黒衣の2人組
皆様、新年明けましておめでとうございます。(もうかなり遅れていますが……)
本日から仕事始めということで、小説の方も更新再開します。
また拙作の書籍化が決定しました!
発売日など情報は、随時発表していきます。
ぜひお手に取っていただければ幸いです。
空から覗く晴れ間が増えた、晩冬。
あと1月、2月もすれば春となる季節だが、まだまだ寒い空の下を2人の男女が往く。
1人は、顔が隠れるほどのツバ広の帽子、頬まで覆う襟高の外套、着丈の合った上下の衣服、手袋、靴、それら全てが艶のある黒という出で立ちの、美しい男。
身を包む衣服とは対照的に、僅かに見えるその肌は白磁の様に白く滑らか。色彩を欠いた景色の中で、血濡れた様な瞳と唇が、妖しくも鮮烈な輝きを放っていた。冬空の下を歩くには心もとない服装ではあるが、寒がる素振りは一切無く、時折吹く冷たい風にも、眉一つ動かすことはない。背中に垂らした豊かな銀糸の髪が、漆黒の外套を背に踊っている。
もう1人は男と同じく、全身を黒の衣服で包んだ少女。
手首まで覆う長い袖と足首まで届く長い裾のスカートは露出が少なく、僅かながら雪の様に白い手や首元の肌が覗く恰好である。しかし今は寒さを凌ぐ為、手袋をはめ、黒布を頭から被り首に巻き付けており、目元以外は全て黒に覆われている。黒の隙間から覗く色違いの瞳は、新緑と黒紫を湛えており、美しいエルフの神秘性を際立たせていた。寒風に身を縮こませるその背中では、豊かな金髪が陽光に煌めきながら揺らめいている。
己の過去と美味なる物を求める吸血鬼の始祖アルクラドと、道連れのエルフ、シャリーである。
獣人達の国アリテーズで、国を囲む常緑の森を滅亡の危機から救ったアルクラド達。緑の絶えない広大な森を南に抜け、珍しい酒が造られているというリース村を目指して歩いていた。
「うぅ……やっぱり寒いですね……」
白い息を吐きながら、シャリーが言う。つい先日まで雪の降らない暖かな土地にいた為、冬の寒さをより一層強く感じていた。そんなシャリーに対して、アルクラドは答えを返さない。寒さも暑さもものともしない彼は、寒さを改めて感じることもないのである。
常緑の森を抜けた先にあるプルーシ王国。その北の端にフランクという町があり、アルクラド達の目的地であるリース村に最も近い町である。
常緑の南に広がる国は、なだらかな丘が点在する丘陵地帯であり、石場の多い土地であった。
アルクラド達の歩く道は小石や石の多い地面であり、また岩盤が露出していたり、削れた丘に岩の層を見ることが出来た。歩くには不自由しない土地だが、草木にとってはその限りでない場所であった。
草木のない緩やかな坂を上り、雪に覆われた緩やかな坂を下る。そうして歩いている内に、目的地の最寄りである町に、2人は到着したのである。
フランクの町。
岩盤の露出した平坦な大地の上に築かれた、プルーシ王国のとある町。王都から離れた町ではあるが、緑が絶えず食材の宝庫である森から遠くない為か、通りに並ぶ露店は賑わっていた。
「活気がありますね。美味しそうな匂いもしてます!」
「うむ」
その様子を見て、シャリーが歓声を上げる。常緑の森を出る際に充分な食料をもらったが、身体の芯から温まる料理は野営では難しい。露店が賑わっているなら、腰を据えて食べられる料理屋もにぎわっているだろうと考えたのだ。
時刻はちょうど飯時であった為、2人は町を歩き料理屋を物色することに決めた。フランクの町最初の美味なるものを求めて。
通りに並ぶのは肉や野菜の串焼きを出す露店であり、そこから立ち昇る香りはアリテーズでよく嗅いだ匂いだった。しかしこの町に住んでいるのは、獣人だけではない。常緑の森とは違った味付けの料理が食べられるのではないか。そう考えながら2人は町を歩いていく。
