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骨董魔族の放浪記  作者: 蟒蛇
第11章
144/189

氷果の雫

 低い山の麓。今まで通ってきたなだらかな坂道とうって変わり、急な傾斜の土地が目に入ってきた。

 山の斜面は階段の様に土地が整えられ、そこにたくさんの葡萄の樹が植えられている。と言っても季節は冬で葉も果実も残っていないが、山の斜面全体が大きな葡萄畑になっていた。その中にいくつか大きな建物があり、畑の所有者の家であろうと思われた。また山の麓には多くの家が建ち並び、ここの住人の多くが住んでいる様であった。

 氷果酒ヴァングラースの造られる村、リースである。

 リースは葡萄酒造りが盛んな村であり、村人のほとんどが葡萄酒造りに従事している。その中で一部の家が、葡萄酒の一種である氷果酒ヴァングラースを造っているのだ、とオルテは言う。

「ようこそ、我が家へ!」

 山の斜面にある大きな家の前に立ち、オルテは手を広げて、アルクラドとシャリーに歓迎の意を示した。フランクの町では険しい顔か困った顔しか見せなかった彼であるが、村が近づくにつれてその表情はどんどん明るくなっていた。久方ぶりに自分の造った酒が売れ、収入が得られるのだから無理もない。

 彼らの家に着くと、シルヴァは町で手に入れた食料を持って、すぐに家の中に入っていった。彼らの親や子供達にさっそく食事を作ってやるのだ、と言う。そしてオルテは、すぐにでも氷果酒ヴァングラースを飲みたいと言うアルクラドを酒の貯蔵庫へと案内する。

「大きいお家ですねぇ~……」

 案内される傍ら、シャリーが感嘆の声を漏らす。

 高価な酒を造っているオルテ夫妻だが、酒造りは農耕の延長で百姓の様なもの。加えて今の2人は盗みを働くほどに貧しく、これほど大きな家に住んでいるとは思わなかったのだ。

 正面には門こそないものの、母屋には両開きの大きな扉があり、平屋ながら数十人は中に入れそうな大きさをしている。そしてその左側には、馬車が出入り出来るほどの大きさの扉がある、母屋よりも大きな建物が続いている。中で酒造りの為の作業を行う様だが、小さな町のギルドなどよりもよっぽど大きかった。

「曾祖父の代からある家と作業場です。今は氷果酒ヴァングラースしか造っていないのでここまで大きくなくていいんですが、昔は葡萄酒も造っていたのでこれでも狭かったとか」

 オルテは代々リース村で葡萄酒造り、氷果酒ヴァングラース造りに従事してきた家系であり、この屋敷ともいえる家と大きな作業場は、彼の曾祖父の代に築かれたものだった。今では、かつての葡萄酒造りは止め氷果酒ヴァングラースだけに専念している為、作業場の一部だけしか使っていない様だった。

 作業場に入ると、壁に沿って大きな樽がいくつも並んでいた。高さは人の背丈の倍、胴回りは5人が手を繋げるほどの巨大な樽。しかし今は使っていないという言葉通り、ほとんどの樽は乾燥の為かひび割れ、また隙間が出来ていた。

「さてこちらが貯蔵庫です、どうぞ」

 そんな樽の間を通り抜け母屋に向かって歩くと、母屋へ続く廊下の傍に、地下へと行く階段があった。オルテはランプに火を灯し、それを手に階段を降り始めた。すぐに頑丈な扉が現れ、ギィと軋む音を立てて開かれたその奥に、真っ暗な空間が広がっていた。

 オルテが先に中に入り、中のランプへ火を灯していく。ぼんやりとした明かりで中が照らされると、アルクラド達の眼に、小さな樽や酒の瓶が並んでいる姿が飛び込んできた。また暖炉も何もないというのに貯蔵庫の中は暖かく、シャリーはホッと息を吐いた。

「この中は暖かいですね」

「ここは1年を通してほとんど温度が変わりません。だから氷果酒ヴァングラースの貯蔵に適しているんです」

 母屋の地下に造られた貯蔵庫は、温度が一定の為、夏は涼しく冬は暖かい。氷果酒ヴァングラースをはじめ葡萄酒の貯蔵には、温度の変化が大敵の様で、葡萄酒の作り手は大なり小なり、こうした貯蔵庫を持っているらしい。

「すぐに氷果酒ヴァングラースを持ってきますから、ちょっと待っていてください」

 貯蔵庫の明かりを点け終わったオルテは、中央にある石で出来たテーブルにランプを置き、酒の瓶が積まれている奥へと向かった。

氷果酒ヴァングラースには3つの等級があります。ぜひ全て飲み比べてください」

 奥から戻ってきたオルテは、そう言って3本の瓶を並べた。

 首の細い瓶で全体の長さは、人の肘から指先ほどで、太さは両手で囲うと指が余る程度。口が蝋で封じられた瓶は、黒っぽく中を見ることは出来ず、首に巻かれた紐の色でしか判別が出来なかった。

