ぜひともその力を貸してもらいたいものだ」
ギルドを通した情報であれば、カンエーダが自分のことを知っていても納得だ、とシャリーは頷く。魔物や魔族の脅威がある中、力ある者を把握しておくことは、為政者にとっても重要なことである。
「そういえばフランクの町で私達のことが噂になっていたんですけど、私達の情報って町の人にも知らされてるんですか?」
「いや……貴殿らの情報はギルド内で留められているはずだ。貴殿らの実力の詳細を知るのはギルド長を含めた上位の者で、市井に広めることなどしないはずだが……」
シャリーがフランクでのことをカンエーダに尋ねると、彼は怪訝そうな表情を見せ顎に手を当てた。自分の知る話とシャリーの話とに食い違いがあったのだ。
「王都へ戻る際、フランクの町にも寄る。その時、ギルドに確認し、貴殿らに回答を伝える様に指示しておこう。貴殿らがフランクに戻った際、ギルドで確認して欲しい」
「分かりました、よろしくお願いします」
ここで考えていても仕方がないと、カンエーダが後日確認することを告げたところで、ちょうど料理が運ばれてきた。
「さぁ、何はともあれ食事を始めよう。そう言えば貴殿らの健啖ぶりも報告されていたな。思う存分食べてくれたまえ」
次々とテーブルの上に並べられていく料理を目で追うアルクラドを見て、カンエーダは思い出した様に笑った。すぐに食事をするかどうかなど、わざわざ確認するまでもなかった、と。
「うむ」
カンエーダとの話をシャリーに任せっぱなしにしていたアルクラドは、そう言って料理に手を付け始めた。次いでシャリーも料理を手に取る。
貴族の饗する料理にアルクラド達は舌鼓を打ち、またカンエーダは2人の冒険譚を興奮気味に聞いていた。
シャリーやオルテはカンエーダに思惑ありと踏んでいたが、この時ばかりは何事もなく、和やかな雰囲気のまま食事は進んでいくのであった。
用意された食事を粗方食べ尽くしたアルクラドの大喰らいっぷりに、カンエーダが乾いた笑い声を漏らした頃、1人の男がカンエーダの別邸に訪れた。
「カンエーダ様。ヴァイダル氏がお見えです」
「うむ、通せ」
どうやらアルクラド達に飲ませる氷果酒を、その造り手自ら持ってきた様だ。
「どうも旦那方、昨日ぶりで。最高のテビアを持ってきました。去年仕込んだもんですが、寝かせただけ丸くなって、より美味くなってますぜ」
食堂に現れたヴァイダルは、大事そうに抱えていた包みを解き、中の瓶をテーブルの上に置いた。中の見えない黒っぽい瓶で、首には藍色の紐が巻かれている。
「早速味見といこう。ヴァイダル君、注いでくれたまえ」
「畏まりました」
カンエーダに恭しく頷いたヴァイダルは、慣れた手つきで栓を開けた。抜いた栓を鼻に近づけ満足そうに頷く様は、オルテとそっくりであった。
テビアの注がれた硝子杯を傾け、トロリとした氷果の雫を舌の上で滑らせる。
「いかがかな?」
カンエーダが尋ねる。ヴァイダルもその後ろで、無言でアルクラド達の感想を待っている。2人の表情に不安の色はない。紡がれる言葉は1つしかない、と確信している顔だった。
「美味だ」
アルクラドの言葉に、2人は揃って満足そうに頷く。
「だが、オルテのテビアには及ばぬ」
しかし後に続いたアルクラドの言葉に、2人が表情を無くした。
硝子杯に注がれた琥珀を秘めた黄金色の雫。その色はオルテのものより僅かに濃い。
硝子杯から立ち昇る香りも似通ったもの。しかし蜜蝋や木の実の香りが僅かに前に出ていた。
口に含めば強くも落ち着きのある甘さを感じ、次いで僅かな苦味や渋味、酸味を感じた。
しかしオルテのものに比べると、甘味以外の味わいがあまりにも弱すぎた。
それらの味が、強く出過ぎれば全体の味わいを損ねてしまうが、弱すぎると甘いだけの酒になってしまう。オルテのテビアは、苦味や渋味、そして酸味が、強すぎず弱すぎない絶妙な加減で、濃厚な甘味に優雅さと複雑さを持たせていた。
またオルテのテビアには、飲んだ後も鼻を抜ける、そして杯から立ち昇る複雑な香りがあった。しかしヴァイダルのものには、それが僅かしかなかった。甘い香りは強いが、それを引き締める茶葉や香辛料の香りは皆無だったのだ。
もし氷果酒を飲むのが初めてであれば、何と甘美な酒なのか、と絶賛することが出来ただろう。しかしオルテのテビアと比べてしまうと、甘さだけが強く前に出た、単調な酒になっていたのだ。
「……何がオルテ君のテビアに及ばないのかね?」
「全てだ。甘味は同程度あろうが、その他の味わいが余りにも乏しい」
