獣国での宴
アルクラド達がヴィクトルの下を訪れてから10日目の朝、アリテーズは常ならぬ喧騒に包まれていた。
祭りである。
ヴィクトルがアルクラドと会い龍の神子だと知った日から、神子を崇め奉る為の、祭りの準備をしていたのである。その準備はアルクラドがアリテーズと火を吹く山の間を行き来している間に着々と進められ、アルクラドが戻った翌日から祭りが執り行われる運びとなっていた。
「本日の昼から祭りを始めます。特に御用がなければそれまで我が家でお待ちください、アルクラド殿」
アルクラドが龍の神子の身分を隠していると思っているヴィクトルは、それを喧伝するつもりはなかった。しかし自分が王を務める国に龍の神子が訪れたのだから、国を挙げて歓迎の意を示さなければ、ともヴィクトルは考えていたのである。
「祭りが始まる頃にはアリテーズ周辺に住む部族も集まります。我々竜人族を含め、各部族が伝統の料理をご用意しますので、ぜひお味をご覧じてください」
常緑の森の中には、アリテーズの他に部族単位の小さな集落がいくつか存在している。ヴィクトルは彼らに、祭りに参加するようにと声をかけていた。彼らは祭りへの参加を快く承諾し、部族で昔から食べられている料理を持参するようであった。
「用事は無い故、其方の家で待つとしよう。用意される料理を食すのに金は必要か?」
アルクラドは特別何か用事があったわけではないので、ヴィクトルの邸宅で待つことにした。本来はまだ訪れていない料理屋に行こうとでも考えていたが、祭りで料理が出されるのだからその時に食べればいい、と考えたのである。
「金は必要ありません。祭りで出される料理は全て無償です。皆で持ち寄り、互いに食べ合うのです」
新たな年を祝う祭りや、豊かな実りに感謝を捧げる祭りなど、アリテーズで行われる大きな祭りでは、国民や他の集落の住人など関係なく、料理や酒を持ち寄り騒ぐのが常であった。今回の祭りも、急ではあったが、その常に倣い行われるのである。
「分かった。我はこの部屋に居る故、時が来れば報せを頼む」
「承知致しました。私はまだやることがありますので、これで失礼致します」
部屋で休んでいると言うアルクラドに対し、祭りの最後の仕上げが残っているヴィクトルは礼をして部屋を後にする。
「獣人の各部族の伝統料理ってどんな料理なんでしょうね? あまり硬くないといいんですけど」
「森に生っていた果実は、今まで食した事の無い物であった。他の食物も今までの物とは様子が違うであろう故、料理もそうなのであろう」
身体だけでなく顎まで逞しい獣人の料理は、シャリーの顎には手強すぎた。顎に優しい料理がどれだけあるかを心配する彼女に対して、アルクラドは未知の料理への期待を膨らませていた。
狼人族の青年と訪れた料理屋では、主に肉を食べていた為、アリテーズ特有の食物は余り食べなかった。森に住まう様々な部族が集まるのならば、常緑の森でしか食べられない食材も集まるだろうと、アルクラドは考えていた。
「確かに森になっている果実は、ほとんど見たことがありませんでした。きっとここより更に南の、暖かい土地にしか生らない果実なんでしょうね」
アルクラド達は火を吹く山への行き帰りの道中、森になる種々の果実をつまんでいた。色鮮やかで甘く濃厚な香りを放つ果実は、森をよく知るシャリーも知らないものだった。
その鮮やかすぎる色合いに、初めは毒を持っているのかも知れないと彼女は考えた。しかしいつもの通り、アルクラドは毒があるかないか、美味いか不味いかを気にすることなく、初めて見る果実を次々と口の中に放り込んでいった。そのどれもが甘く美味で、毒を食べた時の不快感は覚えなかった。
アルクラドが毒を食べた時、多くの場合それを不快感として捉える、ということにシャリーは気付いていた。加えてヴィクトルが、毒を持つ果実の存在をアルクラド達に伝えなかった。龍の神子は毒などでは死なないと考えているのかも知れないが、畏敬の念を抱く相手に毒を食べさせたりはしない。
それらを考慮して、森の果実に毒はない、とシャリーは判断した。そしてそれらを食べ、濃密で後に引く甘さに頬を緩めていた。
