魔王の右腕
死臭漂う磔の森を歩く黒衣の麗人。
身体の内側から幾本もの杭が飛び出した魔物や魔獣は、腸をぶち撒け大きな血溜まりを作り、絶命している。鼻を押さえ目を塞ぎたくなる様な景色の中を、アルクラドは悠然と歩いていく。敵方の中で最も強い者の下へと向かっているのだ。
アルクラドは自身の様子を窺う魔物や魔獣の目を気にすることなく、ただ前を向き歩を進めている。アルクラドが1人で魔物軍を倒してしまうとドール軍の戦士達の面目が立たないから、とエピスに余り手出しをしないように言われている為である。自身の獲物は敵方最強の相手だけと決め、傍を通り過ぎる魔物達を見逃しているのである。
しかし全ての敵を見逃すわけではない。自身へと牙を向けたものを見逃すことはなく、アルクラドに向かっていった魔物達は銀の一閃のもとにその命を断たれていった。中途半端な力を持つものが愚かにもアルクラドに歯向かい、アルクラドの通った後には巨大な魔物や異形の魔獣の屍が連なっていた。
そうして磔の森を抜けると、もうそこに魔物達の姿はなかった。万に及ぶ魔物達はその大半が討たれ、残りも後陣の戦士達と戦いを始めていた。そんな魔物のいない広い平野に、2つの人影があった。
その人影の背丈は人間と同じほど。しかしそれらの持つ魔力は、人間とは比べ物にならないほど大きいものであった。1人は黒い髪を短く切りそろえた細身の青年であり、その魔力はエピスであれば問題ない程度であった。しかしもう1人の、白髪を撫でつけた身体の分厚い老人の魔力は、エピスすら凌駕する膨大なものだった。この老兵がアルクラドが獲物と定めた相手であった。
「其方が、この軍の将であるか?」
声が届くに十分な距離のところで立ち止まり、アルクラドは白髪の老人に尋ねる。
「……儂は、魔王様よりこの国落としを命ぜられた、アルバリと申します」
驚きに目を見開いていた老人はアルバリと名乗り、アルクラドへと深い礼をした。隣の青年は未だ驚きから立ち直っておらず、呆然としたままアルクラドを見つめている。
「我はアルクラド。ドールの守手として敵の最も強き者を殺しに来た」
アルバリの名乗りに応え、アルクラドは彼へと聖銀の剣を向ける。対するアルバリは狼狽えることなく、やや視線を下へむけつつもアルクラドの様子をじっと窺っている。そして慎重に言葉を選び、アルクラドに問いかける。
「アルクラド様は何故、それほどの御力を持つ魔族であらせられながら、人間の護り手などを……?」
敵に対するものとしては不自然な態度と言葉遣い。しかしアルバリは理解しているのだ。アルクラドが魔王と同じように、自分達とは隔絶した力を持つ存在であるということを。
「人族の国に暮らす上での成り行きに過ぎぬ。知己の者に国の守護を頼まれた故、其方を討ちに来たのだ」
「成り行き……であれば我らにその御力をお貸しいただけませんか? 貴方様の御力があれば世界を統べるのも容易いこと。魔王様もお喜びになられます」
アルバリは考えた。自分達の王をも害し得る力を持ったアルクラドと、敵対してはいけない、と。そのような力を持つ者など、王以外誰も対処することなどできないのだから。
「断る」
「何故、でしょうか……? 魔王様の統べられる世界は、魔族の為の世界となるのですぞ?」
アルクラドの答えは、アルバリにとって全く予想外のものであった。これほどの力を持つ魔族が人族を特別に思っているはずもなく、断られるとは思いもしなかったのである。また力のある魔族の多くは、人魔大戦を再び引き起こすであろう魔王の考えに賛同した。それに異を唱え魔界を去った者もいるが、それらは大して力も持たない腑抜けであり、強者が大きな戦を喜ばないはずがない。そんな思いもアルバリにはあったのである。
「魔王とやらが統べる世界に興味はない。誰がこの世の王となろうとも、我にとってはどうでも良い事である故な」
この世が誰の治世であるかなど、アルクラドがこの世界で暮らしていく上で何の問題にもならないのである。歯向かう者は殺す。この決まりに魔族も人族もないのだから。
「だが、多くの者が命を落とす事は、我にとっても都合が悪い。故に大戦を始めると言うのであれば、我は魔王とやらの敵となるであろう」
