獣国の料理
料理の匂いを辿り行き着いた店で、アルクラドはシャリーと、そして道中で一緒になった狼人族の青年レアンと、同じテーブルに着いていた。
人間の姿をしたアルクラドが、匂いで美味しい料理屋を探せるか見届ける、と言ったレアン。当初は料理屋に同席するつもりはなく、店を見つけられなかったアルクラドにいい店を紹介して立ち去ろうと考えていた。
しかしアルクラドは見事、アリテーズでも屈指の料理屋を探し当てたのである。もしその店が、立派な門構えをしたところであれば、偶然だと言うこともできた。しかしアルクラドが見つけた店は、小さく外観も質素なところ。偶然立ち寄っただけでは、決して選ばない様な場所だった。
それをきっかけにレアンは、アルクラドに更なる興味を抱いた。そして食事に同席し、色々と話を聞こうと思ったのである。
「まさかこの店を探し当てるとはな! 兄さんは強いだけじゃなく、鼻までいいんだな!」
からかうような口調のレアンだが、声音や表情に含みはなく、アルクラドのことを本当に凄いと思っているようだった。
「ここはオレが金を持つから、兄さんの話、イロイロ聞かせてくれよ」
「ここの店では、どの様な料理が美味なのだ?」
レアンの要望に応えるつもりなのか、それともただ単に聞いただけなのか、アルクラドはレアンにおすすめの料理を尋ねる。
「この店は何でも美味いけど、オレがいつも頼む料理を食べてみてほしい」
この店によく通っているらしいレアンは給仕を呼び、いつものを、と料理を注文した。
「どんな料理かは、来てのお楽しみだ。それで兄さん、オークキングってのはどんな相手だったんだ?」
給仕がテーブルから離れると、本題とばかりに、オークキングの戦いを聞かせてくれと、レアンはアルクラドにせがんだ。
「オークとは思えぬ、誇りある戦士であった。人族、魔族を含め、彼奴を討てる者はそう多くはないであろう」
オークキングとの戦いを思い出しながら、アルクラドは言う。アルクラドにとってオークキングも取るに足らない相手ではあったが、今まで出会った敵の中で上位に位置する強さを持っていた。
「そんなに強いのか……オレとだったら、どっちが強い?」
感心する様な口調でレアンは言う。強きを貴ぶ獣人として、自分の強さがどれほどなのかが知りたかったのだ。
「其方では彼奴には勝てぬ」
アルクラドは考える素振りも見せずに答えた。それを聞き、レアンの表情が険しくなる。
「そうか……オレじゃ無理か……」
悔しげな表情を見せながらも、レアンはアルクラドの言葉を素直に受け入れているようだった。その様子を、シャリーは不思議な気持ちで眺めていた。
冒険者は、自身が侮られることをとても嫌う。度胸や腕っぷしが物を言う世界で、弱いと言われることは自分を否定されるようなものだ。そういう時、冒険者は怒り出すことが多い。そして獣人にはそのような傾向が強く、獣人の冒険者であるレアンが怒り出さないことはとても不思議に思えたのだ。
「レアンさん。貴方じゃ勝てないって言われて……その、腹が立たないんですか?」
失礼だとは思いつつ、シャリーはレアンに尋ねる。アルクラドは線の細い見た目から、そして魔力を極限まで抑えていることから、強者だとは見られない。アルクラドの力を見抜ける一握りの者以外からは、侮られることが多い。にもかかわらず、そんなアルクラドの言葉をレアンは素直に受け入れていた。それがとてもおかしく思えたのだ。
「そうだな。もしただの人間に言われたら、キレてるだろうな。けど兄さんは、とんでもなく強い。何がどう強いのかよく分からないが、絶対に敵わないって本能が告げてるんだ。そんな人に弱いって言われても腹は立たないさ。悔しくはあるけどな」
獣人の内に流れる獣の血のせいか、レアンは無意識的にアルクラドの力を感じ取っていた。それ故にアルクラドを侮ることがなかったのである。
「まっ、そんなことより兄さんの武勇伝を聞かせてくれよ!」
悔しそうな表情から一変、レアンは目を輝かせ興奮した様子を見せる。彼の後ろで、毛の豊かな尻尾がパタパタと振られている。獣人の年齢は見た目からは余り分からないが、子供の様に目を輝かせている。