「きっと野菜もドールやラテリアとは違うものがあるんでしょうね。でもお肉はそこまで変わらなかったですよね?」
「そうでもない。脂は少なく、肉の旨味も強くあった」
「そっか。寒くないから脂肪を蓄えないし、いつでも餌があるから肉の味がいいんですね」
森の食材について話していると、意外にも話は弾み、他国との違いをよりはっきりと認識することができた。
「どんな料理が出てくるのか、楽しみですねぇ……」
「うむ」
アルクラドだけでなく、シャリーも祭りで供される料理への期待が高まってきた。それからも2人は祭りで出てくる料理へ思いを馳せながら、ヴィクトルから声がかかるのを待つのであった。
神樹の真上から光が降り注ぐ時刻、多くの人々がヴィクトルの邸宅の前に集まっていた。まだ明るい昼にもかかわらず邸宅の脇や、その前の広場ではかがり火が焚かれている。
ヴィクトルの邸宅は高床の建物であり、母屋から張り出した床面から地面へと階段が伸びている。その張り出した床の上に、王族や貴人が座っていそうな豪奢な椅子が置かれている。天蓋で覆われ、調理された肉や果実の載った脚の長い机が、その前に置かれている。誰もそこに座ってはいないが、まるで神座の様であった。
「皆、急な祭りの準備によく応えてくれた。その働きのおかげで無事、祭りを執り行うことができる。まずはそのことに礼を言いたい。ありがとう」
ヴィクトルは神座の傍に立ち、集まった人々に向かって話す。
「今日の祭りは、我ら竜人族の祖たる龍の神子様が、アリテーズに御座しになったことを祝う為のものである。しかし神子様はその身分を隠しておいでだ。私がギルドで傅くところを見た者もおるだろうが、決して口外しないように。この祭りは竜人族である私の我儘であり申し訳なく思うところはあるが、これだけはよろしく頼みたい」
アルクラドがアリテーズを訪れた最初の夜、大した料理が出せず後日改めて持て成すと言っていたヴィクトルの言葉は、この祭りのことを指していたのだ。昼夜問わず国の重役と話をし、祭りの開催の段取りを進めてきたのである。
「さて、堅苦しい話はこれまでだ。皆、大いに飲み食い、騒いでくれ!」
祭りの目的を話し、我儘を通したことを詫びたヴィクトルは、祭りの始まりを宣言した。といっても堅苦しい儀式があるわけでもなく、彼の言う通り食べて飲んで騒ぐだけである。その為、広場に集まった人々は楽しげに歓声を上げるのだった。
種々の獣達の雄たけびで始まった祭りは、そこら中が騒がしかった。
豪快な者の多い獣人達が酒を飲んで騒げば、起きるケンカは1つや2つでは済まない。まだ祭りが始まったばかりだと言うのに、料理を巡って、また身体がぶつかったなど、くだらない理由でのケンカがそこら中で起こっていた。
ヴィクトルの宣言の間、アルクラドとシャリーは彼の傍にいた。そして宣言が終わると、ヴィクトルが自分達の種族が集まる場所へと、アルクラド達を案内した。
そこには竜人族を含め、蜥蜴人族や蛇人族など有鱗の獣人、有鱗人族達が集まっていた。大きな鍋を火にかけ、手で丸めた何かをその中に入れている。
「これは揚げ団子といって、我ら有鱗人族が好んで食べる料理です。あの鍋には大量のタマタマ油が入っていますが、熱した油でゆでることを、我々は揚げると呼んでいます」
鍋の中で揚げているのは、様々な肉や野菜を水で練った麦の皮で包んだものであった。近くに寄って見てみれば、ひと口大の丸い物が鍋の中にたくさん浮かんでいる。それらは油の中で細かい泡を無数に出しており、白いものから茶色く色づいたものがあった。
その茶色く色づいた揚げ団子を、有鱗人族達は直接手で鍋の中から取り出し、口の中に放り込んでいた。また他の獣人もおり、皿代わりの葉の上に揚げ団子を載せてもらい、息を吹きかけ料理を冷ましている。
「あれは何をしておるのだ?」
その両者の違いをアルクラドは不思議に思い、ヴィクトルに問う。
「揚げ玉はとても熱い料理です。本当は揚げたてが一番美味いのですが、他の獣人達はああして冷まさなければ食べることができないのです」
