雨の中で
暗い部屋の中、床下にいたのは少女だった。
その瞳には恐怖の色が濃く浮かび上がっており、目に涙を溜めていた。
肩ほどまで伸びている髪はホコリが被っており、本来は鮮やかだったであろうその髪は酷くくすんでいた。
また、少女の左足は赤く染まった包帯が巻かれていた。
この子がここまで怯えているのは恐らく先程見た男たちが原因だろう。
なんだってこんなことを……
「キミ、大丈夫か……?」
俺も俺だ。大丈夫なわけがないのに、もっと他のことを言えなかったのか。
案の定、少女からは警戒心が感じられる。
仲間だと思われている? 誰の? あの暖炉の前にいた男たちのだろう。
となると、誤解を先に解いたほうがいいかもしれない。いや、誤解を解いて少しでも安心させる必要がある。
俺はしゃがみ、少女と目線が近くなるよう配慮する。
警戒させないように優しく、
「大丈夫。俺はあの男たちの仲間じゃない。安心してくれ」
よし、これで警戒心は少し薄く……あれ? 余計警戒された。
例えば俺がこの子の立場だった場合、どう感じるか考えてみよう。
大丈夫→何を根拠に?
あの男たちの仲間じゃない→だからといって自分の味方とは限らない。
安心してくれ→隠れているところを見つけられて安心できるわけがない。
まったく効果がないのは明白だった。むしろ、危ないかも知れない人と思われても仕方ないかもしれない。
悠長にどうするか考えるくらいなら、その場から連れて逃げても良かったかもしれない。説明は後でどうにでもなる。
しかし俺は選択を誤ったのだ。
男たちの声が後ろからかかる。
「お、そんなところにいやがったのか」
見つかった!
嫌な汗が吹き出、心拍数が上がる。動きたくても体が動かない。
やばいやばいやばい! 逃げなきゃ! 殺される!
「よくやったなボウズ。お手柄じゃねぇか」
聞こえた声は俺をいたぶってやろうとか殺してやるとかではなく、賞賛の声だった。
「え、なに?」
思わず聞き返した。
命の危機と感じていたのにそれが全くの杞憂に終わったのだから。
「なにって、ははは! お前さんも賞金目当てで参加したんだろ? 『半端もの』は殺し身体の一部を証拠として持ち帰る。『実験体』は生かすも殺すも問わない。身体の全てを持ち帰る。持ってきたものと手を貸したものには、標的一体につき賞金100リーズからの山分けって話をよ」
背筋がゾッとした。何を言っているんだこの男は? 殺す? 賞金? 標的? 同じ人間を殺してとか、狂気の沙汰としか思えない。そもそも、それを主催したものも狂人としか思えない。
ここは話を合わせとくのがいいか?
目の前の少女に視線を移す。
少女は後ざすっており、全身を小刻みに震わせ、目から涙を流している。
一瞬どうしたのかと思ったが、さっきの男の言葉を思い出してみる。
『そんなところにいやがったのか』『よくやったなボウズ。お手柄じゃねぇか』
これは誰に向けられた言葉だったのだろうか。後者は俺だ。ということは前者は、隠れていたこの子を指している。
そしてさっきの光景を思い出す。
絨毯のうえで胴体が真っ二つになった女性の死体。
暖炉の中で何かが焼かれていた。人の形をしていたので恐らくそうなんだろう。
となると、この子がこの男たちの手に渡ればどういう結末をたどるのか?
