龍の神子
龍の神子。
年経た龍の中でも特に大きな力を持つ龍の、その力の一部を得た者。人の身ながら龍の威を放ち、途方もない魔力と極めて頑強な身体を持つ、人ならざる者。
遥か昔、龍より魔力を分け与えられたのか、はたまたその血肉を喰らったのか、1人の龍の神子が誕生した。
人ならざる力を持つ神子は、しかし人と交わり、やがて子を生した。人の姿をした神子と違い、その子は人にはない特徴を有していた。鋭い爪牙に角、頑強な鱗、大きな羽と太い尾という龍の特徴を。
それからも神子の生す子は皆、龍の特徴を持って生まれてきた。そして龍の特徴を持つ子同士がまた子を生し、1つの種族として栄えていった。
龍と人の特徴を併せ持つ種族として。
これが竜人族の起こりと、それをもたらした龍の神子の伝説だった。
場所をギルドからヴィクトルの邸宅へと移したアルクラド達に、ヴィクトルはとても興奮した様子で、自分達に伝わる伝説を語った。
「我が一族が代々この国の王を務めていますが、私の代で神子様をお招きできるとは、末代までの誉れです」
伝説を語る間も語った後も、ヴィクトルはアルクラドが龍の神子であることを信じて疑わなかった。アルクラドが否定をしても、事情があって正体を明かせない、などと勝手に解釈し勝手に納得していた。
しかしアルクラドが神子であるはずなどなく、ヴィクトルが龍の力を感じるのは間違いなく、龍鱗の剣からである。古の黒龍から生皮を剥ぐが如く毟り取った鱗には、古代龍の魔力が多大に残されていた。その鱗から造られた漆黒の剣にももちろん、その魔力が宿っている。
それを伝えればいいのでは、と思ったシャリーであるが、彼女がそれを言う前にアルクラドが口を閉ざしてしまった。否定の言葉を何度も否定され、言葉を重ねることが面倒になっていたのである。
「私としたことが、旅でお疲れのところを話し込んでしまいました。食事ができたようですな。神子様をお迎えするには貧相ではありますが、存分にお召し上がりください。後日改めて御持て成しさせていただきます故」
邸宅に着くなり話を始めたヴィクトルであるが、ハッと我に返り、もてなしの料理の完成を告げた。元々アルクラド達をもてなすつもりではいたが、あくまでそれは通常の客人としてであり、神子をもてなすような用意はしていなかった。
ヴィクトルはそれでも、今あるもので可能な限りのもてなしを、と家人に言いつけていた。結果、予定よりも豪華な食事となったが、それだけ時間もかかったのである。
運ばれてきた料理は、色良く焼かれた大きな骨付きの肉だった。生きている時はどの様な姿をしていたかは分からないが、四足獣の脚の肉のようであった。そしてそれと共に薄く焼かれたパンと、酒の入ったかめがテーブルの上に置かれた。
「私はここで退出しますので、御付きの方も、ぜひごゆっくりお寛ぎください。何かあればお呼びください、すぐに参ります」
料理が全て運ばれると、ヴィクトルは家人である竜人族共々、アルクラド達のいる部屋を出ていった。神子と同席するのは不敬だと考えたのか、アルクラド達がゆっくり休めるようにとの配慮か、ともかく部屋にはアルクラドとシャリーの2人だけになった。
「アルクラド様。龍鱗の剣の話をすれば、神子じゃないって分かってもらえるんじゃないですか?」
「我は神子では無い、と何度も言った。それを彼奴が聞き入れぬのであれば、これ以上の言葉は不要であろう。それよりも食事が先だ」
ヴィクトルが退室したところで、改めて神子であることの否定を提案するシャリー。しかしアルクラドの意識は既に料理へと移っていた。神子と思われていることなどどうでもいい、と湯気の立ち昇る骨付き肉へと手を伸ばしかぶりついた。
肉は牛に近い味わいであるが、人族には少し食べづらいほどの硬さがあった。アルクラドは何ともないがシャリーは苦戦していた。しかし味は非常に濃く、嫌味ではない血の風味が味に深みをもたらしていた。
「美味である」
肉の硬さに苦戦するシャリーをよそに、パンと酒も交互に口に運びならが肉を食べるアルクラドは、中々に満足げであった。ヴィクトルのことを面倒に思う気持ちが僅かながら表情に出ていたが、食事を食べ進めるうちにそれが段々と和らいできていた。
大きな骨付き肉を、顎が使い物にならなくなったシャリーの分も合わせて、苦も無く平らげたアルクラド。到着と同時に面倒があったものの美味しい食事のおかげで機嫌も持ち直し、獣人の国での最初の夜を過ごすのだった。
アリテーズの王ヴィクトルの邸宅に招かれた翌日、アルクラドとシャリーの休む部屋に扉を叩く音が響いた。