そんな町の中にあって、シャリーは常とは違う違和感に気が付いた。
アルクラドとシャリーはとても目立つ。共に誰もが振り返り、見惚れる美貌の持ち主。加えて全身が黒の衣装で覆われている。故に誰もがその姿を目で追い、しばし見つめるのだ。
そんな視線には、もう慣れっこになったシャリーである。しかしその視線の色が常とは違っていた。他人の視線を気にもしないアルクラドは全く気が付いていないが、そこには他者を訝しむ警戒の色が含まれていたのだ。
その視線は、2人の顔を見る前の、その姿を見た時から既に注がれていた。そして2人の顔を見ると、それが惚けた様なものに変わり、しばらくすると我に返りまた元に戻るのであった。
「この町、何だか変じゃないですか?」
「そうであるか? 我には良く解らぬが……」
町の人達の様子について尋ねるシャリーであるが、アルクラドから返ってきたのは案の定の答えだった。怒りに震える魔族や古代龍の殺気さえ、そよ風の様にしか感じないアルクラドが、人間の視線の変化を感じ取れるはずがないのである。
「何だか、凄く見られてませんか?」
「いつもと変わらぬ様に思うが」
アルクラドの言う様に、2人に視線が集まるのはいつものことである。しかしこれほどの居心地の悪さを感じたのは、シャリーは初めてだったのだ。
そんな視線の中、通りを抜け、2人はある料理屋で食事をすることに決めた。立ち並ぶいくつもの露店や料理屋から漂う匂いを頼りに、アルクラドが見つけ出した店である。
「いらっしゃいっ!」
扉を開けると、飯時の賑わいの奥から、給仕の威勢のいい声が聞こえてくる。すぐに恰幅の良い中年女性がやってきて、笑顔でアルクラド達を迎える。
ここは大丈夫だ。そう思うシャリーであるが、女性給仕の顔がすぐさま曇る。笑顔が消え、警戒の色が強くなる。何かを言いかけた口を閉じ、無言で2人をテーブルへと案内する。
「……注文は?」
不愛想な様子でそう尋ねる給仕。その態度に苛立ちを感じ、シャリーは顔をしかめる。
「この町の美味な料理と、それに合う酒を頼む」
しかしアルクラドは給仕の様子など気にも留めずに注文を伝える。
「……私も同じものをお願いします」
シャリーは、給仕の態度の理由を問いただしたい気持ちであったが、それを抑えアルクラドと同じ注文を伝える。もし騒ぎにでもなれば、それはアルクラドが望むことではないからだ。
「それじゃあ、2人分で大銅貨8枚だよ」
注文を聞いた給仕は、すぐに厨房へは下がらず、その場で金額を伝え手を差し出す。アルクラドはすぐに銀貨1枚を渡し釣銭を受け取ったが、シャリーはそれに違和感を覚えていた。
料理屋での支払いは、料理が運ばれてきた時に金を渡す。多くの場合がそのやり方で、まれに退店時にまとめて支払う所もあるが、それは一部の高級店だけである。この店は一般的な庶民が利用する店であり、普段と同じやり取りがなされるものだと思っていた。
しかし給仕はすぐに金を要求した。まるで支払いの意志を疑うかの様に。
そう思ったシャリーは、再びの苛立ちを覚えた。薄汚いボロを纏った者ならともかく、上等な衣服を着て身ぎれいにしている者への態度としては、とても失礼なものだ。旅に出てから身だしなみにも気を使い、定期的に沐浴をしているシャリーとしては、非常に腹立たしかった。
ただアルクラドが気にしていない以上、このことに関しても口に出すことはなかった。料理がちゃんと運ばれてくるのであれば、給仕の態度は別として、料理屋でのやり取りとしては問題ないのだから。
そうしてシャリーが不満と不安を抱きつつ料理の到着を待っていると、食欲をそそる匂いを漂わせながら料理と酒が運ばれてきた。
骨付きの鳥の肉と芋やキノコが、大きな皿に共に載せられている。人の顔ほどの大きさの腿の肉はこんがりと焼かれ、その脂が色よく焼かれた芋とキノコへと滴り落ちている。また麦酒の注がれた木杯も、人の顔に近い大きさであった。料理の見た目や香り、そして量は充分に値段以上と思えるものであった。
