常緑の森
国王の来室と共に一波乱のあった謁見だが、その後は穏やかな雰囲気で話が進められていた。
「そう言えば、まだお主に名乗っておらなんだな。儂はラテリア王国国王、マルク=フォン=ラテリアである。改めてオークキング討伐、大儀であった」
国王を立ったまま迎えたアルクラドのせいで、普段とは違った始まりとなった謁見であるが、マルク王がそれを仕切り直し、改めて謁見が始まった。
「さて、お主には報酬として大金貨5枚を用意しているが、これでは足りぬと考えておる。何か望みを言うと良い。お主の働きに報いる為、でき得る限りのことはしよう」
大金貨は一般的な庶民の1年の収入に相当する貨幣であり、それが5枚となるとかなりの金額である。しかし国を滅ぼしかねない魔物の討伐に対しては、確かに多いとは言えない。
「我が望むは、美味なる食事とこの地の伝承である」
望みを、と言われたアルクラドは、考える間もなくそう答えた。単なる礼だけなら不要だが、追加報酬が得られるのであれば話は別だった。
「……食事と、伝承? なぜそのようなものを望む?」
即座に返ってきたアルクラドの答えに、マルク王を含めラテリアの者達はひと時、言葉を失った。そして国王の言葉を皮切りに、貴族達もざわめきつつ首を傾げている。アルクラドが美味なる食事を好むことはドール王から聞いていたマルク王だが、まさか報酬として要求してくるとは思ってもみなかった。伝承を欲するなど尚更であった。
「何故? 美味なる物を食し、伝承を識る事を欲するが故である。それ以外に何があると言うのだ?」
食事も伝承も、オークキング討伐の追加報酬としては余りにも安い。国を救ったと言ってもいい働きからすると、タダで提供してもいいほどだ。しかしアルクラドからすればオークキング討伐は大したことではない。追加報酬もこの程度で充分なのである。
「しかしお主の働きには釣り合わんであろう。貴族として取り立て、領地を与えても構わぬのだぞ?」
だがマルク王としては、それでは気が済まない。もちろん強力な戦士を自国に取り込みたいという思惑もある。しかしアルクラドが貴族の地位や領地に興味を示すはずがなく、シャルル王と書簡でのやり取りがあったとはいえ、マルク王はアルクラドを全く理解していないと言わざるを得ない。
「その様な物は不要だ」
これは考える間もなく返ってきたアルクラドの言葉。それを聞き、国王を含め皆が絶句する。国王自ら貴族として取り立てるというこの上ない栄誉を、こうもすげなく断るとは思いもしなかったのだ。
「……そうか。他に何か思いつけば言うと良い。饗応の用意はしてある。その準備が整うまで、伝承を語るとしよう。厨へ指示を」
まだ短い時間しかアルクラドと言葉を交わしておらず、伝承を語り料理を共にする間に彼の人となりを掴むことができる。そうなればアルクラドの望むものも分かってくるだろう。
そんなことを考えながら、ともかく今はアルクラドの望みを叶えようと、城の料理人達に料理の仕上げと給仕を指示をさせるマルク王であった。
マルク王からアルクラドへ感謝の言葉が述べられ、またアルクラドの望みを聞いた為、ひとまず謁見は終了となり、場は饗応の間へと移された。
「して伝承を欲すると言っておったが、どのような伝承が聞きたいのだ?」
全員が着席したところで、国王がそう切り出した。
「どの様な物でも構わぬ」
「できるだけ古いお話を聞かせていただきたいと思っています」
王の問いに何でも良いと答えるアルクラドを、シャリーが補足する。謁見の間では言葉を発しなかったシャリーであるが、この場では自由な発言を許可されている為、遠慮なく話している。
「古いものか……とは言っても、我らの国は、人魔大戦は経験しているものの、南方の国と比べれば歴史は浅い。また元は人の住まう土地ではなかったようで、語り継がれる伝承の類も少ない。北の山脈に飛来する龍や人魔大戦の英雄であるエルフの大魔法使いなどは、よく聞く話ではあるが」
