閑話 ~アルクラドとシャプロワ料理の名人~
オークロードを倒した翌日、オークキング討伐の為に王都へ赴く前に、アルクラドとシャリーはウッカー知り合いの家に向かっていた。料理上手だというその人物に、美味しいシャプロワ料理を作ってもらう為である。
2人の前を歩くウッカーは、小袋の中に十数個のシャプロワを持っている。この日の朝、夜明けと共に森に入り、大量に採ってきたものの一部だ。香りを食べるシャプロワは、1個あればいくつも料理が作れる為、小袋1つ分でもかなりの量である。
ウッカーが2人を案内したのは、町の中心部にある1つの宿であった。
「この宿の主である女性の作る料理はどれも絶品で、シャプロワ料理も美味しいですよ」
そう言って、ウッカーは扉を叩き、ゆっくりと押し開けた。
「いらっしゃいませ。あら、ウッカーさん」
1人の妙齢の女性が、笑顔で3人を迎えてくれた。穏やかな雰囲気と柔らかな声を持つ、美しい女性だった。彼女がシャプロワ料理を作ってくれる、料理上手の人であった。
「こんにちはっ、ミトレスさんっ」
ウッカーが少し上ずった声で挨拶を返す。
「今日はどうしたんですか? どうぞ座ってください、後ろの方もぜひ。森の騒ぎのせいでご覧の通り……お話相手ができて嬉しいわ」
客の1人もいない宿の中を見渡して、彼女は笑った。目を惹く明るい笑顔だが、どこか翳りがある様子でもあった。
「じ、実は、シャプロワをたくさん採ることができまして、よければお分けしようかと思いまして……」
落ち着かない様子で言いながら、ウッカーは持ってきた小袋をテーブルの上に置く。そして包みを解き、豊かな芳香を立ち昇らせるキノコを取り出した。
「あらあら、まぁまぁ……森は危険でシャプロワは採れないんじゃ……?」
ミキアの住人であれば、大量に出現するオークのせいで森に入れず、シャプロワが採れないことは良く知っている。それはもちろんミトレスも同じであり、見慣れたキノコの姿をマジマジと見つめている。
「こちらの2人に護衛をしてもらい、森に入ったのです。ほとんど誰も森に入っていなかったので、この数日で去年よりたくさん採れましたよ」
「まぁ、それはすごいわ!」
胸の前でポンと手を打ち鳴らせて驚くミトレスに、ウッカーはカリカリと頭をかく。
「けれど、私だけで独り占めするのもきまりが悪いので、仲間や知人に分けようと思ってるのです」
「それは嬉しいわ! うちのお客さんも楽しみにしてる人はいっぱいいるし、去年より高くても買いますよ」
シャプロワは町の名産であり、冬になればその味を求めてやってくる者も多い。ミトレスの宿にもシャプロワ料理を目当てにしている常連はおり、彼らの為にも多少無理をしてでもシャプロワを手に入れようと、ミトレスは思っていた。
「い、いえ、お金は頂こうとは思っていないのです」
「えっ? でも、タダでもらうわけには……」
いつ森に入ることができるか分からない状態において、皆がシャプロワを欲している。その中で自分だけが無料で譲ってもらうのは、気が引けたのだ。
「お金は結構ですけど、タダというわけじゃ……条件と言うか、そのようなものがあります」
「条件……?」
穏やかな笑みを崩さないミトレスの声に、ほんの僅かの険が籠る。
「この方達に、美味しいシャプロワ料理を作って欲しいのです」
ウッカーはアルクラドとシャリーを指してい言う。
「…………えっ、それだけ?」
余りに簡単な条件に、身構えていたミトレスは、気が抜けた様な困惑した様な表情で言う。
「はい。この数日で大量のシャプロワを採れたのは、このお2人のおかげです。そのお2人がシャプロワ料理を食べたいと言うので、町一番の料理上手にお願いしようかと思いまして」
ウッカーは、ことのあらましをミトレスに伝える。アルクラド達の護衛のおかげで、たくさんのシャプロワが採れたこと。仲間や知人にシャプロワを分ける代わりに、アルクラド達に美味しいシャプロワ料理を用意すること。など。
ミトレスは信じられない様な目でアルクラド達を見て、そしてウッカーに視線を戻す。やや俯き加減に一点を見つめるウッカーを見て、彼女はニッコリと笑う。
「そういうことなら、ぜひ料理をご馳走させてくださいな。腕によりをかけて作らせてもらうわ」
ミトレスは勢いよく立ち上がり、自分の腕をポンポンと叩いた。
「あの、これ……香りを乗せた卵と塩です。昨日の夜からなので、ちょうどいい頃です」
そんなミトレスに、ウッカーはシャプロワの香りを付けた卵と塩を、シャプロワと一緒に渡す。
「さすがウッカーさん! ちょっと待っていてくださいね」
ミトレスは食材を受け取ると、宿の奥の厨房へと駆けていった。
「どういうお知り合いなんですか?」
その後姿を見送るウッカーに、シャリーが尋ねる。どうも常連客とは違う様子だと感じたからだ。
