貴族と商売敵
険呑な様子で視線を交わす、2人の男。
共に日に焼け色褪せた茶髪を短く刈り込んだ、体つきのがっしりした男で、肌は浅黒く、ぶ厚い手のひらと節くれ立った太い指をしている。共に角張った威圧感のある顔つきで、その風貌はよく似たものであった。
身につけている衣服と、身体に蓄えた脂肪の量が、この2人の差異であった。
1人の男オルテは、つぎはぎの目立つ汚れた衣服を着ており、骨太ながらその頬はやや痩けている。盗みを働くほどに生活が困窮していたのだから、その姿にも納得がいく。
そしてオルテを見下す様にして立つ男は、つぎはぎも汚れもない上質な衣服を身につけ、腹には見事な脂肪が蓄えられていた。農夫の様な風貌ながら、裕福な暮らしをしているのが見てとれた。
「一体何の用だ、ヴァイダル?」
自らの家に現れた男ヴァイダルに対し、オルテは未だ険のこもった視線を向けながら言う。
「つれないこと言うんじゃねぇよ。せっかくいい話を持ってきてやったのによ」
ヴァイダルと呼ばれて男は、オルテの睨みつける様な視線に少しも動じることなく、肩をすくめ冗談めかした様に言う。
「いい話だと……?」
「そうさ! 氷果酒が売れずに困ってるお前に、援助の話を持ってきてやったんだぜ?」
訝しげなオルテにニヤリと笑いかけ、ヴァイダルは共に来ていた男に手を差し向ける。
「久しぶりだね、オルテ君」
ヴァイダルと共に来ていた貴族然とした男は、にこやかな笑みを浮かべながらオルテに言う。淡い金髪を後ろに撫でつけた腹のせり出した中年で、白い肌は蓄えられた脂肪の為にハリがあった。
「カンエーダ様が、援助……?」
「ああ、そうだ。昔馴染みのお前の家が潰れていくのを見るのは忍びなくてな。カンエーダ様にお前の援助を願い出たんだ」
アルクラド達の知らぬことであるが、ヴァイダルはオルテと同じく、代々リース村で氷果酒を造っており、小さな頃から互いを知っているのである。
そんな2人であるが、オルテはヴァイダルの言葉に強い違和感を覚えていた。
彼の記憶が正しければ、ヴァイダルはオルテを強く意識していた。同じ氷果酒造りに従事する者として競い合っていたが、ヴァイダルはオルテを酷く敵視していた。間違っても相手の心配をする様なことはなく、むしろ弱みがあれば嬉々としてそこを突いてくるのが、ヴァイダルという男だった。
そんな男が、ただの好意で支援の話を持ってくるとは、到底思えなかった。一体何を考えているのか、と思いながらオルテは首を振った。
「支援は必要ない。こちらの旦那がテビアを買ってくれた。少なくとも寒さと飢えに苦しんで死ぬことはなくなったからな」
アルクラドを指しながら、オルテは言う。もしアルクラドが現れていなければ、オルテはこの申し出を受けたかも知れない。しかし最上級の氷果酒が売れた今、一家が冬を越すだけの金が手に入ったわけであり、怪しい支援に飛びつく必要はなくなったのである。
「お前のところのテビアを……? 旦那、考え直した方がいいですぜ? こいつの氷果酒に高い金を出す価値はありませんぜ」
ヴァイダルとカンエーダの表情が強張る。しかしそれは一瞬のことで、ヴァイダルは大げさな身振りでアルクラドに迫る。
「価値がない、とは?」
「旦那はご存じねぇかも知れませんが、こいつの酒は不味いって評判でしてね。それでいて他所の氷果酒よりも高い金を取るってんだから、ふざけた話でさぁ」
首を傾げるアルクラドに、ヴァイダルは厳しい言葉でオルテの氷果酒を評する。とても昔馴染みの窮地を助けにきた者の言葉とは思えなかった。
「この者の氷果酒が不味い? 3つの等級全てを飲んだが、どれも素晴らしく美味であったぞ」
味見の際、どれを飲んでも無感動な様子で同じ感想を繰り返していたアルクラドであるが、その味わいをいたく気に入っていた。その氷果酒が不味いと評されるなど、アルクラドには考えられなかった。
「全部飲んで……ってことは、もう金も払っちまったんですかい?」
「うむ。確かに高価ではあるが、それ以上に美味であった」
ヴァイダルの顔が若干青ざめる。目が泳ぎ、言葉が出てこないのか、口を何度も開閉している。
