約束と再会
困ったことになった、とドール王国ギルド長のエピスは、深いため息を吐いた。
国外の各地から、魔物が急増し今まで見たことのない凶悪な魔獣などが目撃されているという報告が、それらの魔物達がドール王国へ向かっているという情報と共にもたらされた。
それらに対応する為、忙しく動き回り、あれこれと手を回し、何とか魔物達を撃退する算段が立った。そして王国の勝利をより確実にする為に、計り知れない力を持つ冒険者を探し助力を得る為にも手を尽くした。後は万全の態勢で戦いに臨むだけだった。
そんな時に、思っても見ない報せが、隣国のラテリア王国から届いた。
オークキングとオークの軍勢が北へ向かっている、ラテリア王国でも討伐を試みるが、もしもの時は備えて欲しい、というものだった。
最悪の報せであった。
オークキングと言えばその昔、オークの軍勢を率い国を1つ壊滅状態に陥れた伝説の残る、凶悪な魔物である。エピスもその恐ろしさを直に知っているわけではないが、生半可な戦力では討伐できないことは目に見えている。魔物を倒す為の戦力が分断される形になり、より多くの戦死者が出るだけでなく、下手をすれば戦いに敗れてしまうかも知れない。
どうすればいいか、考えて考えても、良案は思い浮かばなかった。歳と忙しさと悩みのせいで疲れが取れず、考えが上手くまとまらなかった。
オークキングの報せを受けてから数日が経ったある日。この日もエピスは、日が沈んでから何刻も経ってから、ようやく眠りに就くことができた。1日の内で悩みから解放される貴重な時間だ。しかしギルド内で寝泊まりする彼女は、少しも眠らない内にギルド員によって起こされれてしまった。
頭は霞がかかったようであり、瞼は酷く重かったが、ギルド員の報告を聞いた瞬間に、彼女の意識は完全に覚醒した。眠気も吹き飛び、同時に彼女の憂いの全ても消え去ったのであった。
「アルクラド殿。随分と早く来ていただけましたが、ドール国内にいらしたのですか?」
ギルド内のギルド長の部屋に場所を移し、エピスは先程の質問を繰り返す。
彼女がアルクラドを探すように各ギルドに連絡を入れたのが、10日程前。国内外に報せが行き届くのに1日から3日ほどかかる。そこからアルクラドに報せが届く時間を考えると、彼が移動にかけることができた時間は長くて7日であり、もっと短かったかも知れない。その為、ドール国内、もしくは国境付近にいたのではないかと、エピスは考えていたのだ。
「ドールではなく、ラテリアに居た」
「ラテリア王国に行かれていたのですね。全ての町を知っているわけではありませんが、ノルドの辺りでしょうか?」
「ノルドではない。ラテリアである」
「えっ……?」
アルクラドとエピスの間に、ラテリアという言葉に対する認識の齟齬があった。アルクラドが1つの都市を表す言葉として使っていたのに対し、エピスは国全体を表すものだと捉えていた。王都ラテリアまでは7日では辿り着くことができない為、エピスがラテリア国内と捉えたのも無理はない。
「王都ラテリアから、戻られる途中だったのですか……?」
「オークキング討伐の報酬を得る為ラテリアに往き、そこで其方からの報せを受けたのだ」
「ラテリアで……? えっ……オークキング? 討たれたのですかっ!?」
アルクラドの口から出てくる予想だにしない言葉の数々に、エピスは混乱状態に陥った。
まずラテリアの王都からドールの王都までを、7日で行き来できるはずがない。また大きな悩みの種であったオークキングが討たれたことはめでたいが、そうするとアルクラド達の移動時間が更に短くなる。エピスがオークキングの報せを受けたのが4日前であり、そこから考えるとアルクラドは2日やそこらで、ラテリアからドールへ来たことになる。
「オークキングを倒されたのですね。それはいつのことですか?」
「4日前である。討伐後、2日かけてラテリアへ向かい、そこからドールへ来たのである」
エピスは増々分からなくなってしまった。4日前にオークキングを倒し、その2日後にラテリアで報せを受けた。そうなると、2日そこらでドールへやってきたことになってしまう。
「あの、どうやってここまで来たのですか?」
「飛んで来たのである」
飛んで来る。
本来であれば、空を飛んでやってくるほど急いでいることを表すことばである。しかし急いだところで2日では、ラテリアとドールを行き来はできない。エピスはアルクラドの言葉が理解できず、同じ言語を話しているはずなのに、全く知らぬ言葉を聞いている様な錯覚に陥った。
「あの、アルクラド殿は何と仰っているのですか?」
エピスはわけが分からなくなり、シャリーに助けを求めた。一緒に旅をしている彼女であれば、表情の読めない黒衣の麗人の考えを理解しているのだろう、と期待して。