シャリーの不安は消え、ささくれだった心も落ち着いてきた。そして料理を口にすれば、丁度良い加減で焼かれた肉から肉汁が溢れ出し、もう給仕の態度も気にならなくなっていた。
脂の濃厚さを麦酒で洗い流し、芋で奪われた口内の水気を肉汁と麦酒で補う。無言で手と口を動かしそれを繰り返すアルクラドとシャリーは、あっという間に料理を平らげた。味も含め値段以上の料理に2人は大満足であり、シャリーも嫌な気持ちを忘れることが出来た。
しかし料理屋を出ると、シャリーは再び不快感に苛まれることになった。
料理や食材を売る露店の前を通る度に、猜疑の眼を向けられるのである。程度の差こそあるものの、ほとんどの露店からその眼を向けられ、中にはかなり色の強いものもあった。初めは腹立たしさを感じていたシャリーだが、次第に現状に対する疑問の方が強くなってきた。
一方でアルクラドは、既に意識を次の料理屋に向けていた。先程の店で食欲が刺激され、早く次の料理が食べたくなっていたのである。
「これは何の肉であるか?」
アルクラドはある露店の前で足を止め、串を焼く店主に尋ねる。夫婦らしき中年の男女は互いの顔を見合わせ、少し間を置いた後、男が答える。
「……常緑の森で獲れる猪の肉だ」
「これは、何かの漬け汁に漬けて焼いておるのか?」
「……そうだ」
不機嫌そうな店主の様子を気にも留めず、アルクラドは更に尋ねる。店主の態度など初めからどうでもいいが、色濃く染まった猪肉を見ると、ある露店を思い出さずにはいられなかったのだ。
「これを貰おう。いくらであるか?」
「1本で銅貨3枚だよ。先にお代をおくれ」
値段を尋ねるアルクラドに今度は店主の妻であろう女が答えるが、やはりここでも先に代金を要求された。露店でのやり取りは代金を支払ってから料理を受け取ることが多いが、その逆もしばしばある。しかしここの店では、何が何でも先に代金を貰う、という強い意志が感じられた。
これは絶対に何かある。そうシャリーは確信した。
「これで買えるだけ貰おう」
考え込む様なシャリーをよそに、アルクラドはそう言いながら銀貨1枚と大銅貨2枚を女へ渡す。店主と妻の眼が大きく見開かれる。露店での支払いに銀貨を使う人間は少なく、また1度にそれだけ買っていく者も珍しいからだろう。しかし驚きの理由がそれだけではなさそうだ、とシャリーは感じていた。
「の、残りを焼くのに時間がかかるが、いいかい……?」
「構わぬ」
今すぐに食べられる串焼きはおよそ20本で、アルクラドの支払った金額の半分しかない。残りを焼くのに時間がかかると不安そうに言う店主だが、アルクラドは問題無い、と大きく頷く。肉が焼ける程度の時間は、彼にとっては待つうちにも入らないからだ。
「残りが焼けるまで、それ食って待っててくれ」
「うむ」
どこか戸惑った様子で店主が言い、妻がアルクラド達に串を手渡していく。
アルクラドはすぐに串にかじりつき、満足そうに頷いている。アルクラドにとって一番の串焼きは、フィサンの屋台のものだが、ここの串焼きも充分に美味しいと感じていた。肉を焼いた時の煙と共に立ち昇る香りが素晴らしく、食べる前から美味しいだろうと予想していたアルクラドだが、それが的中し、想像通りの味に満足しているのだ。
それはシャリーも同じで、美味しい串焼きに頬を緩ませている。1本目の串は夢中で食べ終え、2本目を貰う時、女の表情が少し柔らかくなっていることに気が付いた。
「あの……この町ではお金を先に払うのが決まりなんですか?」
今なら話を聞いてもらえるかも知れない、とシャリーは尋ねてみた。この町で感じる不自然さの正体が何なのかを。
「……」
「それは……」
