盲目
それにしても広い屋敷だな。迷子になりそうだよ。
「あっ!ラフィア!」
部屋を出てから五分、屋敷の中をさ迷っていると、やっと小さな人影を見つけた。たぶんラフィアだ。
嬉しくて、声が大きくなってしまう。
「青柳さん。どうされたんですか?」
「悠一でいいよ。なんかね、友久が、ハメスって人に会いに行くのはいつか聞いてこいって」
「ありがとうございます。では、悠一さんとお呼びしますね」
ちょこんと頭を下げて微笑む。
ちょっと可愛い。いや、決してロリコンなわけじゃないよ!?
「ハメスさんのところへは、明日行くことになっています」
「……へぇ!?」
心の中で、誰とも分からないものに言い訳していると、予想外の返答が返ってきた。
明日って明日?早くない!?
「明日って急過ぎない?作者ももう少し僕たちのこと考えてほしいよね!」
「えっと……誰に苦情を言っているんですか?」
ラフィアが、困惑気味に聞いてくる。
あれ?おかしいな。次元の壁を越えた発言をしてしまった気がするよ。
「ラフィアはさ……やりたいこととかないの?好きなものを学んで、好きなことやって、好きな人ができて、好きな人と一緒に、生きて行きたくないの?」
「……そうですね。それが出来たら、きっと……幸せな人生なんでしょうね」
酷なことを聞いたのは、自覚していた。この返答だけで分かる。
やっぱり、納得したいわけじゃないんだよ。友久。
震える涙声。理不尽に耐える小さな身体。壊れそうな心。
ラフィアは、顔に手を近づけて、何かを拭った。
瞳から溢れているんだろうそれが、僕には、見えなかったけど。
「私には、SPがいたんです。あなたを守るために生まれてきました、が、その人の口癖でした」
ライオンハートみたいな奴だな。
「でもね……ある日、いなくなってしまったんです。突然何も言わず……消えちゃって。次に会った時には、私のことなんか……覚えてなかった」
顔を背けて、上を向いて、鼻を啜って……向けた背中は、今にも崩れてしまいそうだった。
僕には、ぼんやりとしか見えない。でもはっきり分かる。
きっと唇も噛んで、必死に堪えてるんだろうなぁ。
そっか。そのSPはきっと、ハメスに負けて、ロボットにされちゃったんだ。
一番覚えていたかった人との思い出すら、忘れて。一番大切だった人への感情さえ、消されて。
なんて……酷い話だろう。
「泣いてるの?」
「見て……分かりませんか?」
ラフィアらしくない言葉が返ってきた。
きっと、自分から認めてしまったら、また周りの人を巻き込んでしまうから。
でも、ごめん。僕には見えないんだよ。
「ごめん。僕、まだ解明されてない病気で、目が見えないんだ。右眼は少し見えるけど、左は、真っ暗」
親と友久以外に、自分から話したのは初めてだ。
まぁ親には、気味悪がられて捨てられたんだけどね。
なんで今、ラフィアにこんなこと言ったんだろうか。自分でも、分かんないや。
たぶん、少しは気持ちがわかることを伝えたかったから……かな?
「こんな、長い前髪にしてるからですよ」
「うわぁっ」
見られた?今、僕の眼見られた?
思わず、大声を上げてしまう。
僕の前髪を触っていたラフィアが、驚いて後ずさった。
前髪を伸ばしていたのは、ずっと隠してきたから。嫌いで仕方ないこの両眼を。
「あっ、いや、これは、その……この紅い目は……病気で……ごめん。気持ち悪いよね」
「………………」
部屋に戻った僕は、友久に話を報告する。
「ってことを話してきたよ」
「なるほど。君を守るために生まれてきました、か。ライオンハートみたいな奴だな」
僕と同じこと思ってやがるこいつ。
「ラフィアが助けを求めるのを怖がる決定的な理由が分かった上に、擬似戦争に勝つ方法を考える期限が明日までってのは、ちょっと絶望的だろ。やっぱ諦めるか」
なんて薄情な奴なんだ!そこをなんとかするのが男ってもんでしょ!
「なんだよ友久!辛いことがあったら、一緒に負担してあげるのが、仲間ってもんでしょ!」
「負担してやるのか。優しいなお前。ジャパネットって呼んでやるよ」
絶対やめてください。
「ラフィアだって日本でいえばもうすぐ中学生ぐらいだろ?自分の意思はしっかりしてる。自分から求めない限り無理だろ」
「もうすぐ中学生?……あぁ。ためになったねーってやつ?」
「それはもう中学生。わかってて言ってるだろお前」
似たようなもんじゃないか。どっちだっていいだろ。まったく。
「そんなことより!仲間って言うのはね──」
「──由紀恵のことだろ?」
そうそう。仲間と言えば由紀恵。由紀恵と言えば仲間だよね。
「ってふざけてるだろ友久!僕は真剣な話をしてるんじゃあ!」
「お前に言われたかねぇわ!」
急に逆ギレされたよ。怖い怖い。何?キレる十代?それとも持病ですか?
