月夜に染まりし花の君
染井家の屋敷には、不思議な桜が植えてある。
その桜は他の屋敷の桜に比べて咲くのが遅く、そして色が薄かった。
染井家は武家であるが、同時に陰陽師の血を引く家系でもあった。
それがこの桜と関係あるのかは分からないが、皆気味悪がって近づこうとはしなかった。
「今年も綺麗に咲いておるの~」
屋敷の縁側で酒を飲みながらそうつぶやくのは、染井家の長女、さくらであった。
「真っ白に近く、そしてこんなにも美しいのに、どうして皆気味悪がるのだろうか? まあ良い。今宵は月も出ておる、酒もうまい。そして目の前にはこの桜! 他の者がどう思おうと知ったものか」
そう言ってさくらは楽しそうに酒を一杯、また一杯と飲んだ。
さくらは正真正銘の女子であるが、髪は総髪で、着物に平袴。
そして裾の長い蒼い羽織を愛用していた。
そう、格好だけなら男のそれであり、わりとお洒落であった。
染井家には男が生まれなかった。
ゆえにさくらは跡継ぎになるべく女子でありながら男として振る舞っていたのである。
さくらの父は養子も考えたが、さくら自ら跡継ぎとなる意思を示したため、養子をとることなく今日に至る。
今ではそこいらの男を凌駕する武芸を身につけている。
しかし、さくらにも欠点はある。
「さくら様……」
酔っていたからか、それとも桜に見惚れていたからか、知らぬ間に気付けば一人の女子が目の前に現れていた。
まず目につくは真っ白な小袖。
さくらはこのような格好をした女子を見たことがなかった。
町ではもっと色鮮やかなものが好まれていたからだ。
しかし、その生地は素晴らしく上等なもののように見える。
もしかすると良家の者なのかもしれない。
とにかく、さくらは気になって仕方がないので自分の名を呼ぶこの人物に答えた。
「こんな夜に客人とは珍しい。いかがした、美しき女子よ。ちこう寄るが良い」
「それでは失礼いたします」
そして女子はさくらの目の前にやってくると会釈した。
黒く美しい髪を肩口で切りそろえ、前髪はおかっぱ。
何とも子供のような髪型ではあるが、この女子にはよく似合っていた。
「なに、会釈などかまわぬ。ちこう寄れと申したのじゃ、隣に座ってともに飲もう」
「そ、そのようなことは恐れ多く……」
「ならばなぜ声をかけたのじゃ。ええい、遠慮はいらぬ我はおぬしが気に入ったのじゃ」
おどおどする女子の様子に耐えかね、さくらは女子の袖を引っ張ると自分の隣へと引き寄せた。
「きゃっ、そんな大胆な……」
「良いではないか。して、お主。名は何というのじゃ?」
「八重と申します」
女子は言った。
「ほう、八重か。良い名ではないか!」
「ありがとうございます。その……さくら様は、いつもこのようにして女子を引き込むのですか?」
女子が問いかける。
その質問にさくらは一瞬嫌そうな顔をしたが、すぐに笑顔で答えた。
「何を言うか八重。それではまるで我が毎夜女子を引き込んでいるような言い方ではないか。はっはっは!」
「八重は知っています。さくら様は気に入った女子を見つけては、とっかえひっかえ遊んでおられることを。このお屋敷周辺では有名な話でございますよ」
それを聞いてさくらの顔色が月夜の下でもわかるほど変化した。
「八重、それは誠であるか? 皆、知っておるのか?」
「はい、さくら様。元は女子といえども、達者な武芸、整ったお顔に甘言で、女子を弄んでおいでなのでしょう?」
八重は、少し俯いたさくらの顔をずいっと覗き込みながら言った。
「ああ、これは参った。こっそりやっていたつもりであったが、筒抜けだったとは」
「まるで本物の男のようでございますね。女好きに関しては本物以上でしょうか?」
八重はポンと手を叩くと、楽しそうに、悪戯っぽく言った。
「お主は、我をからかいに来たのか? 八重の言うことは概ね事実で言い返せぬが、初対面でそこまで言うこともなかろう?」
「お気を悪くしないでください、さくら様。ほら、お酒をどうぞ」
八重は酒瓶を手に取ってお酌をした。
「おっと、うむ。お主のように可愛い娘に酌をされたら飲まずにはいられんな」
さくらは一気に飲み干した。
「ふぅ、美味い。父上と飲むときの数倍は美味い!」
「そのようなことを申しても良いのですか?」
