黒ずくめの2人組
晴れた晩冬の空の下、フランクの町を2人の男女が歩いている。
上下共に黒の衣服を着た2人は、町の人達から奇異の目と不審の眼を向けられていた。町の人達の冷たい視線をものともせず、町中を歩く黒ずくめの2人組。
男は堂々と胸を張り、肩で風を切る様にして歩いている。その眉間にはしわが寄り、自分達に向けられる視線を抑え込むかの様に、鋭い視線を周囲に飛ばしている。黒いマントが風にはためき、鍛えられた太く逞しい身体が覗いている。
対して女は、淑やかな様子で男の傍にいた。木の葉の様な細く尖った耳を持つエルフの女で、男のすぐ隣で、その腕を取って歩いている。しかし時折町の人達に視線を向け、小馬鹿にする様に小さな笑みを作っていた。
目的地があるのか、2人は迷いのない足取りで歩いていき、とある露店の前で歩を止めた。
「それとそれ、これとこれ。あとはこれももらっていくぞ」
「……全部で銀貨8枚だ。先に金を払ってくれ」
そこは肉を扱う露店で、黒ずくめの男はいくつかの鳥獣の肉を、日に焼け節くれだった手で指さしていく。男はすぐに手に取ろうとするが、露店の主はやや怯えた様子ながらも、強い語調で先に金を払う様に言う。黒ずくめの2人組が金を払わないという噂を聞く一方で、ちゃんと言えれば金を払ってくれるという噂も聞いていた。その為、恐怖は感じつつも、目の前の2人が後者であることを信じ、店主は金を払ってくれ、と言ったのである。
「悪いな。今は持ち合わせがないんだ、ツケといてくれ」
しかし残念なことに、彼らは金を支払わない前者であった。
「……金を払ってもらわなきゃ、ウチも困るんだ」
初めはにこやかにしていた男の表情に険がこもった。しかし店主としてもタダで商品を持っていかれてはたまらない。身体の震えを感じながらも、彼は毅然とした態度を崩さなかった。
「うんうん、そりゃそうだ。俺もな、悪いなとは思ってるんだ。けど俺達は今すぐそれが必要なんだ。あとでちゃんと払いに来るから、信じちゃくれねぇか?」
金を払え、と繰り返す店主に、男の表情が更に険しくなる。口では悪いと言いながら悪びれる様子はなく、気づけば腰の剣に手が添えられていた。
「そっ、そうは言うけど、他の店でも同じこと言って、か、金を払ってないんだろ……!? そんな奴の言うこと、し、信じられねぇよ!」
暴力に訴えようとする男に怯えながらも、店主は引かなかった。ここで引けば相手が付け上がり、何度もタダで商品を持っていかれるかも知れない。そうなれば自分だけでなく家族も苦しむことになる。それを防ぐ為にも、店主は頑として金を払えと言い続けた。
「……こんなことは言いたくねぇけど、俺を怒らせたらどうなるか、分かってんのか?」
「えっ……?」
突如、黒ずくめの男がとてもいい笑顔を作った。険しさから一転したその表情は、どこかうすら寒いものがあった。
「あんた、落ち着きなよ」
「お前は黙ってな……なぁ、おっちゃん。俺が凄腕の冒険者ってのは聞いてんだろ? けど、どれだけ凄腕かは知らねぇらしいな……」
自分をなだめようとする女を制し、男は笑顔で言葉を続ける。
「まぁ龍より強ぇって言われても、よく分かんねぇよな。確かに戦ったことのない奴には分かんねぇだろうが、龍が暴れればこんな町は簡単にメチャクチャになっちまう。そんな龍より強ぇのが俺だ。町をメチャクチャにする龍より強ぇ力がありゃあ、人なんか簡単に殺せちまうんだぜ?」
再び笑顔から一転、男の表情が険しくなる。眉間に深くしわが刻まれ、鋭い視線で店主を睨みつけ、今にも剣を引き抜きそうな様子だ。黒ずくめの男がどれだけ強いのか具体的には分からなかったが、その様子に圧倒され、店主は後ずさり言葉を無くしている。
「俺の名はアルクラド、龍より強い冒険者だ。これが最後だ、それを貰っていくぞ」
アルクラドと名乗る男の脅しに店主は耐えることが出来ず、項垂れる様にして頷くのであった。
意気消沈する店主から肉を受けった黒ずくめの2人組は、足早にその場から離れていった。露店に行くまでの堂々とした様子は欠片も無く、コソコソと逃げ隠れしている様だった。