自分達の態度のことを指摘されたと感じ、店主は串を焼くのに集中しているふりをして黙り込み、妻は視線を泳がせて言いよどむ。それほど言いにくいことなのか、と思うシャリーは、2人を安心させる様に優しく微笑みかける。
「何を言われても私達は怒りませんよ。殴られたりしたら話は別ですけど、言葉に対して暴力を返すことはありませんから」
実際に、アルクラドはどれほど罵られようとも、相手が言葉を弄しているうちは手を出すことはない。シャリーに関しても、腹立たしく思うことはあっても、力で以て言葉に対することはない。
「……最近、性質の悪い冒険者がいるんだよ。乱暴された人はいないけど、強さを笠に金を払わず料理を食べたり物を持っていったりするんだ」
「そんなことをするなんて、酷い冒険者ですね……!」
シャリーが自分達に危害を加えることはない、と感じたのか、女は言う。その話にシャリーは憤慨した様子を見せる。
力は他者を脅かす為にあるのではない。他者を守る為にあるのだ。
そう考えるシャリーにとって、力を笠に着て、食い逃げや盗人まがいのことをする者を許すことは出来なかった。
「そうなんだよ。けど龍より強い冒険者に強く言われちゃ、アタシらは何にも言えないだろ? 殺されちゃたまんないからね」
シャリーが自分に賛同した姿を見て警戒心を解いたのか、女は話を続ける。何でも彼女の知り合いが、自分に逆らったらどうなるか分かっているのか、とその冒険者に脅されたと言うのだ。
「この町は田舎で、町の冒険者は誰かしらの知り合いだからそんな心配はないけど、外の冒険者はやっぱり怖くてね。何でもいつも黒い服を着た男と女の2人組で、女の方はエルフらしいんだ」
「えっ……?」
女の思いがけない言葉に、シャリーは目を丸くする。
「だからアンタ達も同じなんじゃないかって、思っちまったんだよ。悪かったねぇ……ちゃんとお金払って、こんなにたくさん買ってくれる、いいお客さんなのに」
「いえ……」
謝罪する女の言葉を聞き流しながら、シャリーは強い疑問を感じていた。
龍より強い冒険者が食い逃げまがいのことをする、それを聞いた時点で何かがおかしいと思っていた。それほどの強さを持つ冒険者が、金に困っているはずがないからだ。
龍の脅威から国を守れば多額の報奨金が支払われるだろうし、龍の死体を素材として売るだけでもかなりの金額になる。そんな人物が食い逃げをする必要など、どこにもないのである。
アルクラドが他者を脅して食い逃げをするなど有り得ないことであるが、何だか嫌な予感がする。そうシャリーは感じていた。
「何でもアルクラドって冒険者らしいけど、ほんと嫌になるねぇ……」
そんな、まさか。
シャリーは信じられない気持ちだった。
龍より強い、アルクラドと言う名の冒険者。そんなのはこの世に1人しかいない。もし仮にいたとしても、いつも黒ずくめの恰好をしていてエルフの女を連れているとなれば、それはもう自分達しかいない。
しかし自分達はこの町に着いたばかりであるし、アルクラドがそんなことをするはずもないし、その理由もない。
自分達の偽物が現れ、この町で悪さをしているのだ。
そう確信しながらも、何故そんなことをするのか、とシャリーは顔をしかめ、難しい表情をしていた。
一方でアルクラドは、自分と同じ名前に反応したものの、シャリーの様に深刻に考えてはいなかった。
龍を圧倒する力も、アルクラドと言う名前も、黒ずくめの服装も、エルフを連れていることも、アルクラドにとっては珍しいことではないのだ。
自分達に似ている者達が居てもおかしくはない。
そう考えるアルクラドは、そんなことよりも大切な、目の前の美味しい串焼きに夢中になっているのであった。
お読みいただきありがとうございます。
ニセモノ現る!?
どうする、アルクラド!? どうなる、ニセモノ!?
次回もよろしくお願いします。