「ところで、見ない顔だが君達は誰かね?」
ヴァイダルの様子を皆が訝しげに思ったところで、カンエーダがアルクラドとヴァイダルの間に割って入った。
最上級の氷果酒を買うことの出来る財力、見惚れるほどに整った顔立ち、ひと目で分かる上質な衣服。それらからカンエーダは、アルクラド達がどこかの貴人であると考えた。しかし彼の記憶にアルクラド達の姿はなく、何者であるかを問うたのである。
「我はアルクラド、冒険者である」
「アルクラド様のお供のシャリーと言います」
2人の答えに、一瞬だけ怪訝そうな顔をするカンエーダ。ただの冒険者が氷果酒を買えるものなのか、と。しかしハッと何かに気付き、自身の記憶を探る。
「もしや……ドール王国とラテリア王国で大きな戦果を上げた、アルクラド殿か?」
「我の戦果の程は識らぬが、それらの国で戦ったのは事実だ」
ドールやラテリアでの戦いはプルーシ王国まで届いているのか、カンエーダはアルクラドを知っている様であった。
「貴殿の武勇は私も聞いている。まさかこの様な所で会うとは、思ってもみなかった。私はヴァイダル君の支援をしている、ノーバス・カンエーダと言う」
腕を広げながらアルクラドに歩み寄ったカンエーダは、優雅な仕草で握手の為の手を差し出した。その様子から、アルクラドとの出会いを、素直に喜んでいることが伝わってきた。
「貴殿の供も魔族を打ち倒すほどと聞いていたが、まさかこの様な美しいお嬢さんだとは」
アルクラドと握手を交わした後、カンエーダはシャリーへと向き、手のひらを仰向けにして差し出す。少し怪訝そうに重ねられたシャリーの手を軽く持ち上げ、会釈をした。
「さて貴殿らはオルテ君の酒を飲んだということだが、氷果酒を飲むのは初めてかね?」
アルクラド達との挨拶を済ませた後、そう言ってカンエーダは話を切り出した。
「うむ」
アルクラドが頷くと、カンエーダは納得がいった様に何度も頷いている。
「初めて飲んだのであれば、細かな差異が分からないのも無理はない。氷果酒は葡萄酒の中では上質な酒だが、同じ氷果酒の中にも当然、品質の優劣がある」
カンエーダの言う通り、等級別の味わいは知ったものの、同じ等級での味比べはしていない。同じ等級同士で飲み比べてはじめて、本当の意味で氷果酒の味を知ることが出来る、とカンエーダは言う。
「長年リースの氷果酒を味わってきた者として言わせてもらおう。この家のものより、優れた氷果酒がある、と」
言葉の言い回しは別として、カンエーダもオルテの氷果酒を悪評、少なくとも最良ではないと評していた。
「その優れた氷果酒を飲んでみないかね? 貴殿らを我が家に招待し、食事を共にしよう」
どうもオルテのものとは違う氷果酒を飲ませてくれる様であったが、初めて会った者にどうして高価で希少な酒を振舞うのか、シャリーは疑問を抱かずにはいられなかった。オルテの酒が不味いと酷評しながらも救いの手を差し伸べようとするヴァイダルと、その支援者カンエーダ。食事の招待の裏に何かあるのでは、と思うシャリーであるが、アルクラドはその様なことは少しも考えていなかった。
「我はこの者らと食事をする。その後であれば招かれよう」
食事と最上の酒を飲む機会をわざわざ逃す気はなく、アルクラドはオルテとの食事の後に、とカンエーダの申し出を受け入れた。
「うむ。麓に私の別邸がある。少々手狭ではあるが、出来得るもてなしをしよう」
アルクラドの言葉に、カンエーダは満足そうに頷いた。そしてシャリーに会釈をし、シルヴァに視線を向けた後、ヴァイダルに言う。
「ヴァイダル君。どうやら君の友人に、援助の必要はない様だ。今日はここまでにしよう。アルクラド殿、シャリー嬢、明日ここへ迎えを寄越そう。食事を共に出来るのを楽しみにしている」
「分かりました。おい、オルテ。どうせ売れやしないんだ。誰かが飢え死ぬ前に、カンエーダ様の援助を受けた方がいいぜ。じゃあな!」
そう言って返事を聞かずに外へ出たカンエーダの背を、ヴァイダルはオルテに言葉を吐き捨ててから追う。その2人の背中と何だか分からない内に話が進んでいく様を、オルテはただ茫然と見つめているのであった。
