火を吹く山
空を覆う緑の傘と森の木々の間から、青く澄んだ冬空が覗く。太陽は頂に昇り、神樹の枝葉の隙間からその光が降り注いでいる。
食事を終えたアルクラド、シャリー、レアンの3人。次の料理屋を探そうとするアルクラドに、レアンは案内を買って出た。自分はこの国で生まれ育ったから、何でも教えてやれる、と。そんな彼に、別の美味しい料理屋を尋ねるアルクラド。まだ食べるのかと呆れられるかと思いきや、むしろレアンの方がまだ料理を食べたいと思っている様子だった。獣人は顎だけでなく、胃袋も強靭であるようだった。
「そう言えば、この森には冬でも雪が降らず緑があせないみたいですけど、どうしてなのか知ってますか?」
次の店への道中、常緑の森を見た時から気になっていたことを、レアンに尋ねる。火の精霊が多いことがその要因の1つであることは分かっているが、なぜ火の精霊が多いのかを含め、それ以外は何1つ分かっていない。
「あぁ、それか。オレも詳しくは知らないんだけど、森の西の外れにある山が関係してるって言われてる。火を吹く山だ」
「火を吹く山?」
シャリーはアルクラドと揃って首を傾げながら言う。山が燃えていると言うのなら分かるが、火を吹くとはどういうことが理解できなかった。
「それは山火事とかで燃えてるわけじゃないんですか?」
「違う。火を吹く山は草木の生えない岩だらけの山だ。ある日突然、火を吹くらしい」
シャリーの言葉をはっきりと否定するレアン。しかし山が火を吹くことには、確信を持てていないような口ぶりであった。
「らしい、ですか?」
「あぁ……ここ数百年、山は火を吹いてないんだ。王様も見たことがないらしい。みんな話は知ってるけど、見たことがある奴はいないんだ」
結局、この土地が雪に振られず緑が絶えない理由は、よく分からなかった。その要因であるとされる火を吹く山に関しても、獣人の中で特に長生きである竜人族の国王ですら見たことがないと言う。そうなると土地の不思議も火を吹く山のことも、誰も知らないのだろう、と思われた。
「王様ならもうちょっと詳しい話を知ってるかも知れないけどな。長生きの竜人族で代々国王をやってるんだから」
だがレアンの言う通り、代々この地の王を務めてきた竜人族の一族であれば、何か知っている可能性はあった。現王ヴィクトルの父や祖父が、山が火を吹くところを目撃し、それを後世に伝えているかも知れない。
「なるほど。家に戻ったら、王様に尋ねてみますか?」
「そうであるな」
ヴィクトルも知らない可能性はあったが、聞いてみるだけなら大した手間ではない。シャリーの言葉にアルクラドが賛同し、ひとまずこの話はお終いとなった。
「さて、そろそろ次の店に着くぜ。本当にまだ食えるのか、兄さん?」
「無論だ」
火を吹く山のくだりがひと段落したところで、3人の目指す料理屋が見えてきた。まだ腹に空きがあるのか再確認するレアン。アルクラドは間を置かずに答える。
「いいね! もう兄さんを人間だとは思わない。オレらの流儀で喰いまくるから、覚悟してくれよ!」
「うむ」
骨を噛み砕くほどの顎の力と、豚の丸焼きを食った後でも衰えぬ食欲を持ったアルクラドを、レアンは獣人だとみなすことにした。そして自分達でしか食べられない料理や、食べきれないほどの量の料理を喰らわせてやると、息巻いていた。
「エルフ向けの料理もあるところでお願いしますね?」
「よっしゃ、行こうぜ!」
全て獣人基準の料理が出てきそうな気配を察知したシャリーが、さりげなくレアンに釘を刺す。しかし彼はそれに応えることなく、大声で楽しげに笑い、どんどん前へと進んでいった。その様子に若干の不安を覚えつつ、シャリーはアルクラドと共に、その背中を追うのであった。
昼鐘が鳴り終わり日が傾き始めた頃、アルクラド達はレアンと別れヴィクトルの邸宅へと戻っていった。3人の食事会は、早々に腹が満杯になったシャリーに遅れることしばし、レアンもまた満腹を示したことで、お開きとなった。
「兄さんは絶対に人間じゃねぇ……」
