ご
五月。
五月になった。相変わらず進展なし。
毎日何人が感染したとか死亡したとか、感染した状態でうろうろしたとか。世間を疫病が騒がす。そのくせ外をそろそろと歩くと二人連れ、家族連れとすれ違う。公園には子供達の声。のどかな風景が広がっている。恐ろしい情報がどんどん流れて、日常が変わったはずなのにそれを実際に見ることがない。まったく恐ろしい事だ。その恐ろしさを認識した時には手遅れかもしれないのだから。肋骨の痺れや舌の痺れや喉の鋭い痛みが関係あるのかないのか調べることもできない。臭いや味はあるし熱はない。多分。体温計はどこへやったかな。
血栓でばったりと死んでしまってももうちゃんと文字にしているので安心。やっぱり不安。
そういえば、そろそろ満月か。今月は延期しないという話だった。先月は延期だった。疫病が流行ったせいだ。今も疫病が世間を騒がしているが何故だか延期はしないそうだ。次は二十七番影。
○
夢。
夢というものにも蓄積される経験がある。場合もある。触覚があり作用と反作用がある夢。空を飛ぶ夢。
空を飛ぶというより空を泳ぐといったほうが正確なのだろう夢。腕を振ると浮き、身を前へ投げたら緩やかに大気に乗りゆるゆると地面に落下する。水中と空中の中間。泳ぐコツを文字にして置く。脚は動かさず左右の足親指を付けて安定させる。腕は左右から突き刺すように頭上へ上げて右左の手を合し手のひらを足へ向け鼻前を通ってへそ前へ勢いよく押す。これで前進する。前進したら両手左右に分け突き刺すように頭上へあげる。繰り返す。
息継ぎの動作が必要ないのと高く飛ばない為にこのようになる。水中にくらべ不安定なので足は留め置いた。平泳ぎ、クロール等、試したがなかなかしっくりこなかった。そっちの方がよい場合はそちらでどうぞ。
高く飛ばないのは電線に引き寄せられるからだ。高くより高くと上へ行こうとすると必ず電線に掛かる。すると舌に嫌な味が沸き起こる。苦くえぐい。あまり欲しくならない味だ。
足は始めの内はがに股にし、ひし形様にすると安定しやすい。慣れてくれば足を伸ばして見映えをよくすればいい。
○
山。
何度か見た夢だ。山の上。3つの頂上がある。その分岐に立っている夢だ。
前は近い。すぐそこで薄暗く無人で寂れている。小さく木製でぼろぼろな社がある。
右は遠い。遠くに大きな明るい建物がある。赤く立派な感じだ。人も多い。
左はやや遠い。前よりは遠く、右よりは近い。奥へ行くほど暗い。手前の方に人はまばらだがいる。建物はあるのかないのか見えない。
僕は前へ進む。年月の重みを感じさせる小さな犬小屋大の社をまじまじと見る。そして目が覚める。
右後ろに同行者がいたりいなかったりした気がする。僕はたずねる。:どうする。僕はどうでもいい。
同行者は沈黙するだけだ。だからいつも手近で済ませる。