「武勇伝……」
しかしアルクラドは言葉を詰まらせていた。封印から目覚めて以降、恐らくそれ以前も、武勇を誇ったことなど1度もなかった。そして何より、アルクラドにその自覚が一切なかった。その為、武勇伝を語れと言われても困ってしまうのだ。
「オークキングとの戦いや、セーラノやドールでの魔族との戦いを話せばいいんじゃないでしょうか?」
そんなアルクラドにシャリーが助け舟を出す。アルクラドがそう思っていないだけで、彼の足跡自体が既に武勇伝の様なものであり、他者から見ればアルクラドの戦いはすさまじいものであるからだ。
「では、食事が運ばれるまでの間、それらを語るとしよう」
シャリーの言葉を聞き、アルクラドは料理が来るまでの時間潰しとして、今までの戦いを語り始めた。それに対してレアンは質問を投げかけ、アルクラドがそれに答える形で話が続き、やがてレアンおすすめの料理が運ばれてくるのだった。
テーブルの上に、1匹の豚が乗っていた。
大きさは一抱えほどで、子供と大人の間の大きさ。身体に毛はなく、艶のある焦げ茶色をしている。全身から湯気を立ち昇らせ、少しも動くことはない。
豚の丸焼きである。
丸焼きという豪快な料理は獣人らしく、この国の名物であっても不思議ではない。しかし丸焼き料理はどの国にもあるもので、特別珍しいものではない。その為、レアンがどんな料理を勧めてくれるのか期待していた2人は、料理が豚の丸焼きだと聞いた時、僅かに落胆した。
しかし料理が目の前に運ばれてくると、そんな考えはすぐさま消え去ってしまった。
まず何よりも印象的なのが、丸焼きから漂ってくる香りだった。肉の焼ける馴染みの香りはもちろんのこと、蜜を焦がした様な甘くも香ばしい匂いと、果実の様であり菜の様である不思議な香り。
そして料理の外観も、ただの丸焼きではなかった。薪の炎で熱を加える丸焼きは、多くの場合、焼き色のムラがあり、また表面が強く焦げている。しかしこの店の料理は、ムラがなく艶やかな茶色であり、表面が照り輝いている。
ひと目見て、ただの丸焼きではないことが分かったのだ。
「さぁ、好きに切って食べよう! どこを食べても美味いけど、皮のところが最高だぜ」
取り分け用の大きなナイフとフォークがそれぞれの前に置かれており、しかし取り分ける為の小皿はない。丸焼きから肉を切り取り、そのまま食べるのだ。
3人ともが躊躇なく丸焼きにフォークを突き刺し、ナイフを入れた。
パリパリッ、ザクザクッ。
丸焼きの表面は僅かに硬く飴が砕ける様な感触が伝わってきた。そしてその下の皮は程よく水分が抜け、心地の良い感触を伝えていた。切り口から肉汁が溢れ出し、肉と脂の香りが更に強く漂い出した。
滴る肉汁を少しでも無駄にしない為、急いで瑞々しい肉を口の中に放り込む。
歯を通して小気味よい感触が伝わり、次いで噛みしめる度に肉汁が溢れ出す。肉の表面はパリパリ、サクサクしておりその食感が心地よく、香りの通り仄かな甘味があり、皮に刷り込まれた塩や香辛料の刺激と絶妙に混じり合っていた。甘いだけでもなく辛いだけでもなく、見事に均整の取れた味わいであった。
また肉の脂の甘い香りが鼻から抜け、同時にまだ青い果実の様な爽やかな香りがそれを追いかけていく。香草の清涼感とはまた違う爽やかさに、もともと止まる気配のなかった食指の動きが、更に活発になっていた。
「この不思議な香りは何なんですか?」
ヴィクトルの邸宅で出た骨付き肉と違い、柔らかな丸焼きはシャリーでも食べやすく、口いっぱいに頬張った肉を飲み込み、美味しさの秘訣をレアンに尋ねる。
「森にタマタマっていう木の実が生るんだけど、それから採れる油の香りだ。油は種から採ることが多いけど、こいつは果肉から油を採る。だから普通の油よりも爽やかなんだ」
タマタマというデコボコした緑色の皮を持つ果実は、常緑の森の至る所で生っているもので、アリテーズでは調理の際に広く使われているようだった。遠火でじっくりと火を入れた豚に、思いきり熱したそのタマタマ油を回しかけることで、心地よい皮の食感を生み出しているのだった。