答えは『死』だ。
意味がわからない。賞金のためとはいえ、成人もしていない――多分――少女を殺すことに何の意味があるのか。
俺は無意識のうちに口にしてしまった。
「なあ。この子”も”殺すのか?」
『この子”も”』。それが何を意味するか俺は知らないが、少女は反応した。
「あー、そうだな。『半端もの』は殺しても構わねぇんだけど、そいつは『実験体』としても使えるからな。実験体としての幅が広がるから、生きてたほうがありがたいが、ま、そいつ次第じゃねぇのか? ちょっとでも抵抗の素振りを見せたら殺しても構わねぇしよ。生きてようが死んでようが、もらえる金は変わんねえし……てか、ボウズもこの話に乗って来たんだろ? なぜわざわざ確認する?」
部屋の外から別の男が入ってくる。
「おいガキ。貴様ここまでどうやってきた? 他の仲間も見当たらなきゃ痕跡もねぇ。おまけに武具ひとつないその変な格好で、こんな森の奥まで食料もなく。賞金のためとは言え、獣がうろつく所に一人でやってくるなんて普通じゃありえねぇし、何かに通じているわけでもなさそうだ。何者だ」
森の奥? 獣? たしかに男たちをよく見るとファンタジー世界でよく目にするような剣や胸当てを付けている。やっぱりここは日本とは別世界なのかもしれない。
「だんまりか。おいよく聞けガキ! 『同じ人間』だ、命までは取るつもりはない! そのまがい物をこっちに渡せ! 従わなければ骨の数本は覚悟してもらう!」
二人目の男の声は威圧的だ。どうやら従うしか選択肢はなさそうだ。
「えと、素直に言うこと聞いたあと、俺はどうなるんだ?」
この期にお及んでこの子より自分の身を案じるなんてな。
最低だ。
「知らん。一人でこんな奥地まできたのだろう? なら帰路も一人で十分だろ。 俺たちはガキに与えるメシなんざねぇんだよ!」
従っても俺は野ざらしにされるだけか。
ほんと、こう言う奴って自分勝手だよな。ああヤダヤダ。ホント、腹立つ。
俺は少女の腕を引っ張り無理矢理立たせようとする。
少女は首を振りながら、やめてと声をあげながら、近くの物を掴み必死に抵抗する。
それでも悲しいかな。少女の力は俺に劣っていた。半ば強引に引きずるように歩く。少女の手が自分の手から抜け出さないように力をほんの少し入れる。空いた手は遊ばせるつもりはないのでポケットに突っ込む。
男の前まで来て、後ろで絶望の表情をしている少女を引き寄せ、差し出す――素振りを見せ、ポケットからスマホを取り出し男の目の前でフラッシュライト(強)を浴びせる。
「なあ!!?」
男は悲鳴と驚きの声を上げた。
明かりのないこの暗闇で急に強烈な光を浴びたんだ。視界は奪われるだろう。
チャンスなので股下を思い切り蹴り上げ、潰しておく。
そして直ぐに少女を抱き抱え、その場を去る。
汚いかもしれないが、カッコつけて転ばせたりするよりずっと効果的で確実な方法なのだ。カップをつけていなければの話だが。
幸い、ちゃんと直撃してくれたみたいで、男は声にならない悲鳴を上げ、うずくまる。
「……ってゴラァ! 待ちやがれ!」
何もされていない男が怒号を上げ迫ってくる――はずが、暗闇のせいか、うずくまっている仲間にぶつかり盛大に転倒する。うずくまっていた男、追撃喰らう。
俺は急いで外に出た。
外は月が雲に隠れているせいか暗く、周囲は森に囲まれていた。どっちへ向かえばいいのか。
「どうしよう……」
後先考えずやった結果だ。後悔はしていないが、少し困った。
腕の中の少女はまだ怯えている様子だ。
流石にずっと抱き抱えるのもきついし、何より、いろいろ話を聞きたい。怪我している少女には悪いが、降りてもらうとしよう。
少女は俺から降りたとたんすぐ距離を離した。わかってるけどちょっと悲しいな。
「さっきは怖い思いさせてごめんな」
まずは謝る。この子をどうこうする気は全くないが、演技とは言え、怖い思いをさせたのだ。非はある。
それに、警戒心を解いておかないと話が進みそうにもなかった。
でもこんなことで心を開く少女ではなかった。
ま、そうだよな。
ポツリ。
水滴が顔に当たる。
ポツリポツリ。
また顔に当たる。やがてその感覚は短くなり、雨が降り始めた。
「あー、木でいくらか遮られているけどこれはひどいな」
雨が頭を、肩を濡らしていく。どこかここら辺で雨を凌げる場所はないか。さっきの家には戻りたくても戻れない。あの男たちがいるかもしれない。もしかしたらこちらに向かってきているかもしれない。
「なあキミ、このあたりで雨を凌げる場所知らないかな?」
俺がそういい近づくと少女は翻り、走っていった。
そっちにあるのか?
俺は少女を追った。
追った……追ってる……追いつかない……離されている?
あれ? これってもしかして、逃げられている?
いや待て待て待て! こんな土地勘のないところで迷子になったら死んでしまう!
俺は速度を上げ、全力で走ることにした。
「ちゃんと……き、鍛えて……おく……だった」
見失いました。正確には数十秒で力尽きました。もうだめだ。おしまいだ。
服は水を吸い重くなり、地面はぬかるみ、空腹で胃が痛くなり、体力は奪われる。
「注文したままこっちに来たんだもんなぁ……」
やっぱり後悔した。
とりあえず、なにかないか探すことにした。といっても、日本と食材が同じとは限らないし、何より、自然の食材なんてスーパーで並んでるものか、母さんが作る料理でしか目にしない。善し悪し以前に、安全か危険かの判断がつかないのだ。
詰んだな。
まあでも、黙って死を待つのは嫌だな。
少女が逃げてった方にとりあえず行ってみるか。