そうして2人が町の外に出ようとした時。
「そこの2人、待ってください!」
黒ずくめの男女に声をかける者が現れた。
「私達の名を騙って、何のつもりですか!?」
声を掛けられた2人と同様に、黒の衣服で身を包んだ、女と見紛う美貌の男と美しいエルフの少女が立っていたのであった。
対峙する4人の男女。共に男女の2人組であり、共に全身黒ずくめ。しかし両者には、誰がどう見ても明らかな差異がいくつもあった。
まず衣服の差。
一方は、ひと目で汚れているのが分かる黒い衣服だった。日陰では分からないが、陽の下に出ると様々な汚れが見て取れ、とても長い間酷使されてきたのだろうと思われた。彼らは上下の衣服やマントこそ黒だが、靴や肌着は亜麻色をしていた。また黒い衣服は汚れだけでなく擦り切れや修繕の跡も見られ、なるほど歴戦の冒険者の愛用品なのだろうと思われた。
もう一方は、ため息が出るほどに美しい艶を持った黒衣。誰が見ても上質だと分かる生地で、汚れが目立ちにくい色のはずが、触れれば手の跡が残りそうなほどである。2人の男女の衣服は、手袋や靴に至るまでその全てが黒であり、仕立服の様に身体に馴染んでいた。そして彼らの衣服には一切の綻びや擦り切れもなく、冒険者らしからぬ出で立ちとも言えた。
次に女の外見である。
一方は、美しい顔立ちと細く尖った耳、すらりと長い手足を持つ、まさしくエルフらしい女だった。年齢と外見が一致しないエルフであるが、妙齢の女性の匂い立つばかりの美しさを湛えていた。しかしその他のエルフの特徴である、輝く金髪や翡翠の瞳は持っておらず、他種族との混血であろうと思われた。
もう一方は、同じく美しく整った顔立ちと木の葉の様な耳を持つ、エルフの少女。しかし対峙する女よりも若く、幼いという印象を受けるエルフであった。煌めく金髪は陽の光を溶かし込んだ様であり、1条の黒がその輝きを際立たせていた。色違いの両の瞳は新緑と黒紫の色を湛えており、幼さ以上に神秘的な印象を与えていた。
最後が男の容貌であり、これが最も違っていた。
一方は、陽に焼けた浅黒い肌と角ばった顔を持つ、威圧感のある男。陽に焼けた明るい短髪に艶はなく、太い眉の間には深いしわが、そして太く節くれだった指には細かな傷がいくつも刻まれていた。いかにも歴戦の冒険者といった風貌で、その手から振るわれる斬撃は如何ほどか、と思わせるほどであった。
もう一方は、艶やかな銀糸の髪、滑らかな白磁の肌を持つ、女と見紛うばかりの美しい男。美しい眉の下で深紅の双眸が輝き、薄い唇は朱を引いた様に紅い。手足はすらりと長く、その手は手袋越しでも分かるほどにたおやかで、およそ戦いに身を置く人物には見えない風貌であった。
一方がアルクラドと名乗る黒ずくめの2人組であり、もう一方は正真正銘、アルクラドとシャリーである。
「其方がアルクラドであるか」
以外にも一番に口を開いたのはアルクラドであった。自分と同じ名を持つ者に興味を持ったのか、じっと彼を見つめている。
「そうだ。俺が龍よりも強い冒険者、アルクラドだ。俺を実際に見るのは初めてか?」
問われた男は、精一杯の険しい顔を作り、アルクラドを睨みつける。龍より強いという言葉を聞いても動揺どころか表情の変化さえ見えないアルクラドに、舐められてはなるものかと考えてのことであった。しかしアルクラドが怯えることはなく、逆に興味深そうに言う。
「其方、龍を狩るか」
「そっ、そうだぜ……」
アルクラドの心の内を見透かす様な視線に、男は1歩後ずさり狼狽えながらも答える。その言葉を聞いたアルクラドは、感心した様に息を漏らす。
「龍を狩ると言う其方から、それに値する魔力を一切感じぬ」
「っ……!?」
ポツリとしたアルクラドの呟きに、男は喉が締め付けられる様な感覚がした。声を漏らすことだけは堪えられたものの、冷や汗が止まらなかった。
男は薄々感じ始めていた。目の前に立つ黒衣の麗人が何者であるかを。この短い間で全てを見透かされたのだと感じていた。それは理屈あってのことではないが、そうだという確信が芽生え始めていた。そして自身のこれからを思い、身体が知らずのうちに震えていた。