伝承は少ないと言って国王が口にした話は、アルクラドもシャリーもよく知ったものであった。片方はつい最近本物に会ったばかりであるし、もう片方はそもそもその血を引いた者がいる。
「あ~……それはもう知っていますね」
「であろうな。龍の飛来はドール王国との国境の話であるし、人魔大戦の英雄も有名であるからな」
龍の飛来は2国の境界付近で語られる話であり、ドールからやってきた2人が聞いていてもおかしくはない、とマルク王は考えたのである。人魔大戦に至っては人族の国で広く語られる話である為、尚更である、と。
「後は我らの祖の移住であろうか。かつて異形の者達から逃れ、南方よりこの地に流れ着いた者達がこの国の礎を築いた、と伝えられておる」
「異形の者達、ですか……?」
聞き慣れない言葉にシャリーは首を傾げながら尋ねる。
「うむ。恐らくは魔族のことであろうと言われている。何か資料が残っているわけではない為、詳しいことは分からんのだがな」
魔族の中には、吸血鬼や魔人の様に人間と似た者もいれば、人の姿からかけ離れた者もいる。また大陸の南の端は魔界であり、異形の者が魔族であるというのは十分にあり得そうなことであった。
「他の話は伝承と言うよりも、どの国でも語られる様なおとぎ話くらいなものだ。大した話を聞かせてやれず、済まぬな」
「構わぬ。元より南へ往くついでである故な」
追加の報酬として伝承を話すと言った手前、大した話ができず伏目がちに言うマルク王。しかしアルクラドとしては伝承の有無は大した問題ではなかった。そもそも追加報酬も殊更に欲している訳ではなく、王宮の食事も出るのだから報酬はそれで良いと考えているのである。
「いや、しかし……南へ行くと言ったな? であれば広大な森を通るはずだ。王国の南にあるその森は冬でも緑の絶えぬ森で、その中に獣人の国がある。かの地には古くより人族が住んでおったから、お主らの求める伝承もあるであろう」
しかし1度口にしたことを中途半端に終わらせるのは国王の沽券に関わるのか、マルク王は隣国の話を持ち出してきた。
「獣人の国であるか」
「うむ。かの国とは先代より以前から親しくしておるから、伝承を話してもらえるように紹介状を用意しよう。獣人の国の王は、とてもおおらかな方であり、また獣人は強きを貴ぶ。きっとお主らを快く迎え入れてくれるであろう」
ラテリア王国の祖先達がこの地に移り住む前から、国としてあったという獣人達の国。確かにそこであれば、古くより伝わる話もあるのではないかと思われた。
「その様な物は無くとも良い」
元より南へ往くつもりのアルクラドであるが、獣人達の王と関わりを持つことには難色を示した。しかし、たとえアルクラドが紹介状を受け取らずとも文を獣人の国へ送る、とマルク王は譲らなかった。その為、アルクラドは渋々受け取ることを決めた。
そうして伝承の件は獣人達の国で集めることとなり、後は料理が運ばれてくるのを待つばかりとなった。
できあがった料理が饗応の間に運ばれてくると、やはりアルクラドは国王より先に食事に手を付けた。それにまたもや絶句する貴族の面々であるが、もう何も言うことはなかった。食事の間、マルク王はそれとなく王国に留まるよう言葉を重ねるが、アルクラドは気にも留めない。彼の言葉を聞き流し、料理を食べることに集中している。
そうして食事の後、王宮で休んでいくようにとのマルク王の勧めを断り、王都で夜を明かしたアルクラド達。翌日、明鐘と共に、王国の南に広がる森を目指して、王都を発つのであった。
アルクラド達が王都ラテリアを発ってから10日ほどが経った頃、辺りの景色が変わってきた。
季節は冬の盛り。
雪が多く振り、また雪が無くとも緑は失せ、土と枯草色が広がる季節。
そんな季節にもかかわらず、アルクラド達の行く先には、色濃い緑の景色が広がっていた。冬が早々に去ってしまったかの様に、あるいはそもそも訪れもしなかったかの様に、木々が青々と葉を茂らせていた。
「凄い……本当に広い森。雪も積もってないみたいですね」
「うむ」