「後は油をかける前に、森で採れる蜜を煮詰めて、表面に塗ってある。必要な水気がなくならない為の工夫だけど、熱い油に焼かれて香ばしい匂いがするんだ」
煮詰めた蜜は冷えると硬くなり、膜を作る。それを利用して肉汁や身の持つ水気が、飛ぶのを防いでいるのである。
「さて、オレは一番美味いところをもらうぜ」
その美味しさの為に夢中で肉を食べるアルクラドとシャリーに向かって、レアンはそう言った。続けて丸焼きの乗った皿を回し、豚の頭を自分の方に向けだした。そして一番美味しいところ、という言葉にしっかり反応した2人をよそに、顔を近づけ徐に口を大きく開いた。
ガリッ、またはボリッ、という鈍い音が響いた。
レアンが強靭な顎の力を用いて、豚の頭部を噛み砕いたのだ。そして割れた頭蓋骨の欠片ごと、頭の肉を口いっぱいに頬張った。
バキバキッ、ボリボリッ。
狼の口の中から、骨を噛み砕く音が、調子よく聞こえてくる。当の本人はとても幸せそうで、勇ましくも雄々しい狼から愛玩用の犬の様な表情になっていた。
「これが丸焼きの一番美味い食べ方なんだ」
レアンは本当に美味しそうな表情でそう言った。パリパリの皮、柔らかく肉汁タップリの肉、噛み応えのある骨、コク深い髄、蕩ける脳、その全てが口の中で混じり合い、得も言われぬ美味しさ、だと言う。
確かに美味しそうだ、とレアンの言葉を聞いたシャリーは思った。同時にしかし、とも。
いくら焼けて脆くなったとはいえ、生き物の中で特に硬い頭蓋骨を噛み砕くなど、常人にできる芸当ではない。そもそも獣の顔を持つ獣人でなければ、口の構造上、不可能である。
「仲間同士だと奪い合いになるんだが、他の種族となら独り占めできるな」
そう言ってレアンは、また大口を開けて丸焼きの頭部にかぶり付く。この丸焼きを勧めたのは本当に美味しい料理だという他に、頭を1人で食べられるという理由もあったのかも知れない。
美味しそうに食べ美味しそうに語るレアンを見て、ぜひとも味わってみたいと思うシャリーであるが、エルフである彼女は諦める他ない。
「それ程に美味であるか」
しかしアルクラドには関係のないことだった。
人族はおろか魔族の常にも当て嵌まらない彼は、フォークを豚の頭に突き刺し、ナイフで骨ごと肉を切り取った。そして皮も肉も骨も髄も脳も、全てを口の中に放り込んだ。
「兄さん、止めときな! 歯がダメになって……」
ボリボリッ、ボリボリッ、ボリボリッ。
レアンに負けず劣らずの調子の良い音を響かせながら、アルクラドは肉を咀嚼している。骨の硬さを感じさせない軽快さで全てを噛み砕き、充分に味わった後、嚥下した。
「うむ、美味だ」
嚥下した肉を惜しむかの様に、アルクラドは呟く。
「おいおい……兄さんの歯と顎はどうなってるんだ!?」
再び頭部に手を出すアルクラドを、レアンはまじまじと見つめていた。一体彼は何者なのか、と。
人間と比べ圧倒的に優れた身体能力を持つ獣人は、人間の力を下に見ている節があり、レアンもそんな1人であった。途轍もなく強いアルクラドを侮っていたつもりはないが、まさか歯や顎までが強靭だとは思っていなかった。人間とは実は恐ろしい種族なのだな、と改めて思っていた。
そんなレアンをよそに、アルクラドは休みなく手を動かし、口を動かし、丸焼きの頭部を腹へと収めていく。気付けば豚の頭は半分以上なくなっていた。
我に返り、慌てて丸焼きに齧り付くレアン。まさしく獣の如く肉を喰らい、頭はどんどん小さくなっていく。
心底美味しそうに丸焼きを食べる2人。自分が味わえない美味しさを堪能する彼らを、シャリーは羨ましく恨めしげに見つめ、せめても、と頭部の肉だけを口にするのだった。
お読みいただきありがとうございます。
丸焼きの頭の丸かじり。
頭の中を食材として食べたことはありませんが、どんな味なんだろう……?
今章中にもう1回は、ご飯回があると思います。
次回もよろしくお願いします。