ゲームの世界
電気の点いていない薄暗い部屋に、テレビ画面の僅かな明かりと僕が一人。
赤いコントローラーを握り締めてそこにいる。
閉め切ったカーテンは、もう何年も開けていない。
床にはゲームの大会で手にした無数のトロフィーやカップが散乱している。ついでに毎日食べる牛丼のゴミも。
別に暗いのが好きなわけじゃない。めんどくさいだけだ。
他人から見たら酷い有様だね。まぁどうでもいいけど。どうせこの部屋に来る物好きなんてあいつぐらいなもんだから。
「よっ!元気か?」
噂をすればなんとやら。タイミングを図ったように後ろから声がかかる。
が、僕は振り返らない。男っぽい低い声で分かる。
どうせ友久だ。
心の中だけで納得して、奴の言葉は軽く無視する。
まぁ聞こえなかったことにしよう。
「なんだ、晩飯用の牛丼を買ってきてやったのに、聞こえないならいらな……」
「こんばんは友久さん。元気にしています」
「現金な奴め」
頭を下げる僕に吐き捨てるように友久が言う。
失礼な。ただ挨拶の素晴らしさに目覚めた少年に向かって!
それにしても牛丼はうまい。人類が生み出した最高の食べ物だな。
「あぁそうだ。なんか玄関に手紙来てたから持ってきといたぞ」
はて?手紙なんか送ってくる可能性がある奴と言えば……
「あぁ。なんだ。友久からか」
「いやこの距離で手紙は無理があるだろ!」
そうか。確かにそうだな。でもじゃあ誰だ?
牛丼をかきこみながら、もう一度考える。しかし浮かぶ名前はない。
「なるほど……隣の奴の間違いだな!」
「どんだけ友達いねぇんだよおい」
ふっ。自慢じゃないがいじめられっ子で不登校の僕をなめるなよ!
「なんで誇らしげな顔してんだ。それよりほら、食い終わったなら読むぞ」
バサッと音を立てて、友久が手紙を広げる。
「なんか、ゲームの招待状だな。えっと……青柳悠一様、あなたを天才ゲーマーと見込んで一つ、お願いがあります。どうか私たちの世界に来て、少女を救ってください。……だってよ」
僕を天才ゲーマーと呼ぶなんて!わかってるじゃないか!
そうさ。僕こそ世界にその人ありと謳われた生きる伝説……
「まぁ本当はお前が、普通ならテトリスすら十秒ももたないクソゲーマーだってことは、この際置いといて」
「うるさい!せっかくかっこいい紹介を頭の中でしてたのに!」
「知らねぇよ。てか、どうすんだこれ?」
頭を掻きながら、友久が手紙を渡してくる。
「ふぅ……美味しい」
ナプキンで口を拭いていると、拳骨が飛んでくる。
「俺がいつ、牛丼の感想を聞いたよ。真面目に答えないと殴るぞ」
「もう殴ってます……」
ちぇっ。ちょっとふざけただけなのに。それに、どうするたって、私たちの世界ってなにさ?ゲーム用仮想世界のことかな?そりゃ助けを求める人がいるなら、救ってあげたいけど……
「そして、それが少女なら、助けたお礼にあんなことやこんなことをしてもらいたいけど……」
「こらぁっ!勝手に人を危ないロリコン野郎にするんじゃない!そして、ナチュラルに人の心を読むな!」
なんて危ない発言を偽装するんだ。ここが学校とかだったら、友達に変な目で見られるじゃないか!