「お入りしてもよろしいでしょうか?」
「うむ」
2人は既に起きており、入室を求めるヴィクトルにアルクラドが応える。
「おはようございます。よく眠れましたでしょうか」
部屋に入るなり深く礼をするヴィクトル。他の種族と比べて顔の変化が乏しく無感情に見える竜人族だが、アルクラドへの、正確には神子への敬意がよく表れていた。
「はい、ありがとうございました」
眠りに就くことのないアルクラドに代わり、朝までぐっすりと眠ったシャリーが答える。中に植物のワタが詰められたベッドはとても柔らかく、まるで宙に浮かんでいる様な寝心地だったのだ。
「それは重畳。さてアルクラド殿、本日はどうされますか? このまま我が家で過ごしていただいても構いませんし、国を見られるのなら案内の者を付けますが」
昨日は頑なにアルクラドを神子呼ばわりしていたヴィクトルだが、ひと晩が経ち興奮も少しは落ち着いたのか、アルクラドを名前で呼んでいた。
「国を見るが案内は不要である」
この国に伝わる伝承を知るという名目でやってきたアルクラド達であるが、話を聞くのはいつでもできる。まずはこの国の食事を知ろう、とアルクラドは考えていた。
「承知しました。我が家は好きに出入りしていただいて構いませんし、何かあれば家人にお申し付けください」
自分達で国を見ると言うアルクラドに頷くヴィクトル。昨日であれば無理にでも案内を買って出そうであったが、今日はその様子もなかった。
「私はまた寄合いに行かなければなりませんので、これで失礼をします」
昨晩の遅くまで話し合いをし朝の早い時間に自宅に戻ったヴィクトルであるが、まだ話が終わっておらず再び寄合いへと向かっていった。
「ギルドの者は、神樹の周りに食堂がある、と言っておったな」
「そうですね。まずは料理屋を見て回りますか?」
ヴィクトルが退室したところで、本日の予定を話し合う2人。アルクラドはもちろんのこと、シャリーも異国での美味なる料理には興味がある為、昨晩のギルド員の言葉に従い、神樹の周りを歩いてみることとなった。
ヴィクトルの家の者に断り、外へと出たアルクラド達。王の邸宅は神樹の下の南側にあり、その姿を間近で見ることができた。
「本当に大きいと言うか、凄いですね……」
そんな感想を漏らしながら、シャリーは改めて神樹を見上げる。
神樹の幹はこの上なく太く、近くで見ると壁と思えるほどだった。その周りを歩ききるには1刻ほどの時間がかかるようだが、それ以上の太さがあるように思えた。
空を覆う枝葉は左右に広がり、枝の端は自らの重みで下へと垂れ下がっている。しかし森の木々よりも枝松が高い位置のある為、その隙間から天頂へと昇り行く陽が森の中を明るく照らしていた。
アリテーズの中には所々に家などの建物が建っているが、この神樹の周りには特に多くの建物が集まっていた。神樹からの木漏れ日がアリテーズを照らしはするものの、その多くは遮られており、町は1日を通してそれほど明るくはない。しかし陽の昇り始めと沈み始めの時間帯は全ての光が、遮られることなく森の中へと入ってくる。神樹の周りの建物は、それを求めているのだった。
「さて、どのお店に入りますか? まだやっているところは少なそうですけど」
ヴィクトルの邸宅を出て、幹に沿って神樹の東部へ向かうアルクラド達。朝日に照らされた建物が並んでいるが、まだ朝の早い時間であり、開いている店はあまりなかった。しかし仕込みの作業を行っている店はたくさんあり、良い匂いがアルクラドの鼻を刺激していた。
「良い匂いが漂っておる。これを頼りに往くとしよう」
顔を上に向け鼻をヒクつかせながらアルクラドは歩き出す。人間の国でやると変わった行為だが、獣人の国アリテーズなら特別おかしな行動ではないのだろうか、とシャリーは思った。獣人は人間に比べ五感が鋭く、目だけでなく音や臭いで物を探すことも珍しくないからだ。しかし行為自体は珍しくなくとも、それを行うのが獣人でなければ、やはり変な行動のようだった。
「よう兄さん、オレらの真似事かい?」
アルクラドの行動を珍しがった、1人の獣人が声をかけてきた。狼の顔を持った狼人族が、牙を剥いて笑っていた。茶と黒のまだらに混じった狼の様で、大きな口に並ぶ鋭い牙は恐ろしげだったが、声の調子や態度はとても気さくな雰囲気だった。
「真似事とは……?」
彼の言葉の意図が分からず、アルクラドは首を傾げながら狼人族の青年へと目を向ける。
「いくら兄さんでも、オレら犬人族や狼人族みたいに鼻は利かないだろう? バックシルバの旦那からめっぽう強いって話は聞いてるけどさ」
