オークの軍団
黄昏の森を駆けるアルクラドとシャリー。南に進むにつれてオークの臭いが強くなるのをアルクラドは感じ取っていた。1刻ほど駆け足で進むと、精霊達が騒ぎ立て、オークの接近をシャリーに伝える。
「アルクラド様、そろそろです」
「うむ」
もちろんアルクラドもオークの臭いとその足音を、すぐ近くに感じ取っていた。足音から察するに数十に及ぶ集団であろうと思われた。
そしてアルクラド達がオークの接近を感知してから程なくして、オークの群れが現れたのだ。
薄暗く視界の悪い森の中、木々の合間を縫い、獣道を行くオーク達。通常よりも身体が大きく脂肪よりも逞しい筋肉が目立つ、オークの上位種であるハイオーク。それを先頭とし後ろに4体のオークソルジャーが付き従っている。
オーク達は5体を1組として、それが10組。それぞれの集団が付かず離れずの距離を取りながら、森を進んでいた。
オークらしからぬ、統率の取れた集団行動である。その不自然な行動にシャリーは訝しげな表情を作るが、アルクラドは一切気に留めない。オーク達の進路上に立ちはだかり、魔力をぶつけて威圧する。
「貴様等が言葉を解するかは識らぬが、1度だけ言っておこう」
突然周囲に満ちた大きな魔力に戸惑いオーク達が立ち止まったのを見て、アルクラドは言う。
「疾く失せよ。大人しく退くのならば殺しはしない。だがこのまま進み森を荒らすならば、殺す」
アルクラドは、オーク達の目的に興味はない。人族としては魔物は見つけ次第殺すのが理想的だが、襲われない限りアルクラドは逐一魔物を殺したりしない。依頼であれば話は別だが、今回はオークを殺すことが目的ではないからだ。
依頼の目的はシャプロワを取るウッカーを守ることであり、アルクラドの目的は自分の分のシャプロワを手に入れることだ。それが為されるのであれば、オークの生死に興味はない。故にアルクラドはオーク達に立ち去るように言ったのだ。もっともオークが言葉を理解し、退くとは思っていなかったが。
だが、オークは退かなかった。目に映る敵は、細い人族が2体。大きな魔力に驚きはしたが、負けるはずがないと、オーク達は思った。それは50体という数の力を信じているのか、ハイオークの種の力を信じているのか、それとも別の何かか。ともかくオーク達に退くという選択肢はなかった。
唸り声を上げ、強張った身体を奮い立たせ、各々の武器を構えるオーク達。斧に剣、棍棒に槍、そのどれもがオークの巨体に相応しい大きさであり、50体のオークがそれらを構える様は圧巻であった。屈強なオークの戦士50体からなる軍団。この場に人族が居合わせたならば、それは悪夢以外のなにものでもなかったであろう。
ブギイィィイッ!!
一番先頭のハイオークが、野太い雄叫びを上げる。それを開戦の合図として、オーク達が一斉に武器を振り上げる。そしてアルクラド達に向かって走り出そうとして、しかし先頭の1組が足を踏み出さない。それどころか構えた武器を下ろしてしまった。
グラリと5体のオークの身体が揺れ、地面に倒れ伏した。見れば、オークの頭が5つ転がっている。アルクラドに最も近かったオークの組である。
遅れてアルクラドとオークの間にあった、人間の胴回りほどの太さの木が数本、倒れた。その断面は鏡の様に滑らかだった。
瞬きの間もない速さで、アルクラドは遮る木ごとオーク達を斬り伏せたのである。
オーク達は驚き、しかし恐怖よりも仲間を殺された怒りが勝っていた。ブギィ、ブギィと騒ぎ立てるオーク達。数の力など何の意味もないことに、彼らはまだ気付いていない。
「警告の意味は無かった様であるが、退かぬならば殺すまでだ」
アルクラドは、聖銀の剣を片手に悠然と歩き出す。騒いでいたオーク達は、より一層強い殺気をアルクラドに向けて、武器を構え直す。
ブガァアアアァァッ!!!