「彼女は、私の親友の奥さん、でした」
「でした?」
少し間を開けた言い方に、シャリーは首を傾げる。
「数年前に夫を亡くして、それから1人でこの宿を切り盛りしています。初めはかなり塞ぎ込んでいましたが、今ではああして笑顔を見せてくれます」
そう言ってウッカーは、穏やかで優しい笑みを浮かべる。
「なるほど、そういうことですか」
シャリーは納得した様子で頷いている。
「頑張ってくださいね」
「な、何をですか……?」
突然のシャリーの励ましに戸惑うウッカー。それに応えることなく、シャリーは意味ありげに笑うだけだった。
そうしているうちに、奥の厨房からフワフワと良い匂いが漂ってきた。そのほとんどが肉や野菜の甘い香りであり、シャプロワの香りはごく僅か。しかしとても食欲を誘う香りであり、3人の腹が、早く食事を寄越せと暴れ始めた。しかしここで急いても意味はない。主張の激しい腹の虫を抑えながら、3人は料理の到着を待つのであった。
「お待たせしましたっ!」
アルクラド達3人が待ち望んだ声が、宿の奥から聞こえてきた。鼻腔をくすぐる魅惑的な香りと共に
「あり合わせの食材で作ったので、簡単なものしかできませんでしたけど」
そう前置いてミトレスがテーブルに置いたのは、ウッカーの家でも食べた、シャプロワの包み焼きであった。
ウッカーの家で食べたそれは所々に黒い焦げがあり、お世辞にも良い見た目とは言えなかった。しかしミトレスの作った包み焼きは、見事なまでに鮮やかな黄色一色。焦げなどなく、皿に触れるだけでフルフルと揺れる包み焼きは、極上の柔らかさを予感させた。
スプーンを差し入れると、表面に1層だけ薄い膜があるかの様な抵抗があり、それを越えると泡を切る様にスプーンが沈んでいく。
切れ目から液体とも固体ともつかない卵がこぼれ、それと同時にシャプロワの魅惑的な香りが広がっていく。
頭の奥が痺れる様な感覚。
包み焼きから漂ってくるシャプロワの香りは、ウッカーの家で食べたものよりも強い。しかし強くありながらどこか優しげで、甘美な香りの奥に微かな清涼感があり、その品を高めていた。
そして口に含めば、卵は滑らかのひと言に尽きる。焼けた卵のボソボソした食感は一切なく、フワフワとしていながらトロトロとしており、ひたすらに滑らか。滑る様にして、舌から喉、喉から腹へと落ちていく。
ウッカーの言った通り、同じ料理であっても全く別物の料理になっていた。
「美味だ」
「美味しいっ!?」
まさかここまで料理の味が別物だとは思っていなかった2人。アルクラドは分かりづらいが、シャリーは分かりやすく驚いている。
「お口に合ったようで良かったです」
パクパクと料理を食べ進める2人を見て、ニッコリと笑うミトレス。
「ウッカーさんも、いかがですか?」
「あ、はいっ……やっぱり、ミトレスさんの料理は美味しいです」
「ありがとうございます」
ウッカーは2人と対照的に、ゆっくりと噛みしめる様に料理を味わっていた。
「次の料理をお持ちしますね」
そう言ってミトレスは厨房へ下がり、次の料理を持って戻ってきた。
「お待たせしました。シャプロワのブレートです」
出てきたのは、運んでいる最中からシャプロワが強く香っている料理だった。薄切りにしたシャプロワが添えられているのは、豆の様な形の白く丸い物がいくつも皿に乗った料理だった。
「茹でて潰した芋と小麦の粉、卵を練って、ひと口大に丸めた物をブレートと言います。中に刻んだシャプロワを練り込み茹でたブレートに、牛の乳で作ったソースをかけています」
料理の説明を聞きながら、3人は一斉にブレートを掬う。食べる為に開いた口により多くの香気が入り込み、それに急かされる様にしてブレートを口へと運ぶ。
ブレートはプルプル、モチモチとした食感で、ツルツルとした滑らかなのど越しをしていた。芋の甘味を感じる優しい味わいで、控えめな塩味がそれを引き立てていた。ブレート自体は淡泊な味わいだが、牛の乳のソースは濃い味付けで作られており、それが見事に調和し食べ応えのある料理になっていた。
素朴な郷土料理ながらこれだけでも十分美味しいと思えるものであったが、シャプロワが加わることで香りや味がとても格調高いものとなっていた。芋とシャプロワに共通する土に似た香りが互いを高めあい、ソースもシャプロワの刺激的な香りのおかげで乳臭さがなくなっている。
「美味だ」
「美味しいです!」
王宮で出されてもおかしくない様な味わいに、2人は問われるまでもなく料理の感想を口にした。
「ブレートは私も作りますが、この食感は出せません。火の通りも絶妙で、本当に美味しいです」
ミキア周辺の住人であればブレートは食べなれているが、やはり作る者の腕で味が変わるようで、ウッカーはミトレスの料理を絶賛する。
「ありがとうございます。最後の料理がそろそろ焼きあがりますので、もう少しだけお待ちください」
