あく
あくま。
あくまが見ているという話を聞いた。
窓からそっと見ているのだという。
人間があくまを見える様にならないよう願いながら。
そうして思い出すのだ。
人間はその正義感からあくまを捕らえ引き裂くという話を。
その話を恐れ、その話に脅かされながら人間が自分達をけっして見ないように見ているのだ。そうする事でそうなると信じているのだ。どこか遠くで隠れていればいいものをそうせず近くに隠れて覗くのはいつも確認していないと不安でしかたないのだろう。
見えていないか。
僕。
そういう訳で僕がそういった奇妙なものを見ないのは悪魔の仕業というのが霊媒の言だった。僕はよく考えたなと不覚にも思った。古典といってもよさそうな説だがなんとか捻り出したんだろう事を思うと少しだけ和んだのだ。そのぽっと出の古めかしい説はきっと何処かの古代の霊媒もこうやって何とか現実と言葉の辻褄を合わせたのだろうと僕に思わせた。
つまり妨害があったので予想を外したから嘘つきではないという理屈だ。ああ妨害が、なければきっと見えたのになあという訳だ。
見通しが甘かったです。御免なさい。これを言えさえすれば格段に進歩するのだが、言えないのが神々の辛い所なのだろう。
霊媒も大変だ。僕は霊媒になれなかった幸福を噛み締めた。
霊媒が言う僕の本質であるという善は悪魔を殺すという。
僕は思った。そいつはきっと先に自我である僕を殺すだろう。僕は悪魔なんて、どうでもいいと考えているから。
悪魔を殺す障害である僕という自我を本質の善はきっと許さないだろう。