木々を揺らすような、腹の奥底に響く吠え声が、オーク達の背後から聞こえてきた。ハイオークを含め、オーク達は慌てて武器の構えを解く。
「待て」
落ち着きのある低く重い声がし、地を震わすかの様な足音が近づいてくる。
「魔族とエルフか……だが只者ではないな」
現れたのは、オークの倍の背丈と、倍の倍の横幅を持った、巨大なオークだった。全身が分厚い脂肪に覆われているにもかかわらず、その下に途轍もない膂力を秘めた筋肉があるのが容易に見てとれた。巨体に刻まれた幾つもの古傷が、このオークが歴戦の猛者であることを物語っていた。
力あるオークが、永き時を生き、幾多の戦いを経て至る、オークの高みの1つ。オークキングに次ぐ力を持ち、王の下、他のオークを纏め率いる卿の名を戴く者。上級冒険者であっても、個人では勝つことが困難であり、単独で町をも壊滅せしめる存在。
オークロードであった。
高くから見下ろすオークロードと、それを見上げるアルクラドとシャリー。威圧的な風貌のオークロードであるが、その瞳には確かな理性の光が宿っていた。
「口を利くのならば話が早い。先に言った通り、疾く失せよ」
見上げるほど巨大なオークを前にして態度の変わらないアルクラドに対して、シャリーは表情を強張らせていた。アルクラドが負けないことは分かっているが、シャリーにとっては勝てるか分からない相手。もっと距離が離れていれば話は別だが、ここまで接近されているのはシャリーにとってかなり分が悪い状況だからだ。
「それは出来ない。儂らは、我らが王の命で、北へ向かっておる」
ここを通ると言うオークロードからは、アルクラドと同じく道を譲る気が一切感じられなかった。またその言葉から、オークロードの更に上の存在が窺え、シャリーは驚く。
「キング……まさかオークキング!?」
オークの最上位種、頂点である、オークキング。全身の凄まじい筋肉を膨大な魔力で強化し、剣も魔法も正面から受け止め弾き返し、全てを薙ぎ倒していく最強のオーク。魔族ですら並みの者では太刀打ちできず、討伐には多数の上級冒険者や国家規模の軍が必要だと言われている。
人魔大戦の頃、魔族の陣営でその力を振るった、とシャリーは両親から聞いたことがあった。その力は絶大で、オークの軍勢を率い、とある国を壊滅の危機に陥れたという。
そのオークキングは戦いに果てたようだが、この数百年の内に新しいキングが生まれたのであろう。
「戦士達を殺した事、道を譲るのならば水に流そう。お前達と戦えば、こちらも只では済まんだろうからな」
オークロードはすぐには戦おうとはしなかった。侮ることなくアルクラド達の力を分析し、自分達の戦力の消耗を避けようとしていた。オークの戦士団を率い北へ行くことが彼の受けた命の1つであり、戦力の浪費はその命に背くことになるからである。
「もう1度だけ言う。この森より失せよ」
だがアルクラドにとって、オークロードの受けた命などどうでもいい。それよりも森のシャプロワを守る為に、オーク達を通すわけにはいかなかった。豚面らしく鼻の利くオークであれば、地中のシャプロワを見つけることは可能。何かの拍子にシャプロワを食べることができると分かれば、根こそぎ食われてしまうかも知れない。それはアルクラドにとって看過できない問題だ。
「我らが偉大なる王の名の下、退く事は出来ない」
しかしオークロードにも譲れないものがある。たった2人を相手に逃げ帰ったとあればそれは恥以外の何物でもなく、王の面目を潰す行為だ。それだけは絶対にあってはいけない。本来であれば仲間を殺した者を見逃すのも有り得ないことであるが、戦力の消耗はできるだけ避けたい。何か案はないかと、オークロードは思案する。
「むっ……そこのエルフ。良く嗅げばお前にも魔族の血が流れているな。であれば、お前達にも無関係ではない」
ふとオークロードの視線がシャリーに向き、名案を思いついたように頷いた。
「王から賜った命は、元を辿ればある魔族の命令であった。王に命じるなど不遜にも程があるが、王が承服されたのだから致し方ない」
不思議そうにオークロードの言葉を待つアルクラドとシャリーに届いたのは、オークの北進が魔族によるものだという話だった。
オークキングほどの魔物に命令を出す魔族。シャリーはセーラノに現れた女魔族の言葉を思い出した。
「まさか、魔王……?」
「知っているのならば話は早い。儂らと戦う事は、すなわちお前達の王に歯向かうという事。大人しく道を譲るのだ」
オークロードは、魔王と他の魔族の関係など一切知らなかった。魔王は自称であり全ての魔族が付き従っているわけではないが、オークロードはそうは思わなかった。オーク達にとってオークキングは絶対的な王であり、その命に背くことなど有り得ない。それは魔王と魔族であっても同じだろう、とオークロードは考えていたのである。
故に、アルクラドの口から飛び出た言葉に、オークロードは酷く驚いた。
「魔王等、識らぬ。最後だ。この森より失せよ」
「待て……貴様、王の命令に逆らうのか?」
オークロードのアルクラドを見る目は、信じられないものを見た者のそれであった。アルクラドの言葉は、オークの誰かが言ったならば、その場で叩き潰されてもおかしくないものだったからだ。
「我は魔王とやらを識らぬ。会ってもおらぬし、何の命も受けてはおらぬ」
アルクラドも、魔王を自称する者の存在や、彼が人族に対して戦を仕掛けようとしていることは知っていた。しかし実際に会ったことはない。命令を受けたわけではないし、そもそも命令される筋合いがない。
「あくまで道は譲らぬつもりか?」
「この森を通す事は出来ぬ」
身体から魔力を漏れ出させながら言うオークロードだが、アルクラドに怯む様子はない。オークロードの射すくめる様な視線にも、何も感じていない。
「致し方ない……」
ブギイィイ……
ため息を吐く様に呟いた後、小さく唸り声を上げた。それに反応し、アルクラド達を取り囲む様に、オークの集団が動き始める。
「後に王が来られる。その時、たった2人を前に逃げたとあれば、戴いた卿の名折れ、王への背信」
オークロードの目から理性の光が消えていく。新たに灯るのは、闘争心と敵を討つのだという殺意の炎。
オークロードの筋肉がモリモリと盛り上がっていく。身体から魔力が溢れ出し、膨れ上がった筋肉に纏わりついていく。左右それぞれの手で、手近な木を掴み、根元から強引に引き抜く。
「名も知らぬ魔族とエルフよ。我らが王に歯向かった事を悔いながら、この地で果てるが良い」
オークロードは、2本の木をそのまま棍棒とし、両手を広げて構えを取るのであった。
お読みいただきありがとうございます。
強いオーク、オークロードが登場です。
次回もよろしくお願いします。