まだ森は遠く離れているが、それでも視界の端から端まで緑が広がっている。冬に生い茂る緑は、漆黒の古代龍が眠っていたドラフ山を思い出させるが、あそこの草木は雪にも負けず緑を茂らせていた。しかし目の前に広がる青々とした木々達は、白い頭巾をかぶっておらず、森には雪すら振っていないようであった。
晴れた空には所々雲が浮かび、森の方から北へと流れている。中には分厚く黒々としたものもあり、またどこかで雪が降るだろうと思われた。
「どうしてあそこだけ雪が降ってないんでしょう? 黒龍様みたいな方がいるんでしょうか?」
「あの森からはそこまでの魔力を感じぬ。魔力とは別の要因があるのであろう」
ドラフ山では古代龍の魔力が草木に影響を及ぼしていたが、広大な森の全てに影響を及ぼすような魔力をアルクラドが感じられないはずはなく、目の前の森が青々としている理由はそれではなかった。しかしここからではそれ以上のことは分からず、2人は歩を進めた。
森が見えてから3日ほどが経った頃、シャリーがあることに気が付いた。
「もしかしてあれって、山じゃなくて、樹ですか……?」
遠くに見えていた森のその中央が、山なりに盛り上がっていた。森の中に山がある、とシャリーは漠然と思っていた。しかし近づくにつれて、大きな緑の傘の下に、太く逞しい幹があることに気付いたのだ。
「うむ、樹である」
シャリーの呟きにアルクラドは当然の様に答える。人族の中でも目が良いエルフよりも更に視覚の鋭いアルクラドは、もう何日も前から大樹の存在に気付いていた。
「アルクラド様、気づいてたんですか?」
「うむ」
「どうして言ってくれなかったんですか?」
「言う必要があるのか?」
自分だけが驚いていたことに気恥ずかしさを覚えつつも、シャリーは改めて森の中に立つ大樹に目を向ける。
森にそびえる大樹は、周りの木々の3倍も4倍もの高さがある。枝葉は左右に大きく広がり、町1つがその下に収まってしまいそうな大きさだった。遠くにいる為よく分からないが、一体どれ程の大きさなのか想像もつかなかった。
「この辺りに雪が降らないのは、あの樹の影響でしょうか?」
「そうではあるまい。多少の魔力は宿しておるであろうが、この一帯に及ぶ程では無い」
齢を重ねれば樹木にも強い魔力が宿るが、見渡す限りの森全てに影響を及ぼすほどにはならない。せいぜいが、根を下ろした場所の周囲僅かである。もちろん広範囲に影響を及ぼす可能性がないわけではないが、少なくともアルクラドはそれほど大きな魔力を知覚してはいない。
「う~ん、ますます不思議ですねぇ……」
大陸の北部と南部を比べれば、南に行くほど気候は暖かになる。事実、ドール王国よりもラテリア王国の方が暖かな国ではあるが、雪が降らないほどではない。そして森があるのも雪が降ってもおかしくない場所であり、近くの山々は白い衣装を纏っている。つまりあの場所だけが何らかの理由で雪が降らないのである。
「かの森に住まう者に尋ねれば何か分かるであろう。往くぞ」
「あっ、はい」
大樹の存在に驚き立ち止まっていたシャリーを促し、アルクラドは歩き出す。分からないことをいつまで考えていても意味は無い。行けば分かるのなら行けばいいのだから。
そうして更に3日ほど歩き、2人は森の端に到着したのである。
「これが、獣人の国がある森……常緑の森、ですか……」
見上げるほどの木々が並び、木漏れ日が森の中を薄明るく照らしている。雲の目立つ空だが陽を遮ることはなく、降り注ぐ光に緑の葉が生き生きと輝いている。森に着く少し前から地面に雪はなく、森へ向かって吹く風は冷たいものの、空気そのものは暖かいように感じられた。
「往くぞ」
「はい」
歩き出したアルクラドにシャリーが続く。
常緑の森。
山の如き大樹の下に広がる、決して褪せぬ緑が茂る広大な森。その中へと2人は足を踏み入れるのであった。
お読みいただきありがとうございます。
簡単にでしたが、ラテリア王国での話はここでお終いです。
次話から今章のメインである、獣人の国の話に入ります。
次回もよろしくお願いします。