思わぬ来訪者が帰った後、アルクラドとシャリーはオルテ夫妻と食卓を囲んでいた。テーブルにはフランクの町で買った干し果実に乾酪、そしてシルヴァの料理が並んでいる。
食事の供は、売りには出していない、家族用の葡萄酒。淡い色合いの爽やかな酒である。氷果酒の強い甘味は料理の味を損なうこともあるので、食後に干し果実や乾酪と共に楽しむのである。
「ヴァイダルの奴、何を考えてるんだ……」
家族の窮地を救ってくれたアルクラド達との楽しい食事になるはずだったが、オルテは浮かない表情だ。強い敵対心を持つ昔馴染みが、貴族を連れて怪しげな提案をしてきたのだ。あれこれ思い悩むのも無理はない。
「私達を食事に招くのも、何だか変ですよね……」
釣られてシャリーも神妙な顔をしている。気前のいい貴族が食事や酒をご馳走してくれる。そう考えられないこともないが、腹に何かを抱えていそうなカンエーダに、それを期待する気にはならなかった。
「この肉の香りは何であるか?」
「葡萄の葉っぱです。肉と野菜を葉で包んで焼くと、爽やかな香りが付いて美味しいんです」
対してアルクラドは、ヴァイダル達の思惑やそれを憂慮するオルテ達そっちのけで、シルヴァの料理を堪能していた。食べたことのない料理があれば、その調理法などをシルヴァに尋ねている。
「アルクラドさんも、気を付けてくださいね」
その呑気さに不安を覚えたのか、オルテは注意を促す様に言う。オルテの中では既に、カンエーダが何かの理由があってアルクラドを招待した、ということになっていた。
「何に気を付けよと言うのだ? ただ食事を共にするだけであろう?」
「カンエーダ様とは何度か顔を合わせた程度ですが、あのヴァイダルの支援をしているのです。貴族であることを笠に何かしてくるかも知れません」
「何か、とは?」
「それは……」
どの様な状況にあっても危険など存在しないアルクラドは、そもそも何かを警戒するということはない。そして食事の招待を受けた以上、それ以外のことは何もないと考えているのだ。
「オルテさん。私達は大丈夫ですから、心配はいりませんよ」
アルクラドの返答に困っているオルテに、シャリーは微笑みかける。彼女もカンエーダが何か仕掛けてくるのではと思っているが、何があろうともアルクラドを害することは出来ないし、どの様な策も簡単に踏み破ってしまう。それよりもオルテ夫妻の方がシャリーは心配だった。
「時にオルテよ。其方の氷果酒は、未だ多く残っておるのか?」
一通り料理を食べたところで、アルクラドが思い出した様に言った。
「テビアは数が少ないですが、アスレとカネット、特にカネットは充分な数があります」
「再び我が買う事は可能であるか?」
「もちろんです! テビアも、全てお売りするわけにはいきませんが、買っていただけるのならこちらからお願いしたいほどです」
アルクラドの申し出は、オルテにとって非常に有り難いものだった。冬を越せる様になったとはいえ、未だオルテの家は厳しい状況には変わりない。氷果酒が売れればその分だけ生活が楽になるのだから、購入を断る理由はどこにもなかった。
「であれば、カンエーダとやらとの食事の後、再び其方の氷果酒を買うとしよう。あれ以上に美味な酒がそうあるとは思えぬ故な」
「きっとヴァイダルの氷果酒が出てくると思いますけど、俺の方が絶対に美味しいですから」
アルクラドの言葉は、暗に美味い方を買うと言っていた。しかし、自分の造った酒に強い自信を持っているオルテは、それを全く気にしていなかった。自分の氷果酒が村一番だと言ったのは、単なる誇張や強がりではなかった様だ。
そうしてオルテ家での夜は更けていき、アルクラド達は夫妻の家に泊まることとなった。
そして翌日、昼鐘1つが鳴る頃に、カンエーダの使いがアルクラド達の下を訪れたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
前話でいわくありげな登場をした2人ですが、やはり何かありそうです。
食事に招かれたアルクラド達に何が待っているのか。
次回もよろしくお願いします。