「はい。ラテリアから飛んで来たんです」
しかしシャリーから返ってきたのはアルクラドと同じ言葉だった。その視線は天井に向けられている。釣られて視線を上に向けるエピスが、ハッとしたように何かに気付いた。
「もしかして、空を……?」
「はい、飛んできました」
抑揚のない声で言うシャリーの目は、どこか虚ろだった。
まさか、とエピスは思う。確かに鳥の様に空を飛んで来ることができれば、2日でドールまで来ることができるだろう。実際、連絡用の鳥は1日で、人が歩く何十倍もの距離を飛ぶ。だが人が空を飛ぶことなどできないだろう、と思い、しかしアルクラドならやりそうだ、と思い直した。
「そうですか……とにかく早く来ていただいて何よりです」
エピスはこの件について、もう考えることを止めた。それよりも魔物の襲撃の前にアルクラドがドールに来たことを喜び、その戦いに向けてのことを考えることにした。
「オークキングを討たれたとのことですが、もう後ろを心配する必要はないと考えてもいいでしょうか」
「うむ。オークキングが率いた500のオーク共も、ラテリアの討伐隊が討った故、恐らく南方より魔物は来ぬであろう」
「そうですか」
これで西側から来る魔物達に集中することができると、エピスはホッと息を吐いた。
険しいドール山脈は王都を守る自然の防壁であるが、その分、外敵への備えは乏しい。普段からろくに警備を置いておらず、今回のように予め襲撃を察知することができていても、そもそも戦力を展開できる場所がない。単に戦力を分断されるだけでなく、そういった意味でもアルクラドがオークキングを倒したことは、ドールにとっての僥倖であった。
「オークキングは如何ほどの強さでしたか? 我ら人間の中にそれを見た者は既に亡く、その力を知る者はいないのです」
「其方であれば、殺せるであろう」
問いに対してすぐに返ってきた答え。その言葉の意味を、エピスはよく考える。
アルクラドの言葉を信じれば、オークキングは自分より弱いことになる。ただ問題なのは、自分と比べてどれだけ弱いか、である。もしその力が著しく劣っているのなら問題はないが、僅差であればかなりの問題である。
「私であれば、ですか……シャリーさんでは倒せたのでしょうか?」
そう言って、エピスはアルクラドと共に旅をする少女に目を向けた。彼女の持つ魔力は膨大で、エピスの持つそれよりも大きい。しかし戦いとなれば、自分が勝つであろうと、エピスは考えていた。そんなシャリーが倒せないとなれば、オークキングの力は相当のものだと言える。
「シャリーでは殺せぬ。内に眠る力で言えば、其方より上であろうが」
シャリーが悔しそうに俯くのと同時に、アルクラドがそう言う。嫌な方向に予想が外れ、エピスは眉間にしわを作る。
「それほどの強さですか……攻めてくる魔物の中に、それに匹敵するものがいなければいいのですが……」
エピスでしか倒せないような魔物がいれば、それだけで戦局は大きく変わる。アルクラドがいる時点で負けることはないが、多くの死者が出るかも知れない。
「オークキングは魔王とやらの差し金であった。彼奴に近しい魔物も居るやも識れぬな」
オークキングは魔王に協力しドールへ攻め入るつもりであった。また魔王が挟撃という策を弄している、とも言っていた。一体何を挟み撃ちにするのか、その時は深く考えず聞き流していたが、ドールを攻める為の策であったのだろう、とアルクラド達は今になって思い至った。
「魔王……王宮に攻め込んできた魔族も、その手下でしたね……かなりの強敵が居ると考えて、気を引き締めないといけませんね」
エピスも、王宮で起こった魔族襲撃の顛末は聞いている。王国の都を落とそうと魔族を送り込み、オークキングをけしかけた魔王である。正面から迫りくる魔物の軍勢が、ただの寄せ集めであるとは考え難かった。
「それで、魔物共は何時攻めて来る?」
しかしアルクラドにとっては、敵の強さなど関係ない。等しく全てが弱者であり、向かって来るもの全てを薙ぎ倒すだけなのである。魔物がいつ王都に来ようが問題はないが、どうせなら早く来てくれる方が良かった。できるだけ早く魔物を倒し、ラテリア王国のとある町に戻りたいと考えているからだ。
「後2日の内にドール国内へ入り、そこから王都まで10日かかる予想です。我々も数日のうちに出立し、西の平野で迎え撃つつもりです」
王都から3日のところに大きな平野があり、そこで陣を構え魔物の軍勢に対するつもりであった。
「一部の力ある者達が先陣を切って強力な魔物や魔獣を倒し、魔法使い達がその他の敵を一掃。討ち漏らしは残りの冒険者や兵士達で対処します。アルクラド殿には、先頭で強敵との戦いをお願いしたいと考えています」