「とにかく僕は!……南を甲子園に連れてってあげたいんだよ!」
「話変わってんじゃねぇか!なめてんのかジャパネット」
はいはい。悪うござんしたねぇ。
「なんだよ。ちょっと噛んじゃっただけじゃないか!」
「どう噛んだら、ラフィアを助けてあげたい!が、南を甲子園に連れてってあげたい!になるんだよ」
うるさいな。小さいこと気にしちゃってさ。心の器が小さいんだよ。ペットボトルの蓋ぐらいしかないんだ。
「そもそも友久の言い方が悪いんだよね!言い方一つでこんなに変わるものなのに」
「天神かお前は」
「誰がアグネス・チャンだ!」
「一言も言ってねぇわ!」
「誰がジャパネットだ!」
「それは結構前に終わったわ!」
くぅー。ああ言えばこう言いやがって。負けるもんか。
「嫌なことばっかり言いやがってこのイヤミ!」
「シェー!誰がイヤミざんすか!」
「その喋り方だよ!」
「お前が変なボケ始めたせいだろ。このコロ助!」
「誰がコロ助なりか!」
「絶対言うと思ったわ!」
完全に売り言葉に買い言葉だ。このままじゃ拉致があかないし、疲れた。そろそろ本題に戻ろう。
「とにかくさ、友久。ラフィアは絶対助けてほしがってる。言えないでいるだけだよ!」
「お前の杓子定規で勝手に測るな」
「えっ?何それ?百式奥義?僕持ってないよ?」
すごくかっこいい響きなんだけど。
「杓子定規だ。こっちがなんだそれだわ。百式奥義とか、持ってる奴ちょっと見てみたいわ」
杓子定規?もっと何それ?美味しいの?
「杓子定規ってのは、勝手な価値観で人を見ることだ。ラフィアが何も言わない以上、どんなにそう見えようと、確かなことは分からないんだ」
困惑してる僕を見て友久が言う。
なるほど……そう言われるとちょっと自信がなくなってくるよ。
「分かったよ。でも……明日、ラフィアが助けを求めるようなことがあったら、絶対助けるよ」
「……お前さ、優しいのはいいが、今日の会ったばかりの他人だろ?なんでそこまで?」
確かに、友久が疑問に思うのはもっともだ。僕もさっきまでは、同情で動いていたから。でも、出来たんだよ友久。
「助けたい理由が、出来たんだよ」
さっき眼を見られた時の、あのたった一言を思い出して、僕は言った。
「あいつの眼のこと聞いたんだって?」
「はい。ごめんなさい。私が勝手に触っちゃって。怒ってましたよね……」
「いや、むしろ嬉しそうだったぜ」
「あっ、よかった」
「にしても目がほとんど見えないのには驚いただろ?だってあいつ、お前と会った時ドロップキックしてたし。……そういう奴なんだ。後先考えずに突っ走っちゃう馬鹿なんだよ」
「素敵な方ですね」
「はぁ?あいつが素敵とか、ダンゴムシ見て、飼いたい!って思うのと同じだぞ?」
「ふふっ。そんなことないですよ。友久さんだって、悠一さんの魅力を知ってるから、一緒にいるんでしょ?」
「まぁ俺も、助けられたことあるからな……」
「やっぱり!」
「でも俺は、ダンゴムシを飼いたいとは思わない」
「あはは」
「ちょっと擬似戦争について聞きたい。それ次第で、これからを考えようと思ってな」
「分かりました。どうぞ質問してください」
「そうだな、まずは……」
朝目覚めた時、隣に友久の姿はなかった。
毛布から身を出し、顔を近づけてよく見たけど、やっぱりいない。
どこに行ったのだろう?
と、少し考えたところで、思いつく。
ははぁん。友久め、ラフィアを救うために頑張ってるところを僕に見られるのが恥ずかしいから、早朝から何かを始めたな?
まったく、素直じゃないというか、僕がその行動をからかうとでも思ってるのか!
まぁ、その通りだけどねー。
帰ってきたらなんて言ってやろうかなー。
ガチャッ
おぉっ!ラフィアちゃんの為に頑張っちゃう優しい友久君が帰ってきたのかなぁ?
友久だと思って振り返ると、そこには、髪の長い……女性?