苦しそうに口を押え呟くレアンに、シャリーは苦笑いを浮かべることしかできなかった。その通りです、とは口が裂けても言えないのだから。そうして覚束ない足取りのレアンを見送り、彼と別れたのである。
「火を吹く山ですか」
邸宅に戻るとヴィクトルは既に寄合いから帰っていた為、早速、火を吹く山について尋ねてみた。
「あの山のことは私もよく知りません。祖父が幼い頃に火を吹いたらしいのですが、まだとても小さくよく覚えていなかったそうです」
国王も山が火を吹くところを見たことがない、と言ったレアンの言葉は本当で、祖先から伝わっていることもなさそうであった。
「ですが、あの山に関する言い伝えであれば、いくつかお話しすることができます」
しかし国王を担う一族である彼らには、やはり伝承が残されていたようであった。
「祖父の親のそのまた親の前から伝わる話です。火を吹く山は、大いなる火の加護をもたらす山である、と」
大いなる火の加護。その言葉を聞き、シャリーはなるほど、と言った様子で頷いている。この森には至る所に火の精がおり、火の加護を受けた場所であればその数の多さにも納得がいくからである。
「大いなる火の加護は、大地に温もりをもたらし、死に向かう森に再び命の息吹をもたらす。しかし大いなるものの怒りに触れると、山は火を吹き辺りを炎で埋め尽くしてしまう。これが我が一族に伝わる話です」
平穏と再生、そして破滅をもたらすものが、火を吹く山であるようだった。
「またかつて山が火を吹いた時の様子を、祖父はその父から聞いていました。途轍もない轟音と共に天を衝く火が吹きあがり、赤く輝く水が山肌を流れ、森のほとんどが炎に包まれ焦土となった。祖父が幼い頃ですからもう500年以上前のことですが、この様なことがあったと聞いています」
話を聞く限り、大いなるものの怒りは人にはどうすることもできないもので、それがここ500年は起こっていないようだった。それはひとまず喜ばしいことだが、以前に起こった時は一体何が大いなるものの怒りに触れたのか。それがシャリーは気になった。
「かつて山が火を吹いたのは、どうしてなんですか? 何が大いなるものの怒りに触れたか、それは分かっているんですか?」
「それは分かっていません。当時の人々はいつもの変わらぬ生活をしており、突如、山が火を吹いた。そう聞いています」
かつて山が火を吹いた後、様々な手を尽くしてその理由を突き止めようとしたが、遂には分からなかったようである。
「火を吹く山は、森の西の外れにある、と聞いたがどう往けば良い?」
今まで静かに話を聞いていたアルクラドが、ふとそう言った。
「ここから丁度西に向かって3日か4日歩けば、行くことができますが」
「アルクラド様、行くんですか?」
「うむ。この国の美味なる物は食した。まだあろうが、その前に伝承の地へ赴くとしよう」
昼に獣人の男性がまいるほどの料理を食べたアルクラドであるが、その調子で夜もアリテーズの美味を食べるのかとシャリーは思っていた。しかしそれに反し火を吹く山へ行くと言うアルクラド。シャリーは少し驚きはしたものの、火を吹く山のことは気になるので、反対する理由はなかった。
「山へ行かれるのでしたら、案内の者を付けましょう」
「不要だ。我らは森で迷いはせぬ」
森の中を数日歩く為、アルクラド達が迷わないように人を寄越そうとするヴィクトル。しかし間髪入れずに断るアルクラドを見て、確かに不要だと思い至った。森での活動に優れた種族であるエルフが付き人としているのである。そしてそもそも龍の神子が迷子になるはずがない、と。
「そうですか。いつ行かれますか? 必要でしたら何か食べる物を用意しますが」
「今から往く。食事の用意は頼む」
「では家人に何か持たせますので、しばしお待ちを」
案内人の同行はすぐに断ったアルクラドだが、食事の用意に関してはすぐに要ると答える。他人の同行は、そもそも不要というだけでなく、正体を隠すという点でも具合が悪い。しかし食べ物をもらうことに対しては否やはない。
アルクラド達の食糧の準備の為に、部屋を出たヴィクトル。彼が戻ってくるまでのしばしの時間は、シャリーの腹ごなしの時間に充てられた。そしてヴィクトルの用意した背負い袋一杯の肉や果実を持って、2人は火を吹く山を目指して、森を西へと歩いていった。
