北からの声
○○
なるほど、死産もありうるのか。
肉を持たない存在が死体で出てくるのか。影の死体か。
既に死んでいるなら、厄介もないのだろうか。
練拳の末に死体を出すか。死体なら静かで邪魔にならないのだろうか。影の死体は腐敗するのだろうか。蠅が集ったりするのだろうか。
あまり重くないといいな。どうするにせよ。
○
取引。
子供の大きな声。悲痛な涙声で暴力を止めてと聞こえてくる夕暮れ。
僕は怯えた。隣のマンションから聞こえる多分十代の、男子の声に。
僕は耐えられなかった。悲しい。凝りが残った。
僕は考えてしまった。189番に電話をするのか。それとも110番か。そうしてまた引っ越しを見送るのか。それが救いなのか、本当に、誰かにとって。 声は小さくなり聞こえなくなった。声は遠ざかった。
僕は何もしなかった。
西からの日射しが部屋を照らす中、北からの大きな声が僕を苦しめた。当事者に比べればとても僅かだけ苦しめた。
酔っ払った叔父に殴られた事を思う。躾に体罰を使う人。
酔いが醒めた翌日には平然としていた叔父。一回だけだ。結婚式で遠くから来て泊まったその日だけ。それからその叔父と会ったことはない。初めて会って酔って暴れ殴った叔父。子供は早く寝ろと言って殴った叔父。目を覚ました原因の音を確認しに寝屋から居間へ行った僕を捕まえた叔父。多分、皿を投げ割って寝ていた僕の目を覚ました叔父。
一回でも恐ろしいのに。恐ろしいものと暮らしているのか。
声は今回が初めてではない。その声がまだ甲高く、多分小さい子供だった時にも聞こえた。まだ子供だ。そうやって逸らした。毎日ではない。本当に時々だ。直ぐに大きくなって分別もつく。叫ばなくなる。
少しだけ厳しいだけだ。もう嫌だなんて大きな声で泣きながら言わなくなる。
それらは全て間違っていたのだろうか。
○
霊媒にお願い事をした。取引を持ち掛けた。仲介をしてほしい。
九番目を人に譲りたい。それが可能か に聞いてほしい。
九番目が死んでいなければ。どうしてもと、当○が 嫌がらなければ。
代価は十番目だ。九番目が死んでいるなら、十番目を譲る代わりに取り計らって欲しい。隣のマンションだ。気が滅入ってしかたないんだ。青年か少年の声が。声変わりがもうすぐか、もう最中なのか、はっきりしないその声が。
神様は何もしてはくれない。その通りだと僕も考えている。
影がもう出ないようにしたい。ついでで聞くだけは聞いてもらえそうだ。
○
霊媒への代価は保留になった。霊媒は要らないと言ったが。
代価は大事だ。お互いにとって。只働きは嫌いだ。労働には対価を。願いには代価を。ごっこ遊びに過ぎなくても。
働いたら要求するべきだ。無理強いはしない。
僕は神様方と良好な関係を築けなかった。断られて当然だ。
できなかったらそれまでで。そうなっても十番目はそのまま譲る。
独り善がりな話だけど、怖くて仕方ないのをまた耐えるためだ。
他所に逃げるわけにも行かない。もう逃げてきたんだ。もうあてがないんだ。ごめんよ。
○
知っている子か聞かれた。知らないと答えた。そこが何階かも知らない。知らない子だ。
○
霊媒と違って現実の声しか聞こえない。九番目の声とかじゃない。
自分の自己申告は軽く薄く聞こえた。