「良いのじゃ、ここには誰も近づきたがらぬ。聞き耳てる者もおるまい。ほれっ、八重も飲むがよい」
すると、さくらは八重から酒瓶を奪い取ると、盃を持たせて酌をした。
「このようなものを口にしてもよろしいのでしょうか?」
「いちいち聞くでない。もう我々は友ではないか」
「では、いただきます。……ん! 美味しい」
「そうであろう。調理場にあった高価そうなものをこっそり拝借したのだ」
「ふふ、拝借だなんて。返す気なんて……ふふっ、ないんじゃにゃいでひゅかぁ~」
上機嫌なのは結構だが、どうやら八重は酒に弱いらしい。
「なんじゃ、八重は飲める口ではなかったか」
「何言ってるんでひゅかぁ、のめまひゅでごじゃいまひゅよ~?」
「お主こそ何を言っているのか分からぬ。よし、待っておれ!」
そういうと、さくらは可能な限り急いで走っていった。
そして数分して帰ってきた。
「ほれ、湧水じゃ。飲むがいい」
「はひぃ、んっ、……ごくっ、ごくっ、はぁ~!」
「少しは落ち着いたか?」
「はい~、何とか」
そうは言うが、まだ顔は赤く、酔っているようだ。
しかし、こんな時にさくらの悪い癖が出た。
「そうか、良かった。それでだな、八重。こんな時に言うのもなんなのだが、我のことをどう思う」
さくらが問うと、八重はしばらく考えるそぶりを見せた後、さくらの羽織の裾を掴んで言った。
「ずっと前から、お慕い申しております」
それを聞いてさくらは喜んだ。
「誠か! では早速我の妾にならぬか?」
「妾……でございますか? それって、遊び相手ということですよね。やっぱり、そういうつもりで私を引き込んだのですね」
「いや、そうではない。ならば嫁ではどうじゃ? 悪い話じゃなかろう。我は八重を好いておるのだ!」
「さくら様……。しかし、お忘れではないでしょうか? 私達は女子同士でございます。婚姻などできるのでしょうか?」
するとさくらは少し考えた。
なるほど確かに、女子同士での婚姻など聞いたことがなかった。
しかし、すでに心の内は固まっており、さくらに諦める気はない。
「八重よ、それは確かに難題であるな。だがそれがどうしたというのじゃ。お主は我を慕っており、我もお主を好いておる。そのようなこと、何とでもなろう」
「ふふ、噂通りのお方ですね。そこまで私を求めてくださるのは嬉しいですが、この八重は少々不安であります」
「不安とな。何を不安に思う、我に任せよ! 何としてでも婚姻を……」
「違いますわ、さくら様」
婚姻のことばかりが頭を巡っているさくらだが、八重はさくらの言葉を遮った。
「私が不安に思っているのは、さくら様のお気持ちについてです。このような酒の場で、大事を決めても良いのでしょうか? それに、女好きのさくら様のことです。この話自体、一時のお戯れかもしれませぬ。真に八重のことを思うのであれば、それを証明してくだされ」
酔いが醒めてきたのか、八重の呂律も回るようになってきた。
「証明であるか。色恋沙汰となれば、我の信用は低いのであるな。日頃の行いが祟ったようじゃ。しかし、八重の言い分はもっともである」
さくらは袖をつまむとゆっくりと腕を組み、目の前の桜の木をじっと眺めて話し出した。
「実は次の戦にて、我は初めて戦場を指揮することを任されておる。武に優れておっても戦場に出ねばただの飲んだくれであるからな。またとない機会じゃ。存分に暴れようと思っておる」
「戦に出られるのですか!? ということは……」
「ああ、しばらくこの屋敷に帰ることはできぬだろうな。ゆえに、こういうのはどうじゃ。我は片時も八重のことを忘れまい。そして、そうじゃな一年後くらいじゃろうか。再び生きてこの地に帰った際には、真っ先にお前のもとへ行こう。さすれば我の恋心の証明となろう、どうじゃ?」
さくらの提案を聞き、八重はさくらに身を寄せて頭を肩に預けて言った。
「さくら様、十分でございます。そのように思い続けていただけるのであれば、私は素直にあなた様の妻になりましょう」
「誠か! 約束であるぞ、絶対であるぞっ!」
さくらは立ち上がると、嬉しさのあまり庭でくるくると舞い踊った。
そして八重も立ち上がり言う。