我に返り問うカンエーダに、アルクラドは率直な感想を伝える。
「……これが本物の氷果酒なんですがねぇ。オルテの奴は、酒に混ぜ物をしてるんでさぁ」
「それの何が悪いのだ?」
苦い表情でオルテを非難するヴァイダルに、アルクラドは首を傾げる。
「氷果酒は凍った葡萄で造ったものしか、その名を名乗れねぇんです。ハチミツなり何なりを混ぜたんじゃ、そりゃもう氷果酒じゃありません」
「そうか。だが我は氷果酒の名に興味は無い。あの甘美で複雑な味わいを持つ酒が、どの様に造られようとも何を混ぜられようとも、一向に構わぬ」
それがどうした、と言わんばかりのアルクラドの言葉に、カンエーダまでもが苦い顔になる。
「……まぁ味の好みは人それぞれだ。食事まで共にしたのに、非常に残念ではあるがね」
たっぷりと時間をかけて紡がれたカンエーダの言葉は、どこか含みを持っていた。
「そうか、だが我は感謝しておる。本物の味とやらを識り、またオルテの物の方がより好みである事が判った故な」
「そうか……シャリー嬢はどうかね? まさか貴女もオルテ君の物が美味だとは言うまいね」
「私もアルクラド様と同じです。オルテさんの方が美味しいと感じました」
アルクラドの言葉にため息を吐いたカンエーダは、その隣のシャリーへと有無を言わさぬ様子で尋ねる。それを感じつつもシャリーは、はっきりと答える。
「……そうか。さて、これで食事と氷果酒の味見はお終いだ。貴殿らが望むのならば晩餐も用意するが、どうするかね?」
たっぷりと時間を置いた後、カンエーダは再び深いため息を吐いた。そしてこれ以上話すことはない、と言いたげな様子でアルクラドに尋ねる。
「我はオルテの所へ戻る。あの者には、より美味であった氷果酒を買うと言った故な」
オルテの氷果酒の方が美味しい。そう何度も繰り返すアルクラドに、ヴァイダルは強く歯を噛みしめていた。
「では彼の家まで送ろう。馬車を用意するので少しだけ待っていてもらおう」
カンエーダは硝子杯をスプーンで軽く叩き、使用人を呼びつけた。小さな声で指示を出した後、懐から取り出した革袋を使用人に渡す。そしてそれがそのままアルクラドの下へ運ばれてきた。
「これは……?」
一礼をして使用人が立ち去るのを見てから、アルクラドが問う。中を見れば、10枚の金貨が入れられていた。
「何、わざわざ足労願ったにもかかわらず、本物の氷果酒を美味だと思ってもらえなかった、詫びの様なものだよ」
「詫び等、不要だ」
「そう言わず受け取ってくれたまえ。そうだな……もし王都で会うことがあれば、よろしく頼みたいことがある。その依頼に対する前金というのはどうだろう」
受け取りを拒むアルクラドに、カンエーダは何とかして受け取らせようとする。
「依頼の報酬とあらば受け取りもするが、よろしく頼むとはどう言う事であるか?」
「王都で会えば分かるだろう。会わずともそのまま納めてくれて構わない。どうか受け取ってくれないだろうか」
依頼の内容を問うても、それをはっきりさせないカンエーダは、しかし頑として金貨を受け取る様に言う。アルクラドとしては断っても良かったが、食事を振舞ってもらい、氷果酒の味の違いを教えてもらったのも事実である。相手がどうしてもと言うのならば、その礼として金貨を受け取ってもいいか、とアルクラドは考えた。もし依頼がなくなる様なことがあれば、返せばいいのだから、とも
「であれば、その金貨を受け取ろう。王都で会うた際には、依頼の内容を詳しく話してもらおう」
「ああ、よろしく頼むよ」
革袋を懐に入れたアルクラドを見て、カンエーダは満足そうに頷いた。ちょうどその時、馬車の準備が出来たと、使用人が食堂にやってきた。
「今日は楽しかった。また機会があれば食事を共にしたいものだ」
「うむ。其方の食事は美味であった」
「ありがとうございました、美味しかったです」
「ぜひ我が家の氷果酒もご贔屓に……」
玄関に移り、別れを交わす4人。
笑顔で握手をした後、馬車に揺られオルテ家へと向かうアルクラド達の姿を、カンエーダは険しい表情で見つめていた。
「カンエーダ様……」
「あの2人が何かしたところで、どうにもなるまい。計画に支障はない」
不安げなヴァイダルに言い放つカンエーダの言葉が、馬車の音と共に風に流れるのであった。
お読みいただきありがとうございます。
話が進む度に、商売敵と貴族の2人が悪者になっていく……
一体何を企んでいるのか。
次回もよろしくお願いします。