数千は下らないと見られていた魔物の数は、今や万を超すほどにまでなっていた。魔物の襲撃を知ってから時間があったとはいえ、そこまでの戦力を用意することはできなかった。しかしその万に及ぶ敵の全てが強力なわけではなく、軍勢の多くを占める弱い魔物は大規模な魔法で一網打尽にするつもりであった。
「魔法でそれだけの魔物を倒せるんですか……? 1万なんて途轍もない数だと思いますけど……」
エピスの作戦を聞き、シャリーはそれで大丈夫なのか、と思う。魔法使いの中でも上位にいるシャリーであっても1度の魔法で倒せる敵は100や200程度。それも魔力の全てを注ぎ込む様な魔法を使ってである。人間の魔法使いであれば、倒せる敵の数は100にも満たず、いくら魔法使いを大勢集めたとしても、万には届かないだろうと思われた。
「確かに魔物の数は甚大です。しかしドール王国の魔法士団には優秀な者が大勢います。自分で言うのも何ですが、かつて王国屈指の魔法使いと呼ばれた私が鍛えた者達です。全てとは言わずとも、多くの魔物を打ち倒してくれることでしょう」
そう言ってエピスは不敵な笑みを浮かべる。彼女が冒険者として現役を引退した後、王国の魔法士団の指南役となった時期があった。暴虐の魔女と呼ばれた若かりし頃よりは丸くなったものの、その訓練は苛烈で非常に厳しいものであったが、その分指導を受けた魔法使い達は高い実力を身につけていった。そのおかげで魔法士団の実力者達は、今でもエピスに頭が上がらないと言うが。
「お2人には縁遠いものかも知れませんが、集団には集団の戦い方があります。戦場でそれをお見せしましょう。さて、出立までには時間がありますので、旅の疲れを癒してください。よろしければ、こちらで宿を手配しますよ」
アルクラドの参戦の意思を確認することができたので、この日はこれ以上話すべきことはなかった。後は万全の態勢で出陣できるよう、身体を休めてもらえればそれで良かった。エピスはシャリーのことも戦力として期待しており、疲労が目に見える彼女にはゆっくりと休んでほしかった。
「うむ、宿の手配は頼む。依頼が始まるまで、我らは王都の料理を食して待っていよう」
アルクラドの方でも特に聞くことはなく、時間の許す限り、久々に王都の美味なる食事を堪能しようと考えていたのである。
「分かりました。それと、陛下も貴方にお会いしたいと仰られていました。遣いの者が来ると思いますので、断ったりしないでくださいね」
王国の危機に際して、アルクラドに助力を願ったことは国王も知っており、アルクラドが見つかればすぐに知らせるように、との命が下されていた。
「うむ。食事が用意されているならば向かおう」
「ふふっ、その様に伝えておきます」
半ば予想通りの反応に、エピスは笑みを漏らす。
「それでは今日のところはこれで」
「うむ」
そう言って互いが椅子から立ち上がろうとした時、不意にアルクラドが視線を部屋の外へと向けた。
「どうしたんですか……?」
「客だ」
「客……?」
アルクラドの言葉に、シャリーとエピスが揃って首を傾げる。アルクラドは徐に立ち上がり、扉を開け、部屋から出ていく。しかし扉の向こうには人の姿などなかった。
その様子を不思議に思いながら2人は後に続く。
確かな足取りでギルド内を歩くアルクラドは、どうやら受付の方へと向かっているようであった。そこへ近づくにつれて、シャリーとエピスの耳に、何やら揉めている様な男女の声が聞こえてきた。
「あいつは俺達の仲間なんだ、会わせてくれよ!」
「お願いします!」
「ですから、その方はギルド長とお話をされています。それが終わるまで待ってください」
2人の少年少女が、ギルド員に詰め寄っていた。その姿を見てエピスは、おや、と思う。
「あの2人は確か……」
アルクラドを確実に呼び寄せる方法があると豪語していた2人であった。
そんな2人の下へアルクラドは向かっていく。それに気づき、少年少女が彼を振り返る。
「アルクラド!」
「アルクラドさん!」
ギルド員への苛立ちがたちまち消え去り、喜色満面の様子でアルクラドの名を呼ぶ。
「やっぱり来てくれたんだな!」
アルクラドの傍に駆け寄って来た少年が、笑いながら無遠慮にアルクラドの肩を叩く。少女もその横に立ち、アルクラドのことを嬉しそうに見ている。
「我は嘘を好まぬ。其方らの名を見た故、来た」
対するアルクラドは迷惑そうにはせず、変化に乏しい顔に僅かながら懐かしさを浮かべていた。
「ライカ、ロザリーよ」
そうしてかつてパーティーを共にした2人の名を、アルクラドは呼ぶのであった。
お読みいただきありがとうございます。
今章、活躍するかは別として、色々と懐かしい名前が出てくると思います。
次回もよろしくお願いします。