ミトレスはアルクラドとシャリーの食べる様を嬉しそうに見ながら、再び厨房へと戻っていった。ウッカーはしっかりと味わうようにゆっくりと食べていたが、2人は食欲の赴くままにパクパクと食べていた。その為、2人の料理はもうなくなっていた。
空になった皿を惜しむ様に見つめるアルクラドとシャリーの鼻に、パンの焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。それに反応し厨房に目を向ける2人。その様子を見て、2人に遅れてパンの香りに気付いたウッカーが、得心がいった様に頷く。
「これはミトレスさんの得意料理です。きっと驚くと思いますよ」
添え物としてパンでも焼いているのかと思っていたアルクラド達だが、どうやら違うらしく、今日の料理の主役のようであった。シャプロワの香りがほとんどしない為、アルクラドはシャプロワ料理なのか、と首を傾げていたが、シャリーはウッカーの言葉を聞き、素直に料理の到着を待っている。
「お待たせしました。キノコスープのパン包みです」
出てきたのは、上部が香ばしく焼かれたパンで覆われた、底の深い焼き物の器であった。パンからは湯気が上がり、焼けた麦の甘く香ばしい匂いが立ち昇っているが、キノコやシャプロワの香りはほとんど感じられなかった。
「これはスープを入れた器をパンで包んだ料理です。上のパンを割って、中のスープと一緒に食べてください」
どうやらパンの下にスープが隠されているようで、アルクラド達は言われた通りにパンを割る為にスプーンを差し入れる。
スープが爆ぜた。
そう思える程に猛烈な勢いで、パンによって閉じ込められていたシャプロワの香りが襲ってきた。パンの切れ目から吹き出てくるシャプロワの香りに、シャリーは思わず身を引いてしまう。が、すぐにそれは自らを魅了する甘美な香りだと気付き、吸い寄せられるように器に鼻を近づけた。
一面に広がる森の中に、木々の恵みの象徴たるキノコが思いきり傘を広げていた。
琥珀色の澄んだスープの中には、薄く切られたシャプロワと、ひと口大に切られたキノコが浮かんでいた。
スープを飲めば、強く複雑な旨味が口いっぱいに広がっていく。透明で淡く色づいただけのスープからは想像がつかないほど強い旨味で、具材もキノコしか入っていないにも関わらず、複雑でコク深い味わいがあった。
中に浮かんでいるキノコは干しキノコで、スープを吸い込み柔らかさと弾力を取り戻し、噛む度にスープとキノコの旨味が溢れ出してくる。干すことで生にはない旨味が生まれ、それがスープの複雑さにつながっていると言う。
パンはカリカリとした硬い焼き上がりになっていたが、その分スープをよく吸い込み、食感の対比も楽しむことができた。
「美味だ」
「はぁ~……」
表情の変わらないアルクラドに対して、シャリーは瞳を閉じて溜め息を吐いている。
「いかがでしたか? シャプロワのお礼にはまだまだ足りませんが、ご満足いただけましたか?」
少し申し訳なさそうな様子で尋ねるミトレスだが、アルクラドとシャリーは揃って頷く。
「見事だ」
「すごく美味しかったです! 大満足です!」
2人にとって彼女の作るシャプロワ料理は、想像以上のものだったのだ。
「それは良かったです。今日は簡単なものしか作れませんでしたが、食材があればもっと違った料理を作れます。もしよろしければまた今度、来てください。ご馳走します」
アルクラド達はシャプロワの礼として十分な料理を食べることができたと思っているが、ミトレスはそうは考えていなかった。作ったのはどれも素朴な家庭料理であり、本来であればもっと手の込んだ料理を作りたかったのだ。
「我は依頼を受けた故、暫しこの町を離れる。依頼が終わればこの町に戻り、其方の料理を食しに来よう」
今日はひとまず満足したアルクラドであるが、もっと色々なシャプロワ料理を食べるつもりでいる。ミトレスが食べに来てほしいと言っているのだから、遠慮することはなかった。
「分かりました。食材を揃えてお待ちしています。その時は、ウッカーさんもぜひ来てくださいね」
「あっ、は、はいっ!」
笑顔でそう言うミトレスに、ウッカーは恐縮した様に慌てて答える。それを見て再び笑顔になるミトレスとシャリー。シャプロワ料理の食事会は、アルクラド達を存分に満足させ、一旦お開きとなった。
依頼を終えた後の美味しい食事の約束を取り付けたアルクラド。早々にオークキングを退治し、早くミキアに戻ってこようと心に決め、王都を目指して町を発つのであった
お読みいただきありがとうございました。
シャプロワ料理の表現、難しいです。
皆さんに上手く伝わっていればいいのですが……
少し時間を頂きまして、次から9章に入ります。
次回もよろしくお願いします。