「シャリーよ……」
アルクラドがシャリーを振り返る。黒ずくめの男女を呼び止めた時の様に、眉を吊り上げ2人を睨んでいたシャリーは、アルクラドと男のやり取りを聞いているうちにその表情を和らげていた。そしてアルクラドが振り返ると、少し表情を引き締め、無言で頷いた。
「我が感知出来ぬ程に魔力を抑え込むとは、この者らは相当な使い手であるな」
アルクラドの思いがけない言葉に、彼を除く全員が呆気に取られていた。
「……その2人は単に魔力が少ないだけです!!」
いち早く我に返ったシャリーが、声を荒らげる。龍より強いと言い相手を脅す者が、その力を隠すはずがないのだ。もっともアルクラドに脅されている自覚が無いのだから、それが分からないのも仕方がないのだが。
「だが、この程度の魔力しか持たぬ者に、龍を狩れはしまい」
「ですから、それがそもそも嘘なんです!」
「何……?」
真面目な顔で問うアルクラドに、シャリーは叫びながら答える。彼女は黒ずくめの2人を見た時から、彼らがただの人間であると分かっていた。黒い衣服に身を包んだ、男とエルフの女。この部分だけであれば、アルクラドとシャリーの様に聞こえなくもない。しかしそれ以外は似ても似つかない。
また外観以外でも彼らにはほとんど魔力がなく、アルクラド達と比ぶべくもない。エルフの女は顔立ちや耳の形こそエルフであるが、髪や目の色は明るい茶色で、魔力も少ない。他種族、恐らくは人間との混血であり、そちらの血が色濃く出たのであろう。
「とにかく、アルクラド様の真似をするのはすぐに止めてください。この様なこと、寛大なアルクラド様は気にしませんが、話を真に受けて戦いを挑んでくる冒険者が出てくるかも知れませんよ?」
未だシャリーに疑いの目を向けるアルクラドから視線を外し、彼女は黒ずくめの男へと話しかける。彼が嘘を吐いていた、と言えば、アルクラドも納得するからだ。
「本当に実力のある冒険者なら貴方の力を見抜くでしょうけど、力を隠しているのだと勘違いする人もいます。それに彼らにとって重要なのは、龍殺しに勝利した、という事実です。貴方が弱いと知れば、嬉々として襲ってくるかも知れませんよ?」
男の顔が、目に見えて青くなっていく。シャリーの言葉は、脅しの様であるが、事実でもある。アルクラドや龍殺し本人を知っている者や、その戦いぶりを知っている者は、彼らに戦いを挑むことはない。それがどれほど恐ろしく、身の程知らずかを知っているからだ。
しかし人づてで話しか聞いたことのない者であれば、腕試しや自身の名を上げる為に挑んできてもおかしくはない。そもそもアルクラドのことをちゃんと知っていれば、真似をするという考えさえ起らないはずだ。だがその真似をする人物が実際に現れたのだから、それに挑もうとする者が現れても少しも不思議ではない。
「私達は、この様なことで貴方達と事を構えるつもりはありません。ですけど、腹が立たないわけではないんですよ?」
心の内を見透かす様なアルクラドの眼に対して、シャリーの視線は相手を圧す様な気迫が感じられた。男は更に1歩2歩と後ずさる。隣を見れば女が腕に縋っており、その顔は男以上に真っ青だった。
ユラリと揺れるシャリーの髪と衣服を見て、男は決意した。気を失いそうなのをグッと堪え、ゆっくりと膝を突き、握りしめた両の拳を地面に着ける。
「……俺はアルクラドという名前ではありません、龍を倒す力も持っていません。……妻がエルフの血を引いているのを利用して、貴方達の名を騙っていました」
地面に額が着くほどに頭を下げ、消え入りそうな声で言う。女も両の手足を地面に突き男と同じ様に頭を下げる。
「もうしません、本当にすみませんでした……!」
人通りが少ないとは言えない通りの真ん中で、男はそう言って、じっと頭を下げ続けるのであった。
お読みいただきありがとうございます。
ニセモノがホンモノに見つかってしまいました。
アルクラドの勘違いが炸裂しましたが、彼らは龍殺しではありませんでした。
ニセモノの正体とは……?
次回もよろしくお願いします。