ラフィアじゃなさそうだし、誰?雰囲気は、おばさんぽいな。
てか人の部屋にノックもなしに入ってきといて、この人一言も喋んないなー。
よく分からないけど、でもとりあえず挨拶した方がいいよね。
「い、いやー友久、ずいぶんイメチェンしたねー。びっくりだよー」
「………………」
やばい。友久だったらいいなーって期待のまま言ったけど反応がないよ。どうしよう。
ええい。こうなったら友久ってことで押し切っちゃえ!
「大丈夫大丈夫!朝起きたら性転換してて、40歳ぐらい老けてるなんてよくあることだよー」
「そんなデンジャラスなことあるわけねぇだろ!」
あっ!友久の声。てことはやっぱり友久なの?
「おいバカ。俺はこっちだこっち」
後ろに隠れていた友久が、僕をディスりながらひょっこり現れる。
なんだ。じゃあやっぱり、友久じゃないのか。
「突然がっかりそうな顔をしてんじゃねぇよ!」
はいはい。分かった分かった。それより……
「この人は誰なのさ友久」
「あぁ。この人はな……誰だ?」
「「………………」」
数秒の沈黙。沸き上がる恐怖。
「えっえっ……だから誰!?怖い怖いよ!ずっと喋んないし!」
まさか友久も知らないとは。
えっ、まさかこの人がハメスさんってオチ?いくらこの作品がギャグ満載でも、そんなの許されなくない?
「ふふっ。私から、紹介しますね」
あっ、ラフィアの声。てことはこの人はラフィア?
「おいバカ。俺ん時とまったく同じ間違えしてるだろ」
さすが友久。心が読めるのか。
「よいしょっと。おはようございます悠一さん、友久さん」
後ろから出てくるラフィア。
うんうん。朝の挨拶はおはようございますだよね。「ずいぶんイメチェンしたねー」なんていう挨拶をする奴なんていないいない。
「おはようラフィア!」
「おはよう」
眠そうに欠伸をしながらだったけど、友久も返した。
「で、この人はですね、私の家政婦さんです。凄く仕事が出来るので、周りのことは全部お願いしてます。ちなみに、昨日お二人が食べた料理を作ってくれた人なんですよ」
へぇー。あの美味しい料理をこの人が。なら仲良くなれるかもしれない。そう言われれば、なんだかメイドさんのような服を着ているね。
「名前を言って?」
メイドさんの肩を叩いてから、耳元でラフィアが言う。
そして初めて、おばさんは口を開いた。
「ちゃちゅちょまみぷぴまちゅぱ」
……えっ?なんて?
「私の名前はミータです、って言ってます」
「いや、明らかに違うと思うんですけど……」
「そうですか?気のせいですよ」
あっはい。
ラフィアの眩しい笑顔に負けて指摘できない。でもあの友久の、開いた口が塞がってないよ。大丈夫?
そんな僕らの困惑を他所に、ミータさんはさらに話し始める。
「オマエラキライテキノスパイダロ」
あっ、今度は分かるかも。えっとお前ら──
「あなたたちのことが大好きです、って言ってます」
絶対嘘だ。一言目から違ったよ。
「ラフィア、逆の意味になってた気がするんだけど」
「ちょっと滑舌が悪いんですよ。だから気のせいです」
全部それで押し通すのか。滑舌というかただの片言だったし。
「いやでも間違ってたって!」
「わたし滑舌が悪いから」
滑舌とかの次元じゃないと思うんですが。というか今普通に……
「「今ペラペラだったじゃん!」」
友久と重なる。これならいけるだろ!
「ワタシニホンゴワカリマセン」
うわぁーぶん殴りてー。
友久の心の声がテレパシーされてくるよ。僕も同意見だけど。
仲良くなれるかもとか思ってた数秒前の自分が可哀想になってくるよ。
まぁ、もういいや。
「で?そのミータさんがなんでここに?」
「けすぱっずへらくれすはまくたおおかぶとむしとらぷんぬ」
「ハメスさんのところに一緒に行く二人を見ておきたくてね、って言ってます」
凄くツッコミたいけど野暮な真似はなしだ。先へ進もう。
「それで見た結果俺たちを敵のスパイだと思ったわけだ。大ハズレだな。俺たちはハメスなんて奴は知らねぇ」
「しょれまらしいてど」
「それならいいけど、って言ってます」
友久が否定する。
そりゃそうだ。僕たちはむしろラフィアの味方だし。
「逆にラフィアを助けてやりたいと思っているくらいだ。だが、ラフィアがそれを求めない限り、俺たちがすることはお節介でしかない。ハメスに勝って国を守ってやれる保証もない。だから、全てはお前次第だラフィア。……どうしても耐えられなくなったら、俺たちがいる」
さすが友久。僕が説得しただけのことはあるじゃないか。
ラフィアは、小さく頷いた。