「こちらから順に1等級の『テビア』、2等級の『アスレ』、3等級の『カネット』です。テビアが最高級の氷果酒ヴァングラースですが、カネットから順に飲んでみてください」

 アルクラド達の左手から、テビア、アスレ、カネットの順で並んでおり、それぞれに藍色、黄色、生成りの麻紐が巻かれている。

 オルテは再びテーブルを離れ、貯蔵庫にある棚から硝子の杯を持ってきた。透明度の高い、上質な硝子杯だ。中に注がれた液体の色も堪能できる器であり、氷果酒ヴァングラースの味見への期待が否が応でも高まってくる。

「それでは開けますね」

 こうしていよいよ、アルクラドお待ちかねの、氷果酒ヴァングラースの飲み比べが始まるのであった。


 オルテは瓶を左手に持ち、握り手の側面に螺旋状の太く長い針が付けられた道具を、右手で瓶の口にねじ込んでいく。封蝋がひび割れ、キュッキュッと音をたてながら、針が口の奥へと入っていく。

 針が根元まで入ると、オルテは腕に力を込め、瓶の栓を引き抜いた。そして栓を回しながら栓抜きから外すと、蝋が付いているのとは逆側を鼻に近づけ、納得がいった様子で頷いている。

「まずはカネットです。葡萄の出来や酒の出来で値段は変わりますが、これは大銀貨1枚と銀貨5枚です。我が家の氷果酒ヴァングラースは他よりも少し高価ですが、それ以上に美味しい自信があります」

 葡萄酒1本で、一般的な庶民の月の稼ぎ、その1割に相当する価格はとんでもなく高価だ。加えて一番等級の低い酒でそれなのだから、最高級の氷果酒ヴァングラースは、庶民にはまず手が出ない酒である。

「さぁ、どうぞ」

 カネットがアルクラドとシャリーの杯に注がれていく。

 杯に落ちるのは、淡く輝く黄金色の雫。

 澄みきったその液体からは、甘く芳醇なハチミツやよく熟れた果実の様な香りが漂ってくる。口に含めばやはり甘い。蜜の様な甘さは、しかし下卑たところはなく、爽やかさを伴い心地よく後に引く味わいであった。

「美味だ」

「美味しい……」

 バックシルバのところで飲んだものと段違いの美味しさであった。

 水で薄めた氷果酒ヴァングラースは、ほのかに甘く爽やかな酒、という印象であった。しかしそのままの氷果酒ヴァングラースは下手な果実よりも強い甘味があり、なおかつしつこくない心地よい甘さであった。

氷果酒ヴァングラースに使う葡萄は、冬の寒さで実が凍るまで収穫せずに置いておきます。そうすると実が更に熟れ、更に凍ることで甘味が凝縮され、この様な甘い酒になります」

 アルクラド達が甘美な味わいの余韻に浸っている間に、オルテが氷果酒ヴァングラースの造り方を説明してくれた。

「しかし収穫までに長い時間がかかる為、鳥に食べられたり腐ってしまったりして実がたくさん穫れない可能性があります。また凍った実は搾れる果汁の量が少ないので、造られる酒も少なく、結果的に値段が高くなってしまうのです」

 オルテの言う通り、甘く熟れた果実は鳥獣の恰好の獲物であり、秋から冬にかけての間は、冬籠もりを控えた獣達からの被害も容易に想像がつく。その上で搾れる果汁が少ないとなれば、高価なのも頷ける。

「さぁ、お次はアスレです。これは使う果実を選りすぐって造ったもので、値段は大銀貨8枚です」

 等級が1つ上がるだけで、値段が一気に跳ね上がった。庶民の月の稼ぎとそう変わらず、カネットと一体どれほど違うのか、とアルクラド達の期待は高まっていた。

 アスレが杯に注がれる。

 カネットよりも色合いが濃く、ほんの僅かに赤みがかった黄金色をしている。立ち上る香りはハチミツや果実の甘さであり、その奥から蜜蝋の様な香りが漂ってくる。口に含めば、強い甘さが口いっぱいに広がっていく。香りと同様、ハチミツや果実の強い甘さを感じる反面、どこか酸味も感じられ、僅かな渋味も伴ってとても奥行きのある味わいだった。

「美味だ」

「うわぁ……」

 カネットよりも強い甘味を持つアスレであるが、それにもかかわらずその甘さはどこまでも上品だった。舌の上に広がる甘味はゆっくりとゆっくりと後に消えていく。その間に、ハチミツ、果実、酸味、渋味が代わる代わる顔を覗かせていく。飽きることのない味わいに、いつまでもアスレを楽しむことが出来そうであった。

「冬まで耐えた果実というだけで葡萄酒用としては充分に上質ですが、その中でも更に質のいいものだけを使っています。アスレに使われなかった葡萄で作ったのがカネットで、この2つを比べるとどうしてもカネットは見劣りしてしまいます」

 またもやアルクラド達がアスレの余韻に浸っている間に、オルテは今飲んでいる氷果酒ヴァングラースの説明をする。

 アスレを造る際の副産物がカネットだと言うオルテ。そう言われると両者の間には甘味の強さと上品さに大きな差があった。加えてアスレの方が味わいに複雑さがあり、強い味わいながら飽きずに飲むことが出来た。金貨に届きそうな価格は確かに高価だが、値段以上の味わいにアルクラド達はとても満足していた。