加えて未知なる味を求めるアルクラドにとって、命の数はその未知の数に等しい。命が失われればその分、未知を知る機会が消えていく。封印から目覚めたばかりであればいざ知らず、今のアルクラドにはそれを看過することはできなかった。
「……どうあっても魔王様の下へ、いらしては下さらぬのですな」
短い問答の中でアルバリは、アルクラドの揺らがぬ意思を感じ取っていた。アルクラドを説得し魔王の陣営を引き込むことができないということも。
「ところで1つお聞きしたい。アイレン、アヴェッソと言う名の魔族をご存じですか?」
頷くアルクラドに対して、アルバリは言葉を重ねる。彼が尋ねたのは、かつてアルクラドが倒した魔族の名だった。
「うむ。その者らであれば、我に歯向かった故、殺した」
事も無げに答えるアルクラドに、アルバリは得心のいった様な表情で頷いていた。
「なるほど……あの者達と連絡が取れずどうしたことかと思っておりましたが、貴方様と剣を交えたのですな」
魔族の中でも力を持つアイレンやアヴェッソが人族に討たれるはずもなく、一体何があったのかとアルバリを始め、魔王軍の魔族達は考えていた。しかしアルクラドとの戦いになったのであれば仕方がない、とアルバリは納得していた。
「……アリントよ」
しばし考えを巡らせた後、アルバリは傍にいる魔族へ声をかける。
「急ぎ魔界へ戻り、今この場で見聞きしたことを魔王様へお伝えするのだ」
アルバリはよく理解していた。アルクラドと敵対することになった以上、自分達がこの場でできることは何もない、ということを。国を落とす為の戦いにおいては既に大敗を喫し、強大な力を持つアルバリが単身乗り込み一矢を報いることもできない。もし何かあるとすれば、それは今得た情報を自分達の王の下へ持ち帰ることだけだった。
「アルバリ様、しかしっ……!」
「この御方は儂でも敵わぬ。お前の力では瞬きの間も生きてはいられまい。早く行けっ!」
狼狽えた様に視線を彷徨わせるアリントを、アルバリが怒鳴りつける。一瞬身体を強張らせた後、弾かれた様にアリントは駆け出した。
「アルバリ様っ、ご武運をっ!!」
アルバリの無事を祈りつつ駆けていくアリントの姿を、アルクラドはただ見つめていた。
「追われぬのですかな?」
アリントに対し追いかける素振りも、敵意さえも見せないアルクラドに、アルバリは問う。
「我が殺すのは其方だけである。我に歯向かわぬのであれば殺しはせぬ」
「それは僥倖……」
アルクラドがアリントを追わぬことに、アルバリは安堵のため息を吐いた。自身とは隔絶した力を持つアルクラドを前に、一体どれだけの時間を稼ぐことができるか、分からなかったのである。だがアルクラドが手を出さないと言うのならただ戦うことにだけ集中できる。
「今より300余年前……まだ幼く力のなかった儂は、かの大戦に加わることが出来ませんでした」
アルクラドを見据えたまま、アルバリはポツリポツリと昔語る。
「当代の魔王様にお仕えし、命尽きるまでに再び起こる大戦に身を置くことができればと思っておりましたが……貴方様になら儂の全てを出し切ることが出来るでしょう」
静かに語りながら、アルバリは魔力を巡らせていく。生来大きな魔力を持つ魔族の中にあっても、特別に大きな魔力を。
「我が名はアルバリ。魔人に名を連ねる者にして、魔族を統べる王の右腕。胸をお貸しいただきたく存じます、アルクラド様」
景色が歪むほどの魔力を纏い、構えを取ったアルバリが言う。その名乗りにアルクラドが応える。
「我が名はアルクラド
闇夜を支配する者にして、陽の下を往く者
悠久の時を生くる者にして、血を飲み啜る者
吸血鬼にして、その始祖たる者なり」
名乗りと共にアルクラドの魔力が広がっていく。それに圧倒されながら、アルバリは驚きつつもどこか愉快気な声で笑う。
「何と因果なっ! しかし魔王様は決して負けはしない。魔王様の統べる世界の為、その御命、欠片でも削らせていただく!」
言うと同時にアルバリは駆け出した。
最強の吸血鬼と魔王の右腕の戦いが始まったのである。
凄まじい強度の魔力強化。足が地面に沈み込む程の踏み込みから、砲弾が飛び出す様な拳が繰り出される。