「あぁ……そういえば不登校で友達もいないんだった」
「悪かった!俺が悪かったから、さめざめと泣くな!」
「分かってくれたならいいよ」
肩を叩く友久に、泣いたフリをやめて笑いかける。
「まぁお前がロリコンだろうと俺には関係ないが……」
「僕の人生に関わる問題をそんな簡単に……」
「でも、どうせ行くんだろ?お前だもんな」
「……まぁね」
返事を分かりきっているかのように、ニヤッと笑った友久に、頷きながら答えた。
「でも、どうやって行くんだ?てか、どこに行くんだよ」
首を傾げながら、友久が聞いてくる。僕も確証はないけど。
「それはたぶん、最近流行りのゲーム世界だよ。招待状があるんなら、それを半分に切るだけで行けるって聞いたよ。ゲームの中に」
「そうか。じゃあ行ってこいよ」
ん?行ってこい?……あっ!そうか!招待されたのは僕だけだから、友久は一緒に来れないのか!
「ちょっ……ちょっと待った……」
今さら気づいた事実に戸惑い、口を開いたまま友久に手を伸ばしたが、既に招待状は二つに切れていた。
「おい。起きろ。大丈夫か?おい」
声が……聞こえる。
聞き覚えのある、低い声だ。
誰だっけ……?
「おい。おいってば!」
おそらくは声の主だろう、僕の身体を揺すりながら再度呼びかけてくる。
ぼーっとする。目が開けない。光が強い。たぶん日光だ……。
ある事情と眩しさにやられて、声をかけてくる相手が見れないので、声で思い出そうと頭の中で模索する。
誰だ?なんか、高校生男子で、短髪で、身長高くて、頑丈そうな身体で……
「いけ好かなくて、女と話すのが苦手で、何かとうるさくて、ナルシストで、口が悪くて、目つきも悪くて、友達を奴隷の様に扱ったりする、クソ野郎の声に似てるな……」
「よし。起きるまで指を折っていこう」
「すみませんでした!」
なんて恐ろしいことを考える奴なんだ。
恐怖で眠気が吹き飛んだ。
飛び起きて周りを見て一言。
「どこだここ」
明らかに僕の部屋ではない。そもそも僕の部屋に日光はないからね。
でも、それだけで質問を口にした訳ではない。
驚嘆する僕の目の前では、当然のように黄金の鱗をしたドラゴンが血の色の空を飛び、その奥には、今にも爆発しそうな火山が聳えていた。
いやー部屋の外に出たのは二年ぶりぐらいだからなー。
「日本もずいぶん変わったなー」
「そんなわけねぇだろ!」
率直な感想を言っただけなのに……
友久に叩かれた後頭部を摩りながら再度思考する。
確かさっきまで……
「そうだ!ゲームの中か!」
「まぁたぶんな」
「へぇー。ここがゲームの中かー」
あまりの光景につい、あっけに取られてしまう。
寝ぼけ眼も、広がる奇想天外な景色にだんだんと冴えっていった。
「それはそれとして、なんで俺までいるんだ?」
不思議そうな顔で友久が聞いてくる。
確かに、現実にいる時、ここに来るのは僕だけかと思っていた。
でも、そんなこと僕が知るわけないじゃないか。
「まぁいいじゃないか。ゲームの中なんて滅多に来られないよ?」
僕は嬉しくて笑う。
何故来れたのか?より、二人で来れたことを喜べばいいんだよ。
べっ別に一人じゃ心細かったとかそういうのじゃないんだからね!
「何言ってんだ。ツンデレ女子かお前は。てかでも、俺があっちに帰れないのは困るだろ……」
ナチュラルに心を読まないで。
またいつもの友久の僕を女子呼ばわりするやつが始まったよ。
なんか僕の言動が女っぽいとか言って最近はすぐ何かにつけて女子女子って──
「──えっ!?」
僕の中を衝撃が走る。
友久、今なんて言った?えっえっ……帰れない?
「……おいバカ。もしかして状況分かってねぇのか?」
可哀想なものを見るかのような友久。
「……あっ!」
そんな友久の言葉によって、僕は今になって、自分の部屋では考えていなかったあることに気がついた。
「どっかにいる誰かも分からない女の子を救えない限り、永遠に現実に戻れない事実に、まさか気づいてなかったのか?」
「……うん」
友久が唖然としている。
「さすが女っぽいバカ。どうりで脳天気なわけだ……」
女っぽいは何一つ関係ないよ?