「最後がテビアです。これは古い樹に生った葡萄だけで造ったもので、値段は金貨3枚と大銀貨5枚です」

 最上級の氷果酒ヴァングラースは、その価格も最上級だった。値段も2等級からかなり上がり、アスレの4倍を超える価格であった。

 テビアが杯に注がれる。

 色の濃い黄金色の中に、琥珀の輝きが溶け込んでいた。立ち昇る香りの主軸は、やはりハチミツと熟れた果実。しかしその香りの密度はアスレとは段違い。また奥には蜜蝋、炒った木の実、焦げた砂糖の様な香りが潜んでおり、その複雑性もアスレの比ではなかった。

 口に含む。

 その甘さは正にハチミツ。淡い琥珀色を湛えた黄金色の雫は、トロリとしていてゆっくりと舌の上を滑っていく。強い甘味、僅かな苦味や渋味、そして酸味。コロコロと表情を変えながら甘美な雫が流れ落ちた後は、隠れていたいくつもの香りが鼻腔を通り抜けていく。

「美味だ」

「はぁ~……」

 濃厚な蜜、熟れ落ちた果実、蜜蝋、炒った木の実、焦げた砂糖、更には上質な茶葉やピリリとした香辛料の香りまでもが顔を覗かせいた。息をする度に抜ける香りだけでなく、空になった杯の残り香にさえ、酔いしれる様な優美さを湛えていた。

「歳を重ねた樹は、若い樹に比べ少ししか実を付けません。ですが1つの房により多くの養分が集まり、質が上がります。また古い樹は生きた分だけ地中に根を張り巡らせているので、多くの養分を大地から吸い上げます。多くの養分を少ない数の房に集中させる古木こぼくの葡萄からは、他には代えがたい複雑で力強い氷果酒ヴァングラースが生まれるのです」

 3度目となるオルテの説明だが、その声は2人の耳に届いてはいなかった。2人とも未だテビアの余韻に浸っており、杯を鼻先に近づけたまま離さない。僅かな雫しか残されていない杯からは、注がれた直後よりも強い氷果酒ヴァングラースの香りが立ち昇っていた。

 強く、鮮やかで、優美な、目まぐるしく変化する極上の香り。アルクラドとシャリーは、極上の氷果の雫の香りに、しばし時を忘れて酔いしれていた。

「さて続きは上に戻ってからにしましょう。ささやかですが食事も用意しますので」

 アルクラド達の意識がテビアから離れ、その視線が上がったところでオルテが言う。温度の安定した貯蔵庫であるが、じっとしているとやはり寒い。ここで味見をしたのはアルクラドの希望に応える為であり、母屋でしっかりと2人をもてなすつもりであった。

「先に頂いたお金で、氷果酒ヴァングラースに合う食べ物も買っています。さぁ、行きましょう」

 まだ名残惜しそうに杯を見つめる2人に、上に行く様にオルテは促す。貯蔵庫の明かりを全て消すと、ランプを持って2人を追い立てる。

 そうして3人が貯蔵庫から作業場に上がり、母屋へと向かうと、玄関から何やら声が聞こえてきた。

「どうしたんだ、シルヴァ?」

「あなた……」

 オルテの声にシルヴァが振り向けば、彼女は困った様な表情を浮かべていた。その彼女の前には2人の男が立っていた。

 1人は身なりの良い貴族然とした男。頬や目じりにしわが目立ち腹のせり出た、全体的に脂肪が付いた中年の男は、にこやかな笑みをシルヴァへと向けている。

 もう1人は、オルテと同じ様に陽に焼けた肌と節くれだった手をした農夫然とした男。歳の頃はオルテと同じ30前後に見えるが、身に着けている衣服は彼よりも上等で、肥満気味なのか腹や頬にたるみがあった。

「お前の所に客なんて、随分と久しぶりなんじゃない? オルテ」

「お前には関係ないことだ。話すことはない、さっさと帰ってくれ」

 ニヤニヤとした笑みを浮かべる男に、オルテは険しい表情で吐き捨てる様に言う。その後も無言で睨み合う2人の間には、不穏な空気が漂っているのであった。

お読みいただきありがとうございます。

氷果酒の3等級、飲み比べの会でした。

楽しい飲み比べの後に、何やら面倒ごとの臭いがします。

次回もよろしくお願いします。

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飲みたい……
[一言] あ、そうか…アイスワインか、一瞬貴腐ワインが思い浮んでアイスワインが出て来なくなってた。 でも等級から考えれば自明でしたね、貴腐は5プットニョシュとかアウスレーセ(これはトカイ・アスー)です…
[一言] 酒好きの自分ですが、今回はもうたまらなくなり息子の嫁からクリスマスプレゼントとしてもらった上等の日本酒を開けてしまいました(笑) 種類は違えど美味は変わらずとちびちびとやりながら読みふけりま…
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