ヴィクトルの邸宅を出て3日目の朝。アルクラド達は常緑の森を抜け、草木の生えぬ荒野に立っていた。
地面はゴツゴツとして黒っぽく、同じ色合いの岩が至る所に転がっている。その大地が森から更に西へと続き、その先には緩やかな傾斜を持つ山があった。
全体的に黒っぽい色の山には1本の木も生えておらず、冬の盛りにもかかわらず、常緑の森と同じ様に雪も一切積もっていなかった。
「この辺りは特に火の精霊が多いですね。暖かさは森と余り変わらないですけど」
「いや、僅かだが森よりもこの大地は熱を持っている」
森を進み山が近づくにつれて、火の精霊の気配が強くなっていくのをシャリーは感じていた。また彼女にはその差異は分からなかったが、山に近づくにつれて大地の持つ熱も大きくなっているのをアルクラドは感じていた。
「山肌が黒っぽいこと以外は、普通の山と変わりませんね」
火を吹く山を遠くから見たシャリーの感想がこうだった。火を吹く山は傾斜のなだらかな禿山で、その様子は特に珍しいわけではない。黒っぽい山をシャリーは見たことがなかったが、それが特別おかしいとも思わない。火を吹き周囲を炎で埋め尽くすような山には見えなかったのである。
そしてそこから更に1日が経った翌朝には、2人は山の麓に到着した。
山肌は今まで歩いてきた地面と同じで、黒っぽく同じ色の岩がそこら中に転がっている。そして土はなく草木が生える環境ではなかった。しかしそれ以上でもそれ以下でもなかった。
山から強い熱を感じることもなければ、煙の臭いがすることもない。火の精霊が異常に密集しているわけでもなく、火の上位精霊がいるわけでもない。ただの死んだ山であった。
「アルクラド様、何か分かりますか? 精霊達が騒いでいるわけでもないですし、私にはただの山にしか見えませんけど」
「我も分からぬ」
近くまで来てみれば何か分かるか、とも思ったが、何も分からなかった。
「山の上に登ってみますか? せっかくここまで来ましたし」
「ここまで来て何も解らぬ以上、何か変わるとも思えぬが、往くとしよう」
山の麓に着いてから、アルクラドは火の気配も不自然な魔力の流れも感じることはなかった。加えてシャリーも、騒ぎ立てることなく穏やかに在る精霊の気配を感じていた。この2人が何もない、と感じたのだから、何かが起こるということは考えづらかった。
しかしまだ目に見えていないものを見れば、何か発展があるかも知れない。その可能性はたとえ僅かでも残されている。シャリーの言葉にも一理ある、とアルクラドは山に登ることを決めた。
火を吹く山は、傾斜がなだらかで背の低い山だった。しかしその分、裾野が広く長く歩く必要があった。結果として半日ほど歩き、2人は山頂へと到着した。
山は麓から見た通り、一面が黒い岩石に覆われており、ごく稀に苔などが僅かに生えている程度で、生き物の気配は一切なかった。そして麓にいた時と同じ様に、火の気配も淀んだ魔力の流れも、騒ぐ精霊の気配も一切感じられなかった。山に登ろうとも登らずとも、山から感じる気配に変わりはなかった。
しかし1つだけ登らなければ分からないことがあった。
「深い穴ですね……」
「うむ」
山頂へと至った2人の目に入ったのは、地面と同じ高さまで沈んだような深く大きな穴。その中に町や都市が築けそうなほど大きな穴で、底に行くにつれて段々とすぼまっていた。
「この穴、一体何なんでしょうか」
「解らぬ」
人が削り出したわけでもない、山に空いた大きな竪穴。そんなものがある理由が2人にはさっぱり分からなかった。結局、火を吹く山については何も分からなかった2人。何の収穫もないままアリテーズへと戻るのであった。
もっとも道中、北国では生らない果実を食べることができた為、アルクラドが落胆することは一切なかったが。
お読みいただきありがとうございます。
火を吹く山。
我々にとっては馴染みでも、そうでない人々からすれば不思議でたまらないのでしょうか。
今章はしばらくゆるい感じで進んでいきます。
次回もよろしくお願いします。