「うるさい。人をバカみたいに言うな!」
「正しく今そう言ったんだよっ!!」
あれ?でも待って。
「ねぇ、友久はここに来る前からそれ分かってたんだよね?帰って来れないかもって。なのに僕のことは平気で行かせようとしなかった?」
「だってお前が帰って来れなくても誰も困らないし」
本気でぶん殴られたいのかこいつ。
いやでもまぁ……その通りか。
「とにかく、この森を出て人に会おう。女の子探しはそれからだ」
歩くのは苦手だけど仕方ない。友久の言う通り、今は森を出るのが最優先だろうから。
「はぁ……」
紅い空の下、どこに向かうかも分からず森をひたすら歩く。
そんな状況に嫌気が差して、もう何度となくため息をついていた。
「うるさいぞ女っぽいバカ。気が滅入るだろ」
友久もイライラしてるみたいだ。
いや、いつも通りか?
もう女っぽいにツッコむ気すら起きないよ。
「だってさー顔が濡れて力が出ないんだよー」
「どこのアンパンだよ。くだらないボケしてる元気があるなら歩け」
「はいはい。おっと……」
慎重に歩いていたのに、木の根に躓く。危ない危ない。
「あっ、わりぃ。その辺段差多いから気をつけろ。ゆっくりでいいから」
心配そうに友久が見てくる。
気にするなっていつも言ってるのに。
「それにしても、全然森を出ないね」
暗くなった天気と足の疲れからも、ずいぶん歩いた気がするんだけど。
僕はともかく、友久は明日も学校だ。このままじゃ間違いなく、現実に戻るのは間に合わない。
「あのさ……」
「大丈夫だ。お前に巻き込まれるのはいつものことだ」
僕が言おうとした言葉を先回りして、友久は答えた。
いつものように、笑いながら。
頭のいい友久のことだ。沈んだ顔をしてる僕の考えなんて、お見通しだったのかもしれない。
「そうだね。学校なんか行かなくていいよね」
「そうは言ってねぇけどな」
「えっ?もしかして友久、学校なんて行くな!って諺知らないの?」
「知らない。全然知らない。てかないだろ」
「あっ、間違えた。四字熟語だ」
「どこに四文字の要素があったんだよ!」
あれ?四字熟語って四文字じゃないといけないの?初めて知った。
頭の悪い僕の発言に、友久がツッコミを入れる。
くだらないボケに二人で笑った。
長い付き合いだ。お互いの思ってることぐらい分かってる。
何があっても僕たちは何も変わらない。
ゲームの中に来ようと、危機的状況だろうと、変わらない。
バカなボケをしながら、楽しくやっていこう。
どうせ、なんとかなるよね。
「あーあ。休んだ理由なんて言おっかなー」
空を仰いで、友久が呟く。
そういえばこの空、昼間は赤かったのに、夜は普通に暗くなるんだな。
日本で言うと夏の18時ぐらいの暗さだ。まだ大丈夫。
釣られて見上げた空に、どうでもいい感想を抱きながら、会話を続ける。
「休んだ理由?宇宙人が攻めてきたんです。とかでいいだろ」
「嫌だわ。頭おかしい奴じゃねぇか。心配した先生に、もう少し休まされるわ」
「じゃあ信憑性を出すために僕が宇宙人として学校に行ってあげよっか?」
「やめて下さい!!」
甲高い声が、森に響いた。
「バカなこと言ったのは謝るよ。でも友久、そんな女みたいな声出さないでよ」
友久の方が女っぽいじゃないか。
「うるさいバカ。俺じゃねぇよ気持ち悪い。あそこ、女の子がいるみたいだ」
友久が遠くを指さす。確かに、ぼんやりと人影が見える。
やった!やっぱり人はいたんだ!