アルクラドがアリテーズのギルドに居た時、彼もまたその場に居り、ギルド長や国王とのやり取りを見ていたらしい。そしてその後、バックシルバからアルクラドの話を聞いたらしい。そんな彼は、宙に漂う臭いを辿る自分達と同じ仕草をするアルクラドを見て、つい声をかけたと言う。
「我は鼻が良く利く。美味な食事を出す料理屋を、匂いを辿り探しておるのだ」
「いやいや、さすがにそれは無理だろう!」
当然の様に匂いを辿ると言うアルクラドの言葉に、狼人族の青年は大げさに首を振りながら言う。アリテーズは森の中の国であり、木々や土の匂いで満ちている。そして料理屋が集う場所では、それらに様々な料理の香りが混じる。それを嗅ぎ分けるなど人間には到底無理なことである。
それを笑いながらアルクラドに伝える狼青年。しかしそこにアルクラドを馬鹿にする様な雰囲気はなかった。度の過ぎた冗談を聞いている者の様な雰囲気であった。
「オレはこの辺りの美味い店は知ってるつもりだ。兄さんがそこに辿り着けるか、見届けてもいいかい?」
しかし余りにもアルクラドが真面目な顔で言う為に、狼人族の青年は試す様な口振りで言う。アルクラドの実力を確かめようとしているのか、それとも単にからかっているだけなのか。たとえどちらであってもアルクラドには関係のないこと。故に。
「構わぬ。其方の好きにすると良い」
アルクラドは狼の獣人の同行を認めた。
「ありがとう! オレの名前はレアンだ、よろしくな」
あっさりと同行を認めたアルクラドに、レアンはパッと表情を輝かせる。
「我はアルクラド」
「私はシャリーです」
レアンの名乗りに続き、2人も名前を告げる。その後すぐにアルクラドは宙を漂う匂いに意識を向け、美味しい料理やを目指して歩き始めた。
「そう言えば王様が、龍の神子とか言って兄さんに跪いてたけど、あれは何だったんだ?」
歩き出してからしばらくして、その間1度も言葉を発しない2人に痺れを切らしたのか、レアンが尋ねる。
「竜人族の祖先にあたる存在だそうです。アルクラド様から龍の力を感じるから、と勘違いをしているんです」
匂いを嗅ぎ分けるのに忙しいアルクラドに代わって、シャリーが答える。
「へぇ~、龍の力ねぇ……オレには全然分からないけどな……」
「同じ龍の姿をした竜人族だから分かるんじゃないでしょうか? アルクラド様は龍の鱗から造られた剣を持ってますから」
「龍の鱗の剣!? そりゃ凄い! オークキングを倒したのも、その剣あってのことかい?」
アルクラドが龍鱗の剣を持っていることをレアンが知れば、そこからヴィクトルの誤解が解けるのではと考えたシャリーだったが、彼は龍鱗の剣そのものに興味を持ってしまった。剣の力やオークキングとの戦いの様子を知りたがっているようだった。
「いえ……戦いの役には立っていましたが、オークキング討伐は全てアルクラド様の力によるものです」
オークキングとの戦いでアルクラドが龍鱗の剣を用いたのは、魔力の制御を誤り、うっかり殺してしまわないようにする為だった。そして最後の最後でオークの王を死に追いやったのは、猛毒の魚であった。
アルクラドが龍鱗の剣のおかげでオークキングを倒したとは思われたくなかったが、真実をそのまま語るわけにはいかなかった。言っても信じられないことではあっても、アルクラドの正体を疑われる原因になり得るのだから。
「まぁそうだよな。いくら武器がすごくても扱う奴が弱いなら、意味がないな」
シャリーの言葉に、レアンはうんうん、と頷いている。その様子をシャリーは少し不思議に思った。アルクラドの強さを語れば、大抵の者は疑いの目を向ける。しかし彼にはその様子がなかった。オークキングを倒す実力がアルクラドにある、というシャリーの言葉に、心底納得した様子で頷いている。
「うむ、ここにするとしよう」
そんな時、アルクラドがある建物の前で立ち止まった。扉の上にナイフとフォークの意匠が施された看板のある、料理屋と分かる建物だった。建物は大きくなく、独り住まいに適した小さな家の様であった。しかし建物の中からは、シャリーでも分かるくらいに、食欲を刺激する香りが漂っていた。
「おいおい、嘘だろ……?」
店が開くまで待とう、と言うアルクラドを、レアンは信じられない様子で見つめていた。アルクラドが選んだのは、間違いなくレアンが一番美味しいと思っている料理屋だったのだから。
お読みいただきありがとうございます。
しばらくは平和な感じで進んでいくと思います。
そしてそろそろ、本格的にご飯を食べようとか思います。
次回もよろしくお願いします。