水よりも遥かに熱くなる油で茹でた料理は、外も中もこの上なく熱い。もし有鱗人族以外が冷まさずに食べると、口の中が大変なことになってしまうのである。
それを聞いたアルクラドは無言で頷き、揚げ団子を調理する鍋へと近づいていく。
「兄ちゃん、嬢ちゃん。こいつは美味いが、口の中を焼かないようにな!」
鍋に近づくアルクラド達を見て、近くで揚げ団子を食べていた猿人族の男が、声をかけた。
「うむ」
それに短く応え、鍋の傍に寄るアルクラド。それを見た竜人族の1人が、アルクラドとシャリーに葉の皿を渡す。
「不要だ」
シャリーは素直にそれを受け取ったが、アルクラドは手を出したが皿を受け取らず、伸ばした手をそのまま鍋の中に突っ込んだ。そして程よく色づいた揚げ団子を1つ取り、そのまま口の中に放り込んだ。
有鱗人族の流儀に倣ったアルクラドを、ヴィクトルやシャリーを除いた大勢の獣人達が驚きの目で見つめていた。手を火傷していないのか、口の中は大丈夫なのか、と。
その目を気にも留めず、アルクラドは灼熱の揚げ団子をじっくりと味わっていた。
まず感じるのは、カリッ、ザクッとした心地の良い歯ごたえ。高温で熱せられた為に表面の水分が奪われ、よく焼いたパンの様な食感が生まれていた。そしてそれに続き、モチモチとした弾力のある歯応え。噛む度に麦の甘味が現れ、また皮が吸い込んだタマタマ油が滲み出て、果実の爽やかな風味も感じられた。
そして中には小さく刻まれた肉や野菜が入っていたが、それらの旨味が熱々のスープとなって口の中に流れ出した。多くの食物は熱すると、肉の脂を含め、元々持っている水気が逃げてしまう。しかし麦の皮で包まれていることにより、その全てが団子の中に閉じ込められている。肉の旨味や甘味、野菜の甘味が苦味が混然一体となり、余すことなく味わうことができた。
また外はカリカリの揚げ団子であるが、中は肉や野菜の水気でふやけ、トロトロの食感となっていた。野菜のシャキシャキとした食感も残されており、味、香り、食感の全てが楽しい料理であった。
しかしこの上なく熱い。
高温の油に触れていた表面は言わずもがな、中の芯までその熱が伝わっている。加えて食材の水気でふやけた麦の皮は粘度が高く、口内に張りつき、舌に纏わりつく。たとえ揚げ団子を吐き出したとしても、地獄の業火は絶えず口内を焼き焦がすのだ。
そんな揚げたての団子を平然と平らげ、2つ目に手を伸ばすアルクラドを見て、周りの獣人達は驚きを通り越して恐ろしさを感じていた。
「兄ちゃん、一体何者なんだ……」
熱いから気を付けろ、と忠告した猿人族の男が、恐れ戦く様にアルクラドに尋ねる。
「我は冒険者である」
2つ目を飲み込み、3つ目に手を出しながら答えるアルクラド。皆、そんな答えが聞きたかったわけではなかった。
そんなアルクラド達のやり取りを見て、ヴィクトルは考えていた。アルクラドは神子であることを隠す気がないのだろうか、と。またシャリーはいつものことだ、と自分の揚げ団子に丹念に息を吹きかけ、しっかりと冷ましてからその美味しさを味わっていた。
一通り揚げ団子を堪能した2人は、他の種族の料理を食べる為に、広場の周りを歩き始めた。ヴィクトルの邸宅を中心に半円状に広がった各部族の集まりを、順番に巡っていく。
芋の一種が材料のモチモチとした食感のパン、辛味の強い香辛料で味付けされたスープ、どこか酒に似た香りのする濃い味の串焼き、甘く辛く酸っぱいスープ、甘い果実の入った甘く白い飲み物など。
種族による好みの違いか、それぞれの部族が用意した料理は、その味も様々だった。その味付けや使われている食材は、ドールやラテリアにはないもので、2人にはとても新鮮に映った。
辛味の強い料理は苦手だと感じたシャリーだが、アルクラドはそのどれもを美味しそうに食べていた。行く先々でその大食漢っぷりを発揮し、獣人達を驚かせるアルクラド。騒がしく過ぎていく祭りの時間を、思う存分満喫するのであった。
お読みいただきありがとうございます。
再びのご飯回。
(関東と関西の人で、たこ焼きの食べ方が違うのは本当なのでしょうか。)
もう少しのんびりした後、話が転じていく予定です。
次回もよろしく願いします。