踏み込みの力を余すことなく伝えた、人間など容易く粉微塵にしてしまうアルバリの拳を、アルクラドは事も無げに受け止める。
「はあぁ!!」
しかしアルバリは一切狼狽えることなく、裂帛の声と共に魔法を発動させる。彼の右腕が燃え上がり、それがアルクラドへと襲い掛かる。炎が消えると無傷のアルクラドが姿を現した。しかし掴んでいたはずのアルバリの手は、アルクラドの手の中になく、両者は再び距離を取っている。
「かの大戦の頃より生きているだけはある。今まで会うた者の中で、其方は一番の魔法の使い手であるな」
アルクラドはアルバリから感じる魔力を元に、彼の攻撃に耐えうるだけの魔力強化を自身に施していた。しかしアルバリはその強度以上の魔法を放ち、アルクラドの腕を消し飛ばしたのである。それも無詠唱魔法を用いながら。
「お褒めに与り恐悦至極。しかし吸血鬼の始祖とは言え無傷とは、何たる理不尽……」
何の含みもないアルクラドの称賛に対して、アルバリは冷や汗を浮かべながら無理やり笑みを作る。あの程度の魔法で殺せるとは思っていなかった。傷を与えても再生されるだろうと思っていた。しかし腕を消し飛ばす様な傷が、瞬きの間に治ってしまうとは思いもしなかったのだ。
「だがその魔法では我を殺せぬ」
予想を遥かに超えたアルクラドとの力の差に愕然とするアルバリに向かって、アルクラドはゆっくりと歩き出す。苦し紛れに再び炎を放つが、聖銀の剣に切り払われ、アルクラドに届くことなく霧散していく。辺りに一瞬満ちる聖なる気配に、アルバリは不快げに唇を歪めた。
「何故、貴方様がその様な物を?」
冷たい光を放つ細剣を忌々しげに睨むアルバリ。何故魔族であるアルクラドが、自分達の天敵である聖銀でできた剣を持っているのか、何一つ理解できなかった。
「これは我の胸を貫き我を封じていた物。扱いが良い故、目覚めた時より使っておるのだ」
アルクラドの答えを聞いて、アルバリはますます分からなくなってしまった。魔を散らす聖銀で胸を貫かれれば並みの魔族はおろか、吸血鬼であっても死んでしまう。加えて常に魔を散らすような剣が、扱いやすいはずがない。普通であれば身に着けるどころか、傍に置くことさえ避けるはずである。
そんなアルクラドをアルバリは信じられないものを見る目で見つめていた。アルクラドが自分達とかけ離れた力を持っていることは理解していた。しかしその理解が全く浅かったことを今、思い知った。魔王を害し得るどころか、彼でさえ敵わないのではないか。そんな思いがアルバリの頭に過っていたのである。
「アルバリよ、もう終いであるか? でなければ掛かって来るが良い。魔人の戦士の戦い、確と見届けてくれよう」
彼我の力の差に絶望しかけていたアルバリに、戦いを続けるのか、と問うアルクラド。胸を貸すと言ったその言葉を律義に守っているのだ。
その言葉を聞き、アルバリは思った。こちらが死力を尽くして戦う限り、この男は自分を殺すことはない、と。それが理解できた。故に、どこまでも粘り一矢報いてやろう、と。それが自らの王を助けるのだ、と。
同時に身体の内に、何か滾るものを感じた。この理不尽な吸血鬼に一矢報いるには、今のままでは駄目だ。今よりも強くならなければ、傷1つ残すことはできない。ならば強くなってやろう。停滞し衰退を待つばかりの老境にあって、今一度、1つ上の段階へと至ってやろう。
そんな思いが、アルバリの胸の奥で沸き上がっていた。
「偉大なる吸血鬼の始祖よ……貴方様を殺してご覧に入れましょう」
強い言葉で己を奮い立たせ、絶望を振り払い、再び魔力を巡らせるアルバリ。爛々と輝く黒の瞳が、アルクラドを見据えていた。
「魔人の老兵よ。その生の幕に恥じぬ戦いを見せてみよ」
同じく魔力を巡らせ、手を広げ悠然と構えるアルクラド。
2つの膨大な魔力のぶつかり合いが、再び始まるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
少しずつ魔王のことが分かってきましたが、彼の登場はまだ先になります。
次で老兵との決着、あと少しで今章は終わりとなります。
次回もよろしくお願いします。





