聖なる者との邂逅
金髪碧眼。長い髪はフワフワと柔らかく、瞳はくるりと大きく、小さな口は僅かに微笑みを湛えている。
貴人の令嬢の様な外見ながら、その口調、振る舞いは、堂々たる武人のそれである、不思議な少女。彼女は並み居る戦士達の視線を気にも留めず、ライカ達の傍へとやってくる。
「いやぁ、魔物の大軍がドールに攻めてくるっていう話を聞いてね。魔族がいるんじゃないかと慌てて引き返してきたんだ」
そう言いながら、ライカにエリーと呼ばれた少女は、キョロキョロと視線を彷徨わせている。まだどこかに魔族が残ってはいないか、そう言いたげな仕草であった。
「敵はもう残ってねぇよ。みんなが全部、倒したからな」
「そっか、さすがドール軍だね。そうだ、魔族っていたのかな? 誰が倒したんだろう?」
敵はいないとライカが言うも依然視線を彷徨わせるエリー。魔物軍とドール軍の戦いの行く末よりも、魔族がいたのかどうか、それだけが気になっているようであった。
「魔族を倒したのは……」
人の話を聞いているようで聞いていないエリーの態度に、ライカは若干圧倒されつつも、視線をアルクラドへと向ける。その瞬間、目ざとくその視線を追い、エリーはアルクラドへと詰め寄る。
「君が魔族を倒したんだ? どう、強かった?」
アルクラドへと一直線に向かっていくエリーに、肝の冷えたライカとロザリー。しかしアルクラドの倒した魔族のことが気になっただけなのか、と密かに胸を撫で下ろした。
「うむ。強き戦士であった」
「ふーん……死体はどうしたの?」
「灰に帰し、葬った」
エリーの問いに素直に答えるアルクラド。その様子を、エリーは大きな瞳を見開き、射る様にして見つめていた。しかしアルクラドがそれに動じることはない。
「君、名前は? 私はエリー」
「我はアルクラド」
短い問答の後、名乗りを上げる2人。その時、アルクラドの名前を聞いたエリーの雰囲気が和らいだ。
「へぇ、君がアルクラドか。昔、ライカ達とパーティーを組んでたんだってね。私も彼らとは友達なんだ」
令嬢然とした見た目に相応しい、しかしどこか悪戯っぽい笑みを浮かべて、エリーはアルクラドに手を差し出す。
「ライカ達の知り合い同士ってことで、よろしくやろう」
友誼の握手であった。
「うむ」
何をどうよろしくやるのか、あまりよく分かっていないアルクラドであるが、ひとまず差し出された手を握る。自身の魔力が散らされる不快感を覚えながら、それを顔に出さずに握手を続ける。
「へぇ……全く動じないなんて、肝が据わってるね」
表情を動かさずに手を握り続けるアルクラドを、エリーは興味深そうに見つめていた。対してアルクラドは、彼女の言葉を聞き不思議そうに首を傾げている。
「聖者である其方の手に触れれば、こうなる事は当然であろう?」
「古い言い方を知ってるね! 今は聖人や聖女って言うんだけど、見ただけで聖女って当てられたのは初めてだよ。もしかして君も聖人なのかな?」
アルクラドから手を離し、とても楽しげに笑うエリー。その昂揚は表情に出るほどであるが、彼女の興奮っぷりに誰も付いていけず皆置いてけぼりになっていた。
「我は聖者ではない」
「だよね? 君からも聖気は感じるけど、それはその聖銀製の武器からだ。魔力で戦う君がどうしてそんな物を持ってるのか謎だけど、君は聖人じゃない」
聖者、あるいは聖人、聖女とは、聖なるものの加護を受けた者達の中にあって、特に強い聖気を持った加護篤き者を指す言葉である。聖気は魔を払うものであり、強い聖気を持つ彼女に触れられれば、魔力を散らされてしまう。多くの者はそれに驚き慌てて手を離すが、アルクラドはそうしなかった為、彼女の興味を引いたのである。
「エリー……聖女……」
「もしや貴女は……」
ブラム公国の聖女エリー。何かに気付いた様なエピスとヴァイスの声が重なった。
「流石はドール最強の騎士と魔法使い、よくご存じだ」
エピスやヴァイスが優れた戦士として他国にも名を轟かせているように、エリーもまた広く名を知られる者だった。
魔族を狩る聖女、として。
「魔物の侵攻ありと馳せ参じましたが、私の出る幕はなかったようです。しかし魔族が人族の領域を侵す意思を見せたのなら、不可侵はもう意味を成さない。私は南へ向かいます、それでは」
自分の素性を知る2人に畏まった口調で言うエリー。最後に大仰に礼をしてクルリと背を向ける。