「さくら様。私はずっとお待ちしております。この桜の下でまたお会いしましょう」
「おう、必ず迎えに来ようぞ」
「はい、それではその時まで。ご武運を祈っております、さくら様」
八重はそう言うと一礼し、不思議なことに姿を消してしまった。
「八重? はて、不思議じゃ。まさか酔って幻でも見たのだろうか? いや、そんなはずはなかろう」
さくらは不思議に思いつつも、八重との約束は必ず守ろうと心に誓った。
夜も更け、月明かりがさす中に一人。
そして白い花を咲かせた桜の木。
「誠に美しく可愛い女子であった。まるでこの桜のよう……」
自分の好きな桜の木に八重を重ねるさくら。
するとそこに、染井家の当主がやってきた。
「こんな時間に何を騒いでおる、さくらよ」
「はっ、父上様」
いくら浮かれていようが父上の前である。
さくらは身なりを正すと一礼した。
辺りを見回す父。
「ふむ、酒も良いがほどほどにせよ。いかに武芸が達者であろうと、それだけでは兵に示しがつかぬ。分かっておるのだろうな。お前はもうすぐ戦を指揮するのだぞ」
「はい、承知しております父上」
「なら良いが。そういえば何やら気配を感じたが、先ほどまで誰かと話しておったのか?」
「いえ、一人でございますが」
さくらは即答した。
当然これは嘘である。
しかし、酒のことに加えて女のことまで話してしまえば、叱られるのは目に見えていた。
ゆえに八重のことは伏せておくことにしたのだった。
「そうであるか? ふん、まあよい。だが、気をつけよ。あまり妙なものと話をするものではないぞ」
「は、心得ております父上」
そして父は庭を歩いて自分の部屋へと戻っていった。
「はぁ、感づかれてはおらぬ……よな」
さくらは父が去ったのを確認すると、また少し脱力し、八重のことを思った。
それからしばらくして、さくらは戦へと向かった。
そしてその活躍ぶりは、目を見張るものであった。
驚くような策で敵に攻め入ると、女子とは思えぬ勇ましさで、敵をなぎ倒していった。
八重を思う気持ちも少なからず力に変わっていたのだろう。
当然のごとく目的の領地を獲得し、屋敷へと戻ったのだった。
とはいえ、初めての戦。
戦果は上々であったが、思った以上に時間がかかった。
気づけば、戦を始めて三年の月日が経っていた。
多くの兵がさくらの実力を認め、名実ともに立派な武将となったわけだが、さくらにはどうでも良いことだった。
「八重、八重! 我は帰ったぞ。ずっと八重のことを思っておったぞ!」
約束の地、白い桜の木の前でさくらは叫んだ。
季節は冬。
まだ桜は咲いておらず、うっすらと雪が積もっていた。
そして、どこからともなく求めた者が現れた。
八重は以前よりも少し痩せ、血色も白いように見える。
「さくら様。本当に、私のもとへ帰ってきてくださったのですね」
「当然であろう。して、証明できただろうか」
「ええ、もちろんでございます」
八重はそう言って、さくらに抱きついた。
「八重……」
こうして、二人は再会を喜び暫し抱き合った。
しかし、そこに父がやってきた。
「戦から帰るなり、鎧を捨ててどこへ行ったかと思えばこんな所におったか。むっ! その者は……さくら! 今すぐその者から離れよ!」
「父上? 何をおっしゃっているのですか? この者は……」
「ええい、陰陽の血を引いているのに分からぬのか! そやつはあやかしではないか!」
「!?」
父の言葉に困惑するさくら。
そして八重は桜の背に身を隠した。
「早くそこを退け。切り捨ててやる!」
父は腰の短剣を引き抜くと構えた。
さくらはその短剣が、あやかし退治用の武器であることを知っている。
「どういうことだ? 八重、お前は……」
背に潜む思い人にさくらは問うた。
「申し訳ございません、さくら様。黙っておりましたが、私はこの桜に宿る精霊でございます」
「精霊とな」
「はい、左様でございます。幼少期よりずっと私を眺めておられるさくら様を、私はいつしか好きになっておりました。そして、あの日現世に人の姿で現れたのです」
「そのようなことが。……父上! この者は、あやかしなどでは御座いません。精霊でございます」
さくらは弁明したが、父の前では意味をなさなかった。