ゆっくり近づいていくと、さらにもう一人分の影が。何やら会話をしてるみたいだ。
「へっへぇ。いいじゃねぇかよお嬢ちゃん。どうせ数日後には犯られちまうんだからよぉ」
聞こえてきたのは、思わず顔をしかめるような不愉快な台詞。
木々の間からぼんやり見えるのは、掴まれた右手を振り払おうとする女の子と、がっちり握って離さない男。
気持ちの悪い笑い声だな。
顔もどうせ、ニヤニヤ笑ってやがるんだろ。
なんだが知らないけど、嫌がる女の子に暴行とは、下衆野郎だね。
「ねぇ友久。これって……」
「あぁ。胸くそ悪りぃな」
木々に隠れながら、様子を伺う友久の後ろをついていく。
「誰か……誰か助けて……だれか!!」
「こんな森の中に、誰もいやしねぇよ」
大声で助けを求める少女。
それを嘲笑って、男はポケットからナイフを取り出した。
クソ野郎が。ここにいるってんだ。待ってろ今すぐ……
「悠一、まだ行くな。奴は女の子の手を握ってるし、ナイフまで持ってやがる。おれ達がバレたら人質に取るかもしれねぇ」
確かに友久の言う通りになったら大変だ。
でも……何かしようもんなら……
「それにお嬢ちゃん、俺と気持ちいいことしたくて、本当はもう濡れてんじゃ……」
男は、下品で気色の悪い台詞と共に、少女の服をナイフで下から上に少しずつ切り裂いていく。
「いや……やめて……」
「……ごめん」
誰もが心苦しくなるような少女の震える涙声を聞いて、男は謝った──
「俺そういうの……逆にそそるんだわw」
──バカにするように。
「ぶっ殺してやる」
あまりに無慈悲な言動に、つい口をついてそんな言葉が出る。
男の発言と同時に、我慢が限界を超えていた。
忍び足で後ろに下がり、思いっきり助走をつけて──
「地獄におちろぉぉっ!」
──男の背中にドロップキックをお見舞いしてやった。
どうだ!これなら人質に取る暇もないだろ!
「ゲフッ」
言葉にならない声を上げて、男は前のめりに倒れた。
僕も体勢を崩したけど、被害はあっちの方が甚大だろう。
「無茶苦茶だなお前は」
「いやーそれほどでもー」
「褒めてねぇよ」
驚いている女の子の後ろから、友久がひょいっと出てきて褒めてくれた。
「ダメだな。完全にのびてやがる」
アホ面で気絶している男を友久が笑う。
「あの……ありがとうございます。助けていただいて……」
「いやいや、月に代わってお仕置きしたまでですよ」
「セーラームーンかおのれは」
改めてお礼を言われると何だが照れる。
頭を掻きながら、適当なことを言ってごまかした。
「私、ラフィアっていいます。あの、お二人のお名前は?」
「僕は青柳悠一。こっちは中井友久。こいつは、君みたいな小さい女の子が大好きだから、仲良くしてあげてね」
「待てバカ。その紹介はまずい。社会的な意味で」
「青柳さんと中井さんですね。本当に助かりました。どうお礼をしたら良いか……」
「んーでも、お礼の前に服を──」
僕がそれを言おうとしたところで、着ていたコートを掛けてあげる友久。
友久にしては、分かっているじゃないか。
「あっ……すみませんお見苦しい格好で……」
頭を下げる少女。気にしなくていいのに。
よし!ここは一つ、和むようなことを言ってあげよう。
「いやいや。むしろ嬉しいくらい──」
「それじゃ和むどころかセクハラになるぞ」
「──だと友久が目を血走らせて言っていました」
ふぅ危ない。確かに友久の言う通りセクハラになるところだった。
「お前は俺に何の恨みがあるんだ」
何を言うか。いつものお返しだ。
「ふふっ。本当に楽しいお二人ですね。よろしければ、このコートと先ほどのお礼を兼ねて、私の家に招待したいのですが……」
こちらとしては、願ってもない提案に、友久と顔を見合わせる。
「「じゃあ……お願いします」」