「私はもう行くけれど機会があればまた会おう。ライカ、ロザリー、それとアルクラド、じゃあね」
エピス達に礼をしたエリーは、アルクラド達3人にヒラヒラと手を振り、仲間の3人を引き連れて颯爽と立ち去っていった。
突如現れ、一方的に言いたいことだけを喋り、またどこかへと消えていった嵐の様な少女。アルクラドの周りにいた者達は、何が何だか分からないまま、立ち去る聖女の後ろ姿を見つめるのだった。
聖女の乱入という珍事があったものの、ドール軍は無事、王国へと戻り、戦いの後処理を行っていた。
国として戦いの終結と魔物の脅威が去ったことを国内外に報せ、ギルドも各ギルドへの通達と冒険者達への報酬の準備を行った。
そうして国やギルドが忙しく動いている中、冒険者達は大きな依頼をやり遂げた、と王都の至る所で、飲み食い騒いでいた。まだ報酬は支払われていないが、かなり色の付いた報酬が入るからと、持ち金を使い果たす勢いで依頼後の休暇を謳歌していた。
もちろんアルクラドもその1人であり、ライカ達やマーシル達、旧知の者達と大いに飲み食いしていた。
そして騒がしい王都の夜も更け、まだ誰もが寝静まる深夜の時。アルクラドとシャリーは、ギルド長、騎士団長の両名とギルドにいた。
「本当なら陛下直々に御礼を、と仰られておりましたが、急な出立とのことで、私達が代わりに」
戦いの後、すぐにドール王国を立つと言っていたアルクラド達を、エピスとヴァイスが見送りに来ていたのだ。
「依頼の報酬はこうして受け取っている故、礼は不要だ」
本来、国王陛下から直々に礼があるとなれば出発を見送るものだが、アルクラドにそんな常識は通じない。その彼の手には、今回の報酬である、ジャラジャラと硬い音のする重い革袋が握られている。
「ですがアルクラド殿がいなければ我らの勝利はありませんでした。そしてシャリーさん、貴女がいなければ我らの被害は甚大なものになっていました。本当にありがとうございます」
そう言って深く頭を下げるエピスに、ヴァイスもまた倣う。アルクラドに強者と言わしめるほどの敵の存在は予想外であり、ドール軍の勝利はまさしくアルクラドの功績だった。国王からの礼はそれに対するところも大きかったが、やはりアルクラドは礼は不要と言うばかりであった。
「お見送りはご不要でしょうから、私達はここで」
「アルクラド殿、シャリー殿、お気をつけて」
深く礼をするエピスと敬礼をするヴァイスに、アルクラドは無言で頷く。そしてアルクラドがギルドを出る為に踵を返そうとした時、シャリーが足を踏み出しエピスの前に立った。
「エピスさん、私が言うのも烏滸がましいですが、貴女の魔法はとても素晴らしかったです。貴女に負けないように、頑張ります」
真剣な目でエピスを見つめるシャリーに、彼女は優しく微笑みかける。
「エルフである貴女の人生はまだまだこれから。そして何よりも見本となる御方が傍にいるのです。きっと私など及びもつかない魔法使いになることでしょう」
これから100年200年と続くシャリーの人生。アルクラドという存在を知ったエピスは、この時ばかりは自身の老境を悔やみ、彼女の長い命を羨むのであった。
「それでは失礼します」
「ええ、シャリーさんもお気をつけて」
晴れやかな笑顔で互いに礼を交わす2人。その様子を見届け、アルクラドは一足先にギルドを後にするのだった。
そうしてシャリーが遅れてギルドを出ると、そこにはアルクラドと言葉を交わすライカとロザリーの姿があった。
「ライカさん、ロザリーさん。見送りに来てくれたんですか?」
「アルクラドは要らねぇって言うけど、せっかく会えたんだし見送りくらいはな」
「本当は一緒に依頼とかも受けたかったんですけど」
笑顔でシャリーを迎えるライカとロザリーの言葉に、彼女は苦笑いを浮かべる。彼らにくらい見送りをさせてあげればいいのに、と。
「そのシャプロワってのはそんなに美味いのか?」
アルクラドが出発を急ぐ理由は、ラテリア王国のミキアに戻り、シャプロワ料理を堪能する為である。それを聞いたライカ達は呆れつつもアルクラドらしいと思い、またその食材にも興味が湧いたのだ。
「うむ、冬にしか食せぬ物だ。其方らも機会があれば、ラテリアのミキアを訪うと良い」
ミキアの冬の食材であるシャプロワ。まだ冬の真っ只中とはいえ、うかうかしていると春になってしまう。いつまでシャプロワが採れるのかは知らないアルクラドであるが、はやる気持ちを抑えることはできなかったのだ。
「本当ならアルクラド達に付いていきたいけど、俺達じゃ足引っ張るだけだろうし……」
「もうしばらく王都で依頼を受けながら、強くなります」
やや俯き残念そうに言う2人。先陣の中にも選ばれなかった自分達の力不足を悔やんでいるようであった。
「其方らが付いて来ようと来まいと、我はどちらでも構わぬが」
アルクラドにとって、旅の道連れの条件は、気を許した者かどうか。その点でいえばライカ達はその条件を満たしており、後は彼らの気持ち次第なのである。
「アルクラドが良くても、頼ってばっかなのは俺達が嫌なんだ」
「上級冒険者の中でも注目されるくらいになって、やっとアルクラドさんの仲間だって、胸を張れると思うんです」
アルクラドが仲間に強さを求めないことなど、ライカ達はよく分かっている。しかしアルクラドに頼り切りになることを、彼らの気持ちが許さないのだ。
「其方らの考えは良く解らぬが、好きにすると良い。何れ又、会う事もあろう」
仲間だと言うことに周りの目など気にする必要がない、と思うアルクラドだが、彼らが言うのならそうなのだろう、と納得する。アルクラドにとって人間との別れなど、死別を除いて別れではない。再会が何年後、何十年後になろうと、数日後に会うのと変わらないのだから。
「私達は南へ行きますが、寄り道も多いです。もしかしたら案外すぐに、会えるかも知れませんね」
アルクラド達の南へ向かう旅は、未知なる味とアルクラドの過去を探すことが目的だ。ひとまずの目標として、南方にあるかも知れないアルクラドの居城を目指してはいるが、気になるものがあれば引き返すことも厭わぬ旅である。シャリーの言う通り、あまり遠くまで行っていない可能性も充分に有り得るのだ。
「さて、我らはもう往く」
まだ暗い時間ではあるが、もう少しすれば徐々に薄明るい空になってくる。アルクラドは暗いうちにドールを発つつもりであった為、2人に別れを告げ王都の門へと急いだ。
「見送りは不要だと言ったが」
足早に門へと向かうアルクラドに並ぶようにして、ライカとロザリーが同じく足早に歩いている。
「見送りじゃねぇよ。門の外に用事があるだけだ」
「たまたまアルクラドさんと一緒になっただけです」
僅かに眉をひそめるアルクラドに対して、ライカとロザリーがしたり顔で言う。自分達の用事で門の外に行くのだから、それを咎められる謂れはない、と。
「ふむ……そうであるか」
彼らの意図が伝わったのかそうでないのか、アルクラドは2人の同行を認めた。彼らの思惑通り、2人と止める理由がアルクラドにはないのだから。それを見て、シャリーはクスリと笑う。かつての仲間だというだけあって、アルクラドの扱いを分かっている、と。
そうしてドールの外へと着いた4人。空は薄明るくなりはじめ、もうしばらくすれば町の人も起き出す頃であった。
「じゃあな、アルクラド」
「アルクラドさん、お気をつけて」
門を出てしばらくのところで、2人はアルクラドに別れを告げる。街道から逸れ、門番の目から離れたところであった。
「うむ。ライカ、ロザリー、また会おう」
「お2人ともお元気でっ……!」
ライカ達の別れの言葉に返事を返す2人。しかしシャリーの言葉が途切れる。見れば、アルクラドが彼女を小脇に抱えている。
「では、我らは往く」
そう言うアルクラドの黒衣の外套が、突如大きく広がっていき、地面の上で波打っている。2人が驚きから戻らない内に、アルクラドはシャリーを抱えたまま跳びあがった。
未明の空に溶ける漆黒の尖塔が、天へと昇っていく。
そして雲にも届きそうなほどの高さで一瞬止まり、黒衣の外套は大きな羽へとその姿を変え、アルクラド達を南へと運んでいった。
2度とは無いと思われた恐怖の体験が、再びシャリーを襲うのであった。
その様子を唖然と見つめるライカとロザリー。そんな2人の耳に、シャリーの声にならない悲鳴が、遥か上空から聞こえてくるようであった。
お読みいただきありがとうございます。
今話で9章が終わりとなります。
聖女という新たな人物が登場しましたが、今回は少しだけ。
次章以降、メインで出てくる章があると思いますので、再登場をお待ちください。
次話は閑話となり、次章へと移ります。
次回もよろしくお願いします。