「精霊であると? それがどうしたというのだ。この世のものでないのは明白。ならば、あやかしとさして変わるまい」
「そんな! 八重は、まったくの善なる者。殺めるなどお止めください!」
「ふん、何かおかしいと思えば、あやかしなどに心奪われおって。ええい、問答無用。そこまで言うならお前もろとも刺殺してくれよう!」
父は短剣を持って二人に向かい突進した。
このままでは二人とも殺されてしまうだろう。
さくらはとっさに行動した。
「さくら様~~~~!!」
八重が叫び、そして状況は一変していた。
地べたに座り込む八重。
短剣を構えて呆然と立ち尽くす父。
そして、さくらはその短剣を腹部で受け止めていた。
「なぜだ! ……さくら。お前はどうしてそのあやかしを庇うのだ」
ゆっくりと短剣から手を放し、父が言った。
「愚問です父上。私は八重を愛しているのです。守るためならこの命、捧げても一向にかまいません!」
「なんと愚かな。お前は一族の恥だ! そこを退け! 退かぬなら今度こそ切り捨てるぞ!」
父は腰にある日本刀を抜き構える。
しかし、このような状況にあってもさくらは引かなかった。
「黙れ! たとえ父上であろうとも、この八重の美しき姿を赤く染めることは許さぬっ!」
吐血しながらも、さくらは叫んだ。
「父に向かって、何ということを……」
父は怒り、刀を振り下ろそうとした。
しかし、できなかった。
さくらの眼力に怖気づいたのだ。
それは怒り、悲しみ、そして命を捨ててでも愛する者を守ろうとする強い意志のこもった眼であった。
「お前というやつは、何て眼をしておるのだ。ええい、分かった! 好きにするがよい。しかしお前はもうすぐ死ぬぞ。愛する者と別れるのだぞ。そして儂はお前のような子がいたことを忘れることにするぞ」
そう言い放つと、父はその場を離れ何処かへ去っていった。
「いいさ……、八重を守れるのなら……な」
仰向けに倒れるさくら。
「さくら様っ!」
八重は駆け寄り、さくらを抱き起して顔を覗き込んだ。
「よせ、八重よ。血で汚れてしまう」
八重の真っ白な小袖が赤く染まる。
「構いませぬ、さくら様。それより、手当を」
「無用。我はもう死ぬ」
「そんな……」
「なあ、八重。どうして黙っておったのじゃ?」
「人ならざるものと知られれば、嫌われるかもしれないと思ったのです。あやかしでありながら、我がままに愛を求めてしまった。そのせいでさくら様は……」
「お前はあやかしではないよ。それに愛を求めるは我も同じだ。気に病むことはない」
「でも、でも……」
「どうせ婚姻など無理だったのだ。お前に看取ってもらえるだけ幸せだよ。なあ、八重。現世では無理であったが、あの世ならお前と結ばれることができるだろうか?」
さくらの問いかけに、八重は少し困りつつも答えた。
「さあ、どうでしょうね。でもさくら様があの世へ行かれるというのであれば、私はついてまいります。どこまでも、どこまでも……」
「そうか、それは良い。あの世でまた酒を飲もう。ああ、死ぬというのも案外楽しいものかもしれぬ。はっはっは……」
……………………。
「さくら様? さくら様? ふふ、お眠りになられたみたいですね。ぐすっ……、もう、仕方ないですね。私もすぐに行きますからね、待っていてくれなきゃ怒り……ますからね?」
こうして、染井さくらはこの世を旅立った。
その後、八重がどこで何をしているのかは分からない。
ただ、約束を守る一途な精霊だ。
だとすれば、きっと――――。
そして、それから数百年の時が流れた。
街並みは近代化し、大きく様変わりしていたが、あのさくらの木は今でも存在している。
さくらと八重の話も、伝説として語り継がれていた。
ただ、少し変わっている点があった。
毎年春になると咲くこの桜の花は、驚くほど鮮やかな桃色を呈していたのだ。
ある者は言った。
これは八重がさくらの血を吸ったからだとか、愛する者を失った怒りによって染まっただとか。
しかし、他の多くのものはこう信じていた。
八重とさくらはあの世でめでたく結ばれ、酒に酔ったり、抱き合って頬を染めたりして色づいているのだと。
そして今宵も、ライトアップされたこの桜の木の下で、恋人たちが愛